:Storm-Don't cry
ピアノにひっつくように凭れ掛かり、極近くの位置でズオウは奏でられる音色に耳を傾けていた。
今ピアノを弾いているのは、当然メグだ。
正直、音楽の事はよく解らない。でも、メグが弾いていると思うと、この世で最上の旋律のように思えるのだ。
最後の和音を終え、メグの指が鍵盤から離れる。
「……メグ、疲れた?」
そう、窺うように訊くのは、本当はもっと弾いて欲しいからだとメグには解っている。
「ううん、平気よ。ピアノ弾くの好きだもの。何かリクエストある?」
なのでそう言えば、ズオウの顔は目に見えて輝く。
「昨日弾いたヤツがいい!音が弾んでいたヤツ!!!」
しかし返ってきたのは結構アバウトな返事で、メグはちょっと悩んでからそっと指を走らせた。
「えっと……これの事かしら?」
「そう!それ!!この曲、凄い好き」
合っていたようで、メグはほっとした。
最初、ピアノが聴きたいと言われた時は少し照れがあったが、しかしズオウは実に聴き上手だった。普段、シロンにうるせぇ!とか怒鳴られるくらい矢継ぎ早にセリフを紡ぐズオウだが、メグが弾いている時はとても大人しく、じっと耳を傾けてくれている。それだけ真剣に聴いてくれてるという事だ。
「ズオウは、アップテンポの曲が好きなのね」
手を止めずに、メグが言う。すると、ズオウは笑顔で、
「うん、好き。踊りたくなるのが好き」
「そうねー、ズオウ、ダンスが好きだから。
でも、あたしが弾いてると一緒には踊れない-----」
ポロン、と、曲の途中なのに、メグはそのセリフを言ったと同時に手を止めてしまった。
「……メグ?」
顔を覗きこむと、メグは鍵盤に視線を落とし、けれど何処か遠くに視線を彷徨わしていた。
「……あたし、ズオウと踊った事……?」
出会って約1ヶ月。そんな記憶は無い。
でもどこかで覚えている。記憶は無くても、身体の方が覚えている。一緒に踊ったのだ。軽いステップに乗せられるまま、楽しげに。
しかしそれは、目の前にいる小さな存在ではない。もっと大きかった。上を見上げて顔を見て、手の平はすっぽりと包まれて、それに比べると自分の身体はとても小さくて、メリーゴーランドみたいにくるくる回された。
でも、ちっとも怖いなんて思わなかった。
あれは何時の事だろう。なんだか、白いものが降っていたような気がする。ならばそれは雪で、季節は冬になるのだろうか。
しかし、その時着ていた服は、今着ているのとそう大差ないように思える。
違う記憶が混ぜられているのだろうか。でも………
「……メグ!メグ!!!」
「っ、!」
ズオウの呼びかけに、メグははっと我に返った。同時にさっき見ていた光景が、奥に引っ込む。手を伸ばしても届かない、奥へ。
「ごめんね、ズオウ、何だか少しボーッとしちゃったみたい」
苦笑してメグは言った。
「最初からでいい?」
「ぁ………」
と、ズオウは小さく声を上げた。視線を移せば、何か物言いたげな顔でズオウがこっちを見ている。
「ズオウ?」
「メグ!!」
「な、何?」
「ボク、……ボク、おなか空いた!」
あぁ、それを言いたかったのか、とメグは鍵盤の蓋を下ろした。じゃぁ、おやつにしましょ、と、立ち上がった拍子に。
ぽたん、と目から涙が落ちた。
「あ……れ………?」
ふと頬に手を当ててみれば、水の感触があった。
「なんでだろ……目でも乾いたのかしら。
ズオウ?」
ズオウは、ぎゅっと服の裾を掴み、俯いている。
「どうしたの?」
「……メグ、ごめんなさい」
優しく肩を抱くと、何故か謝罪の言葉が返って来て。
「やーね、ズオウは何も悪く無いでしょ?」
「…………」
ズオウから返事は無かった。けど、その沈黙は肯定には思えなくて。
「ほら、行こう。今日はババロアだから、上にクリーム乗せてあげるね」
「うん……」
ぎこちない笑顔を浮かべ、それでも差し出した手は握ってくれた。そのまま手を引いて、メグは歩き出す。
(それにしても、何で涙なんか出たのかしら)
あまりにも急に、前触れも泣く突然に。
それまで何も哀しい事なんか、あってもなければ思い出しても居ない。……筈だ。
不思議な事はもうひとつ。
こんな風に手を繋いでいても、なんだかメグは、急にズオウが何処かへ行ってしまうような気がして止まなかった。もっと言えば、過去にズオウが自分から去ってしまったような気がする。
(こういうのって、デジャヴって言うんだっけ)
それはこんなに胸を切なく締め付けるものだろうか。
2人の去った部屋で、カーテンが風に煽られ穏やかに波打った。
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