暑い。
なんて事を思ってもそれが薄れる事はないので、爆は気にしない事にした。しかし、気にしないからと言って解消出来るものでもない。
その証拠に、浮かんだ汗が雫となって頬を伝ってぽたりと落ちる。その感触は生々しくて不快だ。首からぶらさげたタオルで拭っても、まだ吹き出る。こんな気温の中で、大きな声で大合唱出来る蝉がいっそ羨ましい程だった。
こんな日に庭の手入れをしようとしたのが間違いだったのだろうか?と疑問にすら思ってしまう。
しかしこんなに盛大に雑草が茂っているのを、黙って見過ごせる筈も無く。仕方ないと言うのも何だが、せっせと草刈に励んでいた。
何かの修行みたいに心を無にし、ひたすら手を動かしたかいがあって、見事庭から爆の腰まで成長してくれた雑草は消えていた。見通しがよくなったおかげか、風通しもよくなったような気がする。実際、さぁっ、と流れた風が汗をかいた爆を撫でていいく。
夏の風が気持ちいい。
そうだ。この季節、風、と言えば。
(風鈴)
折角なので飾ってみようと思った。今まで店で見る事はあったが、家に飾った事は無い。ちょっと町に出れば、きっとあるだろう。
自分の読みは少し甘かった、と爆は思った。
風鈴はあった。
かなり沢山。
あまりに多いので、どれがいいか迷う、というかいっそ困ってしまう。自分はあまりこういう事に悩む性質ではない。だからか、余計に決断しかねる。
これでは、いつまでもケーキを選んでいるピンクにとやかく言えないな、と思いながら。
ちょっと見るだけで、色んな種類がある。陶器のもの、金属のもの、ガラスの物。とりあえず、ガラスがいいというのは決めた。しかし、そこから丸い形や筒状になっているもの、ひょうたんになっているものとこれまた種類が豊富だ。色彩も豊かで、目移りしてしまう。
気を焦って変なものは買いたくない。一旦引いて、また見てみよう。その時、ぱっと何かが閃くかもしれない。そういう事で、爆はその店を後にした。店から出ても、また爆の視界には風鈴が飛び込んだ。チリンチリンと軽やかな音がして、あぁ、やっぱりいいな、と思う。
風鈴を買おうと思い立った時、もっと細かく言うなら風が自分を撫でた時、こういう風鈴が欲しい、という確かなイメージがあったはずなのだ。しかし、いざ買いに行ってみて、その膨大な量に圧倒されてしまい、頭から吹き飛んでしまったようだ。
どういうのが欲しいと思ったんだっけ。ゆっくり思い出そうと思った途端、声が掛かる。
「あ、爆殿」
それは此処に居るのが結構珍しい人物だった。
「カイか。何の用だ?」
考え事をしようとした矢先、邪魔されたせいか声が少し剣呑さを含む。最初はいちいちそれにビビっていたカイだが、やがて慣れたらしい。今も自分の横目の視線を気にする事なく話を進めていく。
「はい、ちょっと酒を買いに。此処にしか流通してないものなんです」
そう言ったカイの手には、1升ビンが2つ、風呂敷に包まれてぶらさがっていた。
「貴様が飲むのか」
「まさか、師匠ですよ」
あはは、と軽く笑いながらカイは言う。爆だって思っていたが、なんだか酒ビンを持っているカイの姿があまりにも自然に見えたからだ。なんだか、また背が伸びたように思える。なんだか、少しムっとした。
「爆殿は何か買い物ですか?」
「風鈴をな。しかし、どれにするか決まらない」
「へぇー、爆殿も迷う事があるんですね」
なんだか関心したように言うカイ。
「当然だろ。オレを何だと思っているんだ」
割りと本気で怒ったのが伝わったのか、カイが、いえ、そういう意味ではなくて、と慌て始めた。それを見て少し気が晴れた。
「あ、あー、風鈴と言えば!」
急に言い出して、話題の転換を図っているな、と爆は思った。
「私も持ってるんですよ。風鈴」
「激のか?」
「いえ、正真正銘私のです。……あれ、そういえば、まだ出してなかったかも……」
ちょっと視線を彷徨わせ、記憶を探っているようだ。
「……カイ、これからまだ予定はあるのか?」
「いえ?もう、目的は済ませましたし」
あとは帰るだけだ、と言う。
「なら、今から貴様の家に行ってもいいか?」
「は?えぇっ?」
「……そんなに驚くな。いいのは悪いのかどっちなんだ」
「え、あ、はい!いいですよ、はい」
こくこく、と何度やるんだ、と突っ込みたいくらいに頷く。
本当に、こいつはオレを何だと思ってるんだ、と、普段の素行を棚にあげてカイを睨む爆だった。
此処は岩山のせいか、暑さが1度くらい確実に上昇していると思う。
そんな事情は現地の人が一番よく知っていて、その上で建てられた家の中は案外涼しい。調度品によく使われている為か、竹の青い香りが鼻を擽った。
カイは、小さな押入れみたいな所に頭を突っ込んで、確かこの辺にあるんです、と後ろで佇んでいる爆に説明するように言う。
ややあって。
「ありました!」
意気揚々と木の小箱を掲げるカイ。その蓋には「風鈴」と少し拙い字で書いてある。激の字でもカイの字でもなさそうだ。もしかしたら、昔のカイの筆跡なんだろうか。昔の、幼い頃の。
箱を床に置き、両手で丁寧に開ける。それは大切な物だと示唆してる。
「こんなのです」
紐を摘み上げ、持ち上げる。箱の中に入っているのを上から見た限りでは、小さいガラスの器が引っくり返っているようにしか見えなかったが、こうして全貌を現せばやっぱり風鈴だ。当たり前だけど。
全体的に、なんだか小さい風鈴だった。本体は子供の握り拳くらいだろう。それに筆を滑らすように描かれた、清流の流れみたいな赤と黒の線が取り巻いている。そこから、やっぱり赤と黒の金魚が泳いでいる絵が描かれた短冊がぶらさがっていた。
カイに掲げられ、その姿に相応しい音がする。小さく、軽く。何度も。音がする度にくるくる回る下の短冊を眺めながら、爆はそれをじぃっと見入っていた。
はっきり言って、地味だ。色は赤と黒しかない。店にあったのは、それはもう鮮やかなものだった。
しかし、普通に家に飾るもので、いちいち目を引いていたのでは煩くて仕方無い。日常に置くものだから、もっと地味でもいい。でも、ふと見た時ほっとさせて欲しい。爆はそんな物が欲しかったのだが、店にあるのはどれも綺麗過ぎたのだ。
「……師匠に弟子入りしてから、1年くらいでしょうか」
ふと、カイが言い出す。
「その日、初めてお使いを言い渡されましてね、行った先で水汲みを頼まれちゃったんですよ。断り方が解らなくて、黙っていたら、引き受けた事にされてしまいまして、仕方ないので水汲みをしたんです。
で、その報酬に貰ったのがこれなんです」
行った先はガラス工房だったんですよね、と付け足した。
「大した事もしてないのに、こんないい物を貰うなんて、と最初は断っていたんですけどね。最初と同じように強引に渡されちゃいましたよ」
カイは思い出したのか、少し笑った。
「その人、本当に助かったって、何度も何度も言ってくれました。私は、嫌々やってたのが急に恥ずかしくなりましてね。今度から、こんな風に言いつけられる事があったら、全力でやってやろうと決めたんですよ」
「……つまり、貴様のパシリ体質はそこから始まったんだな」
「……そーいわれると身も蓋もないんですが」
「実際今日もパシられてたじゃないか」
「……まぁ、そーですけど」
情けなく耳を下げたカイの手の中で、その風鈴は相変わらず涼しげな音を立てている。
……別に、カイが情けないとか思っている訳じゃないんだ。むしろその逆で。
少し、格好良く見えてしまったから。
これがもしや照れ隠しというものだろうか。爆は複雑な気持ちになる。
「……あの、爆殿」
カイが恐る恐る、と言った具体に話し掛ける。
「何だ?」
「……もしよろしければ、これ、要りますか?」
思っても無いカイの発言に、爆も目を丸くする。
「何を言い出すんだ」
「いえ、爆殿がこれを熱心に眺めているので、欲しいのかなー、と……」
それを聞いて、爆の顔が熱くなる。眺めていたのは事実だ。欲しいと思っていたのも。
「けど、これはお前の大切な物なんだろう?」
産まれて初めて貰った報酬なのだから。いくら自分が傍若無人でも、それを奪うようなヤツではない。
「はい、あの、」
とカイは続けた。
「その、なんていいますか、やっぱり物というのは本当に欲しいと思っている人の元にあるのがいいんじゃないかなーと、……いえ、決して要らなくなった訳じゃいんですが、つまり、これを見ている爆殿がとても………ッ!」
その後何と続けようとしたのか。カイは急に黙って、そして顔を赤く染め上げた。危うく言いかけた、といった具合に。
「……なんかよく解らんが」
と、爆。
「くれるというなら、貰うぞ、オレは。本当にいいんだな」
「あ、はい!勿論です!」
どうしてか、貰う自分ではなくカイの方が嬉しそうな顔をした。
本当になんだかよく解らんな。爆は少し首を傾げたが、それでも風鈴を見て顔を和ませた。
そんな訳で、カイの幼少期と少年期の夏を見届けたのであろう風鈴は、爆の家の軒先に吊るされている。場所は変わったが、音は同じだ。当然だけど。
自分はカイの過去は知らない。どんなヤツで何をしたのかも。
でも、今のカイは知っている。
例えば真夏の日に、道端で偶然であって話し込んだ時。
さりげなく動いて自分を影に置いてくれる、そんなヤツだ。
<終>
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