無法地帯。

 愛してくれているのだと判る。
 想ってくれているという事も。
 それでもやっぱり「傍に居てね」とか言われると、その言葉がまるで鎖で繋がれたような、檻で閉じ込められるような重圧を感じてしまい、緩やかに追詰められているような気分になってしまう。
 大概は、相手の方がそんな自分の状態に気づき、「疲れるまで居て欲しくない」と去って行ってしまう。
 確かに一緒に疲れていると判る人間と居るのは辛いだろうが、それでも居ようとした自分の誠意と努力が踏み躙られたようで、飄々とその背中を見送る中、きっと何処かは泣いていたんだと思う。
 不毛な付き合い方しか出来ない自分に対して。


「あ、」
 と現郎が声を上げたのは、その日の夕飯の爆作・ペペロンチーノを口に入れる寸前だった。絡められたパスタを前に、現郎が突然食事には必要ない音を発する。
「どうした?」
 爆はそれを平然と受け止める。気にしない訳でもないが、気にした所でどうになるという訳でもないから、という方が強い。
「明日っからゼミの合宿だった」
「………そうか。思い出しただけ、偉いな」
 いつだったか、「そう言えば休み中に顔を出さなくちゃなんねー日があったと思う」とか呟いたその瞬間、激から「オマエ今何処で何してんだよッッ!!」という近いとはいえ電話口から離れても聞こえる怒声が爆にまで届いた事があった。例え3日前だろうが前日だろうが、事前に思い出したのであればまだいい。
「まあ……必要な器材はあっちでそろえるだろうからな……」
「じゃあ、着替えだけでいいのか」
 現郎は頷く。そして、ようやくパスタを口に含んだ。上げたまま静止していたので、少し冷えてしまった。
 食事を終えると、調理が爆を担当したので後片付けは現郎の分担となる。現郎が料理すればこれが逆になる訳だ。
 食後のまったりした時間を過ごし、風呂に入っていつもより早く自室へ引っ込む。明日の準備をそれなりにしなければならない。睡眠時間が命のように大切な現郎にとって、早起きの3文字は無い。なので今から用意をするのだ。
 と、言っても着替えのみだから5分もかからないのだが。3分だったかもしれない。服の他はi-Podを鞄に入れる。小説の文庫も持って行くべきか迷ったが、音楽があるからいいか、と除外した。
 さて、明日の為にすべき事は全部終わった。
 とん、と現郎は壁に凭れる。爆が居る部屋側の壁である。
 明日、明後日と自分は居ない訳だが、爆はどう過ごすだろうか。
 きっと変わりないだろう、と現郎はそう思った。


「って事はその間爆は1人きり?」
「2人暮らしの片方が外出すれば物理的にはそうなるな」
 ピンクのセリフに、爆はそう返した。
「それは……無用心ですね」
 と、言ったのはカイである。その裏側には「だから自分が泊まりに行く」とかいうセリフが見え隠れしていたが、ピンクは全面的にスルーする事にする。薄腹黒の片棒か担ぎたくない。
「別に家自体のセキュリティが変わる訳じゃないんだから、そう神経質になる事もないだろう?」
 心配性で片付けられてしまい、カイは食い下がらずにとりあえずこの場は撤退した。
「じゃあ、オレは次移動教室だからな。先に失礼するぞ」
「あっ………」
「はーい、いってらっしゃーい!」
 カイが何か言う前に、ピンクが元気よく見送ったので爆はそのまま行ってしまった。カイは恨めしそうにピンクを見やったが、ピンクはそんなものは何処吹く風でカツ丼を掻き込んでいる。


 長い渡り廊下は窓が続く。丁度、この校舎は中庭と隣接しているので、木々の木漏れ日が午後の日差しで廊下に降り注ぐ。その中を、爆が歩く。
(そうか、現郎は今夜と翌朝は居ないのか……)
 別に忘れてた訳ではないのだが、改めて言われるとまた違った実感が沸いてくる。中庭を眺めつつ、何気なく現郎が居ない事を考えていた。
「…………」
 だったら昨日の夕飯、あいつに作らせればよかったな、とそれを思った。


「う・つ・ろ・う♪」
 大概人に馴れ馴れしく呼ばれた時はろくな用件では無い。過去から続く形式美(?)である。
「何だー?」
 i-Podを持ってきたものの、何だか音楽を聴くのさえ面倒くさくて、現郎は割り当てられた部屋でぼけーっとしていた。つまりいつも通りの行動である。
「爆に連絡とかした?」
 人の恋路に突っ込みたがるのに、男も女も関係ないらしいな、と現郎は思った。
「圏外なんだから出来る訳ねーだろ」
 自然と文明は両立できないと思い知る事実である。
「でもよ、玄関口に公衆電話あったぜ?俺が見張ってやるから行って来いよ」
 何故最も警戒しなくてははらないヤツに見張られなくてはならないのか。世の中可笑しいことだらけだ、と現郎は思った。
「……だいたい1泊2日……も、ないな。くらいでわざわざ連絡入れる方が可笑しいだろうが」
「それでもするのが愛じゃねぇの?」
「おめーはそうでも、俺は違うんだよ」
 じゃあ、寝る。と現郎は横になった。昔から彼はしおり等の就寝時刻をキッチリ守るという、そこだけ見れば真面目な生徒だった。他はさておき。
 つまんねーの、という無責任で無神経な激のセリフをおぼろげに聞きながら、現郎は早速眠りに落ちてく。
 爆はもう寝ただろうか。
 完全に眠る寸前、現郎はそう思った。


 爆と居るととても気楽でいい
 自分が傍に居ても普通に日常を淡々と過ごす爆を見ていると、別に居なくてもいいと言われてているようで凄く気が楽なのだ


 一拍二日なので、昨日発って行った現郎は今日戻って来る。まあ、当たり前だが。
 爆がいくらただの合宿でしかも山奥だと説明しても、ピンクはお土産のおすそ分けを期待していた。まあ、無いものは無いのだから、ほっとけばいいだろう。
 果たして、現郎は家に居るだろうか。帰路に着きながら爆は思う。
 詳細をさっぱり聞いていなかったが。夜前には帰るような気がしていた。あくまで、気がしていただけだが。
 まあ、居なくても落胆する訳でもなく居た所で狂喜するまででは無いだろう。でも折角だから、今度現郎の好物でも作ってみようかと思った。何が折角か判らないけど。
 家のドアを開ける。ただいま、と言うかどうか迷った。昨日はまだ現郎が居たから、ただいまを言ったのだが。仕方ないので無言で玄関に入る。変な気持ちがした。
 ふと、居間から何かを感じた。
 爆は、それをすでに教えられていた事項のように、迷い無く居間へ向かっていく。
 案の定、現郎がソファで横になっていた。
 あまりにいつも通りの光景だ。こうしていつも眠っていて、自分の帰宅の声に薄っすら目を開けて出迎えるのだ。今日は、声が無かったからか目は閉じられているが。
「……………」
 爆はその顔をしばし覗き込み、やがて満足したのか屈せていた背を伸ばす。
「――ただいま」
 そして、言う。
 その声に、薄っすら現郎は目を開けた。爆の姿を捕らえ、現郎が薄く微笑む。その顔を見て、爆もやっぱり少し微笑むのだった。  


 爆と居るととても気楽でいい
 自分が傍に居ても普通に日常を淡々と過ごす爆を見ていると、別に居なくてもいいと言われてているようで凄く気が楽なのだ

 そしてそれ以上に
 居てもいいと、許されているようで――




<END>

「居てもいいし居なくてもいい」ってのは自分の理想です。
現爆はそれが一番似合うなぁ、と思う。