神殿内はとても広い。建築物という概念を吹き飛ばすくらい広い。
魔界にある炎の宮殿も広いが、此処には及ばないだろう。
文字通り、天のように高い天井。信じられないくらい精密な、装飾の数々。
此処は天界で、自分は悪魔だが、カイにはちっとも息苦しさは感じられなかった。何だかんだで、真の本物というのは立場や存在の違いなんて関係はないのだろう。いいものは、いい。それだけの道理。
さて。雰囲気に飲み込まれて入る場合ではない。
早く、爆を見つけなければ。
その為に、同期1人を犠牲にし、場合によっては天使も1人懲戒免職になるやもしれない。上手く言いくるめたが神殿内で悪魔が平気に闊歩しているのはとても重大な問題だと思うし。
しかし、そんな心配とは裏腹に、カイは先ほどから誰にも出会っては居ない。さっき見た人たちだけしか。
この分だとさっきの根回しは無用だったかな、などと思っていたら。
「------!!」
感じた。髪の毛程に細い気配だったが、紛れも無く爆のものだ。
カイは、その先を目指した。
着いたのは、小さな扉だった。カイが入る為には、屈まないとならないだろうくらいに。
もっと言えば、爆にぴったりのサイズのように思えた。
糸を辿るように走り、辿り着いたのが此処だ。薄く細くしか感じなかった気配が、ここに来てじんわりと浸み込むように感じられる。
「…………」
本来なら、ここで一発派手な音でも立てて、向うから出てきてもらう計画だったのだが(これをすれば、カイは部屋に入っていない。部屋には)。
爆に引き込まれたように、自然とドアに手を伸ばし。
開けていた。
ここは神殿内。つまり、室内だ。
しかし、目の前の景色はどうだろうか。
濃緑の森、その隙間から零れる木漏れ日。
小さい滝があり、それから出来た小さな湖がカイの前に広がっている。さらにその前には大樹があり、切り立った大地から木の根が網のように垂れている。
その中に。
それをハンモックみたいにして、寝ているのは。
爆、だ。
「……………」
まるで神話みたいな光景だ。いや、神々の偉大な所業や壮麗な容姿を称えたのがそれだというのなら、これもきっとそうに違いない。
滝から水は落ちているものの、爆は微動だにしない。絵画みたいに、ただ其処に存在している。
生きている事を確かめたくて、カイは湖に足を突っ込んだ。
入った水はどこまでも透明だった。
ざぶりざぶりと結構な音は立てたと思うが、それでも爆は目覚めなかった。
水の冷たさを楽しんでいたのか、片手の指先を浸し、顔はうつ伏せて寝ている。
湖は爆の方へ行くつれに深くなって行き、爆の前まで来た時、カイは腰くらいまで水に浸かっていた。
ここまで近寄って、ようやく耳を澄ませて呼気が確認できた。
「……爆殿」
愛おしげに呟き、唇を重ねようと、そっと顔を近づける。
その時。
ガッ!!
「っ!!?どぁっ!!?」
首に何かが当たった。いや、正確には巻きついたのだ。
木の根が、ヘビみたいに動き、カイを捉える。
「どぅぁぁぁあああああッツ!?」
首を巻きついた根を取ろうとした、腕すらも掴まれ、そのままに宙に浮く。順調に行けばカイは窒息死だ。
が、ここまで騒いげばどんな人でも目を覚ます。そうでないのは現郎くらいだ。
「………何だ……?」
うにうにと眼を擦りながら、寝惚けながらにそう呟く。
「た、助けっ!助けてくださぁぁぁぁいぃぃぃぃぃぃぃ!!」
爆は目の前の「それ」を見て。
「………何だ?」
もい1回、同じ事を呟いた。
「あー……死ぬかと思った……」
地面の上にへたり込み、カイはそう呟く。
爆の号令一つで、あれだけ強情に巻きついていた根が解けられた。あの状態で解けた、という事はその直後にカイはど派手に下に落ちたという事だが、まぁ、命があれば。
死の危機から逃れたカイの横で、爆が難しい顔をしている。
「可笑しいな……邪気に反応するように設定はしたが、そこに居るだけの悪魔に反応する筈がないんだが……」
その言葉にカイの肩がぎくりとする。言うまでも無いが、カイはあの時物凄く邪だった。
「いや、それくらいの誤差、あるんじゃないですか?」
「そうはいかん。些細な事だと高を括って放置していると、思わぬ事故を巻き起こすものだ。ちゃんとしっかりメンテナンスさえしていれば、何処かの回転ドアだって子ども挟まさにで済んだだろうに」
「………下界の事にお詳しいんですね」
「何か不満でもあるか」
「い、いえ!魔界にも天使はたまに来るんで、私も茶を出したりするんですが、そこまで詳しく語っている人は見なかったもので……」
「……まぁ、大概の天使の本音なんぞ、人間が命令を聞いているかどうかしか興味が無いからな」
少しの怒りを込めて、爆が呟いた。
「で、貴様はどうして此処に居るんだ?」
「あ、実は先日、魔界の警備にて不祥事が起こりまして、それの報告へと参ったのですが、炎殿が天様に歓迎され今は皆さん料理を召し上がっていますので、それの時間つぶしに館内を散歩していたのですが、」
「ここに迷ってきた訳か。迷ってばっかりだな、お前は」
爆が笑う。どうも妙な認識されたみたいだが、まぁ別に構わないだろう。爆の記憶に留められるなら、何だっていい。
「……そうか、炎が来ているのか。さぞかし、はしゃいだだろうな。
貴様も、一緒にご馳走になっていればよかったのに」
「…………いえ、それは、まだ」
カイはこの時、爆は母親に最後に会ったのは何時なのか、手料理は食べた事があるのか気になったが……言うのは止めていた。それを言うのに、自分は相応しくない。
「………あの、一つ訊いてもいいですか?」
「何だ?」
「爆殿は……将来、主神へとなる御つもりなんでしょうか?」
「……………」
爆が黙り込む。やはり、少し不躾な質問だっただろうか、と後悔していると。
「そうか、それも悪くないな」
「………はい?」
「オレは人間が好きだ。その世界も。出来れば起きている事、全部を見ていたんだ。
主神になればそれが出来るのなら、まぁなってやってもいいな」
「……………」
何て方だ。
主神になる事を、単なる手段として使うつもりなんて………
「……貴方は、本当に、……本当に、」
「うん?」
「本当に、偉大な方なんですね」
おそらく、主神という位すら、収まらないくらいに。
「そういうお前はどうなんだ?魔王になるのか?」
「そう……ですね。それもいいかもしれません」
「人のセリフを盗るな」
笑みと共に、軽いパンチ。それを受け止め、自分も笑った。
「オレは近々人間界に行く」
爆が言う。
「もっと色んな事を知りたいからな。
----その時、出来れば誰かを連れて行きたいと思う。違う見分からの意見も聞きたいからな」
「……では!」
是非、私を、と言うより前に。
「オレは待たんぞ。その時に、それが出来なければ置いていく」
「----行きます。絶対に」
眼に力を込めて言ったのは、これが初めてではないだろうか。
思う決意すら、伝えたいと。
「…………」
爆は、小指を出した。カイが何だろう、と思っていると。
「人間界には、約束の時に小指を絡めるそうだ」
やってみるか、と誘う。カイは、勿論従った。
でも、どうせなら指より唇での方がいいなぁ、とか思ったから。
まだ木の根に襲われた。
さて、帰宅。
「では、姉上」
「もっとゆっくりして行ってもいいのに……」
心底残念そうに言う天。それに眼を逸らす炎。
「爆くんは!?爆くんは!!?」
「はいはい、帰りましょうね」
「どーせ会っても殴られるか蹴られるか爆発されるかのどれかだろー」
「あぁ!愛し合う恋人達は何時だって引き離される運命なんだー!!」
両脇を現郎とチャラに抱えられ、捕獲された宇宙人状態で強制送還される雹だった。
帰る、と行っても扉を単に潜るだけだが。
たった1枚の隔たりだのだろうが----一番遠い。
今回はなんとか会えるように仕組んだが、そうそう同じ手は何度も使えないだろうし。
滅多に会えない現状だが----今の身分の自分達だからこそ、出会えたのだから。それには悔やまない。
約束もしたのだから。
彼と自分とを確かに繋ぐものを得たのだから。
「……なぁ、カイ。俺らがメシ食ってる時、何処行ってたんだ?」
「えぇ、少し庭を拝見させてもらいました」
嘘ではない。ただし、爆と、だが。
それに激はふーん、と答えて。
「ところでお前、イヤリング片っぽねぇんだけど?」
「あ、どうやらうっかり落としちゃったみたいですね」
「そうか、うっかりか」
「えぇ、うっかりです」
「うっかりなのか、はははははは」
「うっかりですよ、はははははは」
2人の笑い声が響いた。
で、そのイヤリングをよりによって爆が届けに来たものだから、雹や炎を巻き込んだ魔界規模の騒動に発展したりもしたが、それはまた別の話。
<END>
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