錬金術師とは、世を忍ぶ仮の姿(と、言ってもちっとも忍べそうな職種ではないが)なら、本当なら何を生業として生計を立てているのだろうか。
一般私生活とは無縁の浮世離れした現郎ではあるが、それでもこうして電気ガス水道の通った家に住み、売っている書籍を購入するからには、それを支払えるだけの、何かしらの収入があり、その為の労働をしているという事になるのだが。
遺産、という可能性も考えられるが、ついこの前現郎の過去をちょこっと覗いたかぎりでは、とてもそんなでは無さそうだ。事実、現郎は施設育ちとの事だ。
でも、その後どうやって自立したかまでは、まだ定かではないので、爆は訊いてみる事にする。
「なぁ、現郎。オマエ、本当は何が仕事なんだ?」
現郎は答える。
「寝ること」
うっかり、なるほど、それはうってつけだと納得しそうになったが、まさかそんな事はあるまい。
いや、案外そうかも、と爆は思い直す。
寝るのはあくまで手段で、目的ではないのかもしれない。
(でも、訊いた所で素直に答えてくれなさそうだったな……)
隠すことが嫌いというより面倒くさい現郎。言う事はすぐに言うが、その代わりというか、すぐには言わない事は、どんなに訊いても頑として言わない。
(まぁ、何をしても現郎は現郎だしな)
言いたくない事を訊きたくはない。
でも。
ただ。
寝ることで何がどうなって、何をしているのかは解らないけど。
(……危ない眼に遭ってなければいいが……)
知らなくて不安になるのは、その事だけで。
誰かに訊かれたような気がする。
「現郎が何をしているか、知りたいか?」
それに自分は。
頷いた気がする。
その日の爆は、教師が研修授業をやるとかで半日で切りあがった。
手にする事が出来たこの時間、爆は現郎の元で暮らすと決めている。皆は塾で忙しいし、母親は働いている。
父親は居なかった。物心ついて頃からすでに居なかった。
寂しくないと言えば多分嘘になるんだろうけど、自分を育てる為に頑張っている母にそんな事を言わない気遣いをするのが、自分の誇りみたいに思っていたから。
とは言え、寝ている現郎の横でぼんやりしていると、胸がじんとしてくるから、大分飢えていたのだろうけど。
しかし、そんな状況ではあるものの、悲壮感はしない。何故なら、一番の当事者である母親の天が悲観していないからである。
爆は、父親の事は、居るという事だけしか知らない。「時期が来たら言うわ」と言った時の顔は、仕掛けた悪戯を隠して、本当はそれを言いたくて仕方無い、と言ったような表情だった。それを見て、爆は、自分には何も悲しむ事はないのだと、知ったのだった。
現郎の家に着いた。
鍵は掛かっていない。いろんな意味で必要ないのだ。
「現郎」
と、呼びながら勝手しったると中に入る。
現郎は、珍しい事に、ソファではなく、ロッキングチェアに座っている。珍しくない事は、寝ているという事だ。
ソファに寝転がっている現郎はネコみたいだが、椅子に座りながら寝ている現郎はまるで人形みたいだ。肘掛に腕を預け、背中は背凭れに任せ、ぐったりとしている。
何だか生気がないように思えて、椅子に座っている現郎に抱きつくように乗り上げる。現郎が動くが、それは爆に動かされての事だ。
身体を密着すると、体温と鼓動を感じる。とりあえず、死んではないみたいだ。
身体を浮かし、現郎を見る。見る分にはいつもと同じなんだが、何かが違うような気がする。
何て言うんだろう。現郎は、いつもは寝ていても、自分が居る事をちゃんと知ってて寝ているような感じなのに、今は、自分が来た事に気づかないでいるみたいだ。いや、それが当然……というか何も不思議ではないんだが。
「現郎」
どうしても不安が拭いきれない。
「現郎」
起こすために声をかけ、身体を揺さぶり顔を叩いてみるが、一向に起きる気配はなかった。
明らかに、これは異変だ。
「現郎!」
起きろ。
起きろ。
頼むから。
そんな風に祈りながら、怒鳴ってみるが、やっぱり現郎は起きなかった。
泣きそうになってしまうのを、ぐ、と堪えた。泣いても何もならない。
あぁ、でもやっぱり無理にでも現郎が何をしているのか、聞いておけばよかった。それだったら、まだ何か手が打てたのかもしれないのに。でも、そんな風に思うのは無意味だ。役には立たない。
後悔なんだから、後で悔やもう。今は、出来る事をしないと。
乗っている現郎から、降りる。
そして、その時。
気づいた。
誰か、居る
「………っ、」
現郎を背後にし、振り返ると、やはり人が居た。
人……なんだろう。少なくとも、その姿をしている。細身の筋肉質な青年だ。
クセッ毛金髪の現郎と対照みたいに、さらりとした黒髪をしている。
爆は、その人物をどこかで見たような気がした。昔から、よく知っているような気さえした。初めて会ったのは、確かなのに。
そして、誰かに似ているとも思える。誰だろう。
とりあえずは、警戒を怠らない。
その意思を相手に伝えるように、眼に力を込める。果たして伝わったのか、青年はただ穏やかに微笑む。
「そんなに構えなくてもいい。お前に危害を加えたりしない。……当然、現郎にも」
「……知り合いか?」
「まぁ、そんな所だ」
そう、受け答える青年は、なんだか現郎より自分を見ているような気がする。
懐かしむように、慈しむように。
その胸に、腕に抱かれたくて、駆け出してしまいそうな程だった。幼い頃、母親にそうしたみたいに。
相手がゆっくりと近づく。爆は、もう警戒したりはしなかった。
「現郎は、この世ならざる世界へと跳んでいる」
相手が言う。
「何処へ行っているんだ」
「何処へ、というのは適切ではないのかもしれない。場所は、動いていないのだから。
現郎が行った世界は、「プラトニック・キングダム」と言われる所だ。現実ではない、人の心の中にある世界」
「それは、夢の事か?」
「夢……ではないな。夢とは記憶の反芻でしかないから。夢でも現実でもない、人の中にある”世界”だ」
爆は眉を顰める。
「何だか、よく解らんな」
「今、こうしている世界だって、全部が解明できた訳じゃないだろう?とりあえず、そういうものがあるんだと思っていればいい」
やっぱりよく解らん、と首を捻る爆だが、とにかく現郎が其処へ行っているというのは解った。
「どうやったら呼び戻せるんだ」
「それは、だな」
ニヤリ、と青年は笑ってみせた。子供みたいに、無邪気で悪戯なものだった。
「真実の、愛だ」
「…………… ???」
爆は言われたセリフに混乱する。
「真実の………?」
「愛」
青年は、律儀にセリフを受け継ぐ。
「……そんなもんで、どうすればいいんだ」
爆のセリフに、青年はふむ、と頷き。
「無いとは、否定しなんだな」
「…………」
「あぁ、怒るな怒るな」
とりあえず、殴るのはこれが解決するまでの保留にしようと爆は決めた。
「愛を表現するには、キスだ。現郎にキスしてやれ。勿論、口にだぞ」
「本当に、それで現郎が目覚めるのか?」
警戒はしなくなった代わりに信用も出来なくなった青年に、爆は問う。
「起きなかったら、パンチでも蹴りでも好きなだけしてくれればいい」
「………」
やっぱりいまいち信用出来ないが、一応現郎の事を知っている人らしいので、爆はやってみる事にした。当然、起きなければパンチや蹴りを好きなだけ浴びせるつもりで。
とはいえ。
人前でやるのは、と思っていたら、青年は背中を向けた。
でも、何だか背後の光景も見れそうな気がするな……とも思ったが。
現郎に向き合う。
人が増えたことにも気づかないで、ただ寝ている。
(現郎……)
ありったけの、自分が持っているもの全てを詰め込み、心で呼びかけ、口付けをした。
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