節分も終わり、けれど寒さは一向に引かないそんな今日この頃。それでも、なんだかカイはすっごいご機嫌そうだった。
何故って。
「いやぁ師匠!もうすぐバレンタインですね!」
「あぁそうだな。お前が自分の苦境に気づく時だ」
「何ですかいきなりそんな不吉な事」
何のジャンルかは知らないが、表紙がピカピカする素材で出来た雑誌を読みながら言ってくれた激に、カイは言う。
「去年も一昨年も期待して、結局爆からは無くてお前があげてたばっかじゃねーか。無関係だけど、今「去年」と打とうとしたら「享年」って打ち間違えたぞ(本当)」
「ふっ、甘いですね、師匠」
「お前の根性程じゃねぇよ」
激のセリフにめげす、カイは言い返す。
「実は目撃しちゃったんですよ、爆殿がチョコ買う所」
えへへ、と照れ臭そうに嬉しそうに笑ったその顔は、ピンクが見たら殴りかかり、デッドが見たら祟りそうなくらい幸せに満ちていた。
「えぇ、マジでか?」
言って悪いかどうか知らないが、爆が赤やらピンクやらのハートで埋まってる空間でチョコレートを買い求めたという場面は、どう想像力を働かせても思い浮かばない。
「はい、三回くらい頬抓ってみましたが、間違いありません」
カイも同じだったようだ。
「まぁ、チョコと言っても、製菓用のブロックだったんですけどね。お母さんと一緒でしたよ」
「……って事は、真と炎用かな」
「たぶん、そーでしょーねー」
表情をぽわぽわさせながら、カイは言った。彼の頭の中はとっくに14日までワープしている。
「カイ」
と、激は唐突に研究者のような冷静な顔になった。
「はい〜?」
その変化に気づかないカイは、相変わらずぽわぽわしている。
「いいか、よーく考えてみろ?真と炎が、易々と爆に他のヤツに上げるチョコを作らせると思うか?作り上げる所までは出来ても、それがお前の手にまでちゃんと渡ると思うか?」
「………………………………………………………………………………え、いや、それは、」
「あと、多分渡された所でそれはデッドにも渡ってるし、ライブにもピンクにも俺にもくれると思うぜ。絶対、オメーにだけじゃねぇ。今テーブルに置いてある懐中時計を賭けてもいい」
「それは私のですよ師匠。
って、言うか、そんなに淡々と言って、私の希望を打ち砕いて何の意味があるんですかぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁ!!!」
おーいおい、と涙を流してうちひしがるカイ。そんな悲壮感漂う弟子に、激は優しい言葉をかけてやる……なんて事は当然せずに、へっと鼻で笑った。
「お前、オーギュスト・デュパンが言った言葉、知らねぇの?『他人の不幸は蜜の味』って」
「あまり詳しくはありませんが世界初の探偵はそんな事はきっと言ってません!」
そんな風に叫んだ後、窓の向うでカラスが鳴いた。アホー、と聴こえたのは、多分空耳なんだろう。と、思いたい。
「あーぁ、誰がバレンタインなんて風習作ったんでしょうね」
「どうした、その劇的な変化は」
つい昨日まで14日まだかな〜って具合に待ち呆けていた(本当に呆けていた)ヤツと同一人物なんだろうか、とハヤテは怪しんだ。
「だって、それが無ければ14日にチョコレートが貰えなくても、落ち込んだりしないじゃないですか」
「んー、まぁ、そりゃ最もだけども……」
正論で理不尽な事を言われると、反論も出来ない。ハヤテはひたすら困った。
はぁ〜あ、とカイはまた溜息を吐いた。
「どうせ私なんて、爆殿にとっての特別じゃないんですよね……」
「それも最もだな」
「なんだと---------!!?」
「自分で言った事だろ!口調変えて怒るなよッ!!!」
胸倉をひっ掴まれて、ハヤテはひぃ、となった。
(あぁ、爆殿からチョコがもらえる可能性は、去年と全く同じか……)
とほほい、とハヤテを脅し飽きたカイは、机に沈んだ。
「だいたい、お前贅沢だぞ。ホワイトデーにちゃんとお返しもらってんだろ!」
俺なんかそれすら無いんだぞ!と絞められてちょっと苦しい喉で言う。
「そう、お返しなんですよ。出来れば、爆殿の意思で貰いたい………」
と、カイはがっくり肩を落とす。
何せ、カイはバレンタインにちょっと苦労をする。サボらない真面目な性格と、面倒見がいいせいで、カイはそこそこもてる。他に好きな人が居るから、とチョコレートを手渡されそうになるのを、それこそ必死になってやっている。こうなると、激の修行の方がまだ易しいと思える程だ。
その日のそれだけで済めばいいのだが、後日その当人によって恨みがましく睨まれたり、その友人達に囲まれてつるし上げにあったり、その人に片想いしている人から闇討ちにあったりと、一週間くらいは散々な毎日を送る羽目になる。人を好きになるのは業のひとつだ、というのが何となく解ったような気がする(違うかもしれないが)。そんな日でも、爆からチョコ貰ったという事実があれば、ばら色一色になってくれるだろうて。
チョコくらい、貰ってやればいいのに。そう後ろ指をさされたりもするが、カイはこの姿勢を改めない。
(……だって、やっぱりそれは違うと思うし……)
好きだという気持ちをこめた贈物なら、その気持ちが受け入れない限り、受け取ってはいけないと思う。
『そういうはっきりした態度は、オレは結構好きだぞ』
でも一番は、爆がそう言ったからだろう。
(……爆殿は、私が渡すのは受け取ってくれるけど、)
それに乗っている気持ちを、知らないからだ。
告げたら、どうなるだろう。
拒まれるのが嫌で、去年もその前も言えないままだ。そして今年も、……になるんだろうか。
「……ふー……我ながら、青春してるなぁ……」
「ほぉ、それは昨日もデッドと一緒に帰る事に玉砕した俺へのあてつけか」
「……爆殿ー」
「聞いてない、と」
カイとハヤテの呟きは、2月の風に乗って消えた。
人当たりのいいカイと違い、自分にも他人にも厳しい爆にバレンタインに訪れる者は少ない。が、その分曲者ぞろいだった。学年どころか学校すら違うヤツ(雹)が押しかける。
それでも、そこそこには貰った。本命ではなく、義理、というかお歳暮みたいな感覚のものだ。
「ほい、来月三倍ね」
溶かして小さい器に入れただけの、まぁ一応な手作りチョコをピンクは爆に渡した。
「それは定例文句か何かなのか」
「いーじゃん、言ってみたいんだし。それに来月期待してる、って所も同じだしね」
とピンクは付け加える。爆の作る焼き菓子は、とても美味しいのだ。
「残念だが、それは今年は無しだ」
「えーっ、何でよ!」
食べることが大好きな、悪く言えば食い意地のはっているピンクは、それはもう猛抗議した。爆はそれに臆することも無く、
「今年はチョコをやる事にしたんだ。ほら、」
ぽん、と軽く放って手渡す。
「わ。ブラウニーじゃない!作ったの?」
すっごーい!と関心するピンクの賛辞にも、爆は動じる事は無かった。
「別に大した事はしていない。母さんと一緒に作ったし、材料混ぜて焼けばいいんだ」
「そんな言い方、全部のお菓子がそうじゃないの。ま、とりあえずありがとね」
「……早速食うのか」
ガサガサと袋を開けるピンクには、呆れ混じりにそう言った。
「んー、美味い!……そういや、アイツにはあげたの?」
今年はチョコだ、というのだから、いつもホワイトデーにあげていた者達にくばるのだろう、とピンクは思った。それはデッドにライブに、(あげるかどうか解らないけど)雹に、それと。
「アイツ?」
「カイよ、カ・イ。あんたの金魚の糞」
えらい言いようだ、と爆は思い、カイはくしゃみをした。それの二次災害でハヤテの上に地球儀が落ちたのだが、説明が長くなるので省く事にする。
「あいつは、ホワイトデーにやる。甘い物は好かんみたいだしな」
カイが聞いたら、それは誤解だ--------!!と血の叫びを上げただろう。
「へぇ、そうなんだ」
もっしゃもっしゃと順調にブラウニーを食しながら、ピンクは特に興味を持った訳でもなく、単純に呟く。
「あぁ。出会った年にそう言ってた。甘いものが溜まっても困る、と」
実はそれは半分くらい断る口実だったのだが、爆には知る由もない。
「ふぅ〜ん………」
そして、ピンクは最後の一欠けらを口に入れた。
(なるほどねぇ……)
だから、来月のお返しが、チーズやゴマの甘くないクッキーだったのか。あいつだけは。
今日の天気は、2月だけど晴天に恵まれた。けれど、カイもその恩恵に授かってると思うと、晴れの空すらちょっとピンクは憎たらしくなった。
----数年前----
夕方、町を歩いていたら下校途中のカイと遭遇した。
「……どうした、その顔」
爆の第一声は、それだった。カイの右の頬は、見て解るくらい腫れていた。
「あ、あぁ、ちょっと………」
カイは苦笑した。
「ちょっと、じゃ解らん。解るように説明しろ」
出会い頭に不躾な言い方だが、カイははい、と返事して素直に答える。脊髄反射にでもなってるみたいだ。
「まぁ、その……チョコを受け取ってくれ、と言われたんですが、受け取らなかったもので……」
「それでキレられてビンタ貰ったのか。世話無いな」
「えぇ、全くです」
師匠なら、上手く切り抜けられるんでしょうね、とカイはあはは、と力無く笑った。
「笑ってる場合か。来い、冷やすぞ」
幸い公園の側で出会った。いえそんな、と無意味に遠慮するカイを強引に引っ張り、水で濡らしたハンカチを当てる。これは爆のハンカチで、蛇口で濡らそうとした時、カイが止めさせようと手を伸ばしたが、睨んで阻止した。
「うわっ冷た……!」
真冬の気温で冷やされた水は、ひやっとどころではなく冷たかった。
「何故避けなかった?出来ただろう」
もし空手部とか柔道部とかの主将なんていう特殊設定付きの相手でも、カイは難なく避けれた筈だ。それは、自分がよく解っている。
ベンチに座っているカイは、地面を見て言った。爆はその対面に立っている。
「……好意は受け取れないけど……それを拒まれた時の哀しさや悔しさは、避けるべきじゃないな、と思いまして」
「……………」
てっきり爆は、カイがただ面倒でチョコを断ってるとばかり思っていたのだが、
(……そういう、考え方だったんだな……)
爆はこの時、不意に、ほんの少しだけ、カイに好きな人がいるのか、そして誰なのかが気になった。その気持ちはあまりに微かで、すぐに消え失せてしまったが。
「ビンタで済めばいいけどな。最近、物騒だから、気をつけろよ」
「はい、心得てます」
そう言うが、カイの表情は微妙に引き攣っていた。
「……まぁ、そういうはっきりした態度は、オレは結構好きだぞ」
何かものを言う時は、予め頭の中で組み立てるものだが、今のセリフはいきなり口からぽんと出た。そういう風に、思えた。
爆がその意味を知るのは、もう暫く時間がかかる。
<End>
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