よくよく考えれば、同じ皮膚の表面であるのだから、キスをするのも握手をするのも、そういう面では同じ行為の筈だ。
しかし、その場所で触れたいと思うのは、大事な人にだけ。
季節の変わり目の天気は気まぐれ。複数の季節の気温を行ったり来たりする。
一番先に音を上げたのは、やはりというか、静流だった。
「んもー!やぁぁっと暖かくなったかと思えば寒くなって!
何処か暖かい場所で越冬したいわ!」
静流の発言は、複数からお前は渡り鳥か、というツッコミを貰う事に成功した。
酒をぐび、と一口飲んだ飛天は言った。
「ま。確かに寒いわなぁ。
こんな時ぁ、アレだな。異国行くよか温泉だな」
「あー、それ………」
「それよ!さっすが飛天様!冴えてるゥ!!」
いいッスね、と続こうとした火生は、後ろから突進した静流に潰れた。
「温泉かぁ……」
感慨深く天馬は呟く。
「うん、オレも行きてぇ!銭湯は行った事あるけど、温泉はよく考えたけど行った事なかったかも!」
何処へ行こう、ときゃいきゃいと話す3人。
「オマエはどーするよ」
ぐりん、と首だけ捻り、凶門に尋ねた。
「……あいつらを野放しにしてはおけんだろう」
だから、自分は見張るために行くと、それすら口にしない。
なーんでこう捻くれてるかね、と育てた事を棚に上げまくって飛天は思う。
「別に人間の宿に行こうなんて思ってねーよ。
どっか適当に沸いてる所知ってっから、それのどれか」
「…………おい」
「えー!じゃ、”秘湯”ってヤツですかい!?」
「そうなるな」
「…………おい」
「はぁー、飛天様の見つけたお湯で、静流、ますます可憐さアップvv」
「…………おい」
「あまり過酷な場所は控えろよ」
「おい!!」
三度目の呼びかけに、ようやく皆の視線が集めれたのは帝月だ。
これ以上ない不機嫌さを身に纏い、帝月は声を低く言う。
「貴様ら全員僕の憑カワレなんだぞ。主人の意向も聞かず、何を好き勝手な事ばかり言っている」
「えー、いいじゃないッスか、ぼっちゃん。ちゃんと2人が入る時は、2人きりにしますからv」
「そりゃまぁ確かに、柔肌皆に見られるのはムカつくかもしれないけど、その内本人もよく知らない所を見れるかもしれないんだから、文句はナシよv」
………………
ごそ。帝月は黙って懐から符を出した。
「……括りま……」
『わー!ストップストップ、ごめんなさーい!!』
逆鱗を逆撫でされまくった帝月は、符に閉じ込めるべく収まるべき符を2人に向けた。
が。
「ミッチー!温泉だって!」
座っていた天馬が、帝月の裾を引っ張る。そのまま、すとんと座ってしまった。
「んでさ、飛天しかしらない場所なんだって!近くに寺子屋があるから、そこで適当に泊まれるって!
あ、メシは自給自足なんだけど、ま、どうにかなるよな」
「……………」
「オレ、親以外と旅行すんの初めてなんだー!スッゲー楽しみ!!」
「……………」
そんな2人を見ている静流が、火生に耳打ちする。
「ね、行くか行かないか、帝月に聞いてみなさいよ」
「いやー、それやったら苛めだろ」
目の前では、まだ見ぬ温泉に、馳せている思いを帝月に語る天馬が居た。
「うぅっひゃぁあああ〜〜〜!温泉だ!!」
「当ったり前だってーの」
もうもうと大量の乳白色の湯気に感動の声を上げる天馬。
それを諫めるような飛天だったが、微笑ましいと笑顔が語る。
「よーし!早速入るー!!」
言うや否や、隣の小屋に駆け込んだ天馬だ。もう、服を脱いでいたりするのかもしれない。
「天馬が入ったって事は……仕方ないわね。あたし達は夕食の材料でも探しましょ」
「あ、ぼっちゃんはゆっくり寛いで下さいね。俺達なるべく時間掛けて来ますから」
「……………」
もう、符を出す気にもなれない帝月だった。
全く、あいつら何を考えているんだが。
乱暴に服を脱ぎながら----その表情と合わせて、殆ど毟り取っているような感じさえある----帝月は苛立たしげに思う。
火生と静流だけならともかく、飛天や、凶門まで行ってしまったのだ。
行ったと見せかけて隠れでもしてはいまいか、と気配は探ってみるものの、無い。
冗談抜きで2人きりの状態だ。
そうして、ふと思った。
2人きりの状態など、初めてではないのかと。
初対面はともかく、その後は天馬の中に飛天が封じ込められていたし、それが出て行った後は、気づけば大所帯となっていた。
それに気づいた途端、帝月の中で何かが駆け巡った。
逃げ出したいような、それを反対に早く行きたいような。
腰にタオルを巻いた、あとは入るだけの格好で帝月は思案した。表情がなまじシリアスなので、中々笑えたりするのだが。
嵌ってしまった思考を抜け出させたのは、天馬の声だった。
「誰か其処いんのかー?」
「…………ッ!!」
別にやましい事なんかしても思ってもないのに、とっさに隠れる場所を探してしまった。
「あ、もしかして、ミッチー?」
「…………」
身長で、すぐ解る事だ。
しかし、それでも、自分だと解ってくれた事が、どうしようもなく嬉しい。
自分が此処にいるのだと、此処に居てもいいのだと、教えてくれているようで。
「ミッチー!風呂、すっげー気持ちいいぜー!早く来いよー!!」
見えなくとも、天馬が大きく手を振っているのが解る。
「……行くから、大声で呼ぶな」
恥ずかしいヤツめ、と、赤くなった頬は湯気が誤魔化してくれる。
何で、温泉入ってるヤツって、こうしてタオル頭に乗せるんだろうな。
そう言って、天馬も折りたたんだタオルを頭に乗せる。
「へへ。目玉の親父みてぇ」
「……………」
ご機嫌な天馬の横で、帝月は落ち着かない。
やはり、皆が行ってしまうのを、力尽くでも阻止すべきだったか。しかし、そうなったらそうなったで違う事で思い悩むような気がする。
「あ、そー言えば、皆は?」
「……夕食の材料を取りに行っている」
「えぇ!?オレ達、ゆっくり浸かってていいの!?」
「構わん。知ってる事だ」
「んー、でも……
……ミッチー、怒られたら、一緒だからな」
今すぐ皆を追いかけるかと思いきや、このまま湯に浸かる事を選んだ。
帝月は、天馬が選んだのは温泉であり、自分と居る事で無いのだと必死に言い聞かせた。どんどん上がっているような体温は、温泉のせいではない。
あいつらはまだ戻らないのか、と天馬に集中しなように飛天達を気にした。
せめてもの幸いは、結構広く、幅が近くなるような事は無い事だろう。
どれくらい経っただろうか。
帝月は、とっくに時間の感覚が麻痺している。
「なー、ミッチー………」
いつもの天馬とは、似ても似つかないくらいの、気だるげに掠れた声。
何だ?!と若干オーバー気味に反応して、振り向けば岩場に背を凭れさせている天馬が居た。頬が、うっすら紅潮している。
「飛天から聞いたんだけどさぁ、此処には金木犀があんだって。これかな?」
近くにあった樹を撫でる。
帝月も、その樹を見た。
「……あぁ、これは、金木犀だ」
「そっかぁー」
ほにゃり、と笑う。
天馬はどちらかと言えば、騒がしかったり煩かったり。いい意味では陽の部分が濃いタイプだ。
しかし、帝月は知っている。
時々、天馬は凄く柔らかい表情を浮かべるのだということ。
押し付けがましくもない、眩し過ぎる事もない、何時でも見続けていられるような、そんな。
今が、まさにそれだ。
「金木犀が咲くと、湯にそれが浸かってスゲーいい香りになるんだって。
そん時また来ようなー」
「……あぁ」
帝月が素直に賛同してくれた事が嬉しいのか、笑みを浮かべる天馬。
「あ、あとさ。雪が降ってる時にも入ってみたいよなー。身体、お湯で温かいから、ずっと見てられるし」
「あぁ」
「見ようなー。ミッチー」
「…………」
その返答には少し困った。
何せ、こんな自分達だ。
言ってしまえば、相手の幸せを思うなら、とっとと離れるべき間なのだから。
でも。
「あぁ。一緒に見よう、天馬」
あげた言葉はそれで。
「へへ…………」
自分の言葉に笑う天馬がもっと見たくて、取っていた距離を自分で縮める。
さっきまで離れていた自分が滑稽に思えるくらい、今は天馬の傍に居たい。
足りないのだ。何かが。
何だろう。埋めたい。
天馬に触れれば、解るような気がする。
「天馬………」
近づいた帝月の手が、天馬の頬に触れる。
直前。
ばしゃべん。
天馬は、湯に沈んだ。
<続く>
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