昔、異国の誰かが言った。
”世界の為に君を失うくらいなら”
「あーあ……此処もダメかぁー」
かなり集中しなければ、数える事は困難な段数の石階段を昇りきり、辿り着いた神社の境内。
その傍らに植えられている、桜の樹を見上げ、ぽつりとそう言った天馬を、帝月は少し離れた場所から見ていた。
ニュースにて、他の地方の開花宣言を聞いた天馬は、この辺でも咲いている所があるかもしれないと、暦の上でしか春を迎えていない外へ飛び出した。
学校の校庭から始まり、川の堤防沿い、公園等を見回ったが、枝には色づいた蕾しかない。
自分が知っているのは此処が最後、と、方々を探し回って、悉く外れた天馬は、少し意気消気味に言った。
が、現実は残酷なもので。
「仕方ねぇ。待つしかないか」
樹の表面を優しく撫でながら呟いた。
「……天馬。用が済んだのなら、さっさと離れた方がいいぞ」
帝月が言う。
「へ?何で?」
「オマエは、怪談の類が苦手なんだろう?」
「?」
訳が判らない、と首を捻る天馬は、樹の皮に何かを見つけた。
「あれ?何でこの樹、穴が開いてるんだ?」
それは小さなもので、啄木鳥が開けるようなものでは無い。
天馬が見つけたと同時に、帝月がため息を吐いた。
「……見つけたか……」
「なぁー、ミッチー。なんでこの桜、穴が開いてんだー?」
「知りたいか?」
こっくり、と頷く天馬。
帝月は、もう一度ため息。
「恨むなよ」
「何だよー。さっきから解んねーな」
「その穴はだな」
帝月は勿体ぶって言う。
「藁人形を、五寸釘で打ち付けた時の穴だ」
「へぇー………………え?」
ひきり、と顔が強張る。
「わ、わ、藁人形って………」
「そうだ。呪いに使われるヤツだ」
「……………」
天馬は樹に置いていた手を、そぉーっと離した。
そして、もの凄い勢いで走り、帝月の元に行く。
「ううううう、嘘だよ、ゼッテー嘘!!
つーか何で桜の樹にするんだよ!!」
「この樹は、この国の神々にとっても特別な意味を持つ」
うろたえまくる天馬に、帝月は淡々と説明する。
「だから、その大切な樹を傷つけられるくらいなら、その呪いを叶えてやろうと、そういう経緯で呪術に使われるようになったんだ」
「……なんか、めちゃくちゃ乱暴な考え方だな……」
「そうだな」
丁度その時、件の桜の樹付近で強い風が吹き、枝を鳴らした。
天馬が驚き、帝月にしがみ付き。
帝月も、驚いた。
石の階段を降りる。最後の5段を、天馬はジャンプで飛び降りた。
「あー、びっくりした。神様が怒ったのかな」
タイミングとしてはあまりにもピッタリだったので、天馬はそんな事を思う。
「んー、でもさ」
横を向き、隣に居る帝月に語りかける。
「さっきはあー言ってたけど、ちょっと解るかも。
オレだってさ、野球の事ボロクソに言われたら、そいつの事ぶん殴っちまうと思うし。
でも誰かを呪い殺しちまうのはやっぱやり過ぎかも」
「……やり過ぎ、というのはオマエの見解からだろう?」
ふいに帝月が口を挟む。
「本人にとっては、些細な事、なんでもない事かもしれん」
「ん〜……そうかなー」
「そういうものだ」
腕を組み、思案顔だった天馬は、ふいにその表情を変えた。
「オレ……桜の樹見る度にこの事思い出しそうだなー……つーか思い出す」
どーしよーと少し青ざめる天馬。
「……別に、それくらい構んだろう?」
「何で!」
軽蔑されたのかと、噛み付くように言う。しかし、それは天馬の誤解だ。
「オマエは花見をする時、皆で来るんだろう?一人で花を愛でる高尚な趣を持っている訳でも無い。
だったら怖い事は無い。他にも大勢居るんだから」
「……………。
ミッチーってさ」
「何だ」
「親切だが意地悪だが、時々解んねーよな」
「……勢いだけに任せて理論整然としない意見を連発たり、突発的にものを言うオマエに比べれば、マシだ」
「----前言撤回!!意地悪だ!完ッ璧意地悪!!」
凶門みたいにフォローをしたつもりだったが、やはり慣れない事だ。最後にはやっぱり口喧嘩で終わる。
進展しない現状に、帝月は少し、灰色のかかった青空に黄昏た。
「そういえばミッチーって、何か大切なものでもあんの?」
「何だ、いきなり」
「だってさ、さっき妙に説得力みたいなのがあったって言うか、実感があったっていうか」
天馬のやり過ぎという意見に対し、本人にとっては、と言った時のセリフか、と思い出した。
天馬は、人の命さえ些細だと言ってしまう程の大切なものが、帝月にあるのかと尋ねたのだ。
「………まぁ----そうだな。-----ある」
散々迷い、帝月は答えた。
「へー、何?」
無邪気に訊く天馬。
「………言わん」
素っ気無く答える帝月。
言ってしまえばいいのに、と片隅で囁くものがあったが。
やはり、もう少し落ち着いた雰囲気で、と、教えろとまた騒ぐ天馬を横に、帝月は思った。
もし。
何かで対価にするとしたら、そのどれもこれもは小さすぎるし、足りなさ過ぎる。
昔、異国の誰かが言った。
世界の為に君を失うくらいなら
君の為に
世界を失った方が良い
<終>
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