「のぼせた」
初体験が風呂場で足腰立たなくなるまでなんて、ちょっとキツいんじゃない?とか静流に言われる先手を打って、思い思いの食材を手にした面々に、くったりと横たわっている天馬の状態を述べる。簡潔に。
「ふーん……」
静流は意味ありげに怪しく微笑む。
「天馬がのぼせちゃうまで、一緒にお風呂に入ってたんだ」
「………………」
しまった。そう来るとは。
事実なだけに否定も出来ない。
「ま、いーわ。あたし達がが風呂入って出てくるまでには、湯当たりも抜けてるでしょうし」
何がいいんだ。何が。
そうツッコミたいのだが、そうすれば相手の思う壺だというのは解り切っているので、帝月はひたすら沈黙した。
「じゃ!坊ちゃん、俺達入って来ますんで!」
「………あぁ」
呼んだら返事しろー!と毎度煩い天馬のせいか、自然と返事を返す癖が付いた。
飛天と混浴だの風呂入って晩酌だの煩い面々が温泉へ向かったのを確かめ。
帝月は、符を出した。
あ、と火生が声を上げた。
「ツマミ忘れた」
「あん?アタリメがあんじゃねーか」
アタリメとはスルメの事だが、スルメの”スル”が”金を摩る”に通じるから、こんな呼び方もする。飲兵衛のおじーさんくらいはこんな風に言うかもしれない。
「俺、スルメあんま好きくねーんですよ。やっぱ塩辛が一番……お?あれ?」
戸を開けようと試みるが、開かない。立て付けが悪いとかそういう問題ではなさそうだ。もしそうなら、火生が力尽くでやって、うんともすんとも動かない筈が無い。
「何だー?」
「…………結界、張られてんな」
じぃ、と戸を見て飛天が言った。
「結界?何で?」
「………は!もしや!!」
静流の目がきゅぴーんと閃く。
「今頃この中では、あんな事やこんな事に!!?」
「え、じゃぁ、てっちん今晩はお赤飯!?」
色めき立つ2人。
オメーらがそんなんだから、締め出されたんだよ、と心内でだけ呟き、飛天は暢気に湯に浸かっていた。
(……つーか……マジやっちゃってんじゃねーだろーな)
あまり、人の事を言えない飛天だった。
結界の向こうで騒がしい気配がする。
やっぱり張っておいて正解だった、と嘆息する帝月。
目の前には、畳の上で横になっている天馬。横になっているというより、座ってもいられない、と言った方が正しいのかもしれない。
真っ赤な顔をして、目を閉じている天馬を見ると、湯当たりなのだと解っていても胸騒ぎに似たものが身体を巡る。
此処は山の中だ。清流くらいあるだろうから、それで冷やした布を額に置いてやればよい。飲ませてやるのもいいだろうし。
そう思いたって、立とうとした服の裾を、何かが引っ張る。
天馬だ。
「………何処行くんだよぉー……ミッチー……」
置いていくな、と拗ねたように言う。
「水を……」
「ヤ、だ。1人にすんなよー」
本当に天馬を思うなら、説得でもして水を取りに行くべきなのだろうけども。
湯当たりのせいとは言え、揺れる瞳やあやふやな発言でそう言われてしまうと。
……最後に、こいつの言うことに逆らったのは何時だろうかと、そういえばそんな時は一度足りとも無かったのかもしれないと、帝月は腰を降ろした。
すぐ近くの帝月に、天馬はふにゃりと笑う。
とは言え、このまま何もしないのも情けない。
いつぞや、自分の手は冷たいと天馬が言っていたのを思い出し、そっと掌を額に乗せた。
すると。
「-----ッ、ひゃ!?」
飛び上がったのでは、と思うくらいの反応が返った。
大げさな、と帝月は思う事も出来ない。天馬が帝月の冷たさにびっくりしたように、帝月も天馬の熱さに驚いた。
「びっくりしたー……」
「……熱いな」
「んー、そっかぁー?」
自覚はないらしい。
ある程度冷たさに慣れると、気持ちがいいのか目を細める。
「ミッチー、そっちの手も」
反対の方の手も強請り、頬に添える。冷たさがある程度解っていた為か、先ほどのようには驚かなかった。
「あー……冷たくて、気持ちいー………」
掌の下、手首との境目が唇付近に当たり、何だか帝月は落ち着かない。
「こうなる前に、何故出ない」
誤魔化す為に、天馬を諫めるような事を言う。結果をしては、薮蛇だったのかもしれないが。
「だってさー……ミッチー、出ようって言わないから、まだ入っていたいのかなー、て。
だからオレも入ってよー、って……」
「……………」
「ミッチーって、温泉、案外好きなんだなー」
意外だよなーとふわふわと、脈絡のない言葉を並べ、けれど向けるものは全て帝月へと。
「ミッチーさ、あんま、そういう事言わないもんなー。
飛天たちは、我侭一杯なのにさ。
他に、何が好き?」
「僕……は………」
他に、というよりも。
これだけが、という感じに。
自分が好きなのは、目の前の、この、天馬だ。
「僕は…………」
けれど、伝えようとすればうするほど、喉が塞がり、言葉が凍る。
何を躊躇っているのだろうか。覚悟はとっくに決めた筈なのに。
言葉は役に立たない。ならば、どうすれば伝えられるだろうか。
それ以外でなら、何度でも好きだと伝えられるかもしれないのに。
天馬の全部が好きだ。目には見えない心から、それにある強い意志。
こうして、触れられる肢体にも、勿論。
「……………」
別に何か思っての事でななかった。この時は、まだ。
ただ、両手は天馬を冷やす為に使われいるから、他に触れられるような場所といえば、其処くらいしか思い当たらなかったのだ。
唇。
「………?」
掌がほんの少しずれて、他の柔らかい感触が当たる。
が、熱せられていた頭が冷やさせる心地よさに、半分以上眠っている天馬は、目を綴じたままだった。
もし開いていれば、それに写る帝月の顔に、何かを取れていたのかもしれないが。
目を綴じていたままにしたのは、眠たさもあったが、触れる何かがさっき以上に心地よかったからだ。
「天馬……」
薄い皮膚一枚分の隔てしかないからなのか、自分にも熱が移ったような錯覚に陥る。
同時に、今までに感じた事のない、甘い眩暈も。
----気持ち良い。
そんな感情を、リアルに持ったのは、おそらくこれが初めてだろう。
もっと気持ち良くなりたいと、獰猛さを抑えた稚拙な欲求が胸を締める。
自分は、唇で触れて気持ちよいと感じた。
ならば。
相手のその同じ箇所に触れたら、もっと気持ち良いのではないか?
帝月に、外見に相応しい笑みが浮かぶ。無邪気な、と言っても良かった程の。
額から頬へ滑らせていた唇を、一旦離し、顔を上げた。
目の前の天馬を見て、あぁ、自分はこいつが好きなのだと、改めて、想いを噛締めた。
「天馬」
好きだ、と、相変わらず口は動いてくれないが。
それで触れる事なら----
近寄る時の、動く空気さえ心地良かった。
「ちょっと帝月!いい加減に開けなさいよ!あたし達まで伸びちゃうじゃない!」
そう、静流が叫んだ途端、戸に変化が訪れた。
がらり、と何をしても開かなかった戸は、あっけなく開いた。
「ふぃ〜、いいお湯だったvあら天馬、復活してたの?」
「んー、まだちっとふわふわしてるけど、だいたい平気。メシ作るくらいなら出来るぜ」
「それは何よりね。で」
静流は言葉を途切り、”そちら”へ目を向けた。
「”アレ”は何?」
”アレ”とは即ち。
押入れが無い為に、部屋の隅で膝を抱えている帝月の事だ。効果音をつけるなら、ズドーンといった所だろうか。
「解んね。オレが起きた時はもうあんなんだったし。
凶門、知ってる?」
「……いや………」
凶門は曖昧に言うしかなかった。
事実だなんて、とても言える訳が無い。
凶門は天馬がのぼせた事を見、帝月も考えた清流を汲んで来たのだった。
飲めるものを探すのに、少々手間取ったが、目的のものは見つけ、部屋に入ったら----帝月は、普通の出入り口の方には結界を張ってなかったらしい----
果たして、自分はタイミングが悪かったのかギリギリセーフだったのか。
さっきからずっと繰り返している事だが、答えはきっと出ない。
で、帝月なのだが。
自分は思ったより自制が効かないのだと激しい自己嫌悪に悩まされていた。
何せ2人きりになったのなんて、今日が初めてだ。知りようがなかったではないか。
とは言え、のぼせてぐったりしている天馬の寝込みを襲いかけた、という事はもう取り消せようもない事なので。
夕食の鍋が出来た、と天馬が言いに来るまで、ずっと隅に居たままだった。
2人きりになると箍が外れると自覚した帝月は、今まで以上に天馬と素っ気無くなり、今まで以上に天馬を怒らせ、今まで以上に落ち込んだのは、また別のお話。
<終わり>
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