シネンシスの戯言





 店内の中を、複数名の覆面を被った人物が闊歩している。此処には居ないが、他にも居てそいつらは自分達の目的を果たしているのだろう。
 それにしても、大通り1本裏に入ったこんな場末の雑貨店に法まで犯して手に入れたい何があるというのか。紗々深はふと呑気に考えてみる。
 何故って、紗々深はその気になれば瞬時にしてこの窃盗団をあっという間に壊滅できる実力の持ち主だからだ。
 かつては治安最悪、喧嘩上等むしろそれが目的だという輩の集まるダウンタウンの西地区で、女ながらにトップを張っていたのだから。その時の通り名は「ジェノサイド・ウェーブ」去った後には破壊を齎す大波に等しい存在という恐れをたっぷりと込めらている。
 女ながらとは言ったが、その当時でジェノサイド・ウェーブ、つまり紗々深が女だという事を知るものはおそらく少ないだろう。自分を言う時の1人称は「オレ」を使っている事もあるし、知った者は大抵そこで終わるか、生き残った者はそう容易く言外しない。悪夢は振り返りたくないものだ。ゆえに紗々深が女で、そしてモデルでも十分通用してお釣りがくるような絶妙なプロポージョンを誇る体躯と見事なルビー・ブロンド(赤毛)の持ち主だとは誰も知らない。
 1名を除いて。
 紗々深は西のナンバーワンだが、西が居れば東も居る。東にには「ブラッディ・ブロッサム」と呼ばれる猛者が居た。ダウンタウンに鮮血の花を咲かせるのでその2つ名がついた。
 彼の名は朔良(さくら)。少しクセのある髪の一部にシアン・ブルーのメッシュを入れている。その目つきは鋭く、噂ではあれは邪眼ではないだろうか、と言われている。
 それで、だ。この朔良こそ、紗々深の素肌全部----それこそ本人の知らない所まで知っているたった1名だったりする。
 ようするに2人は恋人同士なのだ。
 それをダウンタウンの住民達が知ったらそれの衝撃で町は崩壊する。間違いなくする。しかし、事実なのだから仕方ないのだった。
 そして、こうなった発端も朔良が原因だ。いや、原因というのは少しアレかもしれないが。
 たまたま通り買った店で、生産が止まったのか朔良の好きなメーカーのパウンドケーキが見えたので(紗々深の視力は両方とも5以上あると思われる)入ったら、こうなった訳だ。
(どーでもいいから早く盗んでとっとと帰ってくれないかなぁ。んで早くケーキ買わせてもらいたいのに〜)
 犯行後のごたごたで、売買してくるかどうか判らないけど、お金置いて帰ればいいや、と考えて居る紗々深である。
(本当だったら、リっちゃんの店に行って、仕事帰りのクーちゃんも居るだろうし、そうしたらきぃちゃんに紅茶淹れて貰ってみんなでケーキ食べようと思ったのに)
 と、折角立てた楽しい計画が台無しになり、紗々深はがっかりした。
 紗々深の知り合いはどういう訳か、自分も含めて名前の初めに「さ」が付く。朔良に鎖織(さおり)に茶紀(さき)と言った具合だ。なので紗々深は2番目以降の文字にちゃん付けで呼んでいる。最初の方こそ普通に呼べ、と言っていた朔良だが、今は諦めたのは好きにさせている。自分も紗々深を「サザ」と呼んでいる事もあるし。
 鎖織はワゴン車を改造した移動カフェの雇われ店長で、茶紀はそれに茶葉を卸している茶葉屋の店長だった。
 鎖織はサングラスしている物騒な容貌だが、小動物と子供を大切に思ういいヤツだ。一方、茶紀の方は丸いフォルムの人が良さそうな笑みを浮かべているが、絶対ただものではない人物である。特に朔良は茶紀を警戒している。その理由は単純にして明快。よく紗々深にちょっかいかけるからだ。しかも判ってしているから性質が悪いというか意地が悪いというかその両方というか。
 さて場面を戻して。
 窃盗団は何やらまだごそごそと続けている。ったくトロいなーとかイライラし始めた紗々深に、窃盗団の誰かと誰かの話す声がした(紗々深の聴力は視力に比例して常人よりズバ抜けている)。
「……やっぱり、誰か人質に連れてった方がいいんじゃねぇのか………万一にな……」
「……判ってる……あいつの事言ってんだろ?あの、髪の赤い胸のデカい女……」
 クック、と卑下た笑いの意味は勿論そういう意味の事なのだが、紗々深はそれには気づかず、連れて行かれるという方に焦り始めた。
(そんな!連れて行かれたらクーちゃんと会う時間が減っちゃうじゃんか!!)
 朔良は店のショー・ウィンドウの内装を手がける仕事をしている。現場の仕事は往々に行き当たりばったりが基本だ。今日だって祝日なのだが、朔良は仕事に行っているのだ。
 今すぐ窃盗団をぶちのめして、ケーキ買って(これは忘れない)帰りたい。そうは行かないのは、朔良と外で喧嘩しません、と約束しているからだ。させられたというのか。
(前に破っちゃった時、1週間もえっちお預けだったもんなぁ〜。あんなのもうイヤだぁ〜〜)
 うぇぇぇ、と思い出して半泣きになる紗々深。傍から見れば窃盗団に怯えているように見えるが、全然違った。
 今、店の中に居るのは自分と、従業員3名に客と思われる1人。どれもこれも顔面蒼白で、何かしようとしている人は居ない。と、なると自分がするしかない!
 窃盗団をどうこうするまではいかなくても、せめて外部にこの店の異常を教える事が出来たなら。
(外と連絡取るのは、適当に誤魔化せばなんとかなりそうだけど、問題はどうやってSOSを送るかだな……)
 あからさまに言えばバレるし、回りくどいと伝わらない。窃盗団には判らなくて、かつ相手には確実に判る方法。そんなのがあるだろうか?
(クーちゃんだったら、すぐ何か思いつくんだろうな。色んな事沢山知ってるし。おまけに格好いいしね。ん〜、オレって本当にクーちゃんと恋人になったんだな〜。なんか、信じられないなぁ〜)
 にへーと、顔が崩れて思考が明後日に飛ぶ紗々深。いかんいかん、と首を振って戻した。
(……あ、そういや、)
 何時だったか、朔良と鎖織で飲んだ時。まだ、恋人じゃかった頃。茶紀と知り合う前でもあった。
 言い出したのは自分だった。

「そーいやさ、なんでSOSはSOSなの?」
「んー、何かの頭文字かじゃないのか?」
 鎖織が言う。しかし、朔良は手を振り、
「いや、あれは頭文字とかじゃなくてな、そもそも救難信号てのが----」

(…………)
 よし。一か八か、これにかけよう。これでダメだったら、実力行使に出るしかない。いいや、1週間お預けにされても。一緒には居られる訳だし。
「なぁちょっとー!」
 と、紗々深は声をあげる。それに、他の人質達がぎょっと目を剥いた。余計な事を言って刺激させるな、といいだけだったが、「うっせー文句言うな黙って見ていろ」というセリフを込めた紗々深の睨みに沈黙した。
「なんだ」
 銃を携え、1人が来た。
「喉が渇いたから飲みたいんだけど」
「我慢しろ」
「そんな事言われても、いつも休憩の飲み物、カフェに頼んでるんだから、嫌でも配達がやって来るぜ」
「本当か」
 と、その他の人質を見る強盗。その他の人質はうんうんと頷いた。何か策のありそうな紗々深に託した訳ではなく、「お前らここで頷かなかったらこいつらの前にオレが殺スぞ」という紗々深の視線に耐え切れなかったからだ。
「どうする?」
 と、強盗は別の強盗に尋ねる。
「今バレるのはまだマズい。いつもしてるなら、した方がいいだろう」
 よし!と紗々深は心の中でガッツポーズした。
「じゃ、注文するから、電話貸せよ」
「----いや、注文はこっちでする」
 げ、と紗々深は心の中で固まった。
「いつもオレがしてんだけど」
「用が出来たとでも言っておくさ。どさくさに、助けを呼ばれたら敵わんからな」
 まさにしようとしている事であった。こいつら案外馬鹿でもないな。紗々深は舌打ちする。
「何を頼むか、言え」
 メニューの決定権はこっちにあるようだ。これならなんとかなる……かもしれない。
「アイスティー3つ、カフェオレ3つ、オレンジジュース3つ」
 嘘だとばれないように、淀みなく言う。
「そんなに頼むのか」
 紗々深の言った内容では、人数より明らかに量が多い。
「仕入れとか来てくれた人にもあげるから、いつもこのくらい頼むんだよ」
「ふぅん………」
 何か裏でもあるんじゃないかと勘繰っていた強盗だが、何もないと判断したのか、電話を取る。
「電話番号」
 言われ、紗々深は言う。その番号は、鎖織の店の番号だ。
 やがて繋がったのか、もしもしと強盗が言う。
(〜〜頼むリっちゃん!へぇ?とははあ?とは言わないで!!)
 そうなった時点で全ては終わりである。が、何事もなく済ませた所を見ると、一応注文は受けたようだ。自分が出たら、何か異変があったのだと悟ってくれるだろうけど。
(……まさかそのまま普通に宅配して帰っちゃたりして)
 それは無いだろう。鎖織だって、ダウンタウン南地区のナンバーワンだ。ダウンタウンと言っても広い。その街の各区域のトップを知り合う事になって、かけがえの無い親友になったり恋人になったりするのだから、世の中何があるかわからないなぁ、と紗々深はしみじみ人生をふりかえってみた。
 鎖織の店の位置からここまで、移動なら20分くらいだろうか。それまでに窃盗団の仕事が終わらないのを今は願っておこう。




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