「雷蔵先輩は気にならないんですかー?」 「へ?何がだい?」 無邪気に尋ねる小さな後輩----乱太郎に答える雷蔵の表情は、無防備だ。 「鉢屋先輩ですよ。雷蔵先輩の顔ばっかりしてるじゃないですか」 「うーん、そうだねぇ」 軽く苦笑しながら顎に手を添える。 確かに、普通の人ならば、自分と全く同じ顔が居る、というのは気持ち悪いとまではいかなくとも、あまりいい環境ではないだろう。 けど。 「慣れたからね」 最初の頃こそ、乱太郎が言うようにやめろよ、と言っていたが、もう諦めたかというか、あの三郎が他人の意見を聞き入れるとは思えないし。 「先生方は何も言わないんですか?」 例えば自分辺りがしなたのなら、土井先生なり山田先生なりに怒鳴られそうなものだが。 「まぁ、どれが鉢屋か解りにくい、て文句も言うけど、それはそれだけ三郎の変装が完璧だって事だしね。 歓迎はしないけど、強制的に止めさせるのもしないんだ」 成る程……と納得はする。そう言えばいつだったか5年生担任の木下先生が、カンニングをやられて笑っていたのを思い出す。 が、それがどうして雷蔵の顔なのかは釈然としない。他にも一杯変装しがい(?)のある顔はあるじゃないか。 「それにね」 と、まだ首を捻る乱太郎に雷蔵は付け加える。 「隠密に事を運ぶ忍びにとって、顔が割れてない、ていうのはまさに切り札なんだよ」 自分なんかの一年生でも、質問にちゃんと答えてくれる雷蔵。先輩=意地悪という図式を完成させてもいいようなこの学園で、乱太郎でなくても誰にとってもかなり稀有な存在だ。 それでもやっぱり雷蔵先輩でなくても、と乱太郎は思うのだった。
そんな2人の側の樹の天辺に近い枝で。 (切り札……ねぇ) 今、乱太郎に質問を受けている雷蔵にそっくり、いや、そのものの顔を持つ人物。 こちらは、話題にされている鉢屋三郎であった。
クラスの役割で保健委員を担っている乱太郎は、トイレットペーパーを取りに来ていたのだ、という目的を思い出して雷蔵に別れの挨拶を告げて去った。雷蔵は、その道の途中で出会ったらしい。 またね、とにこやかに手を振ってみせる雷蔵。 「………いー先輩だよなぁ、雷蔵は」 「うひゃぁあああッ!?」 どん、と肩と背中に重みが乗った、と思ったら首に息がかかるくらいの至近距離で囁かれた。 思わず、素っ頓狂な声を上げる雷蔵。 「さ、さ、さ、三郎!!いきなり何するんだよ!!」 「俺を責める前に簡単に背後を取られた自分を改めろ」 ピシャリと言われてう、と詰まる。 将来自分は忍者となる身。それを踏まえると正論なのは鉢屋の意見だ。 「……だいたい何処から沸いて出てきたんだか……」 「………人をボーフラやアオミドロみたく言うなよ」 雷蔵の言葉にちょっぴりダメージを受けた鉢屋だった。 「あの樹。さっきからあの上に居たんだよ」 振り向かずに後ろを親指で指差す。 ひょい、と身体をずらして三郎の指し示す樹を見て、え、と声を洩らした。その木の位置が結構な至近に在ったからだ。 「だったら下に降りてきてくれても良かったのに」 「なにやら雷蔵さんが可愛い後輩と語り合ってたものですから」 鉢屋はあからさまに拗ねて見せた。 「ぁ………」 そうしたら、いかにも申し訳ない、と雷蔵の眉が下がる。 これが予想外の展開だった。何故って雷蔵は鈍感・オブ・ザ・キングに任命できる程鈍くて、真剣に「好きだ」と正面きって言ったとしても「そう、ありがとう」とにこにこ答えるだけなのだ。 どうやら友情の類に入る”親愛の言葉”として受け入れたらしい。勿論鉢屋はそんな生温い気持ちで言ったわけではない。断じて無い。 言葉の威力の虚しさに、何度遠い目をさせられた事か。 それなのに。このリアクション。 ようやく。 ようやく春が迎えられるか-----? 「そう……だよね。ごめんね、気づかなくて」 いやいや、解ってくれればいいんだよ、雷蔵。さぁ、今までの分も…… 「君も乱太郎君とお話したかったよね。何てたって可愛いし、一年生」 ずっこけそうになるのを持ち前の強靭な精神で何とか持ちこたえる事に成功。 そんな鉢屋の状況は露知らず、僕らもあんなだったんだよねー、とか楽しげに話す雷蔵。 そんなお前も可愛い。可愛いんだけども……!! 「なぁ、雷ぞ………」 「ッあー!!」 何事か言おうとした鉢屋のセリフを雷蔵の絶叫が遮った。 「大変、三郎!もうすぐ授業始まっちゃうよ!!」 太陽の傾きなのか影の長さでなのか。 少ない情報源で時間を計った雷蔵は、何だかんだで優秀だ。いくら鈍感でも。 鉢屋は色々言いたい事があった。それはもうあった。 が、早く早く、と自分の手を引いて走る雷蔵にふにゃりと絆され、喉元までスタンバってた文句の数々は吐き出されることなく昇天していった。
素顔を知れてないのが、俺の切り札? とんでもない。俺の切り札はお前だよ、雷蔵。 状況次第によっちゃ、お前を出された俺は首を差し出すしかないんだからな
|