Tea Time 8,





 どんなに惜しんだとしても、一日は二十四時間から増えてはくれない。二月十四日は、呆気無く過ぎて行ってしまった。チョコレートの芳香すら残さず。もっと世間は大体的にチョコレートを扱ってくれてもいいのに。バレンタイン・フェアだけじゃなくてさ。しかし、今はもう二月十六日。今年のバレンタインも、過去の事になってしまった。
 それを悼むように、ワタシは主人不在の「フォールリーフ」でホットチョコレートを飲んでいる。フランス語でショコラ・ショーを言ってくれてもいい。
 店長は、今はちょっとどこかに行っている。この店は場合に応じて宅配もする。
「ふー、温まるなぁー」
 そう、しみじみと呟いたのはワタシではなかった。呉だった。呉 明流。ワタシが通うサン・イースト学院において、ガラスの鉄仮面を被り生徒や教師の信頼を勝ち取って、中等部生徒会執行部会長の肩書きを持っている。
 で、このホットチョコレートも、呉の物だ。正確に言うと、呉宛に来たチョコレート達の変わり果てた姿だったりする。まぁ、それでも捨てたりしないだけまし……だろうか。
 何せ呉は、さっき言った通り生徒会長であるし、何より人気がある。どの学校にでも居る学年を超える有名人というやつだ。呉に至っては校外にまで知名度は及んでいるかもしれないが。こいつにチョコをくれた人達は勿論、周りの人達、果てには親までもが呉の事を白皙の美少年系美少女で、成績優秀の品行方正で、スポーツも万能の非の打ち所の無い生徒だと思っている。本当は非の打ち所が無いというか、手の施しの無いヤツなのに。まぁ、顔が良くて成績が良くて運動神経も良いのは、事実なんだけど。
「朱麻先輩、今日は来ないのかな。折角、ホットチョコレート作ったのに」
 以前からワタシにとって厄介な存在だった呉は、ここ最近でいよいよ本格的に厄介な存在へと進化していた。何故かと言えば、今のセリフの通り、呉は朱麻先輩をとても気に入っている。将来的には一緒に住みたいとすら本人に言って、あっさり返り討ちに遭ってるくらいだ。でも、めげない。そのくらいの価値がある人だと、ワタシ自身も思っているから、何とも言えない気分だ。
 朱麻先輩と居ると、何て言うんだろうか。その振舞い方を見ていると、自分は自分でいいや、と思わさせてくれる、不思議な魅力がある。
 しかし、世の中の考え方は出る杭は打て、のように他人と違った行動を取るのを、ともすれば悪と見る。周囲に流されない朱麻先輩は、ちょっと浮いた存在になっている。残念な事に。……まぁ、モテモテになったら、ワタシがちょっと困っちゃうんだけど。彼氏とか作られたら、一緒に居る時間が減ってしまう。ただえさえ、委員の後輩なんていう、薄っぺらくて細い繋がりなのに。
 その点は呉は巧い事やっている。周囲の流れには逆らう事なく、その流れそのものをさり気なく変えるという手法を心得ているからだ。おそらく当人も、呉に操られてるとは夢にも思わないだろう。
 呉は冷めるのを待っているのか、呉先輩を待っているのか、マグカップを見詰めたまま、静止している。そのまま無視してチョコレートを飲んでいたら、その内呉が口を開いた。
「……これ、わたしが貰ったチョコで作った、と言ったら朱麻先輩嫉妬とかするかな?」
「そんなシャボン玉より儚い妄想持って、虚しくない?」
 と、言ったのはワタシではない。
 店長でもなければ、ついでに朱麻先輩でもなかった。
 田鴫先輩だった。コートを小脇で抱え、勝手知ったると店内の更に奥のここまでやって来た。関係者立ち入り禁止の看板こそないが、それも普通の人が気づかない場所に出入り口があるからだ。
 田鴫先輩をちょっと紹介しよう。
 田鴫りん。聖エカティローナ女子校の高校一年生にあたる。つまり、十六歳って事だ。ちなみにこの女子校は、ウチの学校と姉妹校に当たる。
 そして何より呉の又従姉だ、というプロフィールで内面はだいたい解ってもらえると思う。
 ただ、例え仮面とは言え真面目と讃えられる呉とは違い、田鴫先輩は遊び人としての人気がある。切れ長だけど、若干垂れ気味な双眸がそういうイメージを与えるのかもしれない。最も、実際そんな立ち振る舞いの人なんだが。
 呉が美少年系美少女なら、田鴫先輩は美青年系美少女って感じだ。背も高く、一七二センチ。背が低いことで悩んでいる男性をますます悩ませてしまいそうだ。髪はサラサラのストレートヘア。それをセミロングより若干長めくらいにしてある。前髪は左側のみを上げていて、より一層大人の雰囲気になっている。仮に二六歳くらいだと偽っても、誰も怪しまないだろう。
 そんな田鴫先輩は、「聖エカティローナ女子校のオスカル様」と呼ばれてるらしい。ベルサイユ宮殿の前で切腹ればいいと思う。
 田鴫先輩は呉の背後に登場するような形になった。呉は後ろを振り返る事無く、深く重い溜息を吐いた。
「はー……朱麻先輩に会えない哀しさに、幻聴まで出てきた……」
「この寒空の下、わざわざやって来た従姉に対して随分な挨拶じゃん?」
「何が来てやった、だ恩着せがましいな。どうせお前も朱麻先輩目当てだろ。朱麻先輩は居ないんだから、とっとと失せろ」
「お前の想像力は貧困だなー。来るまで待つという選択肢が想像出来ない訳?」
 そう言いながら、椅子をガタガタさせて座る。
「止めろよ。お前が居たらいよいよ朱麻先輩が来なくなるじゃないか」
「何だその言い分」
「朱麻先輩にはお前の発する瘴気は辛すぎる」
「平気だろ、お前と一緒に居て平気なら」
「何だとー!」
「お前が先に吹っかけたんだろーがっ!」
「お前が来たからいけないんだろー!」
 やるかコラァ!みたいな雰囲気になって来たな。店内壊さなければいいけど。
 しかし、乱闘騒ぎにはならずに、代わりというか田鴫先輩はチッ!と大きな舌打ちをした。
「あーぁ、朱麻っちゃん、早く来ないかな」
「馴れ馴れしい呼び方をするな」
「折角ホットなニュース持っていたのに」
「ろくでもない話題で朱麻先輩を汚染するなよ」
「ろくでもなくないやい。先日起こった殺人事件だよ」
 殺事件の話題はまともな内容になるんだろうか……まぁ、確かに朱麻先輩は推理小説が好きだ。そしてワタシも好きだ。
「割りと近くにあった事件だ。覚えてないか?」
「あー……確かどっかの主婦が死んだの何だの」
「そう、それだ」
 と、まるで人差し指を銃口のように呉へと向けた。
「それの家族にちょっと関わりがある人がウチの学校の生徒なんでね、ちょっと色々調べてみたんだ」
 そう言って、田鴫先輩は鞄からクリアファイルを取り出した。そこにはA5サイズの紙が沢山入っていた。
「これが実に面白い事件でさ。その主婦は間違って殺されたんだ」
「間違って?」
 呉が怪訝な顔をする。
「そう。毒殺な訳なんだけど、その毒ってのはチョコレート、息子がバレンタインに貰ってきたうちのひとつだったんだ」
「……それは……なんていうか、凄まじい……」
 思わず、ワタシはそう呟いて、手に持っていたマグカップを置いた。これに毒なんか入って無いとは、解ってるんだが……
「そう、凄まじい。二時間ドラマにしたら、「惨劇のバレンタイン!恋の媚薬は死への片道切符!」とか謳い文句が出そうだな」
「えーと、じゃぁその主婦……つまり母親は息子のチョコを勝手に食ってた訳?」
「まぁそれには事情ってもんがあって。その息子は甘い物が苦手、もっと言えば嫌いだったんだ。これは父親に似たみたいだな。だもんで貰った内の半分以上は、チョコ以外の物で贈っていたくらいで。チョコ贈った子も、それは承知だったんじゃないかなー。甘い物が嫌いなのも、母親に譲っちゃう事も。誰かに訊けば簡単に解る事だし」
「なんか、その言い方だと、その息子とやらはそんなに沢山貰ってたってのか?」
「そう。その息子は中三なんだけど、性格が良くて顔もいいし、背もそこそこある。今は受験生で引退したけど、サッカー部ではエースだったし、生徒会にも入っていた。一,二年の時も人が嫌がる面倒な事を進んで引き受けていたっていう評判だ。どっちかと言えば、身内受けがいいタイプだな。一目惚れするにはちょっと顔のインパクトが足りん。ほら、こんな顔だし」
 と、言って田鴫先輩は一枚の紙をテーブルの上に出した。そこには生徒手帖に乗っているようなバストトップの顔写真と、身長体重などの数値などがあった。これって、完全な個人情報じゃないのか?
「これ、どっから引っ張って来たんですか?」
 ワタシは訊いた。別に田鴫先輩の人間性を尊敬なんて決してしてないが(だって呉と同じ人種だし)けれど下手に恨まれるのも嫌だから、敬語を使っている。
「今はサイトを巡れば、どんな情報でも手に入る」
 にやり、と田鴫先輩は笑う。その笑顔は契約で人の魂を手に入れる悪魔のようだ。
「そこの住所も出てたし、字だけじゃなくて写真もあった。まぁ、割りと立派な家なんじゃないか?庭もあるし。ペットは居ないみたいだな」
「まさか、警察の捜査状況とかもあるんですか?」
「ばっちり」
 田鴫先輩は親指を立てる。て言うか、それってある意味警察の不祥事なんじゃないか?
「さーて、どれから言ってみようか。情報がとっ散らかってていかん」
 田鴫先輩は紙をがさがさと捲り、持て余している。
「なら、まずその毒が入っていたチョコの詳細と、あと毒の正体は解ってるんですか?」
「あぁ。トリカブトの毒だそうだ」
「……それはまた……恐ろしい……」
「阿柴、何が恐ろしいんだ?」
「解らんか、呉。トリカブトなんてそう簡単にあるもんじゃないぞ。買ったとしたら相手にとても印象に残るだろうし、そんな危ない橋はまず渡らん。って事はつまり、犯人が育てた可能性がある」
 ようやく呉は、うげ、っとした顔になった。
 どのくらいの期間かは詳しく知らないが、とにかくその殺害に使う毒物を育てている間中、一体その犯人は何を思っていたのか……生きている人間が一番怖い、とかいう言葉が浮かぶ。
「さて、問題のチョコレートだけど、まず手作りの物だ。当たり前と言えばそうだけど。
 ラッピングの袋は、透明のビニールと紙が合体したヤツで中身が見えるもの。で、赤色のリボンで結ばれていた。袋の背景が白いハート柄のピンク色だから、色を考えたんだろうな。それにハート型のチョコが二枚入っていた。溶かして固めただけの単純なもので、彩りの為かドライフルーツが表面に散っていた。砂糖の多いミルクチョコレートだった。毒は二枚とも入っていた」
「なら、死亡推定時刻とかは」
「昨日……つまり十五日の昼くらい。昼下がりだな。自宅の居間で発見された。被害者は専業主婦だった」
 昼下がり……おやつのつもりだったのかな。ちょっと一息つく筈が、永遠に息を引き取ってしまった訳か。
「ちなみに夫は外資系商社マン。残業する事は無く、いつも定時帰って一家団欒を楽しんでいたそうだ。特に今年は息子が受験生で、あまり休日に遊びに、とは行かなくなったから、夕食は絶対一緒にとりたいと同僚に言っていたそうだよ。こんな事件が起こる前まで、まるで絵に描いたような幸せな家族だったんだなぁ。人生、本当に先が解らんよ」
 田鴫先輩がしみじみ言う。
「そんな事まで書かれてるんですか」
「インタビューの内容でね。彼はもう、家族を一人失って団欒が出来なくなった訳だから、そりゃもう悲痛そうに」
「じゃ、次は容疑者だな。誰が居る?」
 呉が言うと、田鴫先輩が喋りだす。
「それが今回一番困る所なんだ。
 毒入りのチョコは、下駄箱に入っていたそうだ。家の郵便受けは箱物を入れられる作りじゃないんで、自宅に置かれた物は無し。メッセージカードは、多分カモフラージュみたいなつもりで入ってたんだけど、当然名前はない。
 本人は下駄箱には、朝に三つくらい、帰る時に四つくらい入ってたと思う、って言ってた。その後手渡しで貰った物を消去法で省いたら、実際は全部で八つだったんだけど。
 直接貰ったものはちゃんと素性、というか出所ははっきりしているし、手渡しの品はだいたいクラスメイトの何名かの合同の義理みたいなもので、煎餅だったりゴマとチーズの甘くないクッキーだったりの彼の好みを考慮した物だったから、自分で食べようと思って母親に渡していなかった。渡したのは三個で、最初に開けた袋が、その毒入りチョコレートだったって訳。
 ちなみに、昨今の不審侵入者のせいで、校内に部外者が入るのは難しい。だから、容疑は校内に居た生徒及び教師全員に掛かってくる訳だ。勿論、男女問わず。
 そこの学校は三十人クラスが八つの三学年だから、生徒数はざっと七二〇。その息子を除いたとしても、八〇〇人弱は居る事になる」
 田鴫先輩は面白そうに笑った。対岸の火事というか、他人の不幸は蜜の味というか。
「で、その受験生の中三の息子だけど、塾には行ってないんだ。家庭教師がついている。その家庭教師が、ウチの生徒って訳」
「あの女子校、バイト禁止の校則じゃなかったっけ?」
 呉が言う。
「その人の母親同士がパッチワークか何かの教室に友達で、その先輩……高二の先輩なんだけど、が、バイトしたがってね。携帯代稼ぎたいからって事で。でも、変な所で危ない目に遭っても困るってのを訊いて、ならウチで家庭教師してくれない?という事になったそうだ。バイトというより、家の手伝いみたいなもんかな。今年の夏休み前からやってるそうだ。丁度、運動部の引退時だな」
「なるほど」
 呉が納得して頷く。
「ところで、息子の方は毒殺されるだけの事があったんだろうか?」
 と、呉が訊いた。
「さぁね。そんな話は今の所出てないけど、普通に歩いていても恨みを買う時代なんだから、動機を論理的に解明しようと、するだけ無駄な努力じゃないか?」
 そう言われてしまえば、確かにそれまでの事だけど。
「まぁ、目的が金じゃないなら、やっぱ情って事になるかな。何せこいつは、モテたらしいからね」
「そんなに?」
「年間平均十人。最近のは、十二月」
「彼女は居たのか」
「居ない。ふった理由も、まだ自分はそういう付き合いとか出来ないから、というとっても控えめなものだったそうだ。人当たりのいい真面目者って感じだな。ゲーセンとかカラオケも、付き合いでは行くけど率先して自分から行く事は無いそうだ。帰宅時間を考えても、他に寄り道している事は無いだろうって」
「それも警察の捜査で?」
「いや、これは個人サイトで。こいつに関する情報を、匿名で投稿してるようなタイプのやつ。まぁ、ファンクラブみたいなもんだな」
 とは言え、なんかやってる事はストーカーに近いような。彼本人がそのサイトの存在に気づいた時、一体事態はどう動くのか少し気になる所だ。
「でも、最近そんな彼に関して恋愛絡みの噂が出て来た」
「へぇ?」
 呉はちょっと興味深そうに片眉を上げた。
「相手は、例の先輩だよ。と言っても付き合っているとかいう段階じゃなくて、両想いっぽい感じだ、みたいなものなんだけど。
 その先輩、月水金の夕食後----七時から九時までやってるんだけど、その日になると何だかそわそわしてる、ってのを先輩の友達が気づいたそうだ。浮き立ってるって感じで。行く途中の先輩を見た人が、ちょっと家庭教師をするだけにはめかし込んでいたような感じだ、ってのも言ってたな。
 ウチの学校に知り合いでもいたか、誰かが息子にそれを言ったら、ちょっとまんざらでもなさそうだったって事だそうで。
 何よりその先輩、事件があったのを聞いて、すぐさま家に駆けつけたみたいだぞ。どうやって慰めた事やら」
「ちょっといいか」
 と、呉が口を挟む。
「その先輩、美人か」
 そこかよ。
「まぁ美人だけどね。わたしの好みじゃないな」
「お前、可愛い系の方が好きだもんなー。ロリコンめ」
 それを言うなら呉だって同じじゃないか。でも、言うととんでもない事になりそうだから、黙っていよう。
「って事で、今年はそんな背景があるから、思い余ったヤツの一人や二人も出てきたかもしれんなぁー」
 田鴫先輩がいっそ呑気な口調で言った。
「それはさておき、八〇〇人弱の容疑者だ。何かサスペンスぽくて良くないか?」
「何処が」
 と、呉が冷めた口調で言う。
 八〇〇人弱の容疑者、か。確かに何かの副題に使われそうだ。
 それはそうと……
「今年のバレンタインは、水曜日だったな……」
「何を急に言い出したんだ、阿柴」
「危ないなー、それはボケの兆候だぞ」
 と、思いっきり失礼な事を言ったのは田鴫先輩だ。
「だったら……もしかしたら、容疑者はそんなには居ない」
「うん?なら、何人に絞られるんだ」
 田鴫先輩は言う。
「一人です」
 ワタシは言った。



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