「だから、な?バレンタインてのはあくまで「好きな人に贈り物をする日」であって、「女が男にチョコレートを渡す日」じゃねぇんだよ」
「はぁ……」いきなり
一口サイズのチョコを振舞わされ、いきなり始まった激の話に、とりあえず相槌を打つ。
「ハロウィンが日本のイベントとして浸透しつつある今日この頃、もっとバレンタインにも西洋スタイルを取り入れてもいい筈だ。そうだろ?」
「ですねぇ……」
「贈り物としては、それでもやっぱりチョコに匹敵する物を編み出すのは難しいと思う。て事は対象への改革だ。
今まで女性のみをターゲットにしたチョコレートの開発・発売戦略に身を乗り出していたが、今年は違う!
今年のターゲットは男性!コンセプトはずばり「思わず贈りたくなるバレンタイン」!」
「そおですか……」
激の熱の入った弁を聞きながら、もくもくと食べるチョコにあぁ、美味しいなぁ、と思っているカイだ。
「おー、オマエも納得してくれるか」
「はい」
しなかったら殴られるから、という意見は仕舞いこんだ。
「よし」
激はカイの肩に手をぽん、と置いた。
「て事でその宣伝ポスターのモデルに、オマエに決まり」
「は…………えぇええええええぇぇぇぇえええ!?」
危うく頷きかけて、カイが絶叫した。
「そ、そんなの訊いてないですよ!!」
「当たり前だ!言ってねぇんだから!」
理不尽の一言に尽きる。
「そ、そ、そ、そんなモデルだなんて!モデルー!?」
「そんな難しく考えないでいいんだ。ただ、カメラマンの要望に従って、微笑んだりしたりすりゃいいんだ」
「それが難しいんじゃないですかー!私、そんな真似できないですよ!」
「だーいじょうぶだって!オマエ、タッパはあるし、よく「黙ってればいい男」ってご近所に評判なんだぜ!」
「あー、それは遠まわしな酷評ですね」
「ま、とにかく」
激はどっかりソファに座り直る。
「チョコ食ったんだから、やれよな」
「……………」
嵌められた!と、全てが終わってから気づいたカイだった。
「一旦休憩入りまーす!」
アシスタンらしき人物が、声を張り上げ、それにカイはどっと力を抜く。
ポスターのイメージとしては、何となく買ったチョコをどうしようか、って思ってる所に可愛い女の子が通りかかってそれを振り返っている場面、という感じだ。
一目ぼれまでには行かないけども、ちょっと気になって帰る時にふと想い出すような甘い感傷を表現して欲しい、とか言われた時には「無理です出来ません」と帰ってしまおうかとも思った。というか帰りたかった。
「はー………」
部屋に備え付けられたポットから、コーヒーを持って、簡易式の椅子に座る。
疲れた。
肉体的でなく、精神的に。
動作としては、歩いていく人を振り返るだけなのだが……表情がどうとか、チョコの箱を持っている手の位置をどうとか。
どうすればオーケーが出るんですか!と泣いて縋り付きたくなった時に休憩が入った。つまり、まだオーケーは出ていない。つまり、まだやるという事だ。
「……………」
ズドーンと自分の周囲の空気が沈んだような気がした。出来なかったら……多分、その時は。
思い至った考えに、ブルっと震える。恐ろしさ故に。
カメラマンは、最近出した写真集がちょっと話題になった人との事だ。それを聞いて、カイは直感した。その分、モデル代をケチったな、と。
被写体はカイの他にも居る。カイが振り返る人物である。その人は女性だ。
彼女は、ソファの椅子に座り、カップで紅茶を飲んでいる。
「………………」
パイプ椅子に紙コップのコーヒー、という自分の境遇について、カイはあまり考えないようにした。哀しくなるから。
「おい、カイ」
「は、はい!!」
何時まで経ってもオーケーが出ないのに痺れを切らしたのか、と脅えて返事をする。
「何か機材でトラブったらしくてよ。代わりのが届くまで休憩延長。
ま、気分転換にデパート内でも散歩してきな。案外、今回のポスターみたいな事に出くわすかもしれねーし」
「そんな、私は師匠と違って女誑しじゃ……」
「……何か言ったかよ」
「い、行ってきまーす!!」
カイは逃げるようにその場を後にした。
と、言うか逃げたのだが。
激から逃げ出したカイなのだが、外は外で彼に苦行を容易していた。
「ちょっと!どうしてくれんの!!」
相手は20代前半……だろうけど、派手すぎる化粧と服がとてもアンバランスだった。3メートルくらい離れても感じれるくらい香水がキツい。
そんな相手にどうしてカイが絡まれているかと言うと、カイがちょっと商品を見る為に立ち止まっていたら、携帯電話をしながらアイスを食べながら歩いていた相手がぶつかって来て、彼女のブランド物らしきバッグが、目出度くクリーム塗れになってしまった、という経緯だ。
ギャンギャン喚く女性に、カイはどうしようもないでいた。逆らうと殺される、と骨の髄まで染みこんでいるのと共に、基本的に色んな意味で女性に弱いのだ。カイは。
「15万もしたのよ!?これは!きっちり弁償してよね!」
「そ、そんな……」
金額もさる事ながら、あくまでぶつかってきたのは向うなのだ。と、言っても聞いてくれそうにもないし。
これで警備員とか来てしまったら、どうしようか。
途方に暮れるカイ。
と、その時。
「何だ、通路で迷惑だな」
居丈高にそう言って、現れたのは自分より頭一個低い少年だった。多分年下なんだろうが、その強く真っ直ぐな双眸は、詰め寄られれば「すいません」と謝ってしまいそうだった。
「何よ、関係ないじゃない」
「関係はある。オレが通るのに著しく邪魔だし、目障りだ」
何か師匠に通じる唯我独尊っぷりだなぁ、とカイは思う。
「こっちはね!バッグをダメにされたの!この価値が解んないヤツにどうこう口出さないでよ!」
「あぁ、確かにそんな物の価値は解らんな。
そんな、偽物の価値なんぞ」
偽物ぉ?とカイも目を剥く。
「下地の色は違うし、プリントも位置が均一じゃなくてムラがある。何より、止め具になっているエンブレムのスペルが違う。
何処で買ったか誰に貰ったかは知らんが、そんなもん千円出しても勿体無いくらいだ」
「なッ……!な……!!」
言う言葉もなく、ワナワナとバッグを握り締めていた女性だったが、やおらカイ達を突き飛ばすようにして歩き出した。
その姿を、カイは呆然として見、少年はやれやれ、と言った面持ちで見ていた。
「あの……ありがとうございます」
「別に礼なぞ要らん。目障りだったのは事実だ」
「それにしても、よく偽物だって解りましたねぇ」
「知らんぞ、別に。ブランド物なんぞ」
「………え」
「相手が戻って来る前に、さっさと行ったがいいぞ」
そう言って、何事も無かったかのように歩き出した。
「ちょ、ちょっと待ってください!何か、その、お礼を……」
「だから要らんと言ってるだろう!これくらいでされたら、却って迷惑だ」
「でも、本当に私困ってて……それで、凄く助かって」
「……解った」
根負けしたように、溜息を吐いた。
「だったら、そこで茶でも奢れ」
「……はい!」
カイは意気揚々と頷いた。
適当に入った喫茶店で、2人とも紅茶はダージリン、カイはミックスサンドを、相手はクラシック・ショコラを頼んだ。
カイは、どうしてか目の前の人とこんなゆっくりした時間を一緒に過ごせるのが、嬉しくて仕方がなかった。つい数時間前までは、知らない相手だったのに。
ずっとこうしていたいが、時間は過ぎるのだ。ゆっくりはしていられない。
と、言うか。
「あ--------!!」
「どうした。金でも足らんか」
「違います!私、実は今休憩中で、遅れたら絶対折檻で!!」
慌てて時計を見たら5分前。ゴフ、と吐血したような気持ちになった。
「す、すいません!行かないと!あ、これお金です!お釣りはとっておいて下さい!!」
「おい……!」
文字通り怒髪天を突く激を思い浮かべ、出てきた時と同じくらいの速度でまた戻るカイ。
相手の素性を、名前すら訊いてなかったのを、部屋に戻った時、気づいた。
あーあ、と自分の失態に溜息も出ないカイだ。
こうなったら、さっさとオーケーを貰って、彼を探しにいかないと!
まだ、あそこに居るだろうか。もう、帰っただろうか。
「はい!集中ー!!」
という声により、自分の境遇を思い出す。
今日、何度も通った並木の通りのようなセット。
相手が向うから歩く。同じ速さで自分も歩く。
やる事はしてても、頭の中は彼で一杯だ。
(そういえばショコラを頼んでいたけど……甘いのが好きなのかな)
すぐ横を、相手が過ぎる。それを、振り返る。
(このチョコ、結構美味しかったから、あげたら喜ぶかな)
指示には無かったけど、無意識に小箱に目を落とす。
オッケーです!と、撮影所内に声が響いた。
「ほれ見ろ!俺の言った通りじゃねーか!」
「ははは、実際撮られたのは私なのに、どうして師匠が偉そうなんでしょうか」
「俺が偉いからに決まってんじゃねーか」
「………」
決まってるのか……そうか………
カイは黄昏る。
「ま、冗談抜きでよくやったよ。箱の方に目をやったアドリブが効いたな」
「いや、そんな……」
思いかけず褒められて、照れるカイだ。
「て事でもう帰っていいぜ。てかむしろ帰れ」
「……………」
使い捨て、という言葉が過ぎったカイ。
「あ!やっぱ待て!次の準備ちょっとしていけ」
「えええ!?」
さっさと探しに行こうとしていたカイに、この仕打ちは酷かった。
「いや、ちょっと用事が……!って、次って!?」
「馬鹿。お前まさか自分がメインだとか思ってんじゃねーだろーな。
お前はあくまでサブだよ、サブ。本命は次のヤツ」
「……他にも居るんだったら、私別に要らなかったじゃないですか!」
「使うカットが1個だけだったら、見る側が飽きちまうだろうが」
「とにかく、私はもう帰ります!!」
「あ、このヤロ!」
激の手が届く前に、ドアの外へ出てしまえば、何とかなる……と思う。
しかし、ドアを開けたらどん!と人にぶつかってしまった。
「あ、すいませ……」
「何だ。失礼なヤツだな」
相手は自分より頭一個低い少年で。
その後は、省略。
<END>
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