フランスの片田舎か、水路みたいなものがあるから、ベニスかもしれない。そういう所をちょんと切り取ったようなものが、ここにある。4つの建物で成り立つ小さな一角で、それの建物がぐるりと周りを囲い、門を潜り中に入ると、違う場所で瞬間移動したような気分になる。先述した水路もどきは敷地内を縦横に走っている。それを小さな橋がまたいでいた。
その橋の上に、現郎と爆が居る。長さは短いが、欄干の高さは至って普通サイズで、現郎がだらしなく凭れられる程である。
2人がそんな場所でじっとしているのは、少し先にある四角い池の小屋に居る水鳥の番を眺めているからだ。
「……夫婦かな、あの2匹」
「親子か兄弟かもしんねーぞ」
そう現郎が言うと。
「こういう時は、『なんか俺たちみたいだな』とか気を利かせて言うものだぞ」
と、爆が切り返してきた。
「…………」
また、激か真辺りが変な事吹き込んだな、と沈黙する現郎。後できっちり調べなければ。
「……動かないな」
と、爆が言った。
「寝てるからじゃねーの」
実際、現郎が言う通り1匹は寝ている……のだと、思う。丸くなって、顔を自分の羽の中に突っ込むような感じ。器用に寝るもんだなぁ、と現郎はいっそ感心している。
「そうじゃなくてだな。もう1匹の方だ」
もう1匹は起きている。頭を掲げ、何かを見ているのかいないのか、とにかくじ、とあたりを見ている。
「……そりゃ、お前」
現郎が爆を向く前に、爆が現郎を見ていた。
「護ってんだろ」
「…………」
爆は再び水鳥に視線を移す。寄り添うような、その光景。
「……現郎がそういうこと言うと、思いのほか似合わんな」
「……………」
照れ隠しにしてもえらい言われようだ、と現郎は思う。
昔、幼い頃。
確かに行ったのに、その後どんなに探しても見つからない場所がある。
「オレもそういう所があってな」
「ふーん」
相変わらず、ソファに座らず寝そべっている現郎は、気の抜けた相槌を打つ。
「何処かの一角なんだが、小さなしっかりした門を潜ると、そこはフランスだかベネチアだかの街を切り取ったような場所で、水路みたいなもの通っているんだ。それをまたぐ小さな橋も2,3あったっけな」
淡々と語る爆の声は、まるで子守唄みたいで、このまま寝たらさぞ心地よい眠りにつけるだろうなと思う反面、そんな事したら最悪の目覚めが待っているのは確実なので、欠伸をかみ殺した。
「池、というよりその水路の終着地みたいな四角いスペースに、やっぱり小さな小屋がある。そこには番の水鳥が居て、一匹は自分の羽に頭を突っ込むように寝ていて、もう一匹はそんな片割れにぴったり寄り添っているんだ。オレはそれを、結構長い時間見ていたんだと思う」
「ほー」
「周りは建物に囲まれていて、でも圧迫感や威圧感はまるで無いんだ。通路の向こうに見えるいつもの町を見るのが、なんか不思議だったな。RPGの世界に入り込んだみたいで、此処から冒険が始まるのかとすら思った」
現郎は再び欠伸をかみ殺した。話が退屈なのではない。爆の声は耳に心にとても心地よいのだ。
「異国の建物を模したそれは、多分店屋か何かだったんだろうけど、その時オレは金を持っていないからどれにも入れなかった。少し窓から見て、レストランみたいな店があったと思う。
仕方ないから、ベンチで座っていた。見慣れない屋根で区切れた空が、またオレをその場に留まらせるのに飽きさせなかったんだ」
「…………」
もうだめだ…… 現郎は心の中で白旗を揚げて、目を閉じた。
「でも、」
しかし、爆の口からそんな接続詞が出たので、また目を開ける。
「確かに其処に行ったのに、その日帰って次の日、どんなに探しても其処へ行くことは出来なかったんだ。そりゃ、オレもああ行ってこう行って、とちゃんと確かめながら行った訳じゃないんだが、そんなに広くない町内だ。探せば、その内行き着く筈だろう?」
「……そーだなぁ」
ぽりぽりと頭をかいて、
「……狸に化かされたんじゃねーの」
「……………」
思いっきり冷たい目で見られてしまった。
「現郎は、」
「うん?」
「そういう所、無いのか」
現郎は少し悩み。
「無いと言やぁ無いし、あると言えばあるかもな」
「なんだそれは」
「この前爆と行った所に、行こうとしても行けやしねぇ」
「それはただの方向音痴じゃないか。そういうのじゃないんだ、オレのは」
「うーん………」
現郎は記憶を探ってみる。しかし、はっきり無いと言い切れない。さっき言ったように、あるような、ないような。長い事野晒しにされたポスターみたいに、映像が掠れて読み取れないような場所に、そんな思い出があるのかもしれない。
「……あれからどんなに探しても行けなかったんだが」
爆が続ける。
「あそこに居たと思う水鳥が、空を飛んでいくのは、その後見たような気がする」
でも自分は鳥に詳しくないから、違うのかもしれない、と爆は言った。
さて、そんな事があった数日後。
その日、爆はのっそり起き上がった。隣に居るだろう現郎は居ない。ベットに手を置くと、温かくもないので大分前に出たのだと推測される。
「……………」
散歩ついでに、朝のパンでも買いに行ったか。それとも、逆かな。
ふぁ、と欠伸したあと、ふぅ、と物憂げな溜息みたいなのを吐いた。こういう時、自分の身体はまだ子供なのだと思い知る。
シャワー、浴びた方がいいかな。現郎がやってくれたみたいだけど。
朝のシャワーも中々いいものだ。いっそ、風呂にしようか。
そんな事をシーツに包まって考えて居ると、携帯電話から着信音が鳴り響く。このメロディーは、現郎だ。
「……現郎?」
『いいか、爆』
現郎は、なんだか慌ててるような声だった。
『今から、俺の言う通りの道順で来い』
「何か焦っているようなのは解るが、せめて目的地くらい教えてはくれないか」
『あったんだよ』
いつになく、早い現郎の口調。
『オメーが言ってたような場所。どっかの外国の街みてーなスペースで、水路があって………』
「…………」
身体に纏わりついていた気だるい感じが、一気に吹っ飛んだ。
そして2人は水鳥を眺めている。見られている事を知っているのかいないのか、鳥の方は何のリアクションもしない。
ふいに寝ていた方が目覚め、首を伸ばしあたりを見たかと思うと、水路にすとん、と降りてすいーっと泳いでいく。それについて行く片割れ。
「勝手なヤツだな」
気ままに泳ぎ始めた方を見て、現郎がそんな事を言う。
それを取って、爆は。
「どうせ、オレみたいだとでも言うんだろ?」
「だって、あれ、俺たちみたいなんだろーが」
そんな事を言い合う2人の居る橋の下を、鳥が通る。それにあわせて爆は場所を移動したが(と、言っても1メートルあるかないかだが)、現郎は腕をかけていた欄干に背をもたれさすだけだった。
水路の途中に、休憩所みたいなところがあり、2匹は今は其処に居る。
飛び立ったりしないんだろうか、と爆は思った。
それを口にすると、現郎は此処に住んでるんだろ、と答えた。そうだな、と爆も素直に思う。
幼い頃の、夢とも呼べたそれを、今こそ叶える。
少し緊張したような手つきで、近くの店のドアを開けた。カランコロン、とドアのベルが鳴る。
とりあえず入った其処は、ペットショップというか、ペットの為の雑貨が沢山あった。2人とも犬も何も飼っていないので、ただ、見て回るだけだ。
現郎は、犬用の傘を見せ、犬がどうやって傘をさすんだろう、とか色々想像働かせている。
その現郎に向かって、爆が何かをかざした。なんだ?と現郎が振り返ると、爆はそれを引っ込めて、次のを手にしていた。
それは、首輪で。
「…………」
「やっぱり、現郎には青が似合うな」
「…………」
「いや、つけたりはしないぞ?」
「……たりめーだ」
「ほー、ここにプレートが付けれるのか」
「…………」
本当の、本気じゃねぇよな、と確かめるのが少し怖かった。
それの続きで繋がっている次の店舗は、原石を売っていた。安価なものから高価なものまで、実に多種多彩だ。壁の一面には366日の誕生石が展示してあった。
その店から橋を挟んだ店は、ティー・アクセサリーの店だった。ティーカップやストレーナー、ケーキスタンドも置いてある。
「あ、このタイマー、いいな」
「そうか」
「ティーカップの形していて、使い勝手も良さそうだし」
現郎は店内を探ってみるが、人の気配が一向に見えない。
「……誰も居ねぇな」
「うん、それもオレは気になっていた」
店に水路に橋に街灯、ベンチ、門。街として必要なものは全部揃っているように思えるのに、人だけが居ない。自分達を除いて。
「………勝手に持って行ったら、泥棒だな」
「だろうな」
とりあえず、レジに行ってみる。やっぱり人は出てこないが、寂れたような気はしない。
「メモを置いて行こう。ちょうどぴったり金があるからな」
傍らに合ったメモ帳に、手を伸ばした。
レストランと思しき所も、ちゃんとあった。けれどそこは準備中みたいで、ドアにカーテンがかかっている。窓から覗くと、机5つくらいの小ぢんまりしたものだ。
「残念だな」
「2階立てなんだな……」
上を見上げ、現郎が呟く。
「ここにある説明によると、上は土産用のクッキーを焼いているみたいだぞ」
「なるほど」
屋根には風見鶏があった。今は、風は東へと吹いているらしかった。
爆の通う学校の運動場ほどしかないスペースは、あっさり探索しつくしてしまった。たまに、水鳥が人が肩を伸ばすように羽をばたつかせるだけだ。
不思議な感覚だ。もう、もっと以前から此処を知っていて、何度も足を運んでいるような。昨日までのこの場所に、何があったか、かつてここまでの道順がわからなかったみたいにそれが思い出せない。
此処は人を拒まない。それ故、同じ所には留まらない。色んな人を受け入れる為、に。
「………帰るか」
「……あぁ」
ベンチに並んで腰掛け、そう言う。
「……今日、帰ったら、明日も此処に来れると思うか?」
「…………」
その現郎の沈黙は、それはないだろう、というようなものだった。
「いい所、なのにな」
少し寂しそうに、爆が呟く。狭い視界に、丁度水鳥が通り縋った。
この水鳥は、爆が以前に見たのと同一のような気がしてやまなかった。それを確証にしてくれるものは、何も無いけれど。
「……なぁ、俺、多分前に此処に来た事がある。あの鳥も、見た気がする」
現郎がふいに言う
「昨日は無いと言ってただろうが」
「そうだけどなー、なんか、懐かしいんだ。
懐かしくて、こうして座ってると涙が出てきそーなくらいにな」
こっそりと、爆は現郎を窺った。いつも通りと言えば、いつも通りな顔だけど。
「…………泣いてもいいんだぞ」
「泣かねーよ」
現郎が言って、爆も言う。
「オレも、少し泣きたいくらい此処が懐かしい」
でも泣かない、と現郎が言う前に言う。
風が西のものへと変わった。それを見て、もう帰らなくてはならないのだろうな、と思う。そういう場所なのだ、此処は。
「オレ達は運がいいな」
「ん?」
「普通なら1回しか行けない所を、2回も来れた」
「そうだな」
「また、来れるといいな」
「そうだな」
2人で。
数日後、外を歩いていた2人に、小さな影が上から過ぎる。
それは飛んだ鳥のもので、あの鳥はあそこに居た水鳥なのだと、爆はもう疑いはしなかった。
<END>
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