去年の今頃にはもうなってた。平手に抱えてもらって取った、といくら主張しても回りからの反応は、「まだ早いですよ」と苦い、けれども柔らかさもちゃんとある笑みにて返される。 一益には抱きかかえられ、ほら、まだでしょう、と実物を見せて悟らされた。 そのまま飛びつこうとする自分を察知したのか、さっさと降ろされてしまった。それにちょっと不機嫌になり、一益の前を小さな身体で大きく歩く吉法師は、実はまだ、それでも諦めてなかった。 だってあげたいんだ。 あんなに嬉しそうに話を聞いたあいつに。
此処での日吉の立場は少し微妙なものにある。と、いうのも他の城などでは、まずお目にかかれないような役職であり、あえて言うのであれば、この城の小さな主君の、帯刀を許されてはいないお目付け役、とでも現されるのだろうか。 生粋の農民出身である自分が、ある意味全く正反対なこの世界に身を置く経緯はとても奇妙な偶然の積み重なりであり、それをひっくるめて簡単に述べれば「吉法師様に拾われた」という所だろう。 勿論それを不満に思う訳もなく、それどころか与えられたその役職を、自分の出来る範囲以上の事を、と奮闘する次第だ。 とはいえ、それも目的というか、対象がいないと話にならない。 吉法師のお目付け役、日吉だが、その実---- 「吉法師様ぁぁぁぁぁぁぁぁぁッ!!き----つ-----ほ----う---し---さまぁぁぁぁぁぁぁぁッッ!!」 吉法師探し役、である。一部ではそのように改めた方が、とか囁かれてるらしい。 日吉の主、吉法師は目を離すとすぐ何処かへ行ってしまう。それも比喩でもなんでもなく、本当にちょっと目を離しただけで、大げさに言えば瞬きをする間にも何処かへ行ってしまうのだ。 そりゃぁ確かに、この位の自分もじっとしている事はなかったが、前述もした通り、自分は農民で吉法師は後の大名だ。しかし吉法師はそんな風に自分を縛られるのを何よりも嫌った。そんな気持ちは解らないでもないが。 剣術も知らない、馬にも乗れない。かと言って戦術にも長けていない自分に出来る事と言ったら、万一に備えて常に吉法師の側に居る事、それしかないのだ。 そうすれば自分は盾になって吉法師を護れるのかもしれないのに、何処かに居るのか解らないのであれば、全力疾走で駆け回りながら、大声で吉法師の名前を呼び、探すしか出来ない。 「き---つ---ほぉぉぉぉぉおおおおッ!!?」 「えぇい、煩い-------ッッ!!」 頭に何かがスカーンと当たり、日吉の叫び声は中断された。 そうしたのは、まさに名を叫ばれていたご当人だ。 日吉はあいててて、と何かをぶつけられた頭を摩りながらも、飛んできた物体の方向を探り吉法師の場所をつきとめた。 「あぁッ!!吉法師様、そんな所にッ!!」 そんな所とはこんな所だった。 柿の木の枝。そこにちょこんと座っていた。 しまった、と吉法師は痛い顔をした。 つい、思わず実を投げてしまった。 あまりに大きな声で自分の名前を呼ぶのだから、とうとう無視出来なくて、なによりあんな音量で叫びながら走っていたのでは、喉がやられてしまうのでは、いや、それでは自分がまるで心配しているみたいじゃないか。 う〜と自分に言い訳を探す吉法師であった。 と。 「吉法師様!!」 「うわぁッ!?」 不覚にも驚いてしまった。 だって今のさっき、下に居たもう日吉が自分の側まで来ていて。 同じように木登りが出来ても、片や見つけられ次第降ろされる者、片や邪魔される事無く登り放題出来る者とでは差が生じるのだろうか。 「ほら、降りますよ」 「----嫌だ!!」 案の定、というか吉法師が反抗するのはいつもの通りだ。 がしぃ、と身体全部を使い枝にしがみ付く。 「まだ、だめだ!!」 まだ?まだとはどういう事だろうか。 普段とは違うリアクションに、日吉は首を傾げる。 そんな時。 -----みし。 「…………吉法師様、今何か嫌な音がしませんでしたか?」 「…………気のせいだろ」 と、言う吉法師の顔も引きつっている。 「や、やっぱり早く降りないと……!!」 「だから、気のせいだと……!!」 みし。みしみしめきめきぎぎぎぃぎぎぎぎぎ。 バギバギメギィィィィッッ!!! 憐れ、枝は二人の重量に耐え切れず折れてしまった。 「わーッ!!」 と叫んだのはどっちだったか、いやそんな事どうでもよい。 落下する体、風のすぐ側を通る耳、地面の迫る視界。 これから来るだろう衝撃に耐える為、吉法師はぎゅ、と唇を噛み締め、目も綴じた。 しかし、吉法師が感じたのは、自分の身体を包む、温かい感触だった。
布団に寝ていた。 ぱち、と目が覚めた。 すると天井が見えた。 「-----ッ!吉法師……ッ!!」 セリフが途切れてしまったのは痛みの為だった。頭からも身体からも感じる。 「おぉ、気づかれたか」 という声は平手のもので。側には一益も控えていた。 「き……吉法師様は?!」 全身打ち身だらけだというのに、まず吉法師、という日吉の行動を、二人は天晴れだと思った。 「そんなに心配せんでも、吉法師様の身体には傷一つついておらん。 ----いやしかし、庭から「日吉が死んだ」と泣き喚く声が聞こえた時には何事かと……」 「----平手殿!!」 一益の声に、平手は「はぁぁッ!しまった!!」と慌てて口を手で押さえた。 どうやら口止めされてたらしい。 「それで、吉法師様は、何処へ」 痛みは相変わらずだが、原因を知っていればそれほどでもないし。 何より、吉法師に会いたかった。
今度は見つけるのは簡単だった。 庭に面している廊下から、ぶらぶらと足を放り出している。 「吉法師様、あの、すみません。驚かれたでしょう?」 木から落ち、吉法師を最優先にしたから自分は強かに地面へと激突した。それで、どうやら気を失ってしまったらしい。 いくら声をかけても目を覚まさない、というのは幼子には結構ショックな出来事だ。 吉法師は別に、とだけ答えた。 あえて見る真似はしないが、おそらく目元などは赤いのではないだろうか。 「柿の木は折れ易いんですよ。折りにくい木を知ってますから、今度はそれに登りましょう。 俺が見ているなら、登ってもいいですよ」 それでは意味がないのだ、とでも言いたげに、吉法師は顔を歪める。 「----て、そういえば、どうしてあの木に登ったんです?」 此処にはいくらでも木がある。 それこそ、下の方から枝の生えている、いわゆる登り応えのありそうな木だってたくさんあるのだ。 なのに、あんな登りにくそうな、あの木だった。 しばらく吉法師は沈黙を護っていたが、やおらぴょいん、と地面に降りた。 あ、と声をかけようとする日吉に、 ----ッスカーン!! 目の間のちょっと下……鼻の始まりあたりに何かが勢いよくぶつかり、これは痛い。 思わず滲んでしまう視界の中で、吉法師が自分に向かってあかんべをしたのだけは解った。 今日は色々ぶつかる日だ、と吉法師を追いかけようとした。が、手にぶつけられた物が当たった。 それは、柿だった。 といっても、よく目を凝らしてようやくほんのり橙に色づいているな、が解るくらいの実で。しかし他の実と比べれば、まだ柿らしかった。 えーと、と日吉は考える。 吉法師が木に登っていた事。吉法師が柿を持っていた事。木から下ろそうとした時、まだ、と言った事。 何より、数日前。 去年、平手に抱っこしてもらって柿の実を取った。とても美味しかった、と吉法師は自分に話してくれた事。 その話を、自分は嬉しそうに聞いた。 最も、自分に話してくれるのであれば、日吉はどんな話でも嬉しい。 ともあれ、日吉は考えた結果、その柿の実を大事そうに懐にしまって、 「----吉法師様!」 また、追いかけっこが始まった。
その数週間後、日吉もっと頑張れ!!すいません、これ以上は!!と柿の木の下で、吉法師を肩車し、つま立ちをしている日吉の姿があった。 木には鈴なりに実がなっているのに、吉法師が取れたのは、まだ一つだけだった。
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