「ね、学園祭とか、好き?」
「学園祭?」
家に帰り、手洗いうがいを済ませたら、サザが側に立っていてそんな事を言って来た。手洗いうがいは大事だ。風邪はかからないに越した事は無い。
それはさておき、学園祭か……
その三文字熟語を言われ、甘酸っぱい青春の聖地とかいう謳い文句より先に、学園推理ドラマ(あるいはマンガ)(はたまた小説)における事件の温床、ってイメージの方が沸いてくる。何せ、十五歳の時家を飛び出して、その後の勉学は自己流で済ませたから、そういう行事はあるって事は解っても、自分とはあまり関係のないような、もっと言ってしまえば架空の出来事にすら思える。
「好きー?好き、ねぇ……」
考えれば考える程、それは好きだの嫌いだのというような判別するよーなものじゃなく思えるんだが。
「チケット貰ったから、クーちゃんが行ってもいーなら、行きたいなぁって」
コギツネの手をワキワキ動かしながらサザが言う。ちなみに今出たコギツネってのは、本物のコギツネじゃなくて小さなキツネのぬいぐるみだ。十二歳の時、俺がなんとなく買った。その後、家を出る時もなんとなく持ってきた。そしてサザと同棲している今も、なんとなくテーブルの上に転がっている。なんとなく、自分の一部みたいになっていたようだ。
もしサザが、大の大人がぬいぐるみ持ってるなんて気持ち悪い、とか言い出したら俺はコイツを捨てるか否か多分死ぬほど悩んだなんだろうけど、そんな事は無く、むしろ洋服だの帽子だのかばんだの作ってくれるとゆーVIP待遇を受けている。こうなるといっそ妬けるくらいだ。
ちょっと考えてみれば、サザはずーっと山育ちで、その後は色気もへったくれもモラルも無いダウンタウンに居た。ぬいぐるみとか見る事も触れる機会もなかったから、二十二になるヤツが持ってても引いたりしないんだろうな。そしてこんなボロっちぃのでも可愛くて仕方ないんだろう。
さて話を戻して。
「チケットって、誰からそんなモン貰ったんだよ」
楽な部屋着に着替え、狭いながらも快適なリビングで話の続きをする。
「…………えーと、通りすがりの親切な人から」
「嘘ならせめてもう少し出来のいいのをつかんか」
「だって、本当の事言ったら、絶対怒るもん!」
すかさずサザは言ったが、俺もすかさず言い返す。
「言わんかったらもっと怒るわ!場合に寄っちゃ怒らん事もなくもないかもしれないから、言え!」
俺がそう言うと、サザは話し出した。
「あのね、一昨日にね、道通る時じゃまだった連中、三、四人くらいその場でぶっ飛ばしたの」
「……ぬぅわんだとう?」
こいつ……!あれほど普通の町で暴力使うなって言ってるのに……!
俺の不機嫌を察知して、サザは自己弁護を始める。
「だ、大丈夫だって!正体悟られるよーな真似はしなかったし、そもそもそんな時間も無く瞬殺したし、報復とか考えないよーに、徹底的にやって来たから!」
「そういう問題じゃないわ----!!ここはあっち(ダウンタウン)と違って、傷害起こしたら警察にパクられるんだぞ!!解ってんのか!」
「だから、あっちの二倍益しくらいボッコボコに!」
「あのな、俺が言いたいのは------って、二倍益し?……生きてたか?そいつ……」
「うん!その辺の手加減には自信がある!」
「……そうか」
腰に手を当てて、えっへんと言い切ったサザに、毒気を抜かれて矢継ぎ早に言えなくなった。……まぁ、最悪、こいつが無事なら何したっていんだけどな。
「それでね、立ち止まって何やってんだと思ったら、そいつら女子高校生にイチャモン付けてたって訳で」
「結果的に助ける形になって、そのお礼、って事か」
「うん」
こっくり頷くサザ。
「女の子相手に、大の大人が四人か。喧嘩する権利すら無い奴らだな」
「そう、それに、相手はたった一人だったんだよ」
それはますます許せんな。俺は別に平和主義者でも博愛主義者でもないが、近所の治安は乱してくれるなと思う。
「つーか逆に言うとさ、そいつも何だか無用心だな。そんな危ない所、一人で歩いてるなんて」
俺の呟きに、サザはぱたぱたと手を振った。
「ううん。別にそこ、そんなに暗い所でも、周りから見えない所でもないんだよね。人気は少ないけど。
クーちゃん知らない?あっちの方の、ちょっと大きなスーパーに行く途中にある、細い道なんだけど。家が無くて原っぱばっかの」
正確には思い出せないが、言わんとしている場所は見当がついた。
「お前、そんな道通ってたのか」
買い物のついでに散歩をしているのは知っていたが、そんな所に行っているとは知らなかった。
「うん、最近ね。あの辺、コスモスが一杯咲くんだよ、って教えてもらって。相手の子も、それが目当てでその辺を散歩してたって言ってた。
満開になったら、クーちゃん誘って一緒に行こう、って思ってたの」
言う事いちいち可愛いヤツだよなぁ、こいつ……
さり気に俺が惚気ているのも知らず、サザは唐突にケラケラと笑い始めた。
「でもねー、そいつら倒した後、格好よく見たら結構笑えるんだよー。だってさ、ど派手なアロハシャツみたいなの着てて、サングラスまでかけてたの!もーいかにもって服装で、一瞬カメラあるんじゃないかって探しちゃったよー」
思い出したのか、あっはははは!と大笑いするサザ。
「でね、今日、同じ所でその女の子が立ってたの。お礼がしたいからって家に招かれたんだけど、そんなろくに知っても無いヤツの家に行くのなんか嫌だ、って言ったら、学園祭のチケットくれたの」
これがチケットだよ、という代わりに、サザはそれを俺に手渡す。
「……………。 お前……どれだけハイソサエティー助けたんだよ」
「え?何でチケット見るだけで解っちゃうの?」
本当に解らないサザは無防備な顔をして小首を傾げる。
俺は、言う。
「普通の学校の学園祭は、チケットにIDカードを配らん!」
チケットっていうから、てっきり紙に印刷した物と思っていたら、手に乗ったのはプラスチックのカードだった。しかもゴールド。蛍光灯に反射して眩しいのなんのって。
これはもう、間違っても公立じゃないし、その辺の私立だってやらんぞ。
「……そんでさー、クーちゃん、行く?」
サザが強請るように、上目遣いでにじり寄る。計算でやってたら恐ろしい事だが、天然なのでもっと恐ろしい。
で、俺は迷ってしまう。
繰り返し言うが、サザは完璧な山育ちで、生活に必要な知識、技術は全部祖母から教えてもらっている。だから、学校行事には俺より疎い。と、いうか完全に未知の領域だ。行ってみたい、という好奇心をどうしようもなく擽られるんだろう。
そんな心境も、俺と一緒に行きたがっているのも解る。もちろん、出来るだけそんな願いは叶えてやりたいが、俺には単語を聞いただけで拒絶反応を起こすものが三つはある。まずマヨネーズに女性、そして学校だ。これらに共通しているのは、いい思い出が無いって事だ。教師とか、もう視界に入った側から物理的に撤去したい衝動に駆られる。
横に嫌がってるヤツが居たんじゃ、サザも楽しめないだろうし、さてどうするか……
手で弄んでいるカードを、ちらりと見る。開催日は、二週間後の日曜日。学校名は、「私立 聖・紫苑女学園」……聞いた事があるよーな、無いよーな。
「うーん、とりあえず、鎖織に此処がどんなもんか聞いてみよう。それから決める」
「そうだね、それがいいね」
サザもそれに賛成してくれた。
ワゴン車を改造した移動カフェ(と、言う割には移動した所を見た事無いけど)の店長である鎖織は、結果的や必然的に、この町の情報通となっている。
て事で鎖織の所へやって来た。ここへはなるべく人の引いた時間帯を選んでやってくる。じゃないと、長話出来ないし、何より俺は他人が側に居ると落ち着けない。
「聖・紫苑女学園……これまた、凄い所に招かれたな……」
例のチケット(本当はカードだけど)を見せるなり、鎖織は呆然としたような顔をした。存在は知っていても見た事が無い物を今初めて見た、というような感じだ。多分、ツチノコやイエティやチュパカブラを見た時、こういう顔になる。
「やっぱり凄いのか」
俺が言うと、鎖織は神妙な顔で頷く。
「まぁなんて言うかカトリックの学校なんだけど……その辺の女子校とは違って、だいたいが山手に住んでいる人達ばっかりで構成されてる……つまり、本当にお嬢様学校なんだ」
へぇー、頭に「聖」とか付いてる時点でただ事ではないと思っていたが、やっぱりか。
「お嬢様学校って事はさ、やっぱりソロリティーとかあるの?洗礼名とかもあるのかな」
サザが無邪気に聞く。サザの一般教養外の知識は俺の本棚からだから、非常にズレている。だから「マリみて」とかいう単語は出ない。
「いや、そこまでは知らんが。それに、俺が知ってるのもここに来る人からの又聞きだ。当人達はこんな所で買い食いなんかしないからな」
こんな所かぁ……ここ、結構いい場所だと思うけどね。緑は多いし、図書館と美術館も近い……というかそれの共通駐車場の片隅に設置されてるんだけど。
「だからまぁ、聞く事は嫉妬やら憧れやらがない交ぜでなぁ。裏では陰険な虐めが横行してるとか、政略結婚予備軍だとか。実は金で男買ってるとか」
うーん、それだけで真実と決め付けるのは浅はかだけど、そんな所ちょっと行きたくないなぁ……ただえさえ、サザ以外の女にはいい感情は持てないってのに。意識はしてないけど、やっぱり母親の影響だろうか。
「とは言え、茶紀さんの話だと、いい子はいい子、って感じだから、ちょっと風習が特殊なだけで他の学校と一緒じゃないかな。そんなに気張らなくてもいいと思うが」
「待て。茶紀?今、茶紀っつったな?」
「そっか、きぃちゃんがそう言うなら、安心だね」
「何処がだ------!!あいつを招き入れている所なんて、絶対ロクなもんじゃないぞ!」
「酷い言い様だなぁ。私はそこまで言われる事を、君にしたかい?」
「した!!!いや、してる!!」
突如サザの横に現れた茶紀に、「何時の間に此処へ!」とは訊かずに、きっぱり断言する。だいたいなんでサザの横に出現する!俺の横でも鎖織の横でもいいだろう!そもそも来るな!
「おや、紫苑学園のチケット……君も貰ったのかい?」
「違う。貰ったのはサザだ」
「そうか。実は私も貰ってるんだよ。当日、案内してあげよう」
「俺と行くんだからそんなもん、要らん!」
と、言うと同時に距離を取らせるようにサザを引寄せる。だって茶紀のヤツ、サザの手を慣れなれしく取ろうとしたから……!!(この辺が茶紀にそこまで言ってる所だよ!)
茶紀は俺のそんな態度に顔色変える事無く、むしろ楽しそうに眼を細めている(この辺も言ってる所)。
は、いかん。やっぱり止めようかな〜と思っていたのに、勢い任せて行くと宣言してしまった。
うん……でもまぁ、サザは行きたがってたし、そう変な所でもないなら、行ってやってもいいかな……
「服装の規制とかは書かれてないけど、一応白いシャツでネクタイくらい締めた方がいいかもね。良くも悪くも形式を重んじる人達ばっかりだから。上着もジャンパーとかじゃなくて、ジャケットがいいよ」
良くも悪くも、と言った割には全然良いと思ってなさそうな素振りだった。そんな態度取られると、お前が強制的に取らせた決心が鈍るんだが。
とはいえ(かなり認めたくないが)茶紀のいう事にも一理ある。後でサザの分揃って鎖織に貸して貰おう。
「スカートとか穿かなくちゃだめかな」
「うーん、文化発表祭ならそうかもしれないけど、学園祭だしね。動き回る事前提なのは向うも解ってるから、行動し易さを重視した格好でもいいと思うよ」
「そっかー」
ふと、後ろからの人の気配を感じた。もう、こんな時間か。
そろそろ人が沢山やって来る。この辺で退散しないと。
「じゃぁな、鎖織」
最後に、明日の朝ごはん用にスィートポテトパイを二つ買って、俺たちは帰路に着く。
さて、学園祭当日。
一般の学園祭のイメージで言えば、まず門は廃材やらを利用した大きな飾りがついていて、中に入れば校庭に所狭しと屋台が並び、一般人とチラシを配る生徒でごった返している-----そんなもんだろう。
しかし、聖・紫苑女学園の文化祭は、そんなイメージを一掃するものだ。
まず出迎えるのは、どこの神殿に繋がってんだ、とゆー感じの門だし、中に入れば芝生の上に大きな白いパラソルで守られたオープンテラスのような物が煩くない程度に点在している。人も、ざわざわしたざわめきが出来るくらいには集まっているが、人が邪魔で通れない、というような所は無い。入り口で配られる案内図もハードカバーの小冊子だったし、校舎の中でも何か催し物が展開されてるようだけど、窓ガラスで「2−E」とか模った色紙が貼られている事も無かった。
……此処は本当に俺の住んでる国なのか……?
「凄いねぇ、これが学園祭なんだ」
「確かにこれは学園祭だけど、普通はこうじゃないからな。絶対」
キラキラと眼を輝かせて言うサザに、一応釘を刺しておく。変な先入観持たせて混乱させても悪いし、と何も教えないで居たのは禍となったんだろうか…… いや、正直、ここまで別世界だなんて……
……此処、本当は長崎のハウステンボスだったり、黒い犬がちらちら画面にカットインするんじゃないだろうか……
「クーちゃん、あそこ入ろうよ!看板にショコラって書いてある!きっとチョコが一杯あるんだよ!」
食い気を発動させたサザが俺の腕を引っ張ったので、あっちの世界に飛んでいた意識が戻った。
ちなみに、俺たちの服装は、下は黒、上はワイシャツの白とモノクロでベースをおさえ、ネクタイに遊び心を出して、サザはハート、俺にはスペードの模様が細かくプリントされている物を付けている。色はサザが深い赤紫で、俺はそれと同じくらいの濃さの青紫だ。ジャケットはサザが海老茶で、俺が黒。2ボタンのタイプでポケットはデザインの関係か左の所にしかついてないから、立ち止まった時とか、ちょっと手持ち無沙汰になるな。
チョコレートはサザの好物の上位を占める。勿論、俺もチョコは好きだ。食べ終わった後、口の回りにつくという欠点を除けば。
そこは校舎にひっつくようにセットしてあり、出来上がった物を窓から受け取り、某電気街とは対照的な清楚なメイド服に身を包んだ生徒が、恭しく運んでいる。紅茶の芳醇な香りが、秋の風に乗って行く。
テーブルや椅子も、よく見れば出来合いのプラスティックなんかじゃなく、きっと何かのアンティークなんだろう。装飾が細かい。
しかし、俺たちがテーブルに着く事は無かった。
「お姉さま!」
そう声を上げながら、一人の少女が、確実に俺たちの方へとやって来たからだ。
結局しらを切る事も出来ず、俺たちは校舎内に招かれ、とある一室に居る。この眼が見間違えてなければ、部屋には「貴賓室」と書かれていた。中はアンティークだか新品だが知らないが、凝った装飾や見るからに重厚な家具が置かれていて、とても此処が校舎の中の部屋だとは思えない。どっかの金持ちの別荘だ、と説明された方がまだ納得する。
俺たちに声を掛けて来たのは、当然サザが助けたという女子高校生だった。ふわりと靡くセミロングは、勿論染めてたりはしていない。ぱっちりとした二重。華奢な体躯に相応しい楚々とした立ち振る舞いは、多分美少女、というカテゴリーに入るんだろう。正直、俺にはカワイイとか、そういう感情はさっぱり沸いて来ないけど。
「本当に来てくれたんですね。私、嬉しいです」
彼女の名前は、寺小路 政美と言った。高校二年生で、十六歳だ。そして、この部屋へ入るなり、胸に手を当ててそう言った。彼女は白を基調にした、動き易そうなドレスっぽい服を着ている。襟の中央には、直径十五ミリくらいのシトリン(黄水晶)のブローチをしている。……いや、多面なカッティングしてるから、もしかしてイエローダイヤか?
ダイヤを使うなんて大胆な、と思うかもしれないが、宝石の中で一番実用的なのはダイヤだと思う。何せ、他の宝石は空気中の水分や埃でダメになってしまうのもあるが、地球上最も安定した物質であるダイヤモンドは、そんな事は無い。まぁ、劈開性に気をつけないと、ダイヤモンドでもパックリ欠けるけど。
本当は、彼女としてはサザだけが良かったみたいだけど、俺とじゃないと何処にも行かない、とだだをこねてこうして俺も同席している訳だ。俺としても、こいつが妙な事をしないか、見張る必要がある。
部屋の風景に溶け込むように、英国式アフターヌーンティーセットがテーブルの上に用意されていた。が、チョコ系の物が無いので、サザの機嫌は下がりっ放しだ。フランス式だったら、もしかしたらホットチョコレートがあったかもしれなかったんだけどな。
「何でオレらが来たのが解ったんだよ」
クリーム・サンド・ケーキを頬張りながら、サザは寺小路(さんと付けるべきなのかどうか…)をじろりと睨んだ。こんな顔つきを見ると、少し昔を思い出すなぁ。とは言え、やっぱり加減はしているようだ。本気で睨まれたら、こんな一般人、金縛りになって卒倒してる所だけど、今は相手を怯えさせただけで済んだ。
が、それでも気丈にも言葉を続けた。
「門の警備の人に、貴方の人相を伝えておいたんです。来たら、すぐ連絡をくれるようにって」
なるほどね。どう言ったかは知らないが、平均をはるかに上回る身長のサザは、それは見つけやすかっただろう。
アフターヌーンティーは、スイーツを沢山用意する事がマナーのひとつでもある。多分二人分として用意してあったにしては、多いように見れた。最も、サザにしては丁度いいくらいだろう。そうして、大した会話も続かないウチに、サザは綺麗に平らげてしまった。時折、美味しかった物を、俺にくれた。
「じゃ、ゴチソーサマ。バイバイ」
最後、シェル形のマドレーヌを頬張ると、サザは席を立った。席についてから、その間十分足らず。それを慌てて引き止める寺小路……さん。(何か俺がさん付けするとしっくり来ない……)
「ちょ、ちょっと待ってください!」
「何で。お前はこの前のお礼に此処へオレを呼んだんだろ?それはもうしてもらった。なんでまだ居なくちゃなんねーんだ?」
此処に居たくない、という意思表示をはっきりするサザ。それでも相手はめげなかった。
「実は、今日招いたのは、御礼の他に相談したい事が……」
「嫌だね。そんな義理も無い」
サザの言い方はにべも無い。俺も席を立ち、ドアへと向かう。この部屋は広くて、テーブルは窓際に置かれていたから、結構距離があった。窓側の外には、校舎を囲む森のような茂みだけが見えて、ここが学園の中というのも忘れそうだ。
その移動間に、彼女(この表記でいいや)は言う。
「お願いです!他に頼れる人が居ないんです!助けて下さい!」
あー、煩いなぁ。
でも、このままほっとえけば、こいつがサザに縋りつくかもしれないし、それを振り払ってうっかり怪我をさせても詰まらんなぁ。口は挟むまい、と決めていたが、俺も言ってやる。
「お前に何が起こってるかなんて、こっちはこれっぽっちも関係ないんだよ。
身内のごたごたなんかに巻き込むな」
俺がそう言うと、彼女も、サザも驚いたように俺を見た。
二人とも、何か信じられないような眼で俺を見る。何だよ、そこまで変な事言ったか?
「あの……どうして私が、身内関係の事で悩んでいると解ったんです……?」
「どうしてって……解るよなぁ、お前も」
「ううん、解らない」
気が緩んだせいか、サザの口調が素に戻ってる。
「いやだってなぁ、何か悩んだりしていて、普通相談する相手って言ったら、家族だろう。なのに危ない所を助けて貰ったとは言え、よくも知ってない人に頼むってのは、つまり家族に相談できない……相談したい事が家族に絡んでる、って事だろ。内容によっちゃ、友達や担任に言うのも躊躇うだろうし」
「クーちゃん……凄ぉい」
サザがなんかキラキラした眼で俺を見る。
「別に凄かないよ、こんなもん」
「そんな事ないよ。探偵みたいだった。ホームズみたい」
「ホームズが聞いたら怒るぞ」
「じゃ、御手洗清みたい」
「…………」
「あ、少し喜んでる?」
「うっさいよ」
以上、小声の会話。
サザは何か考えるように少し黙り、そしてふいに笑みを浮かべた。いたずらっ子の笑みだった。それに嫌な予感がして、とっとと此処から撤退しようとしたのだが。
「ま、言うだけ言っみよろ。聞くだけ聞いてやるから」
いきなりサザがこんな事を言ってくれた。
「おい!?」
「本当ですか!」
相手は希望に顔を輝かせたが、冗談じゃない!
向うに背を向けて、小声の会話再開。
「お前もさっき言ってたじゃないか!面倒事はご免だって!」
「だって、クーちゃんが推理してる所、もっと見たいんだもんv」
だもんvってなぁ!あー、無邪気で天然はここが困る!!
「アホゥ!さっきはたまたまなんだよ!偶然!ただの勘なの!引き受けた所で解決出来る保証なんて、全くないぞ、俺は!」
「大丈夫だよー。話聞いて、無理っぽいなら止める、って言えばいいんだから。オレ、一言も引き受けるなんて言ってないし」
確かにそうだけど。だからと言ってなぁ。
冗談じゃない、俺は帰るぞ!と怒鳴る前に、彼女が言った。
「やっぱり、茶紀さんの言う通りだったんですね。きっと引き受けてくれるって」
…………………
「なぁ、今、茶紀とか言ったか?」
訊いたのはサザだ。
「はい。ちょっと前ですが、母の友人が茶紀さんの所の茶葉を贈ってくれたんです。その時、お話しました」
そーいやヤツは、此処に店舗は構えないで宅配で商売を賄ってるんだった。鎖織の店にも宅配で来ている
つーか、茶紀……!まさかこの名前が此処で出てくるなんて……
……いや、思い返してみれば、俺がこうして此処に居るのも、茶紀が余計な一言を言ったからじゃなかったか?なら、此処はもう、すでに茶紀の掌って事か。
「茶紀には相談しなかったのか」
これを訊いたのは俺だ。
「しました。茶紀さんも私が悩んでいるのを、見ただけで解ったので、その時。そうしたら、自分も調べてみるが仕事との兼ね合いもあるから、それだけに専念は出来ない。だから、他にも相談してみるといい。相談相手は、よく考えて、自分を助けてくれそうな人にするんだよ、とおっしゃって、そんな時、危ない所をお姉さまに助けて頂いて、この人なら……と、思ったんです」
そんな言い方をしたら、助けられたイメージの強いサザを当て嵌める確率が高くなるだろうが、あのヤロー!
「それに、助けて貰った時、たまたま茶紀さんがまた来ていらして、話すべきかと尋ねたら、是非そうしなさいって」
完璧に嵌められてんじゃないか------!!サザの容貌なんて、知ってるヤツはちょっと聞くだけで解る!あいつめ……!!!
「……解った。聞くだけ聞く」
俺は渋々サザに言った。まぁ、おそらく、聞くだけじゃ済まないだろうけど……
それにサザはわぁい、と喜び、彼女も喜んだ。俺だけが気持ちが沈んでいる。
けど、それでも、振り切って帰る事は出来る。しかし、意にそぐわない事をしたって事で、茶紀からの報復が嫌だ。
殴る蹴るなら、それでもいい。むしろそれでいいなら、いくらでもやれって感じだ。ただ、相手がアイツだと、もっと俺に大ダメージを与えられる。多分、茶紀は、鎖織以上に俺がサザに依存しているのを、知っている。いや、教えた覚えはないから、解っているって所か。俺は茶紀本人はちっとも怖くないが、サザと引き離されるのが怖いので、結果的に掌で踊ってやる事にした訳だ。
俺たちは再び席に着いた。先ほどサザが食べつくしたせいで、紅茶と空食器だけの寂しいテーブルだが。
彼女は胸元に手を置き、話し始めた。
「相談したいというのは、私の恋人の事なんです。芳樹さんと言って、。二十四歳で大学院生なんですが、お父様が経営なさる自動車会社で、たまに特別顧問として開発に携わってます。大学の研究も、何か小さい……ICって言うんですか?とにかく機械の小型化についてだったと思います。そうすると、同じ大きさでも情報量が増やせる、といつか説明してくれました。
初めて会ったのは、三年前でした。芳樹さんのお父様の会社の、確か二十周年記念パーティーに招かれての事だったと思います。その時、周りが大人ばかりで身の置き場をなくしたように立っていた時、とても親切にしてくださり、共通の趣味が合ったりと、その時の会話がとても楽しかったので、個人的に連絡先を教えて貰いました。以来、休みの日には一緒に出かけるなど、親しくお付き合いをするようになったんです。父親同士が顔見知りなので、母もむしろ安心して芳樹さんの所へ行かせてくれました」
なるほど、事実上親の仕組んだ婚約って訳だ。
「何だ、浮気でもされたか?」
サザがど直球に訊いた。彼女はそれに首を振り、
「むしろその逆……と言うべきでしょうか」
彼女は言うのを躊躇っているようにも見えた。
「何と言うか……気が利きすぎるんです。
私が、これが欲しいな、という物があったとします。それを、何かの形に付けて贈ってくれるんです。……言った覚えも無いのに。
最初は私も素直に喜んで受け取りました。けれど、何度も続くとちょっと気になって……
私の考えすぎなんでしょうか。それとも、やっぱり何かあるんでしょうか」
……いや、何かもへったくれも、率直にそれって多分盗聴か盗撮でもされるんだと思うんだけど。無意識に避けてしまっているのか、それとも最初からこういう知識が無いのか……つーか一番の悩む所は、盗聴してるんじゃない、って言って、この人が素直に聞き入れてくれるかどうかだ。出なきゃ、自宅へ行かなきゃならないかもしれん。それは面倒だ。会う人も増えるし。
などと、俺が心の中で頭を抱えていると、ドアがノックされた。
「誰だ?」
サザが呟くように言う。
「私の友達かもしれません。ここを使うのを言っていたので」
彼女は良い、ドアを開けに行った。しかし、そこに立っていたのは、とても女の子には見えなかった。
「ようやく仕事が片付いて来れるようになったよ、」
男の声がして、不自然に言葉が途切れた。
「-----誰だ? 君たちは」
そう言ったのは彼女が言った二十四歳・大学院という容貌に合いそうな人物だった。つまり、こいつがそうか。身長は、俺と同じくらい。顔は女にモテそうな顔立ちで強いて言えばクール系。理工系と言った方がいいだろうか。鋭いけれど細くなりすぎない眼や輪郭が、普通レベルとの草分けのようだ。
セットした黒髪は古臭くも俗っぽくもない。黒いロングコートの下には、おそらくどこかのブランドのスーツでも着ているんだろう。
「芳樹さん、この前、帰宅途中に助けて頂いた方です。チケットを差し上げたんです」
「ああ、その子か。……二人だったのかい?」
「いえ、女性の方だけです」
「へぇ、女だてらに、やるもんだね」
そういう言葉使いは、セクハラだって知らないんかね、この男は。ケツ撫でるだけがセクハラじゃないんだぞ。
「あっ」
と、彼女が唐突に小さく声を上げた。何だ、と俺もサザもそっちを向く。
「ブローチが………」
ブローチは、胸では無く彼女の手の中にあった。……いや、よく見れば、胸元にはピンだけが残っている。
どうやら、あのブローチ、壊れかけていたみたいだ。だから、さっきから胸に手を当てていたんだな。
「壊れたのか?ちょっと見せてごらん」
芳樹が彼女からブローチを受け取る。
「……うーん、金具のところがかなりグラついているな……」
俺の所からでも、それがぐらぐらして、今にも取れそうなのが解った。
「どうにかなりませんか?」
「あいにく、僕の手にはどうにもならないな。
叔母様の形見で、付けておきたいのは解るけど、外した方がいいね。ダイヤモンドでも、落としたら割れる時もある」
「そうですか……」
彼女は残念そうに肩を落とした。
「でも、丁度いいと言えば、丁度良かったかな」
芳樹が唐突にそんな事を言い出す。彼女は、セリフの不可解さに小首を傾げた。芳樹は、コートのポケットに手を入れて、ワインレッドのビロード張りの小箱を取り出した。勿論、こんな箱に入っているのは相場が決まっている。その箱を、彼女の前で恭しく開いた。
あったのは、ピンク色をした真珠を中心に、小ぶりの純白の真珠をあしらったブローチだった。羽毛……天使の羽をモチーフにしてデザインしたような形をしている。
「来週誕生日だったろ?その時、発表会の大詰めで、ゆっくり祝ってあげれる余裕があるか、解らないから、プレゼントだけでも、って思ったんだ」
「あ……ありがとう、ございます」
彼女は、少しぎこちなく礼を言った。さっき言ったみたいに、伝えた覚えも無い欲しい物、だったんだろうか。
「実は、君のお母さんにこっそり窺ってみたんだ。何か、政美ちゃんの欲しがってる物はありませんか、って。
……でも、真珠はちょっとミス・セレクトだったかな。ドレスの白さに埋もれてしまう」
「いえ、私、真珠が大好きなんです」
嫌疑が無くなった為、彼女は今度は掛け値なしの笑顔で答えた。つまり、彼女は別に芳樹の事は嫌いではないんだ。ただちょっと、同行が気になるだけで。それも多分、好意が基づく為のもの。彼を嫌いになってしまう要素を無くしたいんだ。……納得させるのは、骨かもね。かなり。
しかし彼女の方も何つーか……エビフライが好き、みたいなテンションで真珠が好き、とか言う人、初めて見たぞ。金持ちってのは、確実に存在するんだなぁ……
「ご両親は、まだ来てないのかい?」
「お父様は来ませんが、お母様と叔母様が。夕方前には来る、と言っていました」
「そうか……」
芳樹からの質問に答え終わってから、彼女はブローチをつけた。話しながらしない、というのにやっぱり品の良さが見られる。
「そのブローチはどうしようね?手で持っている訳にはいかないし」
ドレスにはポケットなんて無いだろうし。
「あ、大丈夫です。確かバザー会場に、展示まで宝石を納めていた金庫があったと思いますので、そこに入れてもらう事にします」
彼女は言った。……バザーで宝石って……
ブローチをつけている彼女を、邪魔しないようにすり抜け、俺たちの方へと来る。いや、サザの方へ、だ。
「暴漢から、政美ちゃんを助けてくれたそうだね。ありがとう」
芳樹はにっこりと微笑みながら言った。その笑い方は茶紀と似ているが、レベルは全然違う。あいつのは見事なまでに全部を隠した笑みだが、こいつのは腹の奥底に溜めてるものを漂わせている。まだまだひよっ子、とでも言ってやるべきか。
「別にお前から感謝される筋合いはねぇ」
サザは視線だけを上に向けて、低く言い放った。
「そうはいかないよ。彼女は僕の可愛い恋人なんだから。それを救ってもらって、礼も無し、って訳にもいかないだろ?」
芳樹の少し後ろで、彼女は今のセリフに頬を染めていた。
「だから、これを」
そう言って、内側からのポケットから封筒を出した。結構、厚みがある。
「……何だこれ」
「礼だ。受け取って欲しい」
「オレは中身は何だ、って訊いたつもりだけど」
「言わなくても解る事じゃないのか?」
芳樹の言い方は、それくらい解らないのか、というような言い方だった。
サザはひとつゆっくりと息を吐き出した。
「金ならいらねぇ。礼なら、本人からもう貰った」
「そうは言わずに。ほんの気持ちだよ」
金が気持ち、か。換金できる気持ちなんて、たかが知れてるね。
「……別に俺たちはこの事をだしに家に取り入ろうとか、世話になろうとか、そんな姑息な事は考えていない。だから別に、そんなもんもらう必要が無い」
サザを庇うように横に立ち、俺は言った。芳樹の意識をサザから俺に向ける為だ。こんなヤツの視界に、サザが入ってやる事はない。
「勿論、後からやっぱり寄越せと駄々を捏ねたりもしない。それの証に、念書でもなんでも書かせればいい」
「……解ったよ。君の言い分を信じよう」
芳樹はそう言って、封筒を懐へ仕舞った。負け惜しみみたいに聴こえたのは、錯覚じゃないだろう。感謝とか言いながら、こいつはきっと俺たちが彼女に関わったのを厄介だと思ってるし、もしかしたら彼女の家もそうかもしれない。面倒事を煩わせる事無く、自分だけで解決した事で、点数でも稼ぎたかったんだろう。
しかし、相手が自分の思うようにならなかったからって、いきなり態度を不機嫌に変えるのはどうだろうな。オモチャ買って貰えなかったガキか。
「芳樹さんは、これから何か予定でもあるんですか?」
「いや、今日は羽を伸ばすつもりで、何も無いよ。強いて言えば、君と過ごす事かな」
こんなセリフ聴くとそいつをぶっ飛ばしたくなるのは、俺の心が狭いからかな。それとも、言霊の力かな。
「でしたら、一緒に学園を回ってくれますか?」
「あぁ、いいとも」
彼女は嬉しそうに微笑んだ。
「じゃ、俺たちも行くか。案内してくれる、って約束だったし」
俺が言うと、彼女はえ?と言いたげだったが、視線で「こいつの同行探ってくれって頼んだだろ!」と思いっきり目で伝えると、解ってくれたようだ。そんなぬ愚鈍でも無いらしい。少なくとも、恋人の挙動不審に気づく程度には。
「では、皆さんご一緒に」
自分で言い出した事とは言え、二人きりになれたかったのに少し落胆している。
「はっは、まるで遠足みたいだ」
芳樹は、おどけるようにそう言っただけだった。
そして、四人ぞろぞろと、部屋を後にした。
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