「どうでしょう、茶紀さん」 両手でコーヒーカップを持ち、瑠依さんが聞いた。 店長は書類を見ながら紅茶を飲んで、ワタシはほうじ茶を啜る。 三種のお茶の香りが、空に昇った。
事情を順に言うには、まず、この店が如何に変っているかを述べるのが、妥当という所だろう。 茶葉専門店「Fall
Laef」。 此処は看板の通り、茶葉しか置かれて居ない。 店が変っているのなら、そこの主も変っている。 店長・茶紀。 この肩書きとこの名前が唯一はっきりしている。肩書きはともかく、名前は名字なのかどうか、そもそも本名なのかすらも怪しいが。 国籍、年齢、何もかもが不詳。そして、ジョークみたく思われるが、性別すら解らない。 身長は180近くあるのだが、それでも女性でありえない高さでもない(そもそも日本人という確証も無いのだし)。 では、女なのかと聞かれると、素直には頷けない。 かと言って、男なのかと聞かれても、肯定は出来ない。 中性的というより、むしろ無性的。 膝の裏までありそうな、長い黒髪も、その雰囲気を出すのに一役買っている。 本人に直接訊けば話は早いのかもしれないが、さぁ、どっちだろうね、と毎度はぐらかされ、何より店長の発する雰囲気は、そんな事はどうでもいいと思わせるような力を持っている。 そう、性別だって、国籍だって、年齢だって、本当はどうでもいい。 大切なのは”その人”だと言うだからだ。 そんな店長だが、はっきり解っている事も、ある。 まず、本人は店長でなく、自分を”マスター”と呼んで貰いたい事。残念だが、それはワタシがそう呼ぶ柄でないので、涙を飲んでもらおう。 そして、お茶がやたら好きだという事。 ワタシが此処に来るようになってから、そして来る前にでもだろうが、お茶類以外口にした場面に遭遇した事がない。 お茶だけで、あの身体を支えられるのだろうか、と最初の頃は心配すらしたが、どうも大丈夫そうなのでほっとく。 更に。 「うん。解ったよ」 「本当ですか!」 真実を見抜く事が出来る事。 あぁ、あと、何処ぞのネコ型ロボットにお世話になってる少年や、額に稲妻の傷がある魔法使いよろしくな、丸いフォルムの眼鏡をかけている事も。 その向こうの双眸は、曇りの空みたいな灰色だ。
さて。 いかにこの店とこの店長が変っているかの次には、ここを訪れる人の事を紹介せねば。 なにせお茶の葉しか無い、というこの店に、頻繁に通う者は少ない。 この店によく現れるのは----まず、唯一の従業員である、ワタシ。名前は阿柴 夢で、”夢”の一文字で”のぞみ”と読む。 何処かの中高一貫の学校の中等部3年。15歳。 本当なら、バイトを出来る身分ではないのだが、どういう訳かこういう事になってしまった。 仕事と言っても、ここに来て品質管理の名の下にお茶を飲むだけだ。大して弊害は無いだろう。賃金も無いのだし。 そして、もう1人よく訪れるのが、桐山 瑠依さん。 27歳の、ややおっとりとした風貌で、見たら誰もが職業保育士と判断するだろうが、実際はキャリア組の警部だ。 瑠依さんはよく事件解決に店長の力を借りに来る。 早期に事件が解決するのなら、使えるものは何でも使う。それで、自分が後ろ指をさされても厭わない。 いつか、瑠依さんは、微笑みながらそう言った。 「犯人は、12月産まれの人だと思うよ」 「え、ちょっと調べてみますね!」 ガサゴソ!と鞄を漁り、封筒を見つける事に成功した瑠依さん。 その封筒に推してある、『持ち出し禁止』の版が虚しい…… 「どうして、12月生まれなんて事が解ったんですか?」 丁度良い温度になったほうじ茶をくい、と大目に飲み込む。 「被害者がルビーを握っていただろう?それでだよ」 事件は、こうだった。 とある宝石商が、誰かと交渉中、揉めて、側にあった鈍器の代わりになりそうな置物で撲殺された。 この宝石商は、盗品臭い商品も買い取るタイプだったので、交渉は完全なマン・ツー・マン。被害者が経営する宝石店の閉店時間を向かえてからだ。 死体が発見されたのも、2日経ってだったくらいだ。 警察が絞りに絞った容疑者は、5人。 どれもかれもが、白とも黒ともつかねない人物で、瑠依さんが店長に意見を伺いに来た、という訳だ。 「手に宝石の跡が付いていたから、これは本人の意思で握っていた、ダイイングメッセージなんじゃないか、と思ったんだ」 「……誕生石なら、ルビーは7月のはずでは」 被害者が宝石を握っていた、とう事実を聞いた時、ワタシも真っ先に誕生石になぞらえたメッセージだと思った。 が、現実は上手くいかない。 容疑者達の中で、7月生まれはいなかった。 瑠依さんの様子だと、12月生まれは居た様だが。 「アッサム君が知ってる誕生石というのは、1月がガーネット、2月がアメシスト……4月がダイヤモンドで、5月がエメラルド、て感じのヤツかな」 「えぇ、だいだいそうです。ワタシの名前はアッサムじゃありませんが」 確かのあの漢字でそう読めない事も無いが。 3月、8月は乗ってる本で若干の違いがあるものの、店長が今述べたものはどこも共通だ。 「実はこれはね、出来たのは1952年。しかも宝石産業の売り上げの都合で制定されたも同然なんだ」 何と。 てっきりワタシは、古代なんとかに基づくどーたらこーたらとか、そういう宗教的なものだとばかり思っていたのだが。 「誕生石のルーツは旧約聖書。ここで祭祀を行う時に、胸当てに12個の宝石がはめ込められていると書かれている。 これが、誕生石の元祖となった訳だ。 とりあえず、聖書に書かれているのは----”とりあえず”なのは、各地で同じ単語の翻訳や解釈が違うからなんだけど--- 1月・ガーネット 2月・アメシスト 3月・ジャスパー 4月・サファイヤ 5月・カルセドニー、カーネリアン、アゲート 6月・エメラルド 7月・オニックス 8月・カーネリアン 9月・クリソライト 10月・アクアマリン、ベリル 11月・トパーズ 12月・ルビー と、なるんだ。 これに基づくと、宝石の王様であるダイヤが入ってないのが解るだろう? それではマズイ、と、全くの宝石商の都合で今の誕生石が決められなおされたんだよ」 ……なんと言うか、いやはや…… 「人間て、勝手ですね」 「全くだよ」 言って店長は紅茶を淹れに一旦店内に入った。長い髪と裾が翻る。 「今度は、ウヴァだよ」 紅茶を淹れた店長は、プレゼントのリボンを解く子供と同じ目をしている。 「で、店長はどうして被害者が一般の誕生石ではなく、聖書に基づくものであると解ったんですか」 謎はまだ全部すっきりした訳ではない。 紅茶を蒸らす時間に話してくれても良いだろう。 「店が、日曜定休日、てあったから」 「……日曜日は、安息日……」 発見に2日かかったのは、土曜日に殺害され、日曜は休み。月曜に繰越になったからか。 「そういう事。 でもこれは決め手には欠けるから」 「はい」 と、言って瑠依さんが立ち上がる。封筒はちゃんと仕舞ったようだ。 「ここからは、わたしの仕事です。絶対に犯行を認めさせてみますよ」 にこ、と笑った瑠依さんの、笑った拍子にソバージュの髪も揺れる。 外見は全く警部らしくないが、それでもワタシは、瑠依さんこそが警部だと思う。
「……ところで、店長」 「何かな」 「この店、本気で茶葉しかないんですか。せめてお茶請けくらい、置いたらどうですか」 茶をたらふく飲んでも空腹を満たすのには力不足だ。 「うーん、でもここは茶葉専門店だしね。 それより、私は店長じゃなく、マスター、て呼んで欲しいな、アッサム君」 「ワタシも是非、本名で呼ばれてみたいものです」 そしてまた、ほうじ茶を一口。
此処は茶葉専門店、「Fall
Laef」 美味しいお茶が欲しければ、来るといい。 それしか、無いから。
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