それはちょっと昔の、とある夏の日の事でした。
「どーだ現郎!可愛いだろう!」
と、親友に言われて。
現郎はこんな時、どんな顔すればいいかわからない……というフレーズを脳裏に浮かばさせる。
いや、別に真から愛息子自慢を唐突にされるのは、2年目だからもう慣れっこだけど。
「なぁ……真、爆は、男だよな?」
「何今更言ってんだ?」
「だったらどーしてスカートなんか履かせてるんだよ」
「スカートじゃない。ワンピースといえ」
真顔で言う真だった。
着せた本人が言うように、父親に抱っこされている爆は、白いワンピースを着ていた。ノースリーブで、シンプルなつくりだから、本人の魅力が一層際立つ(真・談)。余談だが、真は爆をおんぶはしない。なぜかと言うと、顔が見れないからだ。
「お前なぁ……こんなもん着せていいと思ってんのかよ」
「いいじゃないか。可愛いんだから」
それで全てが片付いてしまう真だった。
当の爆は、あまりそーゆー事に自対して己主張がまだ芽生えないのか、ただただ大人しく腕に抱っこされている。そして、じろじろ見る現郎を、これまたじろじろ見かえしているのだった。
人見知りの時期を越えた爆は、かと言って人懐こくもならなかった。
少し離れた所でじーっと相手の全部を目に移して、その人の本質を見極めようとしているのは、現郎の気のせいだろうか。
「つーかお前……俺の家に来たのは、それを見せる為か」
「うん」
「………………」
「冗談だ。普段育児まかせっきりだからな、こうしてたまには交代してやらないと」
いや、それもあるとして、やっぱり半分はそうだろう、と現郎は信じて疑わなかった。
その後、男手2人で食事を取ったり爆と遊んだり。
「さて!今日こそは爆を昼寝させるぞ!」
「ンなに意気込む事かよ」
タオルケットで適当に寝床を作る真に、突っ込む現郎。
「いやだって、乳幼児期が過ぎた頃から、爆は全く昼寝しないんだ。だから、晩飯の時に寝ちゃう事がよくあるんだ」
な、とタオルケットの上に座らせた爆の頭を撫でる。
「……昼寝をしねーなんて……一度、精密検査を受けた方がいいんじゃねぇか?」
真剣な現郎だった。
「俺としてはしょっちゅう寝てばっかりのお前の頭を調べてみたいよ。
多分、爆は自分だけが寝てしまうのが、嫌なんじゃないかな」
真も天は勿論、炎だって昼寝から卒業してしまった歳だ。
最初は一緒に寝そべってくれてても、起きた時には傍に居ないので、本当に寝ている訳ではないのだ、と学習したらしい。
「まぁ、今日は横で爆睡してくれるヤツも居るから、大人しく寝てくれるだろう」
「……此処に来たのは、爆の昼寝の為か?」
そんな風に言っても、寝るのだが。
何せ普段は文句を言われる昼寝をしてくれと言われたのだから。
「じゃ、後は頼むぜー」
気楽にそう言って、爆の隣で横になった。
5分後。
真が意図した通り、現郎は爆睡していた。
が。
爆は。
落ち着いているにしても、所詮は2歳児だ。いつもと違う環境に敏感である。
当然、眠れる事もなく、むっくりと起き上がった。
「……………」
そして、隣に寝る男を見た。
家によく訪れ、ちょくちょく見る顔なので、敵ではなさそうだ。
そして部屋をくるりと見渡し、窓で視線が止まる。
爆は人をよく観察するので、そこが開く場所だと知っていた。
そして、高いところに手を届かさせたければ、何か踏み台を使えばいいという事も。
赤ん坊は危険を知らないのだった。爆は、ついこの前までその赤ん坊だった。
あるのは、外に出たいという好奇心だけだった。
そして、そこから15分後。
食料の買出しに出かけていた真が帰って来た。
「ただいまー……でもないか。爆ー、パパが帰ったよー」
と、寝かせた部屋へ行くと。
現郎は、寝ていた。
爆は。
居なかった。
にっこり、と眠る息子に投げかける筈だった笑顔が氷点下に凍りつく。
「んなぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁッッ!!?」
これだけ近くで真が絶叫したというのに、現郎は健やかに眠っていらしたとさ。
さて。
そこから遡る事約45分。
「あー、何か果物が食いたくなってきた。
て事は、俺はたった5歳という歳若い弟子にこの夏の空の下、お使いを仰せ使わせないとならねー訳か。
なんてこった。運命の悪戯だ」
「思いっきり自分の事じゃないですか」
「て訳で言って来い。今の季節は……うん、グレープフルーツだな」
弟子の言い分を全面に気にしない事にして、果物を選択する激。
「えぇー、私、あれは苦くて苦手です……」
初めて口にした時の事を思い出したのか、渋い顔になるカイ。
「あの苦さがいいんじゃねーか。ったく、ガキだな」
当たり前だ。
「じゃ、お前は自分の分テキトーに買って来な。
制限時間は……今から30分!」
「えぇ!?時間決めるんですか!?」
「何事も修行だ!お前、弟子入りしたんだろうが」
何だかパシりのいいように聞こえるいい訳にしか思えないのだが。
しかし、相手は師匠で自分は弟子だ。逆らえる筈もない。
カイが玄関に向かうと、その背中に「がーんばーれよー」という気楽な声が掛かった。
激にはお望みのグレープフルーツ。自分には桃を買った。旬の物なのでとても美味しそうだ。
前半飛ばした甲斐もあって、指定された時間内には戻れそうだ。
公園を通って、あとは真っ直ぐ行けばいい。
夏の日差しにも負けず、カイは軽快な足音を立てて走り去る。
(あれ………)
通る時、木陰の下にあるベンチで、小さい子が座っていた。
あんなに小さいのだから、親と一緒だろう。
そう思って、通り過ぎようとしたのだが。
その子は下を俯いていて、何だか調子が悪いように見えた。
(でも、親がすぐ来ると思うし……)
ぎりぎりではないが、何かに構ってる余裕もない。
でも、来なかったら。
そうしたら。
「……………」
カイは一旦立ち止まり。
そして、すぐに引き返した。
外へ出て、爆は夏には頭に何か被せた方がいいと言う事と、飲み物は持参した方がよいという事を覚えた。
早い所で木陰の下のベンチに辿り着いたおかげで、まだ日射病や熱中症にはなっていない。まだ、だが。
ちょっと休憩して、戻ろう。
しかし、時間が経てば断つほど喉が渇いて、その不快感は爆に行動させる気を奪っていった。
(どうしよう……)
爆は、軽率な事はしない、という事も覚えた。
眩しい日の光に照らされている風景を見ていると、余計暑くなりそうで、俯いていた。
そうしたら。
「あの」
声が掛かってきた。
上を見れば、叔父よりも若い人が、自分を心配そうに見ていた。
「具合でも悪いんですか?」
「……………」
何せこの世に産まれてまだたったの2年の爆は、まだ完全に言語を理解できない。
でも、表情で目の前の人が自分を気遣っているのは解った。
声を掛けてすぐに返った反応、そして顔色を見て、どうも具合が悪いのではなさそうなので、カイはとりあえず安心した。
(それにしても、こんな小さな女の子が1人で居るなんて……)
爆は父親の陰謀でワンピースなので、そんな事情を全く知らないカイが性別を思いっきり間違えるのも無理はなかった。
「お父さんやお母さんと、一緒じゃないんですか?」
とりあえず問いかけてみたが、爆の意識は別にあった。
カイの袋に入った果物類。
それを見て条件反射で沸いた唾を飲み込み、細い首がこくん、と鳴った。
爆の様子に、何処と無くだるそうに見えたのは、喉が渇いていたからなのか、とカイは納得する。
グレープフルーツは自分と同じく苦くてだめだろうから、桃にした。
よく熟しているので、綺麗に皮が剥けた。
「どうぞ」
爆はきょとんとして、カイの顔と手の桃を見比べた。
警戒されているのかな、とカイは苦笑した。知らないものから物をもらっちゃいけませんという注意は自分もされたものだ。
交互に顔と手を見ていた爆は、顔だけをじっと見た。
不躾なくらい真っ直ぐに見られて、こうなると却って心地よいくらいだった。
真っ直ぐに見る眼は澄んでいて、綺麗な湖面を連想させた。
「もらう」
たどたどしい発音で言って、桃を受け取る爆。
どうやら合格したようで、カイはとてもそれが嬉しかった。
よっぽど喉が渇いていたのか、服や手が汚れるのも気にしないで食べる。
桃なんて、大人にとってはさほど大きなものではないが、爆だと両手で余ってしまう程の大きさだ。
食べる他に落とさないように、気を配らなければならない。
食べたい欲求と食べる速度がかみ合ってないようなので、カイは持つ手を添えて手助けしてやる。
持つ事を気にしないでよくなった爆は、食べる事だけに集中した。小さい口なので、早く食べてても無くなる速度は遅い。
一生懸命に食べる様子に、カイの顔が緩む。
(可愛いなぁ)
なんて思っていたカイの指に、柔らかいものが当たった。
一瞬の事で、何だろう、と思って手先に眼を落としたら。
(わ)
だいぶ浸透(?)が進んでいたらしく、添えていた指先までが食べつくされていた。
と、いう事は。
さっきのは。
などとカイが想像している時に。
ちゅう。
(わわわわわ)
指に纏わりついた果汁を、小さな唇が吸いついた。
されてる側なのに、こっちがいけない事をしているような変な錯覚に見舞われた。
それに、何だか身体が熱い。それは多分夏の気温のせいじゃない。
等々に、悪戯な事をしてみたい衝動に駆られた。
つ、と指を動かし、食べるのを邪魔するみたいに唇を触る。
と。
「やっ」
指から逃れるように顔を振って、む、と上目使いでカイを睨む。
(かっ………可愛い!!)
カイが、鼻血が出そうに逆上せ上がったのも、当然夏の気温のせいではなかった。
桃を半分ほど食べた所で爆が止まった。小さい胃の容量から、それが適量なんだろう。
残しちゃってどうしよう、というような顔をした爆。
自分も喉が渇いていた事もあって、その半分はカイが頂戴した。これって間接キスってやつですよね、と視線を泳がせながら。
食べ終わり、ふう、と背中をベンチに預ける。
完全にタイムオーバーだ。
でも、この子と一緒の時間を過ごせたのなら、怒られるくらい何でもない。
「もも」
と、相手が唐突に言い出す。
「ありがと」
にこ、と笑いかけられて、どうしたらいいか解らないくらい動揺する。
ドキドキする、というやつなのだが、たった5つのカイはそれがまだよく解らない。
そのまま手を振り、別れが来たのだが、そのまま見送ってしまった。
そして。
時間は、真が帰って絶叫した時。
あの声はなんだろう、と開いていた玄関から爆は入っていった。
「現郎!起きろ!永眠させるぞー!!」
「んあ〜?」
命の危険にさらされ、現郎はようやく眼を覚ました。
「なんだよ………」
しかしまだ眠いらしい。
「なんだじゃない!爆が!爆がぁぁぁぁぁぁぁ!!!」
「すぐ後ろに居るじゃねーか………」
「何をそんな見え透いた嘘を!」
「とーさん」
「爆ーv大人しくしてたかー?」
もの凄いあっさり態度を翻した真だった。
「結局、お昼寝しなかったんだなー……ん?」
真は爆の胸元が少し色づいている事に気づき、抱っこする。
と、果実の濃厚な香りが漂う。
「現郎、お前爆に桃食わせたか?」
「勝手に食ったんじゃねーの?」
ぼりぼり、と眠気半分以上の現郎は答える。
「とーさん、夏は帽子被らないと、だめだぞ」
爆は、真の黒い髪をぺしぺしと叩いた。
この時の記憶のせいか、爆はそれから水分補給など暑さ対策をしっかりするようになったし。
カイは。
一目惚れした子を、何もしないままをそのまま帰らしてしまったせいか、一度一度のチャンスをしっかり掴む人間になりましたとさ。
<おしまい>
|