まずは、彼女のブローチを保管してもらう為、バザー会場に行った。
 ……バザー会場の筈だ。
 ……何処のゴシック建築の講堂だ……おお、ステンドグラスが秋の日差しでいよいよ神々しい……
 天井にはフラスコ画があるし。神話の何処の場面か知らないが、何処かの場面なんだろう。
「では、預けてきます。ちょっと時間がかかるかもしれませんから、買い物でもしてみては如何でしょうか?」
「そーだな。そうするか」
 こんな人の多い会場で、芳樹も下手な真似はしないだろうし。やっぱり他人と居ると、疲れる。我慢するにも、体力って使うんだな。
 会場には後から設置した衝立があり、彼女はその奥へと引っ込んだ。芳樹もついでについて行く。あそこに、金庫だの金銭だのがあるんだろう。
「わー、綺麗なカップが沢山!」
 サザがはしゃいで言う。備え付けの机に純白のテーブルクロスを掛け、その上に商品を展示していた。ちゃんと商品の種類別に陳列されていて、俺たちが居るのはティーカップのコーナーのようだ。大小さまざまなカップが、所狭しと並べらている。コーヒーカップとも混在されていた。
 やっぱり、なんか知り合いにカフェ業を営んでいるヤツが居ると、こーゆーのに関心が向くなぁ。
「縁のヤツが銀色のは、値打ちがあるんだぞ」
「そうなの?」
「あぁ。手入れの必要が無い、ってので殆どが金になっているからな。希少価値ってヤツ」
「そっかー、それ狙ってみようかな」
「好きなの選べよ」
 腰を屈めて、カップを見定めるサザは、さっきまで鎧のように纏っていた警戒がなくなっている。いい事だ。
「……そういや、お前はさっき驚かなかったな」
「うん?」
「俺が一緒に行く、みたいな事言った時。えー!とか驚くかと思ったけど」
「どうして?だって、何してるか探る、って言ったばっかじゃん」
「でも、その前は驚いただろ」
「あれは、どうして解ったのか解らなくてびっくりしただけだもん。驚いた訳じゃないよ」
「びっくりしたのと驚くのは、同じだって」
 サザは俺に言われてから、それに気づいたようだ。眼をちょっと大きくした。その様子に、思わず笑う。
 そうだな。サザは驚くだけで、彼女みたいに不満に思った訳じゃないんだ。今だけじゃなく、俺のする事に一度もケチをつける事は無かった。どうして、って聞くのも、本当に知りたいだけで、するなと言う裏返しの意味じゃない。
 改めて、なんかサザという存在が奇跡みたいに見える。
 そして不思議なのは、サザが俺を選んだという事だ。俺なんて、少し変な知識持ってるだけの、一般じゃないけし取り分けていいヤツとも思えない。鎖織の方が、よっぽど頼りに思える。
 でも、今こうして隣に居合わせてるのは、俺たちなんだなぁ……
「クーちゃん?」
「うわぁびっくりしたぁ!」
 一瞬、此処が何処か忘れるくらいに考え込んでしまっていた所に、急に顔を除きこまれたから思いっきり驚いてしまった。
「いくら声かけても返事しないんだから。お腹痛くなった?」
「別に冷たい物食って無いし。じゃなくて、何か言ってた?」
「あのね、あっち行こうって。此処にあるの、高級ぽいのばっかりで、あんまりいいって思えるのが無いの」
 まぁ確かに。あのアパートで寛ぎながら飲む食器としては、あまり相応しいようには思えない。
「なんかね、あっちに可愛いマグカップがあるの見えたの。カップにMAYとかAUGUSTとか書いてあったから、誕生日の買かおうね」
 と、言いつつサザは俺の手を取って、歩き出す。ちなみに、あっちと言った場所は、どうやらこの机の一番向こう端のようだ。で、俺たちが居たのはその反対の端。その間、約5メートル。マグカップは認識出来ても、その文字までは見れない距離だが、サザの視力は正確に測った事は無いが、2.0どころか、4か5くらいありそうだ。
「ほらぁー!ね、可愛いでしょ?」
 サザが二つ手に取り、俺に言う。手にしたのは勿論、自分の六月・JUNEと俺の九月・SEPTEMBER。それぞれ、というか月ごとに違う絵で、黒が基になっていて、二色刷りのイラストが描かれている。油絵や水彩画の重厚さとは反対のスッキリした印象で、俺はこういう絵は好きだ。普段使いに具合が良さそうだな。大きさは、コギツネくらいか。ちなみにコギツネは八センチ。尻尾を入れれば十三センチ。
「そうだなー。買うか、安いし」
「うん!」
 ここの品物はどれでももれなく千円となっている。勿論税抜きだ。ここの売り上げは、何かの団体に寄付されるとの事だ。
 最も、宝石のブローチとかアクセサリは、ちゃんとそれ相応の値段を取っているけど。室内の奥に、まるで壁を引っ込ませたような空間があり、そのにはドアがあった。元は何部屋か解らないがそこに「特別販売場」という張り紙がしてある。そこに宝石が陳列されてるんだろう。警備員と思うような人が左右、張り紙を邪魔しないように神社の狛犬みたいに立っている。
「あ!なんかこれ面白い!」
 と、サザが見つけたように声を上げた。それを取る為、マグカップを片手で二つ持とうとしたから、俺が受け取る。
「ねぇ、なんかラーメンの丼の模様みたい!」
 と、サザが言う通り、下にソーサーもついて、カップであるそれには四角い渦巻きみたいな模様が書かれていた。横一直線に並んでいるから、本当にドンブリの模様みたいだ。
「本当だ。面白いなー」
「あ、これは一個しかないや……残念」
 サザはそれを戻そうとする。
「買わないのか?」
「うん、だってお揃いがいいじゃん」
 サザは唇を尖らす。恋人になって間もない俺たちにはそういう物はまだあまり無かった。
「なら鎖織のお土産にしよう。多分、あいつは喜んでくれるよ」
 俺の提案は、サザも名案だと思ってくれたようだ。
「うん、そうする!あ、そうだ。お店行った時、今度からこれに淹れて貰おう〜」
「それじゃ、結局お前の物じゃん。したたかだな」
「へへーv」
 サザは悪戯に笑った。やっぱ家計握ってると、こうなるんだなー。妙に関心してしまった。
 会計を済ませた時、丁度二人がやって来た。金は俺が払った。サザが払おうとしてたけど。だって俺が金を使う事と言えば、本買うかサザと物食うかだけだもんな。使ってなんぼだ。
「お待たせしました。では、行きましょう」
 そうして、学園内を案内して貰う。窓の外から見て広いな、と思った中は、やっぱり広かった。中高一貫制で、すぐ隣に付属の短大もあるせいか、大学並みの広さだと思う。そして、茂みや木々がまた、そう思わさせるんだろう。
 歩いていくと、ふんわり、とバターの甘い匂いが漂った。調理室が近いんだろう。
 彼女は有能なガイドのように、何処で何をしているか、この建物は何かという学園祭の要項を、解り易く説明してくれる。大体は、今出て来た講堂付近に模擬店は点在しているが。
 しかし、俺はそれを半分聞き流して、芳樹の仕種や素振りや言動を注意深く見ていた。盗聴をしている、というはっきりした証拠でも出してくれないか、と。
 途中、色んな人とすれ違う(そりゃそーだ)。が、そこで気になったのは、芳樹がこの学園で顔が知られているという事だ。
「何せ女子校ですので、男手が欲しい時もあります。そんな時、芳樹さんに来てもらっているので、顔を知っている人も少なくないんですよ」
 との事だった。学校にまでしゃしゃり出てくる彼氏なんて、ウザくないか。
 ……とは言え、二人の立場をそのままそっくり俺たちに当て嵌めた場合、俺はしゃしゃり出たりしないだろうか。……まぁ、サザがなんて言うかだな。
 俺たちが此処に来たのは、午後十一時くらい。二時を告げる鐘が、何処からか鳴った。たっぷり甘い物を食べたせいか、あまり腹は減ってないな。
「……それで、私、今からクラスの手伝いをしなければなりませんので、すいませんが少しの間、お二人でどうか楽しんでください」
 それは勿論、大歓迎だ。
「では、四時に先ほど通した部屋で集合しましょう」
 ……ん?
「え、なんで?」
 と、サザは訊く。
「その方が簡単でよろしいかと。母も叔母も、そこへ来るように言ってありますので……」
「-----ちょっと待てよ!オレはそういうのは嫌だって、はっきり言ったよな!?だから家に行かない、って言ったじゃねーか!だから此処に居るんだろが!」
「待ちたまえ。大きな声を出すんじゃない」
 そう言ったのは、芳樹だ。
「さっきから君は自分の都合ばかりで、彼女の事情を考えた事はあるのか?確かに金銭を渡そうとした僕のやり方で、気分を害したのは解る。それについては謝ろう。
 しかし、子を助けてもらいながら親が何の挨拶も無し、というのは僕の時とは違い、その家の格式に関わるんだ。そのくらい、付き合ってやろうとは思わないのか?」
「思わない。何度も言うけど、礼なら本人から貰ったよ」
「子供のした礼で、世間が納得するものか。君の知らない大人のマナー、というのがあるんだよ。それに従って貰わないと、困る」
「何をぉー?」
「……解った。同席するよ」
 堂々巡りになりそうな会話を止めたのは、俺だ。彼女は、どうしたらいいのか解らない、と言った具合に両者の顔を交互に見ているだけだった。
 芳樹が顔をふ、と緩ませる。
「解ってくれたか。どうやら、君の方は物分りがいいみたいだね」
「……そらどーも。サザ、行くぞ」
 歩き出した俺らに、彼女は頭を下げた。
「……クーちゃん」
 サザが小声で言う。
「何だ?」
「同席するとか何とか言って……どーせバックれるんでしょ?」
「当然」
 俺たちは同時に、同じ笑い方をした。


 本当なら、今すぐにでも帰りたい所だが、相場の半額以下の値段で高級品質の物で満ち溢れている、という空間は捨てがたい。飲み食いするだけして、さっさと帰ろう。四時集合っつったな。それ過ぎると探しに来るかもしれないから、そのちょっと前くらいにさっさと退散しよう。
 歩く度に、三つのマグカップがかちゃりかちゃりと軽快な音を立てる。
 オープンテラスのカフェを真似たような模擬店で、俺たちはスイーツじゃなく軽食を頼んだ。鶏肉のキッシュと、クラブハウスサンドとミックスサンド紅茶はダージリンで。この季節だと、オータムナルだろうか。それとも、セカンドフラッシュ?やっぱりグレードはFOP(フラワリー・オレンジ・ペコー)だったりするんだろうな。
 運ばれた料理は、俺の予想をはるかに上回って美味しかった。調理法もだが、何より素材がいいんだろう。
「美味しいねぇー」
 サザが幸せそうにサンドイッチを口に運ぶ。自分が美味しい物を食べてる時は勿論幸せだが、どっちかというと、サザが美味しくしてる方が、幸せに思う。
 何処からか、管楽器の演奏が聴こえる。曲は知らないが、聴いていて耳が気持ち良い曲だ。すぐ後ろにはさっきマグカップを買った豪奢な講堂が聳え立ってるし……ちょっと、異国旅行な気分だな。
「ちょっといいかい」
 とか思ったら、強烈な雑音が来た。芳樹だった。
「何だよ。まだ何かあるのか」
 サザが睨んで言う。
「違う。君にじゃなくて、こっちの彼氏だ」
 俺?なんでまた。
「俺に何のようだ?」
 横で、サザが臨戦態勢になった。別に身構えた訳じゃないが、神経を張り巡らせ、向こうがそういう素振りを見せたらすぐに反撃を取れるようにしているのが、解る。
「二人きりで話したい事があるんだ。ちょっと、来て貰いたい」
「嫌だ」
 もぐもぐむしゃむしゃ。
「んー、なんかやっぱり、甘い物も食いたくなったなぁー」
「じゃぁ、さっきのチョコレートの所にしよ」
「おう」
「おいコラ聞いてるのか!」
 芳樹がなんか大声を上げた。
「待ちたまえ。大きな声を上げるんじゃない」
 と、いう俺のセリフが、さっきのこいつのセリフをパクったのは、どうやら相手に伝わったようだ。顔を赤くしている。
「人が話をしている時に、物なんか食べてるんじゃない!」
 人に気づかれない程度に抑えつつ、声は荒げた。
「話? もう終わっただろ。俺は嫌だと返事した。嫌というのは、行かないって事だ。解るか?」
「それでも、こっちには用はあるんだ!いいから、来い!」
 そう言って、俺の肩を掴もうとした芳樹の手首を、サザが握った。それはもう、目にも止まらぬ早業で。
「……何を……っ!」
 するんだ、と続けたかった声は、喉の奥へ押し込まれた。サザに本気で睨まれれば、誰でもそうなる。
「消えろ」
 握った手首を少しだけ力を込め、離した。相手は、苦痛そうな顔をし、手首を手で包む。おそらく、痣になっただろう。
「……後悔するな」
 よく解らん事をほざいて、芳樹は去って行った。あいつ、何しに来たんだ?
「クーちゃん、大丈夫?」
 サザが心配そうな顔で俺を見る。
「何も無かったのは、横で見ていて解っただろ。て言うか、お前が手を出すまでも無かったろ」
「だって……ヤだったんだもん」
 普段俺が言っている暴力を使うな、というのを気にしているのか、サザはふにゃり、と顔を崩した。
 怒ってない、というのを伝えようとした時、空気が変わったのに気づく。サザも表情を変えた。何か、後ろがざわざわする……後ろと言えば、あの講堂だろうか?ちょっと身体を捻くって様子を見ると、人がぞろぞろと出て来た。いや、追い出された?
「何だろうね?」
 サザの疑問は最もだけど、俺には答える事は出来ない。人が出て来た出入り口から、芳樹が出て来た。と、思えばこちらへ突進してくる。
「こっちへ一緒に来てもらおうか!」
 今度は、容赦なく怒鳴った。
「だから、嫌だってば」
 俺はその手を振り払う。しかし、次に芳樹から出たセリフは、こんな言葉だった。
「政美ちゃんのブローチが盗まれたんだ!」
 政美のブローチ……あの、大きなダイヤのが?それは大変だなー。程よく温くなったダージリンを口に含む。
「盗んだのは、お前らだろう!」
 ……何だって?


 彼女の母親と叔母が到着し、勿論彼女は出迎えた。その時、当然ブローチの事を聞かれ、講堂の金庫に仕舞ってあるといい、ついでに取りに行った。そこで、無いのが発覚した。
 犯行現場となった講堂には、少数名しか居なかった。まず、被害者である寺小路政美、そのクラスメイトのような生徒二名。和服の中年女性は、さっき来ると言っていた母親と叔母なんだろう。寺小路にやっぱりなんとなく似ているが、過ごした経験の違いのせいか、身のこなしにやや隙が無い。
 後ろのスーツの男性は、運転手なんだろうか。そして、警備員一人と、芳樹と俺達だ。確か警備員は此処にはもう一人居た筈なのに、何処へ行ったんだろう。大きな空間が、却って雰囲気の重苦しさを増徴させている。
 寺小路は、すっかり顔色を無くしている。今にも倒れそうなのを、後ろの二人が支えているような感じだ。しかし、その二人も顔色が悪い。
 そして何よりも言っておかなければならないのが、全員俺たちを射抜くくらいの鋭い目つきで睨んでいるって事だ。ふん、このくらいの視線、痛くも無ければ痒くも無いし、怯むはずも無い。
「……で?俺たちがブローチを盗んだって?」
 足りない警備員を待っているのか、誰も口を開かない中、髪を掻きながら俺が言う。
「なんでそんな結論が出てくるのか……」
 あーぁ、と溜息もつかない息を吐く。すると、芳樹がしたり顔のようなものを浮かべ、語りだした。
「なら、論理的に説明してやろう。まず----」
「ここはバサー会場だ。もし泥棒が居るとして、狙うべきはまず金銭だろう。でも、それに手をつけた形跡は無かった。なぜなら、もっと価値があるものがある事を知っていたから。
 中に一個しか入ってない金庫は軽い。それでも持って行ったのは、確かに入ってるっていう確信があったからだ。だから、それを知っているそこの生徒も此処に居させたんだろ?」
「あ、あぁ」
 芳樹は鼻白んで返事した。
「で、ブローチが無くなった、て事だけど、金庫ごと持ってったようだな」
 寺小路はここの金庫にブローチを仕舞った。が、何処を見ても金庫が見当たらない。
「そうだ。犯人は金庫にブローチが入っているのは知っていても、開け方は知らなかった。だから、持ち運んだ。その条件に当て嵌まるのは、お前らだけという事だ」
「なるほど、筋は通ってるな」
「でも、間違ってる」
 と、言ったのはサザだ。
「オレ達はそんなもん盗ってねぇよ。身体検査でもなんでもしてみろ。
 大体、そこに突っ立ってる警備員は何してたんだ」
 サザが視線を移したので、警備員はビクと身体を引き攣らせた。
「彼らの意識は特別販売場にだけ向いていたんだ。それに、金庫があった場所は死角になっていた」
「無用心にも程があるな」
「皆、人がいいからね。まさか盗みを働く人が紛れ込んでいるなんて、夢にも思わないのさ。まぁ、身体検査とか、そういう事は全員が揃ってからにしようじゃないか」
 そう言って、格好つけたような笑みを浮かべ、寺小路の側に行き、肩を抱いた。その途端、寺小路が泣き始めた。
「こんな……こんな事になってしまうなんて……!金庫に入れておかないで、肌身離さず持っていれば良かった……」
「政美ちゃん。泣かないでいいんだよ。悪いのは君じゃない。盗んだヤツだ」
 そして、俺たちを睨んだ。まぁ、今のセリフには、全く同感だけどな。
「……サザ、ちょっと言っておきたい事があるんだ」
「何?」
 他のヤツには感ずかれないよう、顔を見合わせないで話した。出来れば全部話しておきたかったが、警備員の登場でそれは出来なかった。まぁ、言っておきたい事は言えたから、よしとするか。
 ガチャン!と大きな音で扉が開いた。それは、開けた主が慌てているという証拠。
「あ、ありました!金庫です!」
 と、まるでトロフィーか何かみたいに頭上で掲げた。走りより、芳樹に渡す。
 丁度ノートパソコンくらいか。厚みはそれよりあったけど。表面は銀色で、軽そうな見た目だ。金庫は焼いた貝みたいにぱっくり口を開けていて、そして石か何かで何度も叩いたみたいにでこぼこだった。
「中には何も無かったのか」
「はい」
 芳樹に訊かれ、警備員が答える。芳樹は、その回答に満足そうにした。
「これではっきりした。ブローチは、お前達の手の中に、確実にある」
「無いよ、ほれ」
 俺は両手を開いて掲げた。サザも俺を見て同じポーズを取った。
「そのままの意味に取るな!お前らが持っている、という意味だ」
「解ってるよ、そんな事。でも、盗んでもなければ持ってもないんだって。ほらほら」
 俺はまず、持っていた紙袋の中身を出し、紙袋をひっくり返してぶんぶんと上下に振った。そして、カップの梱包を素早く剥がし、中に何も無いのを次々と見せしていく。横でサザがジャケットを脱いでポケットの中身を裏返して、ズボンのポケットも同じようにした。
 俺が何も無いってのを言い出したら、ジャケットやズボンのポケットをひっくり返して、そこに無いのを見せ付けてくれ。----さっき、サザにそれを言ったんだ。
「勝手な事をするな!僕が調べるのを、待ってろ!」
 激しい口調で言った。
「待ってろも何も、後は俺の服くらいだけど?」
「あぁ、だから僕が調べてやる----何もするなよ。おい、両腕を掴んでおけ」
 警備員は言われた通り、俺の両腕をがし!っと腕で挟んだ。あー、やっぱサザや鎖織以外に触られると、吐きそうになるな。
「そこまでする事ないだろ。何の権限があるんだよ」
「大丈夫だって、サザ」
 殺気を漲らせそうなサザに、俺は余裕の笑顔で言ってやった。
 さて。ポケットは左しかない。今、皆は俺の左側に居る。
 勝負は一瞬。まぁ、これくらいの相手に、俺が劣も訳も無い。
「失礼するよ」
 と、芳樹が俺のポケットに手を伸ばす。す、と下がっていく手首の角度が、途中明らかに変わった。
 今だ!
 捉えられた腕を高く上げ、それに動揺している腹に肘鉄一発。警備員は後ろに倒れる。次に、芳樹の右腕を捩じり上げる。手首の一点を強く握ると、自然と掌は開く。
 そこから、カツン、と落ちたのは、紛れも無く寺小路のブローチだった。


 用が済めば、いつまでもこうしてべったりしている必要は無い。ぽいっと捨てるように芳樹を放す。数歩踏鞴を踏んだが、なんとか体勢を持ちこたえた。俺は手に払う不快感を消すために、パンパンと叩いた。
「えーと、つまり、そいつが盗んだ犯人って事だな?」
 そう言ったのはサザだ。周囲の連中は、まだ事態について行けていない。俺が警備員を振りほどいて、こいつの手からブローチが零れたのは、一秒と経ってない。普通のヤツらには、見えて無かっただろう。
「そうだよ。こいつが言ってた通り、ブローチが今手の中にあるヤツが犯人だったって事だ」
「ぇ……?芳樹さんが?……どうして……?」
 か細い声で寺小路が言う。言おう、と思って口に出た訳じゃなく、勝手に声になった、って感じだ。
「それはな、そもそも暴漢をお前に嗾けたのが、コイツだったからだよ」
 この場に居る、それを知っている者は眼を見張った。
「そうなの?」
 と、サザ。
「あぁ。さっきまで半信半疑だったけど、俺たちを犯人に仕立てようとしたから、そうなんだろうな。それを邪魔された腹いせに、こんな事を企んだんだ」
 気になったのは、初対面の時。芳樹は寺小路の言う「助けてくれた人」を指して「その子」と言った。その時、俺は少し違和感を覚えた。だって、男が男に「その子」なんていう場合には、よっぽど子供じゃないと、何か可笑しいじゃないか。少なくとも、二つ三つ下くらいで、その子、なんて使わないと思う。
 こいつは、今日会う前に、サザの事を知っていた。でも、その後に俺たちを見てどっちだ、と聞いて、女とは知らなかった、とも言った。
 何でそんな嘘をつくのか。何処から、サザの事を知ったのか。その両方は、こいつが暴漢側の人間だ、というので説明がつく。言わなかった筈の事を知っている事で、寺小路が訝しんでるのを、こいつも察知しただろう。そして、手っ取り早く信頼を取り戻す為、でっちあげの英雄伝を作ろうとしたんだ。
 サザが話した時に言って居た。笑えるくらい、思わずカメラを探すくらい解り易い格好をしていたと。あの場に居たのは、本物の暴漢じゃなくて、暴漢を装ったニセモノだったんだ。いかにも貴方は襲われてます、という演出の為、過剰とも言える服装になったんだろう。普通、怪しくないヤツは怪しくならないよう、注意する筈だ。襲われるヤツの婚約者が絡んでる……というか当事者なら、これほど計画が立てやすい事はないだろう。毎日の生活パターンなんて知ってるだろうし。
 そうしてこいつは、今にも暴漢に襲われそうな場面に偶然出くわし、相手を追い払い、窮地を救った事で微かにあった寺小路の懐疑を消し去る筈だったんだ。
 それが、サザの登場であっさり水の泡となった。
 そこで次は頑張ろう、とポジティブになってくれたらよかったのに、こいつは陰湿な事に、邪魔したヤツに仕返ししてやろうと考えた訳だ。その分を、寺小路の信頼回復に向ければいいのにな。
 その仕返しとはつまり、俺たちに宝石泥棒の冤罪を着せる事。正確には、俺たちじゃなくて、サザだけだったんだろうな。さっき俺を連れ出そうとしたのは、サザから引き離して空白の時間を作り、その間犯行に及んだって事にしたくて。それを俺がきっぱり拒否したんで、俺も巻き添えにする事にしたんだ。あの時の「後悔するな」ってのは、つまりそういう事だったんだろう。
 あの部屋から俺たちと会ってから、ブローチ泥棒に仕立て上げるのに、こいつは地味に色々と勧めて行った。
 まず、ブローチがダイヤで値打ちがあるという事を聞かす。そして、それを仕舞った場所をちゃんと見せる。ついて行く、と言った時、俺は芳樹の反対に備えていたんだが、芳樹は付いてくるのを気にするでもなさそうにしていたのが引っ掛かった。
「で、でも……企んだ、とは言いますが、全部偶然でしょう?偶然、私のブローチが壊れて、金庫に仕舞う事になって……それに、芳樹さんが今日来たのだって、偶然じゃないですか」
「咄嗟にでも、こいつはこれくらい出来ただろうよ。でも、多分偶然じゃない。ブローチも、あのタミングで壊れてくれなくてもいい。ちょっとぐら付かせて、それに今気づいた振りをして取り替えればいいんだ。何も取れなくってもいい。代わりのがあれば、外すのにも抵抗が無いだろう。
 ちょっと話を聞いただけでも、家族ぐるみでかなり友好的で親密な関係だったのが解る。学園祭のちょっと前にでもやって来て、適当に話付けて見せてもらって、その時ちょっと触ればいい。ダイヤのブローチなんて、そんな頻繁に付けるもんじゃないだろうし。不安なら、予定でも聞けばいい」
 そういう事があったらしく、顔が強張っていく。
「----なぁ、こいつの会社だか自宅だかは、車で何分の所だ?」
「え……?」
「三十分で来られる所にあるか?俺たちが此処に来て、こいつと会うまで三十分くらいだった。
 お前は警備員に頼んで、来たら教えてくれるように頼んだんだってな?」
 そう、芳樹も同じように、警備員の誰かにサザが来たら知らせてくれと頼んでいたんだ。
 あのブローチは祖母の形見だと言う。それなら、身内の誰かが来れば預ける為にブローチを出す事になるだろう。だから、芳樹は俺たちが顔を出すように、くどく言いつけた。あれは、ブローチが無くなった時、まだこの場所に留めて置きたかったからだ。
「ここの生徒も、こいつが居る空間に慣れている。関係者しか入れない所に入っても、誰も怪しいとかは思わんだろうな。郵便配達人みたいな、見えない犯人になったんだ。
 そして、金庫を持ち出し、開けてから石で無理やりこじ開けたような細工をして、掌を隠し持っていたのを俺のポケットから出たように見せかければ、完了だ。
 まぁ、俺のポケットに入れる前に、こいつの手から出て来たのは、ここに居る皆が見ているから-----」
「……何の事ですか?」
 ----何だって?
 声をした方を見れば、寺小路の母親だった。
「お前の目は腐ってんのか。こいつの手から、ブローチが出て来た事だよ」
 サザが睨みを効かした。
「ですから、何の事ですか?何かあったというのですか?」
 一瞬、それに怯みながらも、寺小路母は、眼を逸らし、そう言い張った。
「……テメー」
「サザ、止めとけ」
 このままサザが本気で睨んだら、あれくらいの女性なら、下手すれば心臓でも止まりかねない。比喩じゃなくて、現実的に。
 なるほど。
 つまり、こいつらはこの一件を無かった事にしたい訳か。
 犯人が芳樹だったから。
「……政美ちゃん」
 寺小路母の援護を受けてか、芳樹が立ち上がり、寺小路の元へと赴く。途中、俺を思いっきり見下げた目でせせら笑った。
 芳樹は寺小路の前に立ち、
「……ごめん。そこの彼の言う通り、今日の事も、君が暴漢と出くわしたのも、全部僕が仕掛けたんだ。君が、なんだか僕に対してぎこちない時があるような気がしたから、焦ってしまって----やっていい事じゃ、なかったよね」
「芳樹さん……ううん、私の方こそ、御免なさい。本当につまらない事気にしていて、貴方を悩ませてしまって……」
「政美ちゃん………」
「…………」
 周囲が糖度飽和状態になっていくのを、肌で感じる事って、あるんだな……帰りに鎖織の店に行って、渋いお茶でも飲んで帰ろう……
「サザ、帰るぞ」
「何で!このままじゃ、あいつ、何の罪にもならないじゃなか!とっとと警察突き出そうよ!」
「話を大袈裟にしないでください。もう、事は終わっているのですよ?」
 サザを邪険そうに、寺小路母が言った。
「アホか!こっちは危うく、泥棒の濡れ衣着せられる所だったんだぞ!前科者になる所だったんだっつの!」
「すでに物は出ています。例え警察に捕らえられた所で、そう大した罪にはなりません」
「何ぃ……!?」
「止めろ、サザ。もう、黙るんだ」
 寺小路母は、俺の言葉に満足そうにする。
 それも、次のセリフを吐くまでだったが。
「こいつらの汚れが、お前に移る」
「まぁ、何て事を……!」
 怒りに、さっと顔の色を変える寺小路母。横から、芳樹が会話に割り込むように喋りだす。
「おば様、相手にする事はありませんよ。何せ向うは……」
 芳樹は言いながら俺に顔を向け-----その表情が強張った。
 ほー、裏から細工するだけが能の、ねちっこいヤローかと思えば、本気の殺気を悟れるくらいには敏感だったか。
「口止め料、貰おうか。じゃないと、手当たり次第話すぞ」
「……クーちゃん?」
 サザが訝しむ。
「……………あ、あぁ、そこ事か。いくら欲しいんだ?」
「欲しいのは金じゃない」
「なら、何を?」
「命」
 冗談にするには、俺の言い方は迫力がある。それに勿論、嘘じゃない。本気だ。
「……は、ははは……何を…………」
「いいか、俺は決して探偵じゃない。だから、謎解きをしてやる義理だってない。それでもしたのは、なるべく事を穏便に済ませたかったからだ。お前を裁くのを、自分じゃなくて警察に任せようと思ったんだ」
 誰も何も言わない。俺から生じる殺気に絡め取られ、息も上手くできないだろう。重度のプレッシャーに、寺小路母が胸を押さえたのが見えた。でも、緩めてやるつもりはさらさらない。こいつはさっき、サザを鬱陶しそうにしたからだ。死んだ所で、どうして俺が困る。
「でも、そっちが法律とか無視するなら、こっちも無視するしかないな。恨むなよ。道を選んだのは、お前だ」
「こっ……殺すのか……!?僕を、殺すのか!?」
 芳樹がガタガタ震えながら、言う。
 俺はそれに答える。
「そうだ」
 手が鋭く翻る。


 その手が、止まった。
「だめだよ、クーちゃん!殺しちゃ!」
「だって……!こいつ、お前を嵌めようとしたんだぞ!?宝石泥棒に!生かせておけるか!死で償ってもらうしかないだろ!」
「でも、ダメー!」
 サザは掴んだ俺の手を、ぎゅぅ、と胸元に引寄せ、抱きしめた。シャツ越しの柔らかい感覚で一瞬頭が一杯になる。
「だって、殺しちゃったら刑務所入っちゃうじゃん!そしたら、毎日会えないじゃん!そんなの、イヤー!!」
「あ、会えないって……僕が殺される事には、」
「テメーが死んだら白菜の値が上がるっていうなら、止めるよ」
 サザの睨みに、改めて芳樹は沈黙した。
「だから止めてよ。ね?」
 むぅ、サザのこのお願い、という顔に、俺はどうしても弱い。
「……解ったよ……なら、殺すのは止めて、社会復帰が少し難しいくらいのダメージにまで、留めておく事にする」
「クーちゃん、ありがとv」
「ありがと、じゃないぃぃぃぃぃぃぃぃぃ!!」
 芳樹がまた復活した。ちっ、こいつ意外としぶといな。
「馬鹿かお前らは!つーかお前らの辞書には傷害罪って言葉は無いのか!」
 それに、俺ははー、やれやれ、って感じで溜息を吐いてやる。
「大学院行ってても、物事の仕組みってのには全く無知識かんかね。
 いいか、誰も知らないって事は起こって無い、ってのと一緒なんだ。誰も知らなくするのは、当事者の口を塞げばいい。
 ……もし喋ったら、地獄の底まで追い回して、今度は絶対殺す。もう前科者だから、経歴に傷がつくのを気にする必要が無いからな」
 ひぃ、と呻く芳樹。
「あ……貴方なんとかなさい!警備員でしょ!」
「そ、そんな事言われても、社員なだけで、特に何か技持ってるとか……!」
「うぉい、下手な動き見せたら、お前らもボコボコにすんぞ」
 サザが的確に周りに支持する。
 さて。
「とりあえず、この固い靴のつま先部分で、お前の鼻を思いっきり蹴る」
「………!…………!!!」
 もはや、声も出ないようだ。最後に出しておけばいいのに。この後、多分嫌でも出せなくなるんだから。
 俺は右に重心を置いて、左足を蹴り上げた。


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