本屋へ行った帰り。 はやりこんな町中では自分の眼鏡に適う本は無くて、収穫も無く殆ど散歩のようなものになってしまった。 今度街の方へ行こうか、などと考えている冠に喧騒の一角が耳に入る。 「……ねぇ、いいじゃーん。遊ぼうよ?」 どうやら誰かが誰かをナンパしているらしい。 こんな時期にも盛るなんて、万年発情期の人間らしい、とそのまま通り過ぎようとしたら。 「……じゃから、オレ用事があるんじゃ!早く帰って店手伝わないと!!」 思い切り聞き覚え所か常日頃耳を大きくして聴いてる声に、冠はズルゥ!と軽くこけた。 (な、な、な、東くん!!?) キョロキョロと見渡して、見つけた。向かい側の通りで、東が頭一個高い男に通せんぼされていた。 「あーもう、腕離せ〜〜〜〜ッ!!」 腕!?腕を掴んでいるのかコンチクショウ!! 今だったら諏訪原もしり込みしそう闘気を漲らせ、冠は東の所へ急いだ。
東は力一杯自分を拘束している男を睨んでいる。 本人は睨んでいるつもりだが、上目遣いが強調されて可愛いだけだ。 「俺と一緒に来てくれるなら、離してアゲルv」 「それじゃ意味ないんじゃ〜〜!!」 あまりに勝手な言い草に、東はどうすればいいのか解らない。 天性のパン作りの才能があっても、他は普通の15歳なのだから。 「離せと言っとるんじゃー!!」 ブンブンと腕を上下に振る。振っただけだった。相手の手は離れない。 「はっはー。可愛いリアクションしてくれるねー♪」 「いッ!?」 ぎゅう、と圧迫と息苦しさ。そして生温かさ。 事もあろうに東はすっぽり抱き締められてしまった。これから自力で逃れるのは少し難しい。 一方、ナンパ男の方は東の感触を堪能していた。 「あー、髪の毛ふわふわだしーvシャンプーは何使って…………」 男のセリフが途中で途切れた。 と、いうのも、後ろから感じる寒気が、季節の風物詩の木枯らしからではないと判断したからで。 ギギギ、と油の切れたブリキのオモチャみたいな動きをして、後ろを見ると。 そこには、バックに龍でも見えそうな雰囲気を纏った冠が居た。 「一体、何をしてるんですか?」 ニコニコニコ、と。 微笑んでいるが、それが表面だけの恐怖を駆り立てるだけのものなのは明らかだった。 「さっさと彼から離れてください」 冠がそういうと、男は、 「エッ!?彼って……男ォ!?」 「最初からそう言ってるじゃろが」 むーん、と不機嫌に眉間に皺を寄せる。どうやら東、女の子として見間違われたらしい。 (無理も無いかも。背はそんなに高くないし、目は大きいし……しかも今は、カチューシャしてるしなぁ……) オフは前髪を垂らしているのだが、今日は空き時間にちょっとそこまで出かけただけなのか、髪をアップしたままだった。 (その上、華奢な体躯に無邪気な笑顔。なによりあの天然っぷり。これは、声を掛けられない方が可笑しい) ナンパしていた事に激怒していたというのを棚に上げて、1人うんうんと頷く。 東は誤解が解けた事に安堵していた。男も何処かへ行ってくれたみたいだ。 「冠、ありがとな。オレ1人じゃどうしていいか解らん所じゃった」 ニカ、と笑う。 よく笑顔を”太陽のような”と現すものもあるが、東を見るとその意味が解る。 「いえ、何でもありませんよ、あれくらい。 東くんはこれから買い物でも?」 「うんにゃ、もう済んだぞ」 ほれーと買い物袋の中身を見せてくれる。おそらくはパンに使われるだろう材料。けれど、冠にはどう関係してくるのかが解らない。 いつもこうして、自分には考えの及びもしない発想を思いついては、それを実行に移し、今までに無い美味を見せてくれる。 東を見ていると、自分を夢中にさせるために産まれたんじゃないのか、などと思ってしまうくらい、興味が尽きない。 (逆かも。東くんに夢中になるため、僕は産まれた) どっちでもいいや、と非科学的な想像に結論をつけた。 「じゃ、帰りましょうね」 と、さりげない演出を狙って、手を握った。 自分では自然な流れだと思ったのだが。 「を?」 東はそれに敏感に反応する。 何するんじゃーと手を払われたらどうしよう…… 表面は平素だが、内心冷や汗を流しまくっていた。 「冠って………」 「はい?」 「手、温かいんじゃな!!」 「………はいぃ?」 にぱにぱと楽しげに笑う東は可愛くて、それは全然オッケーなのだが、言われた事が理解の範疇を外れた。 「オレ、こんなに温かい手は初めてじゃ」 「え、そんな筈は……」 東くんの手も充分温かいでしょうと言おうとして、気づいた。 自分の手の方が温かいという事は、他人の手は冷たく感じてしまうという事。 何だか皮肉げに思えてしまう。 誰よりも温かいからこそ、温かさを感じる事が出来ないなんて。 自分も同じ境遇だが、そんな事は気にも止めず過ごしてきた。そもそも素肌で触れ合う事も無かった。こうして。 パン作りに便利な道具。それくらいしか、思ってなかったけど。 「東くん」 「ん?」 すりすりと両手で握ってくる。余程嬉しいのだろう。温かい手が。 「僕の手は、温かいですか?」 「おう!」 「だったら……時々、こうして手を繋ぎましょうね」 「おーぅ!!」 大歓迎じゃ!と言う笑顔。 この笑顔を引き出せるのは、同じくらい温かい手を持つ自分だけなのだと、優越感に浸る。 あぁ、やっぱり。 東くんに夢中になるため、僕は産まれたのかもしれない。 じんわりと溶けるような温かさを手に感じ、冠はそう思った。
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