水浅葱

 イチ、ニのサン、でその時着いて居た左足で地面を蹴って、空中で三回転半捻り。
 拍手がもらえそうな綺麗な回転だったが、ギャラリーが居ないので拍手も点数も貰えない。なら何故そんなダイナミックな飛び業を拾うしたかと言えば、力が有り余っているのだ。
「…………」
 コキコキ、と凝ったのではなく鈍ったような肩を解し、目の前の長屋を見やる。自分の計算どおり、丁度この部屋の前で着地できたので、人知れず満足そうに小平太は笑った。
 そして、大声で呼ぶ。
「もーんじー!あーそーぼー!」
 ……しーん……
 返事が無い。
 ならば、もう一度。
「もーんーじー!あーそー……」
「うるせぇよお前は!てか一年坊主みたいな呼び出しすんなッ!」
 ガラピシャーン!と襖を乱暴に開けて現れたのは、呼び出していた相手だった。
 鬼のような形相の文次郎に、けれど小平太はへらっとした笑みを崩さない。
「な。裏山行って筋トレしよう!ここ最近、また会計員の仕事で部室に篭りっきりなんだろ?」
 たまには体動かさにゃー、とからから笑う小平太に、文次郎がビキビキとコメカミに血管を浮かべる。
「……俺が篭るはめになったのはどこぞの誰かが破壊し尽したバレーボールの予算をひねり出す為なんだがな……」
「うん。だからお詫びにこうして誘いに来たんじゃないか」
「詫びする前に破裂しないように注意しろッ!」
「判った。次からはそうする」
「今からだ!」
 文次郎は即座に突っ込んだ。
「じゃあ話ついた所で。裏山まで競争しよう!」
「今決着した話はお前がボール破壊しまくってるって事だけだろうが!」
 指を組んで伸びをする小平太だった。
「……煩いな、お前は……」
 ひょこ、と襖の陰から顔を覗かせたのは仙蔵だった。
「どうせ行くのだろう?ならさっさと行ってこい」
「別にまだ俺は行くとは、」
「そんな事言って、他のヤツを誘うを拗ねる癖に」
 文次郎のセリフにカットインしたのは食満だった。
「……………」
「ほら、長次も素直になったほうが自分も回りも幸せだって言ってるよ」
 物言わぬ長次のセリフを伊作が代弁する。
「つーかお前らの方がよっぽど煩い!っていうか俺の部屋に何ぞくぞく集まってきたんだよ!」
『からかいに』
「そこで揃うな―――――ッ!」
 火を吐く勢いで叫び文次郎だった。
「なあー、もんじ!置いてくぞー!!」
 その声は小平太を見てみれば、割りと遠くで手を振っていた。
「おまっ……誘っておいて置いてくなよ!」
 ばっと文字通り飛び出して駆け寄る文次郎。
「……やっぱり、行くんじゃないか」
「なぁ」
 食満の呟きに、仙蔵が答えた。


 今この山に、他の誰かが居たら疾風が吹いたとか、何か俊足の獣が過ぎたとか、そんな事を思うだろう。
 手ぬぐいの巻かれた樹がある。そこに向かい、二人は脱兎の如く駆けていた。その手ぬぐいを取った方が勝ち、である。シンプルだが攻守が必要ななルールだ。
 本当はいつもみたいに穴でも掘っていこうかと思ったのだが、それでは能が無いと文次郎が切り出した事だった。
(やった!もーらいッ!)
 手の届く範囲に手ぬぐい。その間に障害物、即ち文次郎の姿は、無い。
 勇んで手を伸ばして――何か冷気を感じて、その手を引っ込める。その次の瞬間、腕のあった所を狙って苦無が飛んだ。
(うーん、そう簡単にはいかないか)
 それは向こうも同じ事だろう。
 手近な太い枝を掴み、ひょいっとその上に乗る。
 これだから、文次郎とやりあうのは楽しいのだ。
 小平太はに、と口を吊り上げ、手ぬぐいに向かう気配に向かって、飛んだ。


「で、どっちが勝ったんだ?」
 多少の傷をこさえて夕飯時の食堂に現れた二人に、仙蔵が尋ねた。
「どっち――って言うか、時間切れの引き分け」
 もぐもぐ飯をかき込みながら。小平太がそれに答える。
「こいつが腹減ったって喚くから」
 そして、文次郎が横槍を入れた。
「っさいな!もんじだって賛同したんだから、同罪だろ!」
 一旦食事の手を止めて、文次郎に噛み付く小平太。
 罪になるのか、重いな。と味噌汁を啜いながら食満が胸中で呟く。
「お前が勝手に抜けたからだろうが!」
「何をー!」
「………………」
 立ち上がって剣呑な空気を纏った二人だったが、じぃ、と見詰める長次の視線に気づいたので、座った。
 此処は食堂。喧嘩なら他でやれ、と長次の目が語っていた。
「――ごちそうさま!」
「同じく」
「何だ、早いな」
 食満が言う。割りと二人とも早い部類だったが、今日はそれに輪をかけて早かった。ちゃんと噛みなよ、とそんな二人に伊作が言う。
「ごめん。早く風呂に入りたくてさ。メシ前に入ったら、食いっぱぐれるし」
 保健委員長にそう言って、二人は駆け足で食堂を後にした。
「…………結局、」
 その光景を眺めて食満が、言う。
「もんじのヤツは、こへを大事にしたいのか苛めたいのか、どっちなんだろうな」
 さっきまで喧嘩しかけたというのに、今文次郎は伊作に謝る為にやや出遅れた小平太を待って風呂へと向かっていった。
「大事だから苛めたいし、苛めたいから大事なんだろう」
「……よく判らんな」
 と、いうか今の仙蔵の言葉は自分のセリフをそのまま組み立てただけで、仙蔵本人は何も考えていないのだろう。
「とりあえず確かなのは、自分以外のヤツがそれをしたら、あいつは怒るという事だ」
 ああ、それはあるかもな。と食事を終えて口を拭く仙蔵の言葉に、皆が一様に頷いた。


「おおおおおッ!一番乗り!誰も居ないぞ―――!」
「……だからって、飛び込んだりは……」
 バッシャ―――――ン!
「えー?何か言ったー?」
「……………。いや、何も」
 時折無力感を感じるのは、いつだってこんな時だ。
 砂埃が汗でくっついた体をざっと流し、湯船にどっかり浸かる。二人以外誰も居ないので、遠慮なく足を伸ばさせてもらった。
「……んー……」
 濡れてぺっとりした前髪を、くいっと小平太が引っ張る。
「さっき動いてて思ったんだけど……やっぱり、伸びたな」
「お前の場合、長さじゃなくて量がもあるからな」
「そうなんだよねー」
 文次郎は癖の無いストレート(というより剛毛)だが、小平太はふわふわしたネコッ気だった。湿気の時期にはとっても鬱陶しい。
 顔に張り付くのが鬱陶しい、と前髪を全部後ろへ撫で付けた。額が露になる。
「うーん、四年のタカ丸くんにでも、切ってもらおうかな?」
「止めとけよ。前衛的な前髪にされるぞ」
「わぁー、嫌だなぁ」
 でもありえそう、とけらけらと笑う。
「ま、いつも通り自分で切ろうっと」
「……………」
 何やら文次郎が水面をじっと見据えて考え込んでいるようで、?という視線を送った。
「………。なぁ」
「?」
「切ってやろうか。前髪」
「えっ」
 ぱちり、と大きな瞬きをひとつ。
「そんな、もんじが人の為に何かするなんて気持ち悪い」
「………………おい」
 今この瞬間、手に苦無があったら小平太に投げていたかもしれなかった。
 殺気すら篭った目を向けられ、けれど小平太は噴出して笑い出した。
「あっははは!ごめん!うそうそ!
 じゃあ、風呂から上がったら、さっそく頼んでいい?」
「……………」
 この年代にしては、小平太は目が大きな部類に入ると思う。そんな風に元が大きいからか、小平太の双眸の中に自分の姿がはっきり見れた。あるいは、姿見よりも余程鮮明に。
「……もう知らん。さっきので気分を害した」
 ふいっと顔を逸らして、ぶっきら棒に言う。
「えー!何でだよ!切ってよ!」
 途端、小平太から物凄いブーイングがばしばし飛んできた。
「人が折角親切してやろうとすんのを、下らない事で言い返すからだ!」
「だから嘘って言ったじゃん!」
「そもそもそんな嘘をつくな!」
「なんだよもんじのケチ!」
「ケチも言うな!」
「……またやってるよ、あの二人」
「本当に尽きないな、あの二人」
 浴室に入るまでもなく、脱衣所に居て聴こえる怒声に伊作と食満がそれぞれ言う。
 やがて殴り合う音がし始め、浴室が破壊される前に止めなければ、と長次はそれを聴いて冷静に思っていた。

 それでも次の日、小平太の前髪は少しさっぱりしていた。
 鼻歌を歌っている所を見ると、自分で切ったとは思いにくい。




<終>

そんな訳でもんこへでしたー!
もうちょっと、喧嘩しちゃ仲良くなり、の無限ループを書きたかった所でありますが。