繁華街は今日も賑わっている。
賑わっているから繁華街というか、繁華街だから賑わっているというか、いやそんな事はどうでもよろしい。
まるでちょっとしたカーニバル中の街の中、そんな喧騒なんてちっとも耳に入らないで、紗々深は足元を見ながら、よれよれと歩いていた。
紗々深は22歳の女性。チョコレートアイスが好きで、それ以上に朔良君が好きで、知り合ってマブダチになって6年目の今年、で晴れて恋人になれて幸せてんこ盛りで、悩む事と言えば178センチという平均以上の身長のせいで朔良より3センチ高くなっちゃっている事だ。そんな人だ。
(ど、どうしよう……)
よれよれと歩いてはいるが、ぶつかった時に因縁つけられた相手に裏拳決めるのは忘れなかった。悶える男の腹を踏みつけ、紗々深はなおもよろりと歩く。その顔は、血色がいいとは思えない。いつもなら血行は結構いいのだが。だからそんな事言ってる場合じゃなくて。
(どーしよう……こんな事、絶対クーちゃんに言えないし……)
そんなとぼとぼと歩く紗々深の後ろには、足跡みたいに殴り倒した人間が点在している。
今日の成果はざっと7人て所だった。
その日。
移動カフェの雇われ店長である鎖織は勉強と趣味と実績をかねて、カフェを渡り歩いていた。きちんとノートまで取っていて、几帳面な上、勉強熱心で大変いい心構えである。
姿はサングラスに前髪をオールバックにして後ろ髪束ねているという、ちょっと人から避けられそうな容貌だが。
しかし、それらを取ると実は鎖織君は、目元のホクロがいい感じの流し目に、軽くウェーブのかかったセミロングという、そこらのホスト真っ青のあっまいマスクをしているので、それはそれで色々問題が起きそう、というか起きていたので、鎖織は今日もサングラスをかけては通りすがりの人にに視線を伏せられる姿をしている。何せ鎖織は190近いので。そしてこの風貌だ。無理もないといえば無理もないけど。
いいんだ。スーパーマンだって、普段は会社員なんだ。
よく解らない理由で自分を慰める鎖織君だった。
さてノートを取っているが、店内でそれをすると店員の気分を害し兼ねないので、会計をすまし外に出て、適当なスペースに座るか歩きながらで書いている。つくづく真面目な男である。アンパンマンくらいしか勝てそうな相手の居ない甘い顔なのに。
さて、一通り書き終わり、ノートを閉じて雑踏を視界に映したら、
(………ん?)
一瞬、見知った顔を見たような気がした。客商売なので人の顔を覚えるのには自身がある。いまいち確信が出来なかったのは、その人物はとてもしなさそうな顔をしていたからだ。
俯いて、しょげた顔しながら歩く紗々深なんて。
しかし、彼女が通ったと思しき道には点々と殴るか蹴られたかして撃沈している男が転がっているので、やはりあれは紗々深だったんだ、とその場にいた警官にあらぬ疑いに身の潔白を一生懸命証明しながら鎖織は思った。
(何があったんだ?)
紗々深に何があったかも気になるが、応援に来た警官が増えた状況でこの後の自分の扱いも気になる鎖織だった。
「それ、本当か」
鎖織からその時の事を聞いた朔良は、開口一番にそう言った。ちなみにそのセリフは結局3時間ほど拘束されてしまった鎖織に対してではない。そんな事はいつもの事だ(可哀想に)。
「……なんか……喧嘩したって事じゃないみたいだな」
てっきりそれだと思っていた鎖織も、意外そうに呟く。
クーちゃんと居る時は一番幸せ、と臆面も無く言ってのける紗々深は、大抵の事があっても滅多に落ち込まない。逆に紗々深とちょっと喧嘩したら、それはもう落ち込む。とても落ち込む。そんなに落ち込まなくてもいいじゃないってくらい落ち込む。
今、朔良の仕事帰りで、紗々深に土産でも買っていこうかな、と鎖織の店に寄ったのだ。ここのクッキー等の焼き菓子類は正真正銘の手作りなので、とても美味しい。
で、そんな話が出た、という事だ。
「あ。」
と、何があったんだろう、考え込んでいた朔良は急に顔を上げた。
「そうだ、あいつ、今日病院に行ったんだ」
「え、怪我か病気でもしたのか?」
「いや、献血。昨日チラシが入ってて、菓子食べ放題ってのに引かれたんだと思う」
それはかなり間違いないと鎖織も同意した。
「なら、その時何か言われたとか」
「そうかもなぁ……」
うぅむ、と2人に深刻な空気が圧し掛かる。何せ、命に関わる事なのだから。
鎖織は余程朔良に昨日の紗々深の様子とか聞きたかったのだが、それを必死に思い出しているのが解るので、とりあえず黙っておいた。察しがいいのは鎖織のいい所だ。
何かあっただろうか、と思いをめぐらせて、はた、と気づく。
何の病気か、と探る前に、思い当たらなければならない事があるではないか!
子供!
そう、妊娠である!!!
何か朔良が微妙に固まったような気がしたので、そういう結論に達したのだと、ほぼ同時にその可能性に気づいた鎖織君は思った。つくづく察しがいい。
(いや、でも、献血ってそれが気づけるような何かがあったか?ってそれより俺、避妊はちゃんとしてるよなぁ?まぁ、でも何事にも100%は無いし、て事はやっぱり……!?)
いきなり振って沸いてきた妊娠の可能性に、朔良の頭も軽く混乱している。これもさっき悩んだのとは対極だが命に関わる問題だ。
「……とりあえず、これ」
と注文されたほうじ茶を出す(そんなもんまであるのか!)
若干混乱していた朔良は、それを。
ぐびっと飲んだ。淹れ立てのそれを。
(……あー、まだ舌がひりひりする……)
幸い、たまたま人気の少ない時だったので、近くの木から鳥が飛び立つ程に上げたでかい声は聞かれなかっただろう。……多分。
いや、そんな事より、今は紗々深の事だ。本当に、子供が出来たんだろうか?自分に落ち度……と言っていいのか……があるかないかはさておき、自分との間に子供が出来たら、紗々深の事、飛んで撥ねるくらいに喜んでくれそうだと思っていたのだが。何せ、常日頃からクーちゃんと居る時が一番幸せ、と言ってのける紗々深である。
それでもやっぱり、子供が出来た、となると違うんだろか。所詮自分なんかでは、想像すらつかない。
とりあえず、今は早く紗々深の元へ行かないと。もしそうだったとして、そんな一大事を紗々深だけに背負わせる訳にはいかないから。
真っ先に自分に報告しないのは、頼りないからか、信用してないからか。そんな事は一旦引っ込めて。
「あ、クーちゃんお帰り」
早速だが、いきなり朔良は紗々深の異変は間違いない、と確信した。
何故って、いつもみたいに抱きてこないからである。これはかなりの事があったとみなして間違いない……!!「妊娠」と「子供」の文字がでっかくなる。
「今日は早かったんだねぇ」
作業着から部屋着に着替え、紗々深の隣にすとん、と座った。そして、その顔を向いて、
「まぁな。……それより、お前」
「ん?」
「何かあったのか?鎖織が落ち込みながら歩いているお前を見たってよ」
直球に行く。紗々深相手にあれこれ絡み手で追い込むのは好きじゃない。茶紀なら全然構わないのだが。
「え、み、見間違いじゃないの?」
明らかに動揺している。身振り手振りが出る所なんか、まんまである。眼も泳いじゃってるし。
「……病院、行った帰りだったんだろ?何かあったのか」
そう言ってみると、紗々深の肩がびく、と強張る。
「言っちまえよ。もう。何か隠してるってのはバレてんだから」
「……………」
「サザ」
そう名前を呼ぶと、俯いてしまっていた頭をゆるゆると上げた。その切れ長の双眸は、潤んでいて、今にも泣きそうだった。
「クーちゃん、あのね……」
「あぁ」
「献血行って、その時……」
いよいよ核心に触れる所になり、朔良も緊張し始める。
紗々深は続けた。
「その時ね……ふと何気なく身長計ってみたら179センチになってたんだよ〜〜〜〜〜〜〜ッッ!!!!」
言い終えるなり、びー、と泣き出す紗々深。
「……………」
朔良は、はぁ?という声にならなかった声が背中に圧し掛かっている。
「……お前……お前、そんな事で落ち込んでいたのか?」
「そんな事じゃないもん!」
泣いていたのを一旦止め、紗々深は朔良とキッ!と睨む。
「これじゃ、またクーちゃんよりデカくなっちゃったって事じゃなんか!
そうじゃなくても、オレ目つき悪いし、言葉使いがさつだし乱暴だし、全然女らしくないし、街歩いてても一回も恋人同士に見られた事無いし……!!」
それは事実だ。よくて友達、最悪兄弟と思われる(しかしこの時、自分より背の高い紗々深が妹に間違われるのは何故なのか)。
ぐすん、と紗々深は鼻を鳴らし、
「それに男って、女の子抱き締めた時に自分より小さくて柔らかくて細いってのを実感して、今まで以上に愛しく感じるもんじゃないの?それじゃオレ、全然ダメじゃん」
「何だ何だ、そのどっかからの引用みたいなセリフ」
「信号待ちの時後ろのヤツが言ってた」
なるほど。それとのWパンチでこんな騒ぎになったって事か。罪はないとは解っているものの、いらん事言ってくれたヤツが目の前に現れたら、問答無用で一発殴るかもしれない。いやむしろ見つけに行って率先して殴りたい。
抱きついてこなかったのも、身長を気にしての事なら説明がつく。幽霊の正体見たり枯れ尾花というか、大山鳴動して鼠一匹というか……
なんかなぁ、というのか素直な感想だ。
朔良はそれで一件落着ついたのだが、紗々深はそうもいかない。ぐずぐずとまた泣き出した。
「ばーか。そんな泣くなよ。計り間違えって事もあるんだから」
「ぇうー………」
擦らないように気をつけながら、涙を拭っていく。本気で悲しんでいるその様子に、不謹慎だとは言え、笑えてくる。
「さっき女らしくないなんて言ってるけど、そんな数センチ俺よりデカいだけでこんな泣いてるだけで十分女らしいって。可愛いって」
「え………」
それで涙はぴたり、と止まったが。次の瞬間、かーっと一気に顔が真っ赤になった。
「……何、これくらい言われただけで真っ赤になってんだよ。片想いかっての」
吊られる様に赤くなってしまった頬を誤魔化す為か、朔良は頬を軽く抓る。
「だ、だって、恋人になったからって、それまでの好きとがらっと変わる訳じゃなくて〜……か、可愛いとか言われるとどうしていいか解んない……凄い、胸ばくばくするし……っ?」
胸に何かが乗った。視線を移してみれば、朔良の手だった。
「……っ、………」
「本当だ」
凄いドキドキいってるな、と呟くのと連動して、ゆっくり押し倒す。
「うぁ、わ、わぁ……」
とさ、とあっという間にソファの上に横たわらされてしまった。そんなに力は入っていないのに。
普段、例えば自分より10センチ高い屈強な男をこの部屋の端から端まで殴り飛ばす事の出来る紗々深だが、こうなるとふにゃふにゃと身体が崩れてしまって、抵抗すら出来ないでいた。そもそも、する気も起こらない。胸を露にされてしまっても、身体が熱くなるだけで嫌悪感すら沸かない。むしろ、もっと見て欲しいとすら思う。
(……って言うか、しちゃうのかな……このまま……)
洗濯物取り込んでないし、夕飯の支度もまだだし……とは思いながら、これでおしまいとか言われたら形振り構わずに続きを懇願しそうだ。
「……な、サザ?」
「んー?………」
「こうやって横になれば、ちょっとくらい高くたって、全然関係ないだろ?」
にやり、と悪戯に言ってみる。すると。
「……うん!」
満面の笑みを浮かべ、紗々深は両手を広げて朔良を向かい入れ、朔良はそれに応えた。
いつもは紗々深が調理をする訳だが、今日は少し時間が遅れたので朔良も手伝っている。その日任せの味付けで、どれくらい役立っているかが微妙だが。
「まぁ、でも何事も無くて良かったよ。病院行った帰りだから、妊娠でもしてたかと思ったって」
「? なんで?」
紗々深はきょとんとしている。
「子供が出来たって、いい事じゃん。なんで落ち込むの?」
「…………」
虐待は連鎖するという。自分はそこまでは行かなかったと思うが、親の愛情を十分汲んだとも思えない。そんな自分が親になって、子供に何が出来るだろう。不安は尽きない。でも。
「あぁ、そうだな。……うん。そうだ」
「あ、クーちゃん、それこっち入れて」
「はいはい」
紗々深と、なら。
<おわり>
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