時期は5月。アッサムの最も良質な茶葉が取れるセカンドフラッシュの時期でもあり、梅雨入りの前の春の名残を残した晴天の日だった。風がとても心地よく、ワタシでもピクニックに出かけたい気分だった。
前に登場してから大分時間が経っているから(現実的に)ちょっとした自己紹介でもしておこうか。ワタシの名前は阿柴 夢。「夢」と書いて「のぞみ」と読む。決して3つまとめて当て字で「アッサム」とか読まないでもらいたい。
「こんな日に人が死ぬなんて縁起でも無いね、アッサムくん」
そう、このように。
そして今のセリフは、店長が言った。
店長。とりあえず固有名称は落葉 茶紀。読み方は「らくは さき」。店長も色々紹介したい所なんだが、いかんせんこの名前と紅茶が好きで茶葉屋の店長だという事しかワタシには解らない。むしろこっちが教えてもらいたいくらいだ。
で。上のセリフの通り、ワタシ達がご丁寧に茶葉を届けにやってきた屋敷(どうみても2×4の一般家屋ではない)にて、人が死んでいた。それも届ける相手のご本人が。名前は間宮 咲子さんと言って、正確な年齢はワタシは知らんのだけど、60を超えているだろうとの事だ。写真があるのだけど(いらないと言ったのに置いてったそーだ)見る限りでは穏やかそーなご夫人なんのだが、なんかこう、笑顔が油断ならない。そもそも店長に自分の写真押し付けた時点で油断ならない。
「折角、注文の茶葉が届いたっていうのに、間が悪いよね」
事件現場と化した庭の片隅で、店長が場違いにマイペースに呟く。命落としてしまったのだから、悪いのはタイミングところではないと思う。
故人を思い出しながら、店長は呟いた。
「お得意さんだったんだよねぇ、アンティーク物のティーカップとか、よく買ってくれたし」
でも話が長いんだ、と店長は付け加えた。ちなみにその話は孫の自慢話、自分の自慢話、嫁の話に見せかけた愚痴、が4:3:2だったそうだ。老年にありがちな暇な平日の昼を持て余して来ているので、ワタシとはかち合わなかったらしい。此処は素直に幸運と思っておこう。
事故死、らしい。
2階の窓から落ちたそうだ。目撃者は2人。家の中から高校2年の孫が、外で隣人が自分の庭にて落ちる所を見ていた。
孫曰く、いつものように紅茶を淹れ、2階の咲子さんの部屋に上がって持っていった所、ドアを開けたら窓の近くに咲子さんが立っていた。声を掛ける前に、ふぅ、と下に吸い込まれるように落ちていったそうだ。慌てて駆け寄ってみたが、間に合わず。
とりあえず下を見たら、もうピクリともしない祖母の姿があり、パニック寸前になりながらも救急車に連絡し、そのまま玄関の前で救急隊が来るのを待っていたそうだ。
この際、窓に駆け寄った孫の姿は隣人も見ている。その行動の証言は一緒だった。嘘をつく必要も可能性も薄いので、本当だと思っていいだろう。と、瑠依さんが言っていた。瑠依さんとは、店長と顔見知りで店の常連でもある捜査一課の刑事さんだ。その肩書きと真逆の容貌をしている。ゆるやかなソバージュの栗色の髪が風に舞う。本当に、今日はいい天気だ。なんでこの咲子さんとやらは家に篭っているんだろうな。その孫も。
「咲子さんは、膝を痛めていて、日常生活に支障はないんですが、あんまり外に出ないんだそうです」
と、瑠依さんが丁寧に説明してくれた。
「家に居たのは、お孫さんだけなのかな」
と、店長。
「みたいです。お母さん----お嫁さんは町内会のサークルに出ていらして、息子さんは出勤してました」
「休日にご苦労だね」
ワタシは将来、何か職に就くとしたら週末は休みの所にしようと決めている。生活あっての仕事なんだから。
「今、家の人たちは何処に居るのかな」
「一応、事情聴取で署の方に。お父さんはさすがに来れませんが、お母さんは付き添っています。お孫さん、酷く動揺していて顔が真っ青でした」
そりゃまぁ、人が死ぬのを目の当りにしたんだもんな。
「事故死なのは確実なんだろうか?」
「うーん、」
と、瑠依さんは現場検証ファイルを捲り。
「事故死というのは消去法ですね。突き飛ばされた訳でもなさそうだし、自殺する人でもなかったみたいです」
「友好関係とか聞いてもいいかな」
「はい、特に評判のいい方……、という訳でもなかったみたいです」
あぁ、やっぱり。
「と、言ってもちょっと我田引水な所に辟易していた程度で、殺すまで憎んでいる人は居ないだろう、との事です。第2、第4木曜はご近所の方を集めてティー・パーティーらしきものを開いていたみたいです」
「それは、もしかして目撃していた隣の人も?」
「はい」
「そう言えば」
と、店長。
「その隣の人は、「落ちる瞬間」を見ていたんだよね」
「はい」
「と、いう事は。落ちる寸前には家の方を向いていた、って事になるけど、その辺は?」
「窓が開く音がしたそうです。この辺は静かで、窓も大きいからそんな音がよく聴こえるんだそうです。一応試してみた所、聴こえました」
「なるほど」
確かに、この辺は静かだ。閑静な住宅街、という言葉がぴったりでそこはかとなく下町の喧騒からかけ離れたブルジョワな雰囲気がする。
「話戻そうか。そのティー・パーティは、どんな事してたんだろうか」
「殆ど井戸端会議みたいなものだったそうですよ。ただ、咲子さんの話に皆が頷くような形にはなっていたみたいです」
「ボスザル的存在だったんですね」
と、これはワタシ。
「そうですねぇ。出されるお茶もお菓子も、咲子さんが出していた事もあるし、この辺りで一番古くて大きい家の人ですから、その辺もありますね」
「何を話していたんだろうか」
「お孫さんの自慢話、自分の自慢話、お嫁の話と見せかけた愚痴、が4:3:2の割合だそうです」
すごい、店長の割り当てとどんぴしゃだ(しかし、それを出した人もどんな人なのか)。
「お嫁さんとは、仲があまりよろしくなかったみたいです」
と、瑠依さん。
「とは言っても、昼メロみたいにどろどろした嫁姑戦争、までは行かなくて、ただ気に食わない、ってだけみたいですよ。お嫁さんの方が何をした、という訳でも無く、あれがなってない、これがなってないと、そんな話で。
特に、はっきりは言ってないそうですが、自由に出歩けない自分を置いて外出するのが気に食わないそうです」
そんな事言ったって、買い物とか色々あるんだから、ずっと家に一緒に居る訳にもいかんだろうよ。死んだ人の事は悪くいいたくないんだけど(言ってもしようがないしね)、我侭な人だなー。それとも年寄りってみんなそうなんだろうか。
「お嫁さんの方は、なんとか上手くやろうとしていたみたいですよ。料理のレパートリー増やしたり工夫したり。でも、やっぱり時々カチンと来る事も多かったみたいですね。今日出かける事も、嫌味な事を言われたと零していました」
「旦那さんとはどうだったんだろうか」
「うーん、特に仲が悪いでもなく、良くも無く。でも、どちらかと言えば、母親の意見を尊重するようだったみたいですね」
なんで自分の選んだ配偶者を大事にせんのかなぁ。解らん……
「お孫さんの事は、とても可愛がっていらしてたそうで」
と、瑠依さん。
「あの子はいい子だって。週末は必ず一緒に居てくれて、学校が終わったらすぐ自分の部屋に来てくれるんだそうです」
「いつも、必ず?」
「クラブとかはやってなかったんですか?」
ワタシもひょっこり口を挟んでみる。
「小学校の時はソフトボール部をやっていたみたいですけど、中学からは入らなかったみたいですね」
「合わなかったのかな……」
「いえ、そんな事はなかったみたいですよ。ポジションがピッチャーだったんですが、名投手、って呼ばれてたそうです。
でもその時、咲子さんが庭で派手に転倒して----ちょっと高い段を踏み外したんです。その時学校で合宿中でしたけど、お孫さんはすぐに帰ったそうです。それが6年生の終わり頃の事でして、多分部活動をしないのはその辺じゃないでしょうか」
「友達は居るのかな」
「えぇ、例のお茶会の人たちの中に、クラスメイトを孫にする人が居るんですが、その話を訊くだけでも運動も勉強もよく出来ていて、委員の事もしっかりやっている皆の人気者だそうです」
「……なんか、凄い人ですね」
なんかもう、呆気に取られるというか……
何の意図があって、そんな何もかもを。
「で、一緒に遊べないのを残念がっていました」
なんで遊べない……あぁ、学校が終わったらすぐに帰っちゃうんだったな。
「残念がっているのは、お孫さんの方もだったのかな」
「そうですねぇ。先日、友達だけで旅行に行こうか、という計画が出ていて、お孫さんもとっても乗り気で親を説得してでも行く、と言ってたんですが、翌日やっぱりだめだったと、気の毒なくらい落ち込んでいたそうです。どうも、親はいいと言ってくれたみたいなんですが、咲子さんが絶対だめだと言い張ったようです。そんな事を言っていました」
「……なるほどね」
と、店長は言った。
屋敷と呼ぶに相応しい家は、今は鑑識の人がひしめいている。が、動きが慌しくなった所を見ると、撤収するのだろう。
最後に、瑠依さんは事件現場の部屋の写真を見せてくれた。
どうって事もない室内で、テーブルに置かれたトレイに乗せられたティーセットも、今にもお茶会が出来そうなくらい、普通に置いてあった。ひとつも乱れも無い。
そして、ワタシは、店長が他殺とも自殺とも、事故死とも断言しないのを気づいていた。瑠依さんも気づいていたかもしれないけど、ワタシ達は瑠依さんと違って警察じゃないから、真実を晒さなければならない義務や権利や職務は無い。瑠依さんもその事をとてもよく解っている。
だから、瑠依さんに代わって、見つけたくない事実はずっと知らないふりをしておこう。
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