ルドゥス





 応接間に通され、艶かしい肉付きの足を組んでソファに座る。応接間、といえばそうなんだろうが、実質には作業場に衝立を立て並べられた一角である。自分の会社とはまさに雲泥の差だわ、と口紅を塗りなおしながらキルビートは思う。
「待たせたな」
 と、ウォルフィが現れた。その姿を見て、まず残念に思うのはアヒルの付いたエプロンを今回はしていなかった事だ。前回大笑いされたのを覚えていたらしい。
「べっつにぃ。はい、見積書」
 ぱさ、と机に置いて、それをウォルフィが受け取る。簡単に中を眺めてざっとした確認を取った。ブルーノやグリード程では無いが、そこそこの教養はある。
「仕事をしている男の顔って、イイもんよねぇ」
 ねっとりとした口調でそう言うと、ウォルフィの手が止まる。が、暫くして再開した。その止まった間にどんな葛藤があったのかと、想像するのがとてつもなく楽しい。何より、苦虫500匹くらい噛み潰したようなウォルフィの顔がまた楽しい。
「ねぇ」
「……何だ」
 自分に相槌を打つ事を要求していると判ると、嫌々と判る程にウォルフィは呟く。
「前も、あんただったわよねぇ」
「あぁ、そうだな」
「その前も。そのその前も、さらにその前も」
「別に誰だっていいだろ。こんな仕事」
「えぇ誰でもいいわよ。誰でもいいのに、率先してやってるのね、あんたは」
「……何が言いたいんだよ」
 くどい位に言うキルビートに、思わず相手してしまった。
「あんたさ、そんなにあたしに会いたいの?」
「…………」
 ウォルフィがキレる前に、それとも、と続ける。
「あたしを会わせたくない誰かが居るのかしら?」
「……………」
 返事をしないウォルフィに代わり、そーねぇ、と人差し指を頬に置いて喋りだす。
「おそらく3分の2のどっちかだけど、グリードーはそんな柄でもないし、って事はやっぱりバンダナの方?変わった趣味してんのねー」
「何の事だよ」
「あら、無自覚?可愛いわぁ」
「……テメー……大概にしとけよ?」
「いいのぉ?仮にも取引先にそんな態度?」
「…………」
 舌打ちでもしたそうな顔で押し黙る。
「ふふ、いーい表情ねぇ、それ。あたしの好きな顔」
 す、と対面に座っていたキルビートが、横に来た。逃げてしまいたいが逃げたら負けのような気がしたので、せめて睨んで退けるか、と試みたが相手はそれをものともしなかった。さすがランシーンの直属の部下といった所だろうか。
「あたしさぁ」
 ダークチェリーに彩られた唇が動く。
「好みのタイプはランシーンちゃまとか、シロンとか、グリードーなんだけど。
 あんたも結構好きよ」
「遊べるからだろ」
「あはは、判ってんのね」
 と、キルビートの指先が、すぅ、と蛇みたいな動きで首筋を掠めた。しまった、と思った時にはすでに首を絡め取られていた。化粧の香りを近くに感じる。これはもう狂犬に咬まれたと思って、と覚悟を決めた時。
 ばささ、と外から何か物音がした。
 ふとそっちを向けば、アホみたいに目を見開いたリーオンが立っていた。
「…………」
「…………」
 窓ガラス越しに見つめ合う事およそ5秒。見てしまった上に見た事に気づかれた!といった感じにリーオンが駆け出した。
「あ!オイ!」
 呼びかけてみるものの、止まるはずが無かった。相手が取引先だろうがローマ法王か知った事か。ウォルフィは絡まる腕を力任せに解き、突き飛ばすように離した後、急いで駆け出した。頑張ってねーと呑気な励まし、いやからかいの言葉の後、腹を抱えて笑い出したキルビートをウォルフィは頭の隅にでも捉えていたかどうか。




 この家の庭は広い。意識した事はあまり無いが、例えばこういう場面の時はいやでも思う。
「待てって!コラァ!」
 その声に、ますますリーオンは速度をあげたようだった。チクショウ、体力馬鹿め、と心の中で毒づき、ポケットに入っていた小銭入れをぶん投げた。
「あだ!」
 命中。
 一瞬だけ止まったが、その一瞬は追いつけなかった差を無くすものに十分だった。ガッシ、と括られている後ろ髪を掴んだ。あだ、とまた叫ぶリーオン。
「この……なん、で、逃げるんだよ!」
 数分とは言え、ずっと全力疾走だったので息が上がっている。リーオンも似たような状態だった。
「だ、だってウーたんが追いかけるからじゃん!」
「そもそもオメーが駆け出したからだろ!」
 そう言われ、その原因を思い出したのか、なんだかうろたえ始めるリーオン。
「え、えっとね、ウーたん」
「あぁ?」
「オレ、これでも口堅いから。言わないよ」
 さっぱり内容の無いセリフに、はぁ、と首を傾げるが、すぐに何を言っているかに思い当たった。
「あほ、何を綺麗に勘違いしてやがんだ!そうじゃねぇよ!」
 しかしリーオンは、あははとなんだか乾いたようなそらぞらしい笑い声をし、
「いや、まぁ、見た目お似合いだと思うよ?キルビートも美人だし。ただちょっとそうだったってのは度肝と一緒尻子玉でも抜かれたかと思ったけどさ」
「なんだぁ尻子玉って!」
「ジャパニーズモンスターの「カッパ」ってのが川で遊んでいる子供から抜き取るんだって。コレ抜かれると3日で死んじゃうらしいよ。怖いね。シロンに教えてもらった」
 なんであいつそんな事知ってんだ!?いや、それは真剣にどうでもいい!(確かに)
「だから違うんだよ!あいつはああして俺の反応見て、からかって遊んでるだけ!」
「別に隠さなくたっていいじゃん。友達なんだから。それともオレってそんなに信用ないの」
 勝手に思い込んだ挙句、むしろウォルフィを咎めるようなその物言いに、ぶちっと何がか切れた。気づけば、思いっきりリーオンを殴り飛ばしていた。結構な体躯が地面に倒れる。
「っい……てぇぇぇ〜〜〜〜マジ本気で殴りやがったな!?」
 かなりの衝撃だったらしく、一拍の間を置いてからリーオンが喚いた。その胸倉を、ガッ!と掴む。
「言っても判らねぇヤツには殴って教えるしかねぇだろうが!違うっつったら違うっつったら違うっつったら違うんだよ!判ったか!!」
「……ごめん」
「……判ればヨシ」
 と、呟きあっけなく手を離す。素直に謝ったリーオンに、自分の頭も少し冷えたようだ。そのまま、地面の上で胡坐をかいたリーオンの隣に腰を下ろす。
「……じゃ、ウーたん本当になんでもないんだ?」
「……もっかい殴るか?」
「ごめんなさいごめんなさい」
 本気で痛かったのか、平謝りするリーオン。確かに殴ったこっちの手が痛いくらいだ。それくらいの威力で殴ってしまったのだ。そうして見ると、殴った箇所の頬は赤く腫れ始めているようで、掴んだ服もそこだけが伸びていた。さすがにやり過ぎたかな、とウォルフィは少し反省する。明らかにこれはやり過ぎなのだが----その時はしてしまった。
「……あー、良かったー……」
 と、リーオンが呟くように言った。
「何が?」
「んー、なんか急にウーたんが遠くに行っちゃったみたいだから」
「だから違うっての」
「うん、だから良かった」
 あ、と声を上げる。
「ウーたん此処に何かついてるよ?赤いの」
 リーオンは自分のその箇所を突いて見せた。そこは首筋で。
「ゲッ!じゃぁさっきやられてたんだ」
「あ、でも口紅じゃないかな。取れるよ」
 ちょっとゴメンね、とリーオンが手を伸ばし、其処を指で擦る。
「…………」
 キルビートと同じことをされているのに、あの時はまるで剃刀の刃で撫でられたみたいだったが、リーオンが相手だと、触りたけば触ればいい、となすがままにしている。
 いや、別にグリードーだったとしても同じだし。
 不意にキルビートのセリフを思い出し、誰にとも言うでもなくいい訳じみた事を思った。本当に勝手な事を言ってくれたよな、アイツ。出来れば二度と会いたくないのだが、取引先なのだから仕様がない。ではあまり諦めきれないものがあるが本音だが。
「苦しい?」
「あ?」
「顔顰めてるけど。オレ強く擦りすぎた?」
「あー……いや、そうじゃねぇ……
 って、お前も大丈夫か?口の中切れてねぇ?」
「んー?よく判んない」
「まぁ、歯は折れてないと思うけど……ちょっと中見せてみろ」
「あー、」
 と間抜けな声を出して口を開ける。ウォルフィが顎を軽く掴んで中を伺おうとした時。
 ぱき、とかかさ、とか音がして、2人同時に振り向くと。
 ガリオンが居た。何だかとても興味深げにこっちを見ている。
「いや、悪い」
 とかいきなり謝った。
 そーいえば、とウォルフィは今の自分達の姿を振り返る。あんまり人気のない所で向かい合ってリーオンの顎を掴んで顔を寄せている。2人の顔が同時に強張る。
「無粋な真似をしたな。すまんかった」
「----いや違いますよ姐さん!そんなんじゃなくてただちょっと強く殴りすぎたから診てただけで!」
「そうそう!そうですよ!!」
「別に誤魔化さずともよい」
「威厳たっぷりに誤解しないでくださいぃぃぃぃぃぃぃ!!!」
 なんとか誤解を解くのに10分くらいかかった。




<END>





紛らわしい話を。絵板の時はリーオン相手だったんですがね。なんかウーたんに。