ここ、スパークス邸は、最近行き場をなくしたシロンの駆け込み場となりつつある。
地球の環境汚染と同じくして直ちになんとかしたい、由々しき問題である。
が、今日もシロンは此処へ来ていた。
何の為かというと。
「…………」
「…………」
「シ、シュ………シュ……シ………〜〜〜ッ!!!
だ-------!!!やっぱ言えねぇッッッ!!」
うがぁ!とマレー熊みたいに頭抱えて、苦悩のポーズを取るシロン。
「じゃ、もう取ってもいいか」
「いやちょっと待て!あともうちょっとで言えそうな気がするから!!」
まだだめなんだ、とシュウのお面をつけたグリードーは、その仮面の下で遠い目をした。
そんなこんなでもう2時間である。実に120分、7200秒も過ぎている。最初15分くらいは、ウォルフィもリーオンも、笑いを噛み締めるのに必死だったが、1時間を越えたばかりからグリードーの体調と精神の心配をし始めた。
シロンが一体、なんでグリードーにこんな拷問まがいの事をしているかと言うと。
「おい!」
「何か聴こえたか?」
「知らんな」
「何も聴こえなかったなぁ」
2時間前、大きな庭に降り立った大きなドラゴンを、無視しようと頑張ってみたけど所詮無理な話で。
「グリードー!!俺の特訓にちょっと付き合え!」
「ごめん。俺、本当に好きな人としかしない主義なんだ」
「そんな特訓じゃねぇよ!!」
「じゃ、なんだよ」
ようやく自分のスキル不足に気づいて、教えでも請いに来たとばかり思ったのに。しかしそのグリードーの予想は、まるで違う訳でもない。
「だから……だな。呼ぶ練習だよ」
もごご、と口ごもってシロンは言った。
「呼ぶって何だ?」
まさか悪魔でも呼んで自分の魂との引き換えに、シュウとの仲を取り計らってもらおうとかいう、カオスな計画なんだろうか、などとグリードーは思ってしまった。実際そういう手段を取りかねないものがシロンにはあるし、なにより悪魔での手でも借りない限り、さっぱり進展しなさそうな2人なんだから。
「いや、そも……サーガの名前をだな、」
「は?サーガの名前って……シュウ?」
「それを今から特訓しようってやつの前であっさり呼び捨てしてくれるなー!!」
キー!とヒステリックに叫ぶシロン。かなりぐつぐつと煮詰まっているみたいだ。
「だから、だ!」
シロンは言う。
「ワル山も俺も、あいつの事を同じ「サーガ」って呼んでるけど、ここで俺が一発名前でも呼んで見せれば、ぐっと縮まる距離。意識するサーガ。
殆ど成り行きでワル山と住む羽目になって、サーガからの笑顔とかバスタイムでのスキンシップとか寝床とか全部半分になってたのも再び俺が独り占めに出来るし、あまつさえ「少しはわるっちょを見習え」とか言われる事もなくなるに違いなねぇな」
言われたんだ。で、此処に来たんだ。3人は確信した。
「って事でそれの予行演習に付き合え」
それを終えるまで家に帰りません、なシロンに、大人しく付き合う事にしたのが2時間前の事だった。
「な〜んで、たかが名前が呼べないんだろうなぁ」
グリードーが精神崩壊でもしやしないか心配していたウォルフィだが、それもいい加減疲れてきちゃって、ふいにこんな事を零す。
「んだとぉ!?」
当然、シロンはそれに過剰な反応を示した。
「たかが名前だと!?そりゃ薄情なお前らにとってはそれだけの価値なんだろうけどな!俺にとっては何より神聖なものなんだよ!」
それは邪悪なお前が口にするのは憚れるだろうよ(byウォルフィ)
「なんつーかさぁ、その響きを心で思うだけで、なんていうか、胸が苦しくなって喉が閊えるようで……」
そのまま窒息して死ねばいいのに(byウォルフィ)
「……なんかやけに物言いたげだなぁ?」
「被害妄想だろ」
「あぁっ!うーたん!事実は一番人を傷つけるんだって!!」
そういう止めに入ったリーオンが、何気に一番発言がキツかった。
「いーからとっとと名前言って、グリードーを解放してやれ!
ってか、このお面ひょっとしてお前の手作り?」
何かの写真の、シュウの顔のみを引き伸ばして切り取って作られたそれは、頭に撒く部分にホチキスが引っ掛からないようビニールテープで巻いてあるとか、さりげなく丁寧に作られていた。
「そーだけど?」
それがなんだよ、と応えるシロンに、だからこういう事に使う時間と労力があれば、名前呼んでやる事くらい訳ないだろ、というセリフが浮かんだがもはや言う事はしなかった。正論は、必ずも通用する訳ではないのだから。特にこのドラゴンには。
とりあえず、さっさとシロンにはお帰り願わなければ。シュウの名前を呼ぶ事にいっぱいいっぱいなシロンの耳には届いていないのだろうけど、そろそろグリードーが「……俺の存在はなんだ?……何の為に存在するんだ?……俺は一体、どうして此処に在るんだ……?」と自分の存在理由を疑い始めている。シュウのお面をつけたまま。
「なぁ、もう切り上げて、そろそろ帰ったらどうだ?」
いつまでもお前が此処に居たら、恋敵がずっとサーガと居る事になるんじゃねーの」
と、言うウォルフィの言葉に、シロンがぴく、と反応した。ていうか、それに言われるまで気づかなかったのか……と、リーオンはなんとも言えない気分になった。
「そうだな。とりあえず今日の所は帰るか」
もしかして明日も来る気?と2人はとても不安になった。
「じゃぁな、あばよー」
と軽いノリでさよならをし、白いドラゴンは少しオレンジが掛かった空に飛んでいく。
「あ、忘れ物」
と、途中で呟き、きゅいーと旋回しグリードーからお面を回収した。
2時間ぶりに見れたグリードーの顔は、とても衰弱していた。
2人は毛布を持ってきて、回復するまで温めてあげた。
「なんだよでかっちょ。急にどっか行ったと思ったら、キザ夫ん所行ってたのかよー。
会計委員と仲がいいんだな」
なんていうシュウのセリフを聞いたら、グリードーは悲しみのあまり旅に出てしまうかもしれない。
まずはカムバックして、ねずみの姿にしてもらった。
「なにして遊んでるんだろ。すもう?」
それは迫力ありそうだ!と自分の想像に勝手に盛り上がっている。
「ガガガ?」
シュウの部屋には、居るはずのランシーンの姿が見えなかった。相変わらずシロンのガガガ語はさっぱりなシュウだが、シロンがそれを訊いているのは解った。
「わるっちょは母さんの手伝い。母さんに作ってもらった、サイズぴったりな割烹着と三角巾着けてたぜ」
「…………」
割烹着と三角巾のランシーン……いや、止めよう。いくら自分が伝説のレジェンズでも、想像力には限界があるのだ。
今日の晩御飯、なんだろなーと思いをめぐらせていたシュウは、しかし、自分がしていた事----宿題を思い出し、机に向かう。珍しく、しているらしい。そういや、昨日くらいに今度宿題忘れたらメグチョップ100回!と言われてたなーとかシロンは思い出していた。
ぱたぱたと机まで飛んで行き、邪魔にならない場所に腰を落ち着けた。
其処にはシュウの持ち物が溢れかえっている。
色々あるが、全部に名前が書かれていた。雑多にも思える本人の筆跡で。
「……ガガ」
読み上げるような思いで、その名前をそっと口ずさんだ。
「えっ?」
と、唐突な声を上げて、シュウはシロンの方を向いた。シロンも驚く。
シュウはペンとノートを放って、シロンに近寄る。
「な、ねずっちょ。お前今、オレの名前呼んだ?」
「!!!!?」
な、なんでこんな時に限って通じるんだ!!?
ぎょぎょ、と固まるシロンだ。
「呼んだ?なぁ、呼んだ!?」
きらきらと目を輝かせてシロンに詰め寄るシュウ。
「………っっっ」
ここで、そうだよ、呼んだよ、と言ったなら、常日頃サーガじゃなくてシュウ!と名前を呼ぶことをシロンに主張しているシュウだから、とても喜ぶだろう。なんて、容易に想像はつくのに。シロンてばシロンだから。
「ガガガガ!ガガガガ------!!!」
違う違う違うそんな訳がねぇよあるはずがない!と全力で首を振って否定した。だってシロンだもん。
「そっか。やっぱ違うのかー……そんな気がしたんだけどなー。
でもそんな首振らなくてもいいじゃん。首もげるぞ」
唇尖らせて言う。
もげる前に目が回って、シロンはくらくらしている。止まる直前の駒みたいにふらふらしているシロンを持ち上げ、机の上のちょんと乗せる。
「…………」
眩暈が治まったシロンは、間近になったシュウを眺めた。
こんな近いから、却って呼べないんだろうか。呼べなくても事が済んでしまうから。
かと言って、遠くに行く日はさらさら無いのだけど。
よし、いつか面と向かって名前を呼んでやるぞと、シロンは明日の特訓に今から力を入れた。
同刻、3人に悪寒が走ったのは言うまでも無い。
その特訓は、シロンが飽きるまで続いた。
<おしまい>
|