一番付き合いの長い親友のピンクには、両親が居ない。
父親の事は本人も知らないらしいが、母親は事故で亡くしたとの事だ。雨の日、横断歩道で相手の不注意で。
「これね、ママのなの」
何歳かのオレの誕生日の時、身につけた不相応に大人っぽいボローチを指し、言う。其処には何の悲しみは無く、本当にただ純粋に自分のお気に入りを自慢している感じだった。
そんな訳で、オレはピンクと、今でも親友だ。
現郎はあれでいて結構菓子類が好きだと思う。でなければ、錬金て失敗した結果に、菓子が出来る筈が無い。
そんな現郎の為という訳でも無いけど、両親が不在だったオレは手持ち無沙汰でクッキーなんぞ作ってみた。宿題?そんなものは出された当日にとっくに済ませてある。
焼き立てのドロップクッキーは、バターのいい香りをあたりにばらまいている。出来たてのケーキを出す店はたまにあるけど、出来たてのクッキーを出してくれる店は、無いな。
出来たてを味わってもらおうと、荒熱も取れないままに持って行く。熱を含んだ芳香が顔に掛かる。
現郎の家には鍵は無い。多分、必要ないのだろう。
それは、盗っていく価値のあるような物が無い、というのとは別にもう一つ。「何か」がこの家を守っているので、これ以上のセキュリティが必要ないんだ。その「何か」は、残念ながらまだオレも知らない。
「現郎」
声が妙に木霊した。
「現郎」
もう一度呼びかけて、不在だと確信した。
出かけてるのか。珍しい。本当に、珍しい。
折角の出来立てなのに、惜しいな。
もしかして、どこかで力尽きて寝てるんじゃないだろうか、と思ったオレは室内を勝手に詮索させてもらう事にした。現郎の家は、「館」と表記していいほど、実は広い。けれど、使っているのは玄関ホールとバス・トイレくらいだろう。孤を描いて両側に沿うように伸びた階段で続く2階は、全くの未知の領域だ(とは言え、近々そこも探検しようと思う)。
そんな事情だから、探す場所は狭いとも取れるし、広いとも取れる。何処に居るんだ、現郎?
と。
1階の奥の方に、開いているドアを見つけた。行ってみる事にする。
「現郎?」
開くと同時に言ってみる。けど、やっぱり現郎は居なくて。
あったのは、鏡が一枚だけ。本当に、それだけだった。白い壁は、まるで描き込む前のキャンバスみたいだ。
それはそうと、この鏡……
もしかして、この前現郎がうっかり作った過去に通じている鏡なのでは。
見た目はありふれた物なんだが、本物もそんな感じだったし。
あれ以来、どこかに行ってしまって、オレの眼には触れなかったのに。現郎は、勝手に昔に乱入しては、小さい頃のオレを見ているようだ。全く。
「……………」
これを見たのは、出来上がった当初だけだ。その時、知らずにうっかり触ってしまい、入り込んでしまいそうだったが、結局は入らなかった。
この鏡に入れば、過去に戻れる。
昔の現郎が、見れる。
思えば、オレは現郎の事は何も知らないんだ。昔何をしていたのか、今も本当は何をする人なのか。
別に知らなくてもいい。知らなくても、いいんだけど。
知れるチャンスがあるなら。
それは、やるしかないだろう。
入る時に、痛かったり苦しかったしるんだろうか、とかいう不安は杞憂で終わった。一瞬、視界がぶれて、それだけだった。
出た所は、一応同じ室内なんだけど。
「…………」
何かが違う……ような気がする。
とりあえず、一番違うのは明るさだ。外は雨で、陽の光が来ない室内は、夜に思えるほど暗い。
いよいよ、廊下に出て現郎を探してみる。
「現郎………?」
小さく出した声なのに、壁に反響する。それは、他に人が居ない事を示唆している。
よく考えれば、だ。
ここは過去だ。つまり、まだ現郎は此処へ越してはいないのだ。オレとした事が、うっかりしていた。
そうなると、本当に現郎が何処に居るのかが解らない。探すのにも、見当がつかない。
戻るか?
でも、過去の世界に少しだけ興味を覚えたオレは。
ちょっと、ちょっとだけ散歩してみる事にした。
そしてそれを後悔した。
外が暗いのは、時間が遅いからではなく、雨が降り出しそうだったからだ。そして、今はもう降っている。
走り続けて息も乱れたので、木陰に入り小休止。此処からだと、ピンクの家が近いな、とか思いながら。
今は平日の午前中なのか、人が少ない。居るとしたら、一本向うの道で信号待ちをしている女性くらいなものだ。結構大きな傘をさし、腕が上がっているのは時計を見ているからだろうか?時間を気にしているんだろうか。
傘を持ち替えた時、ちらりと見えた。
ピンクが持っているブローチが。
「…………」
見間違い……かもしれないし、ただ似ているブローチなのかもしれない。
けど。
でも。
似ていた。顔も。
………ピンクに。
しかし、ピンクはオレと同じ歳だ。大人で有り得ない。
じゃぁ、まさか。あれは。
ピンクの、母親?
そして、オレは気づく。今の状況が、ピンクの母親が事故に遭った時と酷似している事に。
雨の日。信号待ち。傘をさして狭い視界。急いでいる為、疎かになる周囲。
あとひとつのピース。不注意に突っ込んで来た車が揃えば。
………あ。
車が来た。それも、結構な速さだ。ピンクの母親(?)も解っているとは思うが、信号が変われば止まるだろうと思っているのか、見向きもしない。
信号の色が変わる。車は、速度を落とさない。
そして、横断歩道に足を一歩踏み出した時。
その時オレは何も考えていなかった。
やった事は、相手の腕を取り、歩道に引っ張った事。
そして、そのままの勢いで倒れこむ。アスファルトの地面は、かなりの衝撃だった。
多分、文句を言おうとしたんだと、思う。けれど、速度を全く殺す事無く通り過ぎた車を見て、呆然としていた。あのまま歩きだしていたら、自分はどうなっていたのだろうか、と。
そして、オレは。
駆け出した。
「----あ!ちょっと!………」
何か呼びかけているが、勿論応えてやる訳にはいかない。
……どうしよう。どうしようどうしよう!!
過去を、変えてしまった!
現郎!!
現郎を探して、闇雲に、ひたすらに走った。
過去を変えてしまった。という事は、未来も変えてしまったという事だ。
オレの世界はどうなってしまうんだろう。あれはあれ、これはこれで平行世界となって、何も変わってないのだろうか。それとも、ピンクの母親が健在のままでいるんだろうか。
それならいい。でも、もし。
現郎、と。
別に、ピンクの母親が居なくて現郎が居る「今」が最良だとは言わない。ピンクの母親も居て、現郎も居るのが一番いい。でも、そうでなかったら。
現郎が居なかったら。
現郎。
現郎!
どん、と何かにぶつかった。それで、ふと周囲を見渡すと、見た事も無い閑静な住宅街だった。
ぶつかったのは、傘をさした男。そして、それは。
「爆?何やってんだぁ、こんな所で」
「現郎!!」
間延びした声。思わず、飛びついた。その時、どす!という洒落にならない音がして、ぐは、と現郎が呻いたかもしれないが、気にしない。
「……爆?どうした」
一拍間があったのは、やっぱり腹部へのダメージだろうか。
それより。
「……現郎、どうしよう。過去を変えてしまった」
「過去を?」
現郎が驚いたような声を上げた。
「ピンクの母親が居て、交通事故で亡くなる筈だったのに、オレが助けた……」
自分で喋ってて、何だか支離滅裂だな、と思う。混乱してるんだ、と妙に冷静に思ってしまった。
そんなオレの心境を知ってか知らずでか(多分、知らないだろう)、現郎が背中に手を回す。
「なぁ、爆。それはいつの事だ?」
「ついさっき……」
「そうか。なら、大丈夫だ」
「大丈夫?未来が変わったりしないのか?」
未来というか、現在なんだが。
「爆。落ち着いてあれ見てみろよ」
あれと言われたのは、電光掲示板で。日付を温度が表示されている。
そしてオレは眼を見張った。
表示してある西暦が……10、増えている?
じゃぁ、ここは。
「未来?」
「まーな」
「あの鏡は過去にしか行けないんじゃなかったのか?」
「別に、それだけって言った覚えはねーけど」
まぁ、確かに。
「……じゃぁ、さっき助けたのは……」
ピンクによく似ていたんじゃなく、ピンク本人だったんだろうか?それとも、やっぱりただの他人で……
どっちにしろ。
現郎と居る”今”が、変わってしまわないんだ……
「爆?……爆?」
極度の混乱から解放され、安堵に満たされたオレは、不覚にもそのまま寝付いてしまった。
現郎の、腕の中で。
そして、眼が覚めたら自分のベットで寝ていた。朝、いつも通りに目を覚まして。
夢……だったんだろうか。
そう思った側から、その節は否定される。
机に置かれた、オレが知っているのより少し古ぼけたピンクのブローチを見つけて。
「現郎。これ、どうすればいいと思う?」
オレの作ったクッキーを頬張りながら、現郎は応える。
「どうって……取っときゃいいんじゃねぇの?」
それもそうだな。
取っておいて、いつか渡すんだ。
ずっと先、雨の日に、ブローチをなくしてしまったと怒鳴り込んで来るだろう、ピンクに。
オレとピンクは、きっとその時も親友だ。
と、ここで話を締めくくってもいいんだが。
「お前、未来に行って何をしてたんだ?」
「…………」
黙秘権を決める現郎。クッキーを取り上げると、話し出した。
「まぁ、どーなってるかな、とか思ってよ」
ふーん………
「で、どうなってたんだ?」
「見ようとして、結局止めた」
何故。
「一緒に居るに決まってんだからな」
<END>
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