ふと考え起こしてみれば、自分との関係は、父親の友人の友人であるか、はたまた自分の友人の師匠としか括れなくて。
それに気づいた時、臍の辺りがひゅ、と冷えて。
それと同時にどれほど自分の中で、あの存在が大きくなっていた事を知って。
気づけば愛用のマグカップを落として割っていた。
それに後悔も残念だという気持ちも起こらず、考えていたのは爆の事だけだった。
そんな。
自分にとっての誰か、ではなく、知り合いの誰か、という関係でしかない筈の自分達なのだが。
どういう訳か、頻繁に爆は激の家に通っている。通っているという言い方はしっくり来ない。
なんとなく、寄っている。なんとなく。
カイと関係する事もあったような気もするが、とりあえず今日に関してはそうではない。
暇だから来た。との事で。
両親共働き。塾通いしない爆はクラスメイトと予定のつかない日も多々ある。それでも、休日は同級生と一緒に何かをしているらしいが(遊んでいる、という印象が無い)。
そんな境遇に、爆は一切悲壮感めいたものを見せない。本当に感じていないのか、完全に隠してしまっているのか慣れてしまっているのか。
あるいは、自分と居るからなのか。
……………
激はぼりぼりと髪を掻く。マグカップを割った日から、そう願わずには居られない。そうであって欲しいと。
でも、先述したように自分とはせいぜい赤の他人ではない、程度の結びつきしかなくて。あぁもう。
この家は爆の家への道すがらにあるとの事だ。にわか雨の日にはよく駆け込んでくる。そう言えば、最初此処に来たのはそれではなかったか?いかんせん、自覚する前の記憶はよく思い出せない。その後なら、夢でも見れるくらいよく覚えているのに。一挙一動。それに自分がどう思ったすら。
自分は。
多分、いや絶対訊かなければならないのだと、思う。
”なんで俺の所来るの?”と。
でもそうしたら、何かが始まる傍ら、全てが終わってしまいそうな気がするし。
綱渡りみたいな、微妙な関係だ。
「おいっ」
「わあああああっ!?」
強めに呼びかけられ、激はソファからひっくり返りそうになった。
「さっきから紅茶とコーヒーのどっちがいいか訊いとるというのに、何を呆けた顔をしているか」
「失礼だな、この男前を………」
「…………………」
「すいません」
爆の怒涛の無表情に頭を下げるしか出来なくなったみたいだ。
「んー、じゃ、俺、紅茶にしよーかなー。久々に」
「そうか。オレも紅茶がいいな。ミルクティーだ」
「…………」
「…………」
はいはい、俺が淹れるのね、と激は立ち上がった。
紅茶に使う湯はやっぱり沸きたてだよね、と誰に言うでもなく湯を沸かす。
その間にもやっぱり爆との事を色々考え込んでしまって、沸いた時のピー!という音に素で驚いてしまった。で、また爆に呆られてしまった。
何やったんだ、俺。と縋るみたいに窓の外を見ても外は雨で、秋雨というやつで。
爆がこの家に来た時から、季節が変わろうとしていた。
「スイートポテトは皮付きがいいな」
「皮付き?」
「皮が容器になっているやつ」
「あぁ」
と身があるんだかないんだかよく解らない事を話す。
「やっぱり味が違う」
「だな。シャーベットとかでもよ、刳り貫いた後のを使ってるやつの方が美味いよな」
以前どこかのレストランは、そういうシャーベットを出していたけど、手間とコストが掛かるのか止めてしまった、等、本当の日常会話を話す。爆も結構話す。現郎程無口では無いだろうと思っていたが(まぁ、彼に至ってはしゃべるのが面倒なだけだろうけど)、唐突に「あの雲、ネコに見えるな」とか言い出した時には少々面食らったものだが。
楽しい……のかな。こうしてるの。
どうだろう。したくもない事は梃子でもしないだろうけど、もしかしたら別の目的があるかもしれないし……って、どんな目的なんだか……
「う゛!?」
いきなり、が!と口の中に大きめクッキーが突っ込まれ、呻く激。
「またぼけっとしている」
「…………」
ばりぼりとなんとか噛み砕きながら、激はクッキーを口に突っ込んだ犯人----爆を見る。
「最近、よくぼけっとしているな」
「…………」
それは。
そのまま。
お前を想っている時間が増えたんだよ。と。
………言う?
……言う……方がいいんかなぁ……うーん………
ばりりぼりり、とクッキーを噛み砕く音が煩い。
とか煮え切らないままに、爆は帰宅すると言い出した。
「て、まだ雨止んでないけど?」
不意に降ってきた雨の非難の為、爆は此処に来たのだ。
「これくらいなら走っていく」
「……いーよ、貸してやるって」
呆れたように言ってみて、傘を差し出してやる。実はこれが一番使い勝手がよくて、自分のお気に入りだが、当然爆は知る由もないだろう。自分が言わない限りは。
でも本当にしたいのはお気に入りの傘を貸し出す事じゃなくて。
もう少し、此処に居たら?
もっと、一緒に
居たい
から
「…………」
「おい、」
「え、何?」
「貸してくれるのかくれんのか、どっちだ」
傘を差し出したまま思考に捕らわれてしまったらしく、激は傘を爆に差し出し手に持ったまま、突っ立っていたようだ。
ごめんごめん、と苦笑しながら渡す。爆より長く生きた分、ポーカーフェイスに自信がある。
「じゃ」
また来いよ、とも言えない。
「あぁ」
と、短く返事をし、爆は玄関を潜る。
ぱたんと言う音。これはもう世界で一番嫌いな音になった。爆が来てドアを閉める音と物理的には、何も変わらないのに、この音だけは耳を閉じて聞かなかった事にしてしまいたい。もっとも、聞かなかった所で、室内に爆が居るはずもないのだが。
「…………」
残像でも残っていやしないか、と玄関口を眺めてみるが、そんな事がある訳も無く。
人の居ない玄関の向うは、秋雨がしとしとと続いているだけだった。
この雨が過ぎたら、本格的な秋が来るんだろうな。
秋が来て、冬が来て、春が来て……
出会った季節がまた巡って。そして次の季節にまた移り変わって。
爆、が。
ここに、来ない。
時が
「………っ、」
って、いきなり外に出て俺は。
全く………
大降りでもない雨は、しかし確実に身体を水で覆う。季節柄、していい事ではない。
「……………爆?」
応える声は無い。当たり前なんだけど。
と、その時。
視界の端に、何か動いたような気がした。丁度曲がり角の向こう。壁に沿うように。
「………?」
ぱしゃ、と第一歩が水溜りにもろに浸かった。が、気にするでもない。どうせ全身ずぶ濡れだ。
一歩一歩歩いていく。
そうして。
「…………」
「…………」
一体、誰に感謝するべきなのか解らないけど、今日、爆に傘を持たせないでくれてありがとうと。
爆に合ったサイズの傘だと、見えない所だったから。いつもみたいに。
「……いつから?」
幸せを押し殺せない顔で、激は問う。
爆はじ、と地面を見詰めていて、傘の柄に縋るみたいにぎゅ、と掴んでいる。それは自分の傘で。
「もしかして、俺とおんなじ?」
「違う」
と、爆はきっぱりと。
「オレの方が、もっと、」
「うん」
「ずっと、」
「うん……」
「………」
「うん」
「……何も言っとらんぞ」
「はは」
「…………、」
うー、と睨む爆は仔猫みたいだった。なんだか。
「……やっぱり、さっさとオレの方から言ってしまえばよかったんだ!」
自棄みたいに爆が言う。激の方は見ないで。
「うん、言ってくれてよかったのに」
「……オレだって色々あるんだ」
「へぇ、そいつは可愛い、」
「……何だと?」
ギロ、と剣呑な視線に、慌てて、いやいや、と誤魔化して。
「とりあえず」
と、激は言い出す。
「俺の家、戻ろ?抱き締めたいけど、濡れ鼠だし」
「………」
このお調子者が、と爆は傘で小突いた。
雨は徐々に止んで行き。
季節が変わる
<END>
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