今日のニューヨークの天候。
晴れ時々曇り、所により(というかスパークス家のGWニコルの周辺のみ)。
陰鬱なドラゴン。
「……………」
「……………」
「……………」
「……………」
長い長い沈黙の後、同胞達から「お願い。コレなんとかして」という無言の懇願を受け取るまでもなく、このシロンに口をきけるのは自分くらいだけ、というのは押入れに引っ込んで座布団頭に被って蹲りたくなるくらい思い知っているので、グリードーは訊く。
「あー……どうした。シロン」
全くどうしたである。
シュウと(色んな意味で)上手くいかないシロンがじたばたする場所を求めて此処に来るのは、残念な事にそう珍しい事ではないのだが。
今日は違った。特にシロンの様子が。
尋常ではない。と言えば一言なのだが、こういう時言葉の不便さを思い知る。
ズシンと降りたシロンのその表情は、なんというか死相出てない?というか、目の下に隈があってあんたもしかして実はランシーンさん?というか、ぶっちゃけネムロム?というか。
まぁ、そんな感じで。
今のシロンの側に寄れば、泣く子も手首を切るだろう。そんな勢いだった。
上のセリフからたっぷり2分半、グリードーがもう一度どうした、と言おうとした時、半屍のシロンがようやっと声を発した。
「………が、……」
「あぁ?」
ガス漏れみたいな微かな声に、グリードーは耳に手を当てて聞き返す。ウォルフィもリーオンも同じく耳に手を当てて聞き耳を立てる。
「ワル夫が………」
ランシーンが?と同じ姿勢になったGWニコルは心の中で反芻する。
「ワル夫が………ワル夫が……ワル夫がぁぁぁぁ〜〜〜〜〜〜!!!」
ワル夫が何だよ、という皆の心の声を受け取った訳ではないだろうが、シロンが話の核心をつく。
「風のサーガの名前呼びやがったぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁ!!!!」
「ワル夫、ワールー夫ー」
「はい、なんでしょう。風のサーガ」
「なんでしょう、じゃないんだよ!それだよそれ!風のサーガっての!
オレにはシュウゾウ・マツタニって名前があるんだからー!ほれ、言ってみ、シュウ!って!!」
「……ですが………」
「何、ヤなの?オレの事名前で呼ぶの、嫌?」
「そんな事は決してありませんが……、貴方は?」
「ん?」
「私に名前を呼ばれて……いいのですか?」
「は?何言ってんの?いいも悪いもないってゆーか、いいに決まってるじゃん。ていうか今まさにオレが言ってって言ってんじゃん!もー、ワル夫、もしかして寝てる?起きてる?」
「起きてますから、目を押し開くのは止めてください。
……呼んで、いいんですね?」
「おう!」
「それでは…………
……シュウ」
「うん」
「……シュウ、シュウ……シュウ、」
「んー?どした?」
「いえ………練習、ですよ」
「こんな事に練習?ワル夫変なのー」
「変……ですか?」
「でも、ワル夫らしくて、オレ的にはヨシ!」
「そうですか………」
「な、もう一回呼んで?」
「シュウ」
「……へへへ。何か笑っちゃうなー」
「ふふ………」
「あ、ワル夫も笑ってら」
「貴方が笑うからですよ。………シュウ」
「甘-----------------------------い!!!」
と、言ったのはシロンから事の一部始終を聞かされたGWニコルの第一声である。疾走する貨車ではない。
「ぎゃー!!なんだそのナチュラル甘々っぷり!!尋常じゃねぇぞ!!今ならハバロネ食っても「甘い」って感想が出るぞ俺は!!?」」
「ウーたん、なんだかオレ、そんな義務も必要も無いのに無性に照れ臭いよー!!」
「いやすまねぇシロン……俺はまたてっきり被害妄想もいい所の言いがかりつけてくるのかと思ったが、全然だ。これは逃げ込んでもいい。許す」
「な!?そうだろ!?ヤバイだろ!!?そんなもん見た日にはもう俺は一体どうすればいいのか……!!」
「そりゃー、ここはもう潔く撤退して2人の後押しに回ったらいいゴズボ。」
「おわぁぁぁぁ!!ウーたぁぁぁぁん!!!」
今引っこ抜いてあげるからねー!!とシロンの拳の勢いがありすぎて地面にめり込んだウォルフィの尻尾を掴む。
なんだか絵本の「大きなカブ」みたいだな……とかグリードーはうっかり思ってほのぼのしてしまった。
「ちくしょぉぉ〜〜ワル夫のやつめぇぇ〜〜!!人がちょっと出かけてる隙に勝手に一歩リードしやがってぇぇぇ!!!」
「……一歩リードって……今まで同じ位置に居たと思ってんのか?あいつ」
シロンの半身への恨み辛みを聞いて、無事引っこ抜かれて「あー、俺土属性で良かった」とか的を得てんだが外してんだかな事を言ってたウォルフィがぼそりと突っ込む。
「どぉー見てもあっちの方が部長の扱いに長けてたよね」
リーオンもぼそぼそと同意する。
「おい、シロンがそろそろ戻って来るから、口は慎んどけ」
グリードーの言う通り、明後日向いて歯軋りしていたシロンがこっちを向いた。危ない危ない。
「て事でお前らに協力してもらいたい事があるんだけど」
「……なんだ」
嫌な予感というか、嫌な結果しかないのは解っているが、グリードーは促した。どうせなら自分から覚悟を決めたい。
シロンは、言う。
「まぁ、どうって無い事だけどな。俺がワル夫の目を眩ますから、お前ら背後から忍び寄ってなんか硬いもので殴れ」
「大事じゃねぇかぁぁぁぁぁッッ!!!」
「てか犯罪じゃん!てか、オレらの方が罪重いじゃん!!」
「ドンマイドンマイ」
「何がドンマイかぁぁぁ-------!!!」
「だってもう……邪魔じゃん?あいつ………」
やば!こいつ本気だ!ボケじゃねぇ!とウォルフィはこれ以上の突っ込みは引っ込めた。
「シロン落ち着け!いや、取り乱しててもいいが俺たちを巻き込むのは止めろ!」
「えー?」
「何だその「どうして?」な目は」
「……あの〜、ちょっといいデスか?」
バトル勃発の雰囲気を漂わせた2竜に、リーオンがひっそり手を挙げて発言権を求める。
なんだ、と怒気孕んだ4つの目を向けられ、ひぃ、となったが辛うじて言った。
「シロンも部長の名前、いい加減に呼べばいーじゃん。そしたらまたイーブンでしょー?」
ま、条件が同じでも同等じゃねーけどな……とかウォルフィは心で呟く。
「リーオン」
と、シロンがにっこりした。
あ、解ってくれたんだ、とリーオンもにっこりして、そうしたら。
がしぃ!と捕まって。
「そぉぉれが出来ないから俺が今此処にこうしてるんだろうが!!あぁ!?今更な事聞いてイライラさせんな殺すぞ!!」
「ぎゃー!!ウーたん助けぇぇぇぇぇぇッッ!!!」
「リーオンから手ぇ離せシロン!!何も間違ってる事言ってないだろ!?」
「だから余計ムカつくんだよ!!」
「あ、そーか」
「納得しないでウーたぁぁぁぁ--------んん!!!」
シロンに、首に爪立てられてるリーオンは気が気でない。
「つーかお前……まだ名前呼べてなかったのか。それの練習でグリードーを半死人状態にさせといて」
「はぁ?なんでそれくらいでゾンビになるんだよ?」
「なるんだよ」
重々しくグリードーは呟いた。
「何を照れ臭ってんだかなぁ」
はーぁ、と呆れたように溜息と共にウォルフィ言った。
「あのー、オレ、あと数センチで死ぬ淵にいるんだけど」
リーオンは普通に続く会話に不安を覚えた。
「馬鹿。誰が照れ臭いって言った」
「じゃあなんだよ」
「……恥ずかしいんだよ」
「うん、確かにその理由は恥ずかしい」
リーオンがそれにしみじみ頷く。
「あー、急に右手に握力込めたくなってきたなぁー」
言うまでも無いが、リーオンの首筋に突きつけている爪は右手だ。
「まぁ、確かにな」
と、言ったのはグリードーで。
「恥ずかしいのも解る。照れ臭いのも解るがシロン、お前、ここでサーガの名前呼ばなかったら、後々皆にこう言われるんだぜ」
「何て?」
「『お前サーガの名前呼ばなかっただろ』って」
「そのままずばりじゃねぇかよ!!!何が言いてぇんだテメ--------!」
と、丁度手にしていたリーオンをぺぃっと投げてみるがあっさり避けられる。投げられたリーオンは、5分後にちゃんと帰還した。「あー、オレ風属性で良かった。翼ブラボー」とか呟きながら。
「俺は別にボケた事は言ってねぇぜ」
いや、さっきのアレは完全ボケだった……と、ウォルフィはこっそり同胞にダメ出しした。
「今の状況はこれまでとは違うんだ。たぶん、これはラストチャンスだ。ここで呼べなかったら、お前は本当に呼べずに生涯を終えるどころか、仲睦まじい風のサーガと自分の半身の光景を眺めては縁側で熱い茶を啜る羽目になる」
い、嫌だ!それは嫌だ!!と、恐怖に戦くシロン。
「さぁ、風のサーガの所に帰るんだ。そうして、名前を呼んでやれ。なにより此処からとっとと出て行け」
「さては、最後が一番の本音だな?」
「当たり前だろうが」
その一言がコングだったのが言うまでも無い。
一応の決着がついた時には、日が暮れていた。何やってんだ俺は(本当にな)。
試合が終わったボクサーみたいに真っ白になる光景を見たのは秘密基地だった。この時間なら、シュウは家に居るだろうしランシーンはDWCに居るだろう。
「…………」
ラストチャンス。先ほど言われた単語が頭にくっきり浮かび上がった。
本当は誰よりも何もよりも呼びたいんだよ
ありったけの想いと、なによりの慈しみを込めて
出会えた奇跡を感謝しながら
その、名前を
マツタニ家の屋根が見えると同時に、美味しそうな匂いもしてくる。今日はクラムチャウダーを作っているみたいだ。
「お、でかっちょー!」
シュウが自分を呼ぶ。気づいてないとでも思っているのか、そんな訳がないのに。手をぶんぶんと振って小さな身体を大きく見せている。
バッカだなーとか悪態ついてみても、胸に満ちるのは温かいものだというのは、もうとっくに気づいてはいる。
いる、のだけども。
風を操り、ふわり、とシュウの前で空中停止する。早速、シュウがカムバックさせようとすると、
「待て」
「?」
待ったをかけられ、とりあえず言う通りにタリスポッドを一時引っ込める。
「なんだよ。またどっか行くの?」
「いや、そうじゃねぇ。……だから、だな……その………」
「うん〜?」
「あ〜………」
ぺたん、と飛行帽の上に手をのせ、そのまま停止したように唸るシロン。唸る、というか時折空気が抜けるような音がする。
シ、とか。シュ、とか。
「待てよ……いいか、待つんだぞ」
相変わらず傲慢な内容だが、言っている声色も表情は、むしろ自分に縋っているように見えた。
う〜と渋茶でも飲んだように眉間に皺を寄せ、また、空気が抜けるような音が聴こえた。
ぱちくり。シュウは大きく瞬きする。
この空気が抜けるような音は、もしかして、自分にとって一番馴染み深い単語になるものでないだろうか。
シュウは思った事はすぐ口にする。
「でかっちょ」
「ん?」
「もしかして、オレの名前呼んでくれようとしている?」
「………… !!!!!」
一拍の間を置いて、どかんと噴火したように真っ赤になるシロン。その反応はイエスと言っているようなものだ。
うわぁ〜、となんとも言えない高揚感が自分を駆け巡る。ホームランを打った時はこんな感じじゃないだろうか。打った事ないけど。
「ほらでかっちょ!頑張って呼んでみろって!あともうちょっと!シュウって、ほら!ほら!!」
「なっ……そっ………!!」
「シ・ュ・ウだよ、オレの名前!」
そんな事知ってるよ。
大好きで。
大切な、名前。
「〜〜〜〜〜〜〜ッッ!!!」
「でかっちょ!!」
「……っおい!でかっちょって呼ぶなっつってんだろうが!」
「早く呼べよー!!名前ー!!」
「うるせーな!!最初から呼ぼうなんてしてねーよ!!!」
「あッ!!」
ばさ!と大きく音を立て、翼を翻し、シロンは闇へと変わる空へと飛び去ってしまった。辛うじて、「ワニの穴行ってくる!」と言い残し。
「……んだよ〜。もうちょっとじゃんかー」
むぅ、と唇尖らし、恨めしそうに空を見上げる。シロンが作った風の軌跡はまだ吹いていて、シュウの髪を揺らしていた。
その後日。
「ワール夫!差し入れでーす!」
定期的に、DWCの一室にシュウはランチボックスを持って訪れる。他でもない、そこの主となっているランシーンの為に、だ。ちなみにこの日のシロンの機嫌は超低気圧なので、近寄らないのがなによりだ。
「ありがとうございます。風……シュウ」
「惜しい!88点!」
言い直したランシーンに、よく解らない配点をする。
「シュウ?」
「んーん?」
「何か、嬉しい事でも……楽しいことでもありましたか?」
「えっ、そう見える?」
「とても」
と、ランシーンが頷くとシュウは照れ臭そうに。言おうかなー、どうしよっかな、ともったいぶって、まぁ言うんだけど。
「シロンがさ、」
「はい」
「……名前、呼ぼうとしてくれたんだ」
えっへへーと妙なアクセントつきの笑い声を発し、ランシーンの膝に乗りあがる。
「もーちょっとだったんだけどなー。惜しかったなー」
うん、うん、とその時の事でも思い出しているのか、頷いてみせる。
「………シュウ」
膝の上に昇り切ったシュウに、ランシーンは呼びかける。
「ん?」
シロンに名前を呼んでくれそうになった、と言った時のシュウの笑顔はは、自分が呼んだ時と同じように、いやもしかしたらそれ以上かもしれない。
「それは……良かったですね」
それを見れる自分の立場を、ランシーンは気に入っている。
<おわり>
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