子供の頃、本でアンドロギュヌスという話を読んだ。それは2つの頭を持つ生き物で、その2つの頭はとても仲が良く、いつも喋っていた。しかし、あまりにも喋っていたものだから、それをやかましく思った神様がその頭を分けてしまった。
それがつまり人間で、人はかつて一緒だった片方の頭の持ち主を探して、うろうろと彷徨っているんだそうだ。
寂しさに泣きながら。
「お、これはいいね。少なくとも、私は今までの中でこれが一番好きだよ」
と、グラスを空けた茶紀さんが言う。茶紀さんは俺が店長を勤める(雇われだけど)移動カフェに卸している茶葉を販売している店の店長だ。年齢は知らないのだが、俺は一応さん付けで呼んでいる。色々と侮れないものを感じるからだ。
「やっぱり、ジュースはフレッシュなのがいいね」
うん、それは同感だ。でも。
「……果汁が入ると、色が濁るんだよなぁ」
あちらが立てばこちらが立たずの迷路に迷い込んでしまった。
俺が何をしているかと言うと、オリジナルカクテルを作っている真っ只中。茶紀さんに味見をしてもらっている。いくら飲んでも全く酔わないその様は、ザルどころか底のない柄杓みたいだ。
俺の作りたいカクテルは、まずレモン味が効いている事。そして、透き通って澄んだ赤色をしている事だ。色を優先させると味が思いようにいかない。今はその逆。
ちなみに色が濁るというが、あくまで透明感が無くなるという意味での事だ。実際には乳白色がかかったような感じで、朝靄に包まれているような様子は、これはこれでいいのかもしれない。
でも。
前述したように、俺はどうしても透明感のある赤色が出したいんだ。
「ま、そんなに急がなくてもいいんじゃないかい?」
茶紀さんが言う。
「君が何時までに----何の為にこれを作り上げたいか、当ててあげようか?」
にっこり、と俺が常々油断ならんと思っている笑顔で言う。茶紀さんには味見してくれと言っただけで、それ以上の事は何も言ってはいない。でも。
「結婚式。そうだろ?」
……ビンコ。大当たりだ。
「朔良は紗々深に過保護だけど、俺は2人に過保護だな」
「そうかもね」
「否定なしか」
俺は少し笑いながら言った。
過保護というか、世話を焼きたくなるのは、それは俺が昔と今の2人を知っているからかもしれない。
昔の紗々深は、女である事を無視していた。髪も短く、服もやぼったく身体の線を隠すものばかりだった。朔良に至っては自分自身を否定していた。前髪は長くサングラスをしていて、赤い眼を隠そうとしているのが窺えた。
それを当人が望んで選び、納得しているのなら良いのだが、とてもそうには思えなかった。しかし、その時は俺もそれで何かしてやるとは思わなかった。俺も荒んでいたんだ。
そんな2人が、お互いに出会ってから徐々にだが確実に変わった。まず喋るようになった。よく笑うようになった。外見的にも変わった。紗々深は髪を伸ばし、服も動き易い身体にフィットしたものになった。朔良は反対に髪を切り、サングラスをカラーコンタクトに切り替え街によく出かけるようになった。
変わったというより、元に戻りつつあるといったように感じた。それ程までに2人が並んでいるのは馴染んでいたから。
その時俺は、アンドロギュヌスの話を思い出していた。それを知った当時、ただの作り話だで終わったものだが、どうだろうか。この2人は、間違いなくかつての半身だったに違いない。寂しさに泣きながら、それでも探し続けていれば見つかるんだ。俺は、そんな世界に生きているんだ。
しかし、俺は自分の半身を見つけられなくても、この世界に恨み言1つ残さないで眠りにつくだろう。そんな稀有な例を間近で見れた事に感謝しながら。
そうだ、俺が2人を安穏に今の関係を続けて貰いたいのは、そんな風に気持ちよくこの人生を終えたいからだ。俺は俺の為にやっているんだ。
だから、そのお詫びと感謝を込めて、傑作と呼べるカクテルを贈りたい。これ以上の物は無いと自画自賛するものじゃなく、自分の中のイメージにぴったり合う物を。
俺の中であの2人の色のイメージは透き通った赤なんだ。それは朔良の眼の色で、紗々深の髪の色でもある。
「レモンをさ、混ぜないで香り付けに使ったらどうかな。これなら色は濁らないよ」
「いや----でも俺は、レモン味のを作りたいんだ」
「頑固だなぁ。そのこだわりはなんだい?」
「解ってるんだろ?」
「製作者の口から訊きたいんだよ」
言うのはとても恥ずかしいんだが、協力してもらってるんだ(さすがに味見しながらだと、回数が重ねられない)。言ってやるか。
「レモンは初恋の味だから」
そう言いながらこれを贈れば、紗々深は嬉しそうに頷いてくれるだろうが、朔良は----喜びを隠すのに失敗した怒ったような顔になるんだろう。
気分は落とし穴を掘っている悪がきの気分だ。
俺は毎日がとても楽しい。
あの2人のおかげで。
<おわり>
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