深藍・二





「ついに今日の放課後から、ろ組みがサバ鬼か」
 と、仙蔵が言う。サバ鬼というのは「クラス別24時間不眠不休耐久サドンデスサバイバル追いかけっこ鬼ごっこ大会」の略称である。知らない人が聞くとなんか生臭い鬼を想像しそうだ。
「あぁ、そうだな」
 適当に文次郎が相槌を打った。それがなんだみたいに。
「会いに行ってはやらんのか」
「誰に」
「そこまで言う程、私は野暮じゃない」
 ----ここまで言った時点で十分野暮なんだよこンのキツネ目野郎!!
 そう叫びたくなるのを、ぐっと堪える。した所で喉が痛くなるしこめかみに頭痛はするし仙蔵は楽しそうな顔をするしで良い事はひとつもない。
「お前は会いたくもないかもしれんが、小平太は会いたいんじゃないだろうか」
 言う程私は野暮じゃない、と吐いた側からそんな事を言った。そもそもそれの前に、会いたくないとも言ってはいないではないか。ただ、行かないと言っただけで。
「帰るのは何時頃だろうな」
 仙蔵が言う。
 略してサバ鬼のルールは、腰に巻いた紐を取られた時点で失格。失格者は、最後の一人になるまでのサドンデスという性質上、居ても邪魔なのでとっととお帰り頂く。つまり早く帰った者ほど弱いヤツという事だ。ちなみに取った数を競う課題でもないので、30本取った人が1本も取ってない人に取られたら、それでもう失格、負け、という結果至上の割とシビアなものだったりするのだ。
「早く会いたい反面、勝ち残っても貰いたい……難しい所だな」
「…………」
 それが自分の事を言っていると解っているので、文次郎はもう完全に無視を決め込んだ。
「まぁ、この機にお前も思い知るがいい。離れてみて初めて解った相手の価値、というヤツだな」
「…………」
 ではこれから委員会だから、と仙蔵は颯爽と去って行った。忍びは平常心だ、と謳いながらも、いつもより気が立っていたのは、会計員が証明してくれる。




 それから3日程経った。そろそろ第一陣が帰ってくる頃だ。文次郎は、この中に小平太が居たらぶん殴ってやると決めていた。小平太の力量を考えて、この時もう帰ってくるようなら、よっぽど酷いミスをしたに違いないだろうから。実力だったのなら、もってのほかだ。
 しかし、小平太は居なくて、文次郎は硬く握った拳を解いた。そのまま手をわきわきさせる。どうにも手持ち無沙汰だ。こういう時、決算になればいいのに。
 ふと見上げた空には、膨らみ始めている月が見える。
 満月までには、帰ってくるだろうか。この満月は、中秋の名月なのだ。サバ鬼の時期はまちまちで、去年この時期に当たる事を知らない小平太は(まぁ、当然だが)来年も一緒に見ような、と言った。多分、相手にとっては挨拶程度のセリフなのかもしれないが。
 でもその時は、いつもの面子でお月見をする予定が個々に用事が入ってしまい(今思えば仙蔵の差し金かもしれない)、小平太と2人きりだったのだ。即ち、そのセリフは自分にだけ向けられたものな訳で。
「……………」 
(いや、それでも別にあいつと一緒に月を拝みたいだとか、そんな事を思っている訳じゃないぞ、俺は。そんな事は!)
 一体誰に言い訳しているのか。
 最も、行灯で本を読んでいた仙蔵には、そんな心中は丸解りだったが。




 そして1週間、2週間となった。この時には、すでに大半の生徒は戻ってきている。そして、その者達から持ってこられた情報で6年の話題は持ちきりだ。
 それは当のろ組のみならず。
「ろ組のサバ鬼、あと5人だそうだ」
「へぇー、粘るなぁ。もう20日目だろ?」
 その時、ばたばたと足音がし、襖がスパーン!と開いた。
「朗報朗報!今帰ってきたヤツの最新情報だと、小平太と長次の一騎打ちだとよ!!」
 一騎打ち、という単語に血の気盛んなお年頃の面々は、おおおおお!とどよめく。
「パワーと勢いなら、小平太に分がありそうだな」
「いやしかし、長次は人の動きを読むのに長けているぞ!」
「うーん、こりゃどっちが勝っても可笑しくないなー!」
「なぁおい、賭けるか?」
「馬鹿言うなよ。するに決まってんだろ」
 どいつもこいつも無責任な事を言いやがる。一番窓際の一番後ろの席で、瞑想すうように目を綴じているのは文次郎だ。だいたいいつもこんな感じなので、「あいつ付き合い悪ぃなぁ」なんて誰も言わないし、思わない。
 文次郎が無関心を決め込んでいる間に、ろ組サバ鬼トトカルチョは人数を増している。文次郎のこめかみがヒクつく。
 その腕がバッ!と上がった。上げさせられたのだ。上げたのは仙蔵である。
「私と文次郎で、小平太に10口だ」
「5:5で??」
「いや、3:7で」
 文句は無いだろう?と問いかけるような目に、文次郎は思いっきり、首が居たくなるまでそっぽ向いた。




 そんなこんなをしている内に、1ヶ月が過ぎた。気づけば過ぎていたと言うか、そんな感じだ。時間の流れの速さは変わらないが、この1ヶ月とその前の1ヶ月では、どうにも質が違うように思えてならない。
 さて、その間にも、仙蔵の茶々が入ったり、金吾が純粋に小平太を心配しているのに無意味にイライラしながら文次郎は日常の雑事をこなしていた。そして仙蔵が言ったみたいに、かは知らないが、どうにも過去の小平太との記憶を穿り返してしまう。思い出、なんていう単語は気恥ずかしいから、あえて使わない。
 満月はとうに過ぎて、まん丸だった月がダイエットしているみたいにシェイプアップしている。これだけあっさり痩せれたら女性も大いに助かるだろう、とかなりどうでも良い事を文次郎は思っている。食堂のおばちゃんが知り合いからどっさりサツマイモを貰ったとかで、くのいち達は喜びながらも困りながらも結局は食べてしまっている。
 しかし、今夜はその月も無い。そして今は、深夜である。城でも何処でも、忍び込むのはこんな夜が相応しい。
「……………」
 まぁ、確かに大会規約には他のクラスのを覗きに行っちゃダメだよ、というのは無かった……ような気がするが。いやしないけど。絶対しないけど。
 何もしないってのは、何かし続けるより疲れるものだ。学期末の最決算で何日も徹夜している時より、今の方が余程辛い。
(-----だ・か・ら!俺は別に小平太の事を心配だとか会いたいとかンな事思っちゃいねぇんだっつーの!!!)
 厠帰り、ふと月を見上げてそのまま立ち尽くしていた文次郎は、威嚇するような険しい表情そのままで、ずかずかと足を進めた。乱暴な足取りなのに、足音が全くしないので、何も知らないで見ている人はあれ?とか思う不思議な場面かもしれない。
 いくら忍びといえども、常に気配を殺している訳ではない。なので、教師の面々も普通の時は普通に歩くし、足音も立てればくしゃみもする。そんな中でも、文次郎は常に足音を消して歩いている。もっと言えば自分の居る痕跡を残さない。昔は意識してやっていた事だが、これも一種の慣れなのか、どんなに徹夜して疲れ果てていてもその姿勢が崩れる事は無い。
 それと面白いくらいに対照なのが、小平太だ。小平太が廊下を走るとすぐに解る。どたどたと自己主張する足音を立てて疾走していくからだ。一般人以上に騒々しいそれに、文次郎は当然注意した。いやもう、注意なんて礼儀正しいものでもなかったが。何せ、出だしが「馬鹿野郎かお前!」だったのだから。しかし、そんな小鳥くらい殺せそうな剣幕の文次郎に、小平太はケロっとしていて、
「いーじゃん、別にそんなもん。まだプロって訳じゃないんだしさぁ」
 そういう問題じゃないような気がしたが、小平太が言ったのは曲がりも無い事実なので、その場で文次郎は黙ってしまった。頑固なのは長次だけど、文次郎の場合は応用がきかないんだな、と言ったのは仙蔵である。
 まだプロじゃない。全くもってその通りだ。
 仙蔵にからかわれた時とか、いつまで計算しても合計が合わない時とか、頭に血が上って感情のまま言葉を吐いてしまう。技術的にはプロに近くても、その面ではまだ半人前もいい所だ。いくら学園一忍者してると言われても、所詮学園内の事なのは自惚れないで自分で把握出来ている。
 実践を重ね、その経験を身につければ、心身共に一人前になれるんだろうか。
 そうすれば、横にいつもいる人間が居なくても、何も感じる事無く時間を過ぎる事が出来るだろう。
「……………」
 早くそうなればいい、と思う反面、そうならなくなるのは、酷く、とても、何だか、そう。


 哀しい


 と、思ってしまう。
 ならばやっぱり自分はプロではないのだな、と、今の自分の格好の寝巻き姿と、忍たま長屋という場所を合わせて変な納得と安堵感を覚えた。
 このまま真っ直ぐ行けば自分の部屋が、そして見る事は出来ないが、隣の長屋に小平太達の部屋がある。個々に部屋があるという事は、まだプロじゃないから、だから、


(だから、まだ一緒に居てもいいんだよな、俺達は)


 なぁ、こへ


 丁度頬を撫でるように吹いた風に、それにそっと乗せるように思ってみた。そのまま届くようにと。
 その時、後ろ斜めでガサッという音がした。実際はそんな大きな物じゃないが、文次郎が感知するには十分だった。
 時間と場所を考えると、客人には思えない。
 こんな時、文次郎は誰だ、なんて丁寧に聞いてはやらない。相手の居場所を気配で察し、後ろに回りこんで懐に忍ばせている短刀を、喉元につきつけるのだ。
 しかし、今回はそうもいかなかった。
 何故なら、相手はこう言ったからだ。


「もんじか?」


 その声を聞いた途端、張り詰めていた自分を取り囲む空気がふ、と緩んだのを直に感じだ。紙風船をぺしゃんこに潰すより呆気なかった。
 がさがさと茂みを乗り越えて来たのは、文次郎の予想を裏切らない人物だった。
「あぁ、やっぱりもんじだ」
 へらっと笑ってみせる。ここ最近は見ていなかった、慣れ親しんだ表情。
「……………」
 こへ、と呟いた声はちゃんと相手に届いただろうか。
 小平太が、居る。目の前に立っている。今まで自分の側に居なかったのが嘘に思えるくらい、当たり前に居た。
「こへ」
 もう一度呟いて、縁側を降り裸足で駆け寄った。
 言いたい事は一杯あるのだ。どっちが勝ったんだとか、どうだったとか。……怪我はしてないのか、とか。
 なのに何も口から出てこない。
 目の前に小平太が居る。自分の中には、それだけだ。
「こんな時間まで起きてー。ダメなんだぞー、早く寝なくちゃ」
 あはは、といつもに比べ、何処か空振っているような笑い声だった。一頻り、そんな声を上げて、ひた、と文次郎を見据えた。
 一瞬、その時の顔が、一緒に見ようと思っていた満月より綺麗に思えた。


「ただいま」


 そして細い三日月より儚いぐらいにふうわりと微笑んだ。
 と、小平太の体がぐらりと傾く。
「こへ!」
 慌てて抱きとめるが、小平太は持ち直そうとはしない。ずっしりと、腕に小平太という人間の重みが圧し掛かる。
「おい!………っ?」
 顔を覗きこんでみれば、とても苦痛とは無縁の呑気な表情で、零れている呼気は寝息ではないだろうか。あ、涎出た。
「…………っ、こ、」
 人を焦らせといて、熟睡ぶっこくとは何事だ、と思いっきり拳骨を落としてやろうと思ったが。
 ふと見れば、小平太はまさに満身創痍、といった感じだった。学年服ではない漆黒の忍び衣装は、あちらこちらに切り傷がつけられ、それは皮膚に達しているのもあった。今寝ているのも、おそらく本当に体力を全部出し切ったからだろう。
 ふー、と文次郎は、細く長い溜息を吐いた。その溜息は、ここ最近文次郎の中で溜まっていた何かを全て吐き出した。
「……馬鹿者が。体力の配分くらい考えろ。本当に使い切ってどうする」
 全く、こんな事でプロになれるのか。
 でも、今はプロじゃないから。
 見過ごそう。無様に眠りこけているのも、それが嬉しいのも。
 小平太を抱えなおし、彼の部屋へと行く。
 そう言えば、どっちが勝ったんだろうか。
 それは、小平太の腰に括られた紐が教えてくれた。




<終>





終わりと見せかけてもうちょっと続く。
もんじ煮えきらんなー。