あぁ、なんでこんな事になったのだろう。
小さい丸に切り取られた夜空を見上げ、金吾は誰に言うともなくただ思った。何故って、此処には自分ひとりしかいないから。
此処は枯れ井戸の底であった。
体育委員として、実習で使った罠や仕掛けの類が残っていないか、森に見回りに来たのだ。罠には注意した。仕掛けにも気を配った。しかし枯れ井戸に落ちてしまったのだ。
(ああああ〜、どうしよう、どうしよう!)
頭を抱える金吾。
授業が終わってから来たので、もう外は夜になろうかという時刻だ。さすがに夜更けになれば、探しに来てくれるだろう。
でも。
その間に、野犬とかが来たら?あるいは、何かの拍子でここの穴が閉じてしまうような事があったら?
白骨化した自分を想像してしまい、頭がパニックしかける。が、こんなときこそ落ち着いて深呼吸だ。慌ててしまっては何も出来ない。
しかし、落ち着いて何が出来るかと言われれば何も出来ない。
「………………」
は組の皆が骸骨になった自分に、おいおい泣いている光景が脳裏に浮かぶ。
「………ぅ………うわぁぁぁぁん!誰かッ!誰か助けてよ--------!!」
この状況で叫んでも、体力が削れるだけで良い事はひとつもない。でも、叫ばずにはいられなかった。
「だ----れ------か----------!!!」
「----金吾かッ!?」
「!?」
少し間抜けな話だけども、自分の声に返事があって、金吾はとっても驚いた。誰かを呼ぶ為の大声だというのに。しかも、この声は。
「七松先輩!?」
「おー、やっぱり金吾かー」
ざかざかと大きな足音が近づいてくる。そして、ひょっこりと顔を見せた。やっぱり七松先輩だ。
「はっはー。思いっきり落ちちゃったな、金吾!」
豪快に笑ってそう言い、それからちょっと端に寄れ、と命じる。言われるままに側面にへばりつくと、スタッ!と小平太が落ちてきた。というか降りてきた。
「……………」
端に寄ったと言え、井戸の中である。そんなに広くはないし、実際降りてきた今だって小平太は自分のすぐ側だ。なのに、自分の身体に当たる事なく着地した。いっそ簡単に見えるくらいだが、勿論そうではない。最高学年、という単語が頭に過ぎる。
「大丈夫か金吾、どこか怪我してないか?」
「あ……ちょっと足首を……」
「捻ったか。ヨシ」
懐から手ぬぐいを取り出し、引き裂きて太いひも状にして足首に巻いていく。その手際の良さにも感心した。これだけを見るなら、自分の担任と変わらないように思える。
「あー、少し熱あるな。今日は風呂入っちゃだめだぞ?」
「あ、はい。……その、先輩、どうして此処に?」
ようやく訊けた。小平太は、あぁ、と返事をし。
「お前の同室の、あのナメクジ大好きっ子がな、庭でうろうろうろうろしてたんだよ。で、声掛けたら約束したのに金吾が居なくて、金吾は約束破るようなヤツじゃないのに、って言ってて、お前が見回り当番なのを思い出してまさか、と思ってきた訳だ」
そういや、今日喜三太と約束してたな、と思い出した。別に忘れた訳じゃないけど、ここから出ることばかり考えていたから。
「ほい、と」
髪で作った組紐を付けたクナイを軽く放り上げる。軽く、に見たが同じ力加減で自分がしたら、絶対半分も届かないだろうな、と金吾は思う。
小平太は数回紐を引き、ちゃんと刺さってるのを確認する。
「金吾、私に掴まれ」
「え、は、はい!」
「しっかりだぞ。ちゃんとだぞ」
そうしないと落ちるぞ、と、言う。多分冗談ではないので、金吾はしっかりしがみ付いた。
「行くぞ!」
「わ、わ、わぁ!」
ガクン、ガクン、ガクンッ!と大きな衝撃が3回くらいした。そして、本当にあっという間に地面に出ていた。
「……………」
木、草むら、地面、空。当たり前の風景が其処にある。視線を変えれば、学園が見えた。
あぁ、自分はあの井戸の其処から出れたのだ。そう思った途端、堪えていた不安とかが、気が緩んだせいで一気にあふれ出し、それは涙となった。
「うっ、……う、ぅ……うわぁぁぁああああっ!」
「お?金吾どうした?」
ぐしゃぐしゃっと髪の毛を掻き混ぜるように撫でられる。安心する。とても。
「も、もうっ、ひっく、もう、あそこから出れないで、うぇっ、あのまま、死んじゃうんじゃないかってッ、うわ〜ん!!」
小平太は、またぐしゃぐしゃ、っと手を動かして。
「ははは、バカだな、金吾。明日になったら嫌でも実習に来た生徒は来るんだし、私が来なくても教師の誰かが探したさ」
「はい〜……」
ぐずぐず、と鼻を啜る。
見っとも無く泣いてしまった。
それでも、小平太は気にするでもなく、いつもの通りだった。
「さーて、帰るか!そろそろ晩飯だしな!」
「はい。……ぅ、うわぁ!」
ひょい、と担ぎ上げられ、肩車された。
「それー!行くぞー!!」
「わぁー!ちょっと七松先輩!枝!枝危ないですって-----!!!」
「気合でかわせー!そんなもーん!」
「えぇー!!」
あぁ、やっぱり七松先輩は七松先輩だ。
帰った金吾は枝と葉っぱだらけで皆を驚かせた。
で。あくる日。その時金吾は竹箒で落葉を集めていた。
と、何か話し声が聴こえる。好奇心が旺盛なのは、は組全員の長所で欠点だった。声のする方向へ、こっそり足を進める。何かが聴こえる、というレベルから、話している内容が聞き取れるようになった。
「なんと言われようと!今日中に書類を提出しなければ、体育委員の予算はゼロだ!」
「えー!」
と、叫ぶ小平太と一緒に、金吾の心の声も重なる。予算が無かったらボールが買えないし、ボールが無かったら体育委員が文句を言われてしまう。最も原因が体育委員(長)なのだから仕方無いといえば仕方ないが。
「お願いだよ、もんじ〜。なんでか今日に限って課題が多く出ちゃって、ちょっと予算案まとめるのはキツいんだよ〜」
だからあと一日だけ待って、と縋る小平太に文次郎はにべも無い。
「そんなもん知るか。だいたい昨日、何をやってたんだお前は」
そして、金吾は今の状況を掴んだ。
小平太は予算をまとめた書類を出してなくて、文次郎に咎められている。そして、その書類は、自分を探していた為に完成出来なかったのだ。
「----潮江先輩!」
気づけば、潜んでいた草むらから飛び出ていた。2人はそれに驚かなかった。気配はすでに感じていたのだろう。
「あぁ!?」
勇んで飛び出たが、それこそ般若みたいな顔に睨まれ、蛇に睨まれた蛙よろしく硬直する金吾。
「こら!」
しかし、そんな恐ろしい形相の文次郎の頭を、ぱっかーんと小平太はどつく。
「そんな怖い顔をするんじゃない!金吾が怯えるだろう!」
っていうかすでに怯えてるんだが。
「悪かったな、怖い顔で。……で、何が俺に用か。一年坊主」
下らない事で俺を煩わせるんじゃねぇ、と雰囲気だけでありありと解る。そのまま、すいません何でもありません、と帰ってしまいたかったが、へその下に力を居れ、根性を出す。
だって、七松先輩を庇えるのは自分しかいないんだから!
「潮江先輩!七松先輩は、昨日枯れ井戸に落ちてしまった僕を探しに来てくれたんです!だから、書類がかけなかったんです!」
険を含んだ視線が自分を突き刺す。
がたがたと身体に震えが走る。振り絞った勇気が尽きてしまう前に、言うべき事を言わないと。
「で、ですから、ですから!」
金吾は言った。
「な、七松先輩を、苛めないでください!!」
「いっ……!?」
予想外の言葉だったのか、眼を丸くする文次郎。あ、珍しい表情だ、と一瞬呑気に眺めてしまった。
「苛めるって……苛めるって何だぁ!?」
「ひぃぃぃぃぃぃぃッッ!!」
勇気を使い果たした金吾は、感じる恐怖のままに悲鳴を上げた。
「だから、怖い顔するなッ!」
またしても文次郎の後頭部をどつく小平太。
そして、金吾に向き直り、ニカッと笑いかける。でもって。
んぎゅうぅぅぅ!!と抱き締めた。
「な、七松先輩〜……!!」
苦しい、と言う言葉は届いただろうか。
「私を庇ってくれるのか、金吾ー!嬉しいぞー!!」
ああああ、ぶんぶん回さないで回さないで。
気の済むまで振り回され、そして、ようやく地面に降ろされた。眼がくらくらする。
「でもな、金吾。お前が気にする事じゃないぞ。締め切りはとっくに過ぎているんだから、お前が行方不明になってもならなくても、どのみち私は怒られてたさ!」
それは堂々と言う内容じゃないと思います、先輩……
自分の立場を忘れてうっかり突っ込む金吾。
「でもありがとうな。先輩思いの後輩を持って、私は幸せ者だな」
臆面もなくそう言うので、気恥ずかしくなってしまう。でも、いやだとは思わない。
「----じゃぁそういう事で」
と、どういう事なのか文次郎が言う。
「今日中に受理出来なければ、予算ナシ」
ぴしゃり、と言い捨てるように告げ、その場を去った。それと同時に、小平太ががっくり肩を落とす。
「あー……もう、必死に計算しないとなー……」
苦手なんだよー、こーゆーの。と嫌いな物を出された子供みたいな表情をする。
「あ、あの!」
金吾はそんな小平太に声を掛ける。自分のせいではない、と言われたが、それでも昨日あんな事にならなければ、小平太はちゃんと今日、書類を提出出来たのではないか。
「僕にも、出来る事があれば!僕だって、体育委員ですし!あまり、役に立つとは思えないけど……」
いかん、自分で言ってて気落ちしそうだ。
俯いてしまった金吾の頭に、ぼふ、と何かが乗る。小平太の手だ。
「そーだなー。食堂行ってる暇も無さそうだから、食事を持ってきてくれると、凄く助かるな」
「……は、はい!」
見上げた小平太は、やっぱりにかっと笑っていた。
「じゃぁ、僕は七松先輩に届けてくるね!」
金吾が意気揚々と言う。
もっと小さく言えよ。どうせ伝えるのは数人だけだろ。食堂中のヤツら全員に言ってるのか。などという事を心の中で高速で思ったのは文次郎だ。
「メシを食ってる時くらい、眉間の皺は消したらどうなんだ」
と、言うのは仙蔵。普段側には寄らないくせに(お前の顔を見ながら食べると飯が不味くなると悪びれも無く)、何故か今日は対面に居た。いや、今日だからこそ、居るというのか。
「まぁ、仕方ないか。2日連続で小平太を取られたのだからな。食事も、運んでやるつもりだったのだろう?」
「……………」
そんなアホなセリフに返事してやる義理は無い、と魚を頭からぼりぼり食べる。骨なぞ知った事か。栄養になって丁度いい。
「油断大敵火がボーボーだぞ、もんじ」
クク、と意地悪そうに笑い、食事を終えた仙蔵は、ご馳走様でした、と手を合わせて空になった食器を持ち席を立つ。
文次郎がどうやら喉に骨を刺したらしく、口に手を押さえて悶絶していたがそんな事は気にも止めなかった。
そしてその夜中。
完成した書類を意気揚々と持ってきた小平太に、素っ気ないどころかあまりにぞんざいな対応を取った為、それにカチンと来た小平太と仙蔵の強制ストップ(宝禄火矢)が入るまで言い争いをし、それで追った火傷の為にクスリを貰いに保健室に行けば伊作に「おまえ、こへを苛めたんだって?だめじゃないか」とあのセリフが結構な人数に聴こえてた事を知り、まさに踏んだり蹴ったりな文次郎だった。
<おわり>
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