長いトンネルを抜けると、そこは雪国----ではなく一面の海だった。
「おー、アレじゃねーの?なぁ」
窓際の席を陣取って、景色にはしゃぐハヤテ。
その先には、海にとうとうにぽっかり浮かんだ都市がある。濃淡の青で統一された施設に、タワーが抜け出ていた。
「あ、そうだな」
爆も窓の外を覗き込む。ハヤテの向かい側が爆なのだから、必然的にカイとデッドが向き合う事になる。
この事に関して、ハヤテは考えるのを止めた。例えば、今2人は笑みを浮かべているが、本当はどんな表情なのかと考えるのも恐ろしい。
爆が時計をちらりと見た。何時に着くのかを確かめたというより、早く着け、といった具合だろうか。
そんな仕草を見てると、カイの判断の正しさが伺える。
歳相応に、はしゃぐ爆は、何だか可愛らしい……というのは純粋に年長者の眼なのだから、殺気を飛ばさないでくれ。
あと、30分で、到着する。
着いた4人を迎えたのは、潮風だった。
まず先に、ホテルに荷物を置きに行く。招待客だから、チェックインの時間帯とか気にしなくていいのが嬉しい。
「て言うか……結構人が居るな」
勿論、通常運営している時とは、おそらく比較にもならない量だろうが、それでもハヤテにそんな印象を与えるくらいには居た。
「招待したヤツの他にテレビや雑誌の懸賞で宣伝したらしいからな。多分、その分だ」
爆が説明してくれた。
「うわー……此処ですか」
ホテルを見上げて、カイが呆然と呟く。
カイに全く旅行経験が無い訳ではない。ただ、連れてってくれた師匠の趣味のせいか、宿泊先は「ホテル」というよりも「宿」という感じの所ばっかりだった。
しかし、仮に普通のホテルに泊まったとしても、目の前の建物に圧巻されるだろう。白い壁に、どこまでも続くような窓。ツインタワーで、上に行くつれ細くなっていく。
天辺は何かの施設と共営されているのか、窓の大きさと配置が違った。
横のデッドも声には出さないが、少し面を食らっている。とても、今の自分達の年代が行くようなレベルではない。
「ほら、さっさと行くぞ」
何を突っ立ってるんだ、という爆の声で、3人が我に返り、荷物を抱え歩き出した。
大理石の床にギリシアを彷彿させるような、白い漆喰の壁、柱。天井にはシャンデリア。
ロビーの中心に置かれている銅像は、下に「海の神・ポセイドン」と説明されていた。
カルチャーショックというのは、今の自分達の状況だろうか……と違う世界に来たような気分だ。
そんな中、爆が鍵を受け取りに行った。
「”1613”室。16階だな。海が広く見えるぞ」
「……爆殿って、凄いですね………」
何も気負いする事無く、普通に事務処理を終えた爆に、そんな事を言ってしまうカイ。
爆は何がだ?と首を捻ったが、他の2人も同じ感想だった。
しばし、今日から3日、ここで爆殿と一緒なのか……と感慨深げだったカイだったが、部屋に入って4人部屋、という現実を突きつけられた。
爆殿と2人きりだったら、と悔やまれるカイだ。
何せ爆はメンタル面を重視するタイプだから、つまりシチュエーションに弱いという事だ。
高級ホテルに2人きり、窓の外は雄大な海……、シチュエーションとしては申し分無い。
ただ問題は、爆がその状況をロマンチックだと思うくらい成長しているかという所だ。爆なんて、ホテルなんてものは施設の1つにしか面識してないだろう。
この辺、カイが最後の一歩に踏め出せない理由だ。
さて部屋だが、バス・トイレが一緒、なんて無粋な事はしない。それぞれ独立した部屋で、トイレは2つある。小さいながらも、キッチンもある。
、4つのベットがある寝室に、くつろげるスペースが仕切りは無いが2部屋分はあった。
「あ、そうだ。冷蔵庫の中のものはサービスで、全部無料だそうだ」
爆が言う。
「へー、ただなんだ」
早速、ハヤテが開ける。卑しい真似はしないでください、と背後からデッドの声が掛かった。
がちゃ、と開けて。
バタン、と閉める。
「ば、ば、ば、ば、爆!」
「どうした?」
「本気にこの中の物、無料なのか!?」
「いや、他の冷蔵庫の物もだ」
「そうじゃなくて、つーか他にもあんのか!!」
「何を騒いでるんですか?」
カイが口を挟んだ。というか、ハヤテと爆の会話に割り込んだ。
「おま………!この中見てみろ!」
「何が…………」
カイも、がちゃんと開けて、バタンと閉める。
「むやみに開け閉めすると、無駄に電力を消費するでしょう」
咎めるデッドのセリフも入らない。
「な、な、な、何か……!ジュース以外にも一杯入ってました!チーズとかチョコとかクラッカーとかサラミとかピクルスの瓶詰めとか!!」
「だろ!?だろ!!」
1流のお持て成しにうろたえる庶民の2人だった。
そんな2人はほっていて、デッドも室内を拝見した。床はフローリングと絨毯。壁の装飾や柄は煩くなく寂しくなく。置かれた調度品も、過ごす時に邪魔にはならない。
「ここの空間、ぽっかり開いてますね?」
「本当は、ワインセラーが置かれるんだが、未成年だけの場合取り外されるんだそうだ」
「なる程、懸命な処置ですね」
ホテルに泊まるのだから、年齢詐称なんて出来ないだろうし、それは簡単な事だろう。デッドは納得した。
後ろの2人は相変わらず冷蔵庫を漁っていた。
「あ、横に冷凍庫……あ、アイスがありますね、って箱に「GODIVA」って書いてあるー!!」
「ごでば!」
一般人でも知っている、チョコレートの有名ブランドに、ハヤテの言語能力が極端に落ちた。
「そーいや、爆に訊いてなかったけど、ここって普通に取ったら一泊いくらなんだ?」
「うーん、訊いて優越感に浸るか気が遠くなるのかのどっちかでしょうね」
「2人とも、気の済むまで冷蔵庫を見ていてくださいね。僕達は博物館の方へ行きますから」
後ろを振り返ると、身支度をすっかり整えたデッドと爆が玄関へ向かっていた。
「わー!待ってください!」
「置いてくなー!!」
ばたばたと2人も向かった。
博物館は、爆達が泊まるホテルに1番近い場所にあった。余談だが、このホテルは各施設へ運んでくれる時間制シャトルバスを玄関から直に出している。
博物館は、例外を除いて生きている魚は置いていない。それは、隣の水族館が充実しているからだ。隣、と軽く言ったが、ざっと1キロは離れているだろう。それだけ、各施設の規模が大きいのだ。
規模が大きいというか、建物自体が大きい。それは、通路を広く取ってあるからだ。
博物館は、主に魚の進化の過程とその化石、海にまつわる神話などの資料やそれを見て作られた復元模型等がある。
「へー、これがトロイア戦争で使われた船かー」
実物大の模型を見て、ハヤテが言う。
「ところでさ、トロイア戦争って何で起きたんだ?」
「それくらい知っておきなさい。常識でしょう」
確かに知って損はないだろうが、常識とまでいくだろうか、デッド兄さんよ。
それでも、説明はしてやった。
「そもそも最初は、ギリシアの3人の女神達の中で誰が最も美しいかという所から始まったんです。これも、裏に別の女神の陰謀があるんですが、省きますね。
で、女神達は選ばせる事にした若者にそれぞれ賄賂を約束したんです。
若者は美女を贈ると言った女神を選んだのですが、問題なのはその美女がすでに結婚していたということなんですよ。
それで、無理やり誘拐みたいに連れ去って、相手が返せといったのに返さなかったから、戦争が起きた、という訳です」
「結婚してたんなら、断れよ、若者……」
顔を顰めてハヤテが言う。
「全く、薄腹黒い人というのは何時の時代の何処にでもいるもんですね」
「どうして、そこで私の方を見て言うんですか、デッド殿?」
爆はちょっと離れた所で、リバイアサンやクラーケン等の幻想動物の絵画を見ている。ちなみに、間違ってもどっかの海人ではない。
神話のコーナーと繋がるように、鉱物と宝石のコーナーになる。海から産まれたのだと伝説されている宝石は結構多い。
宝石の展示室は、薄暗かった。ショーケースの下から照明で宝石をライトアップしている。宝石が、きらきらと光を弾くようだった。
「人魚が泣いた涙は真珠になって、海のニンフが流した涙は琥珀になるんですね」
それぞれの説明を読んで、カイが言った。
「そうだな………」
煌々と照らされているアクアマリンの原石を見ながら、そう返す爆。
(あ、なんだか、ちょっと)
いい雰囲気かもしれないと。
幸い、此処は薄暗いし、人は自分達に居ないし。
部屋に戻ったらデッドも一緒だし。
(……キスくらいなら、いいですよね)
良くない、絶対に良くないぞ、カイ。
展示物を順番に見るふりをして、さり気なく一番奥の角に爆を誘導する(薄腹黒い)。
「あぁ、もう行き止まりか。引き返……カイ?」
振り返ると、カイが自分を壁とで挟むように立っていた。
ちょっと屈みこんで、顔が近くなる。何をされるのかが解った。
「ちょ………!」
「……大声出すと、誰か来るかもしれませんよ……?」
爆の抗議は、喉の途中で引っ込んだ。
カイ、散々周囲に人は無いのを確かめた上でのセリフである(かなり薄腹黒い)。
爆も普通なら人の気配くらい簡単に読めるのだが、今は普通の状態ではない。
薄いと言えど、暗闇でカイと2人きり。
途端思い出された記憶に、真っ赤になって硬直する。
(可愛いなぁ、爆殿v)
なんて思うカイの顔がどんどん近づく。反射的に、ぎゅ、と眼を綴じる。
あと、数センチ。
の所で。
「早く次に行きましょう。ここは何せ広いですから」
爆が眼を開いた時、目の前に居たのはデッドだった。
カイは。
そのデッドの、足の下に居た。
<続く>
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