早ければ明日、謎解きをしてくれるよ、というのが昨夜呉を交わした最後のセリフだった。
で、朝。
「じゃ、早速行こうか」
朝食が整わない内に店長が姿を現し、唐突に言う。
「遺書の所に」
「紅茶の魅力はね、」
と店長は言い出す。
場所は、ジー様の書斎。ティーカップ部屋と言った方が覚え易い人だ。
「味も香りもだけど、色もあるんだ。ゴールデンリングと言ってね、紅茶を注いだ時、ティーカップ周縁に金色の輪が見えるんだ。これが出来るのが、美味しいセイロンティーの条件なんだ」
ちなみに、ゴールデンリングというのは専らセイロンティーに言うんだ、と付け加える。
「それでね、ティーカップにも定義、鉄則という堅苦しいものじゃないけど、選ぶ時は紅茶の魅力を損なわないものがいいよね。
まず、香りがよく立つ様に横に広がったもの、そして飲み口が薄手のもの。分厚いと飲みにくいからね。まぁ、あんまり薄いとすぐ冷めちゃうけど。
そして。内側の色が白いもの。色を愉しむ為にね」
徐に、店長はひとつのティーカップを手にした。
「それを踏まえると、」
おそらく、ジー様が作ったか作らした4つの中のティーカップの、紺色で湯のみみたいにごつごつした表面のもの。
「このティーカップは、上の3つの条件の、2つも破っているね」
沈黙が流れる。早く続きを行ってほしそうに良子さんがしている。
そして、店長はペーパーナイフを取り出した。
で。
まるでじゃがいもを剥くみたいにティーカップに刃を当てる。
「あ!ちょっと……!!」
止める間も無く、店長は手を動かす。
すると、ぽろっとティーカップの表面が落ちる。良子さんは顔面蒼白になったが、冷静になってみれば、ペーパーナイフ如きで陶器のカップがそんな簡単に削れる訳がないだろう。
そう、だからつまり。
濃い紺色が剥がれ落ち、その下から、白いティーカップが現れた。良子さんも、青い顔色が元に戻っていた。
店長は、ティーカップの其処をワタシ達に向ける。
「ほら、あったね」
カップの白い内側に、遺書が書かれていた。
「……あれって、遺書として有効なのかな」
呉がこそっと訊く。
「まぁー本人が書いたという確かな証拠があるなら、チラシの裏でもいいみたいだし」
だから、ティーカップの其処に書いてあっても大丈夫……だと思う。
「ありがとうございます!!」
良子さんが、わずかな距離を店長に駆け寄る。
「本当に、本当になんてお礼を言ったらいいのか……!!」
「いやいや、君に礼を言われる覚えは無いよ」
「そんな、出来る限りの事は……」
「だって君は本物の孫じゃないから」
てっきり謙遜だと思っていた店長のセリフが、ダイレクトにそのままだと解り、良子さんが止まる。
「……な、」
それは失敗笑みになった。
「何を、言ってるんですか?」
「だって、本物は左利きで小柄な人だからさ」
「…………」
ニセ孫はまた止まった。
「小柄はともかく、左利きなのは手紙で解ったんだ。だって悪いペンで書いてたのに、紙面が全く汚れてなかったんだから。右利きの人が縦書きすると、どうしても前の文は書いている手の下になっちゃうからね」
「でも、そーしないよーに気をつけていたのかもしれませんよ?」
呉が呑気に言ってみる。ようやく面白いことが起こった。そんな顔で。
「そんな事をするくらいなら、ペンを変えるさ。何も物資の少ない極限状態だった訳じゃないんだからね」
そう、デザインも洒落た手紙を書く人だ。ペンくらいざらに持っているだろう。
「でも、君は右手でドアを開けたね。その後の仕種を見ても、右利きだった」
開けた時、髪は右肩に掛かった。右手で開けたからだ。
「その時気づいたのはまだあってね。料理を作っていた割には、付け爪をしていたり、化粧もしていた。化粧は別にやっちゃいけないって程でもないけどね、付け爪はどうだろう」
「…………」
ニセ孫は何も言わない。
「それで小柄と言うのはね、この本だよ」
と、店長は「不思議の国のアリス」を指差す。
「すごく中途半端な位置に入っているじゃないかい?君の腹の辺り。
何となく手にして、何となく戻したら、だいたい胸の辺りの位置になると思うね」
「本物さんはこの本を手にしたんですかー?」
しつもーん、とこれまた呑気に呉が言う。店長も乗って、いー質問だ、呉君、とか言い出した。
「だって、思い出の品だよ?絵本の類はこれしか見られないのだから、本人自身の趣味でとは言い難いし。そんな物なら、思わず手に取って然るべきじゃないかな。
ちなみに、あんなに手紙でおじいさんとの思い出を言っていたのに、実際前にしてそういう話題がこれっぽっちも出なかったのも怪しい所だけど、それはさておき」
ニセ孫はワタシの前に居るので、表情が解らない。
「まぁ、君がニセモノだと解った時点で本物は小柄だろうな、と予想出来たさ。
だってそうじゃなければ、大して怪我もする事も無く、本物を地下に閉じ込める事は出来ないだろう?他に共犯者が付近に潜んでいる訳でもなさそうだし」
店長がうろうろしていたのは、本物を探すのと他に誰か居ないかを確認するためだった。ついでに、あの昨夜の軽食も、本物に届けたんだろう。
「でもまぁ、無傷とも言えないかもね。ブレスレットを引き千切られたんだし。地下室に一杯散らばってたよ」
化粧はくっきりつけるのに、アクセサリの類が見られなかった。
しかし、あの手を挙げる時にちょっと動きを大きくするのは、ブレスレットを下まで下ろす時の仕種だ。そうしないと、髪にひっかかるからね。
「想像だけで言うなら、こんな感じだったのかな。
身内の誰かに頼まれた君は、とりあえず此処に来た。他にも回ったのかもしれないけど。
しかし、先客が居た。でも、それは自分より小柄な女性だったので、図々しく無関係の人を装って、適当に理由つけて入り込んだんだ。そしてそれとなく手がかりを見つけたかどうかを探り、私が来る事を知る。
私が顔を知らないから、入れ替わっても平気だと踏んだんだ。その時、最初から強行手段に出たか、途中で目的や正体がバレたかは知らないけど」
まぁ、後者の説が濃厚かな、と呟くように言う。
「ちょっと、ちょっと待ってくださいよ!どうしてそんなにわたしをニセモノ扱いしたいんです?!」
「扱いも何も、本物は地下で閉じ込められるってば」
こういうセリフは呉だ。ニセモノはギロっと睨むが、当然効かない。
「それこそ、わたしを陥れる罠だと思いません!?地下室が危ないって、親戚の人から聞いたんです。わざと遠ざけたかった為じゃありません!
付け爪を付けていたのは、ネイルアートが好きだからだし、アクセサリをつけないのは個人の趣味でしょ!?手紙の事だってあれでどうしても書きたかったから、インクがつかないように気をつけていたんだし……!!
叔父さんの所へ連れてってください!わたしが本物だって、証明してくれます!」
「なるほど、その人が雇い主な訳だ」
しれっと店長が言う。
「この人、赤の他人なんですか?」
呉が訊く。
「うん、だって手紙にあったじゃない。歳の近い子は誰も居なかったって」
本物も20中頃くらいだろう。
「本当なんです!信じてください!!」
顔に手を当て、泣いているかのように思わせる。
「まあ、今まで理屈っぽく並べてたけど。
そんな事はどーでもいいくらの決定的証拠があるんだよ」
と、店長。
「名前。”りょうこ”じゃなくて”よしこ”なんだ」
やっぱりしれっと言う。
「何せ金銭絡みだからね。ちょっと疑わしいと思ったから、引っ掛けてみたのさ。まぁ、こんなのにかかるとは思わなかったけどね。君も関わりそうな人の名前くらい、覚えておかなくちゃ」
「…………」
「さて、何か言いたい事はあるかな」
「言いたい事?」
急にニセモノの雰囲気が変わる。
「あるわよ、もちろん。
そのカップ、こっちに渡しなさい」
ニセモノがナイフを取り出す。ペーパー用じゃない。
「そういう所は、準備万端なんだねぇ」
店長はそれでもしれっとしていた。
ニセモノは優位の立場を確信しているのか、薄い笑みを浮かべている。
店長は、動じずに、
「危ないよ、刃物使うなんて。
君が」
最初、キィン、という小さな音が聴こえた。次に、ニセモノがどさりと倒れた。
そして、蹴り上げて落ちてきたナイフを、店長がキャッチした。そんな感じで。
ニセモノをふんじばった後、本物の救出に向かう。救出も何も、店長がすでに縄を解いていたりして、ただ其処に座っているだけだったんだけど。
本物は、やっぱり小柄な人だった。化粧も薄い。握手する時、左手を出した。
そういう事をし終わった後、丁度警察がやってきた。昨日の内に連絡つけて、時間に合うようにしていたようだ。
さて、残り1日まだ残っている。
店長はあの部屋に入り浸りだった。
「あー、いいねぇ」
と、隣のワタシにぽつりと言う。
「私も、老後になったら、こういう部屋を作ってみたいね」
この人、人並みに歳を取るつもりなのか。厚かましい。
で、唐突に呉が来た。
「良子さんねぇ、可愛いよね!化粧気が薄いけど、そこがいいよ!あんまり塗るとなんか人工じみてて嫌いなんだヨネー。でもオシャレに無頓着でもないんだ。それもまた、
あ、そろそろ食事作るの手伝ってこよ」
本物の良子さんは、呉の趣味だったらしい(朱麻先輩に言いつけてやる)。
…………
めでたしめでたしとでも言ってみる?
<END>
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