その日の事はよく覚えている。まだ小さく、それこそ母親の腰程にしかなかった体躯の時の頃だが、一秒一秒、自分のその時の感情や目の前の光景を、いつでも鮮明に思い出せた。
なんとなく、屋敷内がいつもと違う空気になっていたのを、幼いながら気づいていた。そして、その幼さ故に、爆には詳細な情報はさっぱり与えられなかったので、自分の足で、目で確かめようとした。
持ち上げられる事が出来る物を数えた方が早い腕に、たいした速度の出ない足。見つけられ次第自室に強制送還される身だったが、運よく自分は目的を果たされた。
産まれて数年、物心がついてからはもっと短い。その時間で広大とも言えるこの屋敷内の全部はさすがに把握しきれては居なかった。そして、まだ爆の知らない部屋に炎が居た。その時はまだ、異質の源が炎とは思っていなかったが、見た途端、すぐにそれがそうなのだと、直感で解った。本能はいつだって正しい。
隙間から見えた炎は、今まで見た事が無い服に身を包んでいた。遠目から見るだけでも、上質だと思える布で出来た服。それはとても白く、後ろの壁紙や、近くの椅子よりも白く思えた。
炎は自分に背を向けていたので、表情はわからない。けれど、その緋色の髪が、いつもよりもっと煌々としているように見えた。
何か、よく解らないが、今日は特別な日で。
炎と、炎を取り巻く環境が変わる日で。
その中で、自分は変わるまい、と思ったのだ。
「もう行くのか」
別に引き止める気ではなく、単に事実として爆はそれを言った。
まさか見つかると思ってはいなかったのか、振り返った炎は少し面食らったような顔だった。まぁ、無理も無いかもしれない。今は、明日になってから数時間しか経っていない。そんな闇が濃い中で、炎は一際目立っている。身にまとう、目に眩いくらいの白い軍服で。忍び込むには向かない服装だな、と爆は常々思う。
「まぁな……久しぶりに、お前の顔もゆっくり見れた事だしな」
ゆっくりって、たった2日だぞ、と爆は心の中で毒ついた。
けれど、今のセリフに嘘が無いのは、こんな時間に発つ事が証明している。ギリギリまで、本当にギリギリまで自分と一緒に居たのだ。炎は。
言いたい事は、山ほどある。何処に行くかとか、何をするのかとか、何時まで居るのか、とか。しかし、それのどれにも炎が答えない----答えられないのは解りきった事なので、爆はいつも、毎回炎を黙って見送るのだった。
でも、今回は運が良かった。普段なら、一度寝れば朝まで起きないのだが、今夜は何故かふと目を覚ましたのだ。そして、一応炎が居るかどうか確認しに出てみればやっぱりそうだった。しかしこれは、自分が気づいたのか、炎が気づかせたのか……そんな事は解らないが。
ともあれ、ちゃんと見送れてよかった。黙って行かれたら、それに腹を立てて、次会う時に時間を無駄に過ごしてしまう所だった。
炎は、自分が炎から遠ざかればいい、とどこかで望んでいるから、一緒に居るには自分から飛び込むしかない。
ふと、頭が揺れた。こんな時間に初めて起きたので、もう眠気が限界なのだ。
「部屋に行くか?」
「……一人で行ける」
送っていくつもりの炎を、きっぱり断った。
「いいから、さっさと行け」
「……じゃあな、爆」
ちょっと手を挙げて、炎は別れの挨拶とし、軍服を翻して歩き出した。その足に迷いは無かった。
爆は数歩、部屋へと向かって歩き、また後ろを振り返った。
まだ、炎が見える。
夜の黒色に浮かぶ、緋色と白。
厳かな衣装を身に纏い、使命をひた、と見据えた双眸で歩き行く炎。そんな炎が、格好いいだなんて、絶対思ってやら無い。
それは昔に決めた事だった。
02:バカみたいに着飾ってキミは出掛けていく
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