「夏目漱石の、」
と、話題を切り出したのはデッドだ。
「『こころ』を読むと、必ずとある人を思い出すんですよね。特に、”私”が仮病使って”K”を出し抜いてお嬢さんに求婚----実際に言ったのはその母親にですが----した場面を読むと」
「デッド殿、私の方ばかり見て、後ろに普通の人では見えないなにかを見つけたんですか?」
「ほらカイさん、O・ヘンリーの短編集がありましたよ。これを読んで心を綺麗にして下さい」
「ありがとうございます。でも、それはデッド殿に譲りますよ」
両者、決してひけを取らない。そばに居るハヤテがおたおたするだけだ。
「まぁ、確かにな、なんだかんだで、遺書も一応あったけど、”K”が死んだのはどう考えてもそれだよなー」
「…………」
「…………」
「なんだよ。2人してじっと俺見て」
「いえ……貴方がそんな文学的な物を嗜んでいるとは、あまりにも不釣合いなので」
「ハヤテ殿、ちゃんと自分を解ってますか?」
「なぁ、俺、責められてるの?責められてんの?」
ハヤテ達は今、図書室に居る。学校が読書週間に入り、感想文を提出しなければらない。それの本を選ぶ為だ。たったそれだけの目的なのに、ハヤテは2人の空気に怯え、自分を否定されていた。何故だ、と悩む事も出来ずに。
「……本を読むのは決して嫌いではないんですが、強要されて読むのは嫌ですね」
デッドがぽつり、と言う。それにはカイも同感らしかった。
「だいたい、僕は読書感想文も如何なものかと思うんです。感想なんて、面白い、つまらないのたった一言で十分なんですよ。それを原稿用紙何枚分、なんてノルマ与えるから、結果として平坦な、内容の上っ面を綴っただけの文が出来上がる……」
問題が高度なレベルになってきたので、ハヤテとしてはじっと聞いているしか出来ない。
「ハヤテ殿は、何か決めましたか?」
カイもまた決めかねているらしく、ハヤテにそんな事を訊く。
「ん?俺? 俺は、川端康成の『雪国』にしようかな、と」
ハヤテがそう言うと。
「貴方は、本当に自分に似合わないのを選びますねぇ」
「どうしてそう、周囲を不可解な気分にさせるんですか」
「俺はなんで責められているかが解らない」
窓の外の緑は、そろそろ茶色となりそうだった。
学校で行われている事なので、学年は違えど、爆もまた読書週間の筈だ。
「爆殿は、何を読むか決めましたか?」
と、言うと爆は難しい顔をした。
「もう読んで、感想文を出したんだが、やり直しを言い渡された」
「え、どんなのだったんです?」
真面目、という単語は似合わないけど、何事もきっちりこなす爆にしては珍しい。
「森鴎外の『舞姫』を読んだんだ」
「はい」
爆の事だから、訳されてないのを読んだのだろうな、と思う。実際、そうだった。
「で、感じたまま素直に『ただの男女の劣情のもつれじゃないか』と書いたら再提出くらった。付け加えられたコメントみたいなものに、『男女の仲にはそれだけでは推し量れないものがあるのです』とか書かれて。」
「……………」
何て言ったらいいのか解らなくて、カイは気の抜けた返事のような声のような音を出すしかなかった。まぁ、ある意味爆らしいと言うか。
「一体、何が違うというんだ?ただの不倫劇じゃないのか」
「それは、まぁ……確かに、少し爆殿にはあれは早いかな、と」
「どういう意味だ」
爆の声が低くなる。
「あ、いえ、決して爆殿がまだ子供という意味では、」
子ども扱いされたくない爆にとって、地雷を踏むに等しい行為だったみたいだ。思っている事がついぽろっと出るのは自分の欠点だな、とカイは己を省みる。どうせなら、もっと余裕のある時にしたかった。
「それとしか取れないような物言いだったぞ」
「い、いえとんでもない。
で、他に何か読むのは決めたんですか?」
話題の転換を図るカイ。爆に当然のようにその意図はばれていたが、爆としてもさっさと引き上げたい事だったらしく、カイにあわせてくれた。
「そうだな、源氏物語でも読もうかと」
爆は言う。しかし。
「……それは……違うのに、した方が……」
「? なんでだ?」
カイには、「ただの女誑しの話じゃないか」という爆の感想文が目に浮かぶようだった。
「カイは決めたのか?」
「いえ、私も考え中で」
一応、激に何かお勧めのでもありますか、と訊いてみたら、黙って成人指定のものが出されたので、カイも黙ってその日の夕食は激の苦手なものばかりを出した。
「そうか、なら、今度の休みにでも市の図書館にでも行ってみるか?」
「え、」
爆の言葉に、一瞬止まるカイ。
「何か予定でもあるのか」
「い、いえとんでもない!行きます!是非行きましょう!!」
やった!爆の方には自覚はないけど、今のはれっきとしたお誘いだ!爆の方から!
あぁ、そんな事が自然に出されるような間柄に、自分達はなったのだなぁ、とカイは感じ入っている。爆のこの位置に居る為に、それこそ友人裏切って仮病装う事なんかお茶漬け作るより簡単だと思える。
そして、場所は図書室だ。静寂を守る事がマナーとなっている場所なら、デッドもおいそれと手は出さない(可能性は高い)。
「でも、」
浮かれた勢いで、カイは言う。
「爆殿と行ったら、本じゃなく爆殿ばかり見てしまいそうですね」
「…………」
あほか貴様は!と怒鳴られながら、カイは後頭部に蹴りを受けた。
ハヤテはこれから言うべきセリフを、何度も頭の中でシミュレートする。
(なぁデッド、週末図書館でも行かねぇか。なぁデッド、週末図書館でも行かねぇか。なぁデッド、週末図書館でも行かねぇか………)
よし!
覚悟を決めたハヤテは、デッドに向き直る。
「なぁ、デッド!」
「ハヤテ、今度の週末図書館へ行きませんか」
「うわぁーん!先に言われたー!!」
「……何を泣くんですか。そんなに嫌なんですか」
そうじゃないのだが、とても説明する気にはらなかった。
「いや、行くよ。当然行くけどよ。
でも、なんでいきなり言うんだ?」
と、ハヤテが言うと。
「少し、行かなければならない理由が出来たものでしてね。そう、行かなければならない理由がね………」
「…………」
ハヤテの背筋が寒くなったのは、どう考えても秋の木枯らしのせいだけではなかった。
まだ、この時はハヤテは、これから自分が巻き込まれる惨劇を知らないでいた。
そう、この時は、まだ………
<おわり>
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