人や動物とと同じだ。 気温が上がったり下がったりすると、着る服を変えたり覆う毛皮を生え変わらせたりする。 花は、それで咲くんだ。
もし。 咲く時を自由に選べるんだったら。
花は、一体いつ咲きたいんだろうな。
と、私に言ったのは、誰より何よりも自由な人で。
「………今日は本当に冷え込むな」 と、カイに言うために開いた口から冷気が入り込み、肺の中まで凍えさす。 「はい。もしかしたら雪でも降るかもしれませんよ」 見上げた空は鉛色。今にも、その暗い雲から白いものが零れてきそうだ。 珍しく。本当に珍しく爆が自分に来てくれたのだから、晴れてくれてもいいのに、と少し恨めし気にカイは曇天の空を見上げた。 しかし、雪が降るのならそれはそれでいいかもしれない。 雪にはものを綺麗に見せる魔力があるというし。いや、爆殿は雪なんかなくったって綺麗で。 「カイ」 「は、はい!!」 そんな訳はないが、もしかして今考えてた事を悟られたのか!?と思わず声が裏返る。 最も、本当にバレてたのなら呼びかけずに有無も言わさぬ蹴りが飛んで来るのだろうが。 「これ………」 と、爆が指す物の正体は。 「……あぁ、降って来ましたね」 ちらちらという例えはは、本当にちらちらといった具合なんだな、と取り留めのない事を思う。 いつも見慣れた景色が、こんなちっぽけな白い欠片が舞うだけで違って見えるから、不思議だ。ああ、それにしても雪の中の爆殿は綺麗だなぁ。 「違う」 「……はい?」 取り様によっては自分の脳内との会話にもなっているので、つつ、とカイに冷たい汗が伝う。 そんなに怯えるんだったら最初から思わなければいいじゃん、とか軽く言わないでもらいたい。 人を好きになる感情は自分の中にあっても、自分にはどうにも出来ないのだから。 「雪じゃないんだ」 え、まさか。とカイは雪の流れる進行方向に手を翳してみる。 風に流され、カイの手に飛び込んできたそれは、いつまで経っても溶けもしないし消えもしなかった。 これは……… 「花、ですね」 「今頃咲く花もあるんだな」 雪と見紛う花弁なのだから、おそらくは樹に咲く花なのだろう。英語で分別する所の”ブロッサム”だ。 果たして今の季節にそんな樹があっただろうか、とカイは首を捻る。もしかしたら、自分がまだ知らないだけかもしれないが。 「………ん?」 花弁を見ていたカイは、一瞬目を凝らす。 この花を付ける樹に思い当たるものがある。 あるのだが、ありえない。あれは、春の花だ。 でも。 『……桜?』 図らずに声が重なった。 そして同時に、は、と目を合わせ、照れと気恥ずかしさで視線が宙を舞う。 けれど、それもやがては微笑になった。
花弁の出所を突き止めるのは簡単だった。風に逆行して行けば良いのだ。 そうして。 「わ、わ、わ………」 一体今の声が何を意味するのか、おそらく出したカイすらも解らないだろうが、驚きと感嘆、それらに後押しされて自然に出てしまったのだろう。 「……本当にあった……」 爆もまた、目の前の光景にやや呆然としていた。 雪に、桜。 全く別の季節の風物詩が同時に存在する。まるで絵画の世界だった。 さっきまで吹いていた風も、2人がここに来る頃には役目を終えた、とばかりに止んでしまった。 だから、音も無い。同じような速度で花弁と雪が上から下へ移動するだけだ。厚い雲で覆われた薄暗さのせいで、その白さは一層際立った。 いよいよ非現実的な雰囲気に、足を動かすのさえ、躊躇う。 礼拝堂の中にいるような、厳かにも感じられる空気をものともせず、爆は桜の木の元へと歩んでいった。 数歩遅れてカイもまた続く。 全くいつも通りの爆に、きっとこの人は天使や悪魔を目の当たりにても普段どおりに違いない、と思った。 「狂い咲き……か。話には良く聞くが、見たのは初めてだな」 「私もです」 長い事、この世界にいるくせに知らなかったなんて。 これではまだ全ての世界を回る爆には追いつけないと、ひっそりと自己嫌悪に落ちる。 それは少し端にやり、この花は美しい。 どうやらここにある、桜と言わず花はこれだけのようだった。 たった一本で、景色の色彩を全て担っているような、そんな感じだ。 なまじやり得てしまうから、他に花が無いのかもしれない。 まるで目の前のこの人のようだ。 そんな風にカイに形容されているとは露知らず、爆はいかにも興味深げに、樹の表皮を撫でていた。
この後カイは、激から桜の花言葉は”精神美”なのだと聞いた。 ますます、当てはまる。
ふと、なんとなく。 勝手に足が自分を此処に運んだ。 何も変わらない、いや何処かは変わっているのだろうけど、広がる景色。 あの時と同じなのは、空気は冷たく雪が灰色の空から舞い落ちる。 違うのは、隣に爆が居ないのと、桜の花が咲いていない事。 以前爆が撫でた箇所を自分も撫で、そこに背を預けてそのまま腰を降ろした。 別に修行をさぼっている訳ではないのだ。 と、いうか最近の修行は自主トレが主となっている。----教えてもらう事が終わろうとしているのだ。 瞬きもせずに空を見た。 果たして爆は、自分と同じように雪に降られているのだろうか。 それとも、この雲の上にいて、太陽の光を浴びているのだろうか。 「……………」 自分はまだ力量不足だから。師匠からの修行が終わったら、すぐに駆けつける。 そのはずだったのに。 怖いんだ。 今までそれを言い訳に会えない事としていた。 これで行けないとなると、それは単に自分の弱さだ。身体や技でもない、心の弱さ。 そう、自分は弱いのだ。 そんな自分が爆の傍らに居たのなら、その聖域が汚されるような気がしてならない。 だったら諦めてしまえばいいのに。それでも、いつか見た最後の背中の残像をいつでも追いかけて。 結局は、どっちも出来ない半端物だ。 吐いた溜息は自分の周囲を白く曇らせた。 雪を吸ってじんわりとした地面に、ぽたりと水滴が落ちる。 今日もこんなに寒いのだから、この涙も雪となってくれるだろうか。いや、逆か。雪が解けて雨となるのだから。 いい加減、そろそろ帰らないと。休憩するにも程がある。それに師匠から言いつけられた、修行とは関係ない雑務もある事だし。 空から地面へと消える雪を目で追う。 この場で時の経過を示すものは、これしかない。 雪の行き先を追っていた視線が、別のものを捕えた。 蕾だった。 位置的に、この桜でしか在り得ない。 周りを窺ってみたら、桜の蕾はそこらじゅうに落ちていた。景色の一部としてすっかり溶け込んでいたため、気づかなかった。 今年は花をつけれなかったのだろうか。 それとも。 「……咲くのを、やめたんですか?」 そんな事があるはずないのだが。 樹や草が花を咲かせるのはただの生理現象。それを故意にやめさせる事など出来ないし、正常に機能させないのは生命に関わるのではないか。 あぁ、でも。 自分の大切な人は、そうしている。 したい事の為には命さえ投げ出す。 その人を止めるのには、その人の命すら力不足で。 簡単に身を危険に晒す生き方は愚かだと思うけども。
その生き様は、とても美しい。
本当にしたい事が出来なければ生きていたって仕方が無いと、直接そんなセリフは聞いた事はないが、いつでも聴かされてるように思う。 本当にしたい事。 自分が本当にした事は。
……強くなって、それで。
爆の、側に、
ずっと、
居たい。
思い立ったら早かった。 気づいたら家へ向かって走っていて、荷物らしい荷物もまとめず、再び今度は街へと向かって駆け出した。 途中、帰ってきた激と擦れ違う。 走りながら行って来ます、とだけ挨拶をしたら、爆によろしくな、という返事が背中にかかった。 さすがに自分の師匠だけあって、お見通しらしかった。
もし本当に、自分のせいで爆が穢れてしまうのなら、それも自分が浄化すればいいと思った。 その為に必要な事なんて、爆の側に行けば自然と手に入るように思えた。 案外、皆が皆、したい事だけしていたら、戦争なんて起こらないような気がした。
「………………」 長い間風呂に使っていたような、グルグル回るアトラクションに乗った後みたいな、頭が宙に浮かんでいるような軽い眩暈。 ふと隣のベットに、天井ばかり向いていた視線を変えれば、居るべき筈の人物が居なかった。 「爆ど………!!」 ガバ!と起き上がればその拍子に立ちくらみに似た現象に悩まされた。 「起きたか。気分はどうだ?」 何の事は無い。爆はとっくに起きて窓際に居ただけだった。 そしてその言葉に思い出した。 立ち寄ったこの村で、悪さをするモンスターを追い払ったのだ。 それの祝いの席に、当然倒した本人達も出席し、カイは飲めない酒を半ば無理矢理飲まされた。好意からなのだから、カイも断りきれなかったのだ。 まぁ原因が原因なのだし、酒が抜ければ治るだろう。 ほら、と差し出された水を受け取る。アルコールに焼けた喉に心地よかった。 「やけに冷え込むと思ってたら、雪が降ってきたぞ」 キシ、とベットが少し沈む。爆が腰掛けたのだ。 言われるままに窓を見た。四角に切られた景色に雪が間断なく舞い落ちる。 「あ、本当ですね」 「……つもる雪では無さそうだけどな」 外で、子供達のはしゃぐ声がする。そんな必要はないのに、何処か申し訳なさそうな爆の口調が可笑しかった。 「何が可笑しい」 「いえ……」 憮然とした表情を誤魔化さずにも隠さずにも、素で曝け出してくれる事がどんなに嬉しいか。 きっと説明した所で本人には解ってもらえないだろうけど。 「ねぇ、爆殿」 「何だ…………ッ!うわ!!」 爆を巻き込んで、カイはベットに寝転がる。 逞しい腕にしっかりと捕まってしまい、爆でも一筋縄では解けない。 何とか逃れようと抵抗する爆を更に抱きこみながら。 「おはようのキス、して下さい。じゃなきゃ起きませんから」 「貴様だけ勝手に寝ていろ!!」 「嫌です。寒いから」 「どういう……!!」 半ば強引に、カイは目的を達成した。 無論その分のペナルティはしっかり貰ったが。
「………痛い」 「自業自得だ」 痛い、とは言ったが、別にそんなに痛くはない。これより数百倍は酷い怪我を負った事もあるし。 それに爆も加減しているだろう。……でなかったら平手打ちでは済まされない。 ずんずんと普段より若干速めの速度で歩くのは、自分は怒っているというアピールだ。 と、前を歩く爆が言う。 「貴様のそういう所、師匠にそっくりだな」 「……そうですか?」 「そうだ!」 間髪おかずに断定された。 やはり長い間暮らしていた事だし、似通ってしまうものだろうか。 親子みたいに。 ……それをあまり喜べないのは何故だろう。 「……そう言えば、今頃に咲くんだったな。あの狂い咲きの樹は」 宿から出て、爆の顔を拝めたのはこれが初めてだ。 「行ってみるか。予定もない事だし」 真っ直ぐな視線は確かに自分を見ている。 ……ここでまた、欲望に素直になってしまったら、今度こそヘソを曲げかねないので、自制した。
思えば自分の国へ行くのも、随分久しぶりのような気がする。 が、いざ着くと少し前にも立ち寄った気分になる。なんとも不思議だ。それともこれが故郷というものなのだろうか。 獣道を通り森を抜け、二人は例の樹の場所へと向かう。 カイが此処へ来るのは、旅立ちを決意して以来だ。その時には咲いてなかったが、今年はどうだろう。 なにせあの桜の樹は、爆みたいに気紛れで、そして頑固だから。 今年も咲きたくない、と蕾をそのまま落としてしまっているかもしれない。 もしそうだったら、爆はがっかりするだろうか。 まぁそうなったらなったで自分が慰めてあげよう。 …………この思考パターン。やはり爆の言う通り、師匠に似てしまっているかもしれない。 「………あ」 僅かな爆の声がした。 それの意味する所は言わないでも解る。 雪に混じり、花弁が見えた。
視るのは初めてではないよいうのに、この、雪と桜という二つが重なる光景を目にすると、一瞬我が目を失ってしまう。 触って手に取り、そして他の誰かも一緒に見て、ようやく現実だと知る事が出来る。 「良かった。今年は咲いていた」 「……今年は……て、爆殿前に来た事あるんですか?」 だったらどうしてその時に会いに来てくれなかったんですか、と恨めし気に剥れる。 「オレも考える事があったんだ。貴様と同じでな」 自分が側に居たら、爆が穢れるのではないかと悩んで中々会いに行けなかった事を打ち明けたら、馬鹿じゃないのか、と罵られた。嬉しかった。 雪の白さに混じる、ごく僅かに薄紅の花弁。 「私も以前来た事があるんですけど……やはり咲いてませんでした」 と、カイは。 ふと何事かを思い浮かび、何も考えずにそのまま言った。 「ねぇ、爆殿」 「何だ」 「この樹、もしかして」
「私と貴方が揃ったら、花を咲かせるんでしょうか」
「……………………………」 沈黙。 少しの時間の経て、カイは自分の発言のとんでもなさに気づく。 「い、いや、あの、別に本気にそう思ってる訳じゃありませんよ!!?そうだったらいいなぁ、とかは思いましたけど!!まさかそんな……」 「……いいじゃないか」 恥ずかしさのせいで混乱しかけているカイに、ぽつり、と爆が言う。 「そんな樹が世界に一本くらいあったって。可笑しくはないだろう」 そう思うだろう?と問いかけたのは桜の樹へ。 「だとしたら、最低でも年に一回、此処に来なければならないな」
約束、なんて。 枷になってしまいそうで、あえてしなかったけど。
「…………ハイ」
その時一緒に居ても居なくても、 例え将来別れても、 雪の降る日。この樹の元へと行きましょう。
それは、己の命にすら縛られない、爆に纏わる細い鎖。
自分へと繋がる。
堪え切れなかったカイのせいで、樹の元で爆発音が轟いた。 まるで溜息みたいに、桜の樹が落とす花弁の量を増やした。
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