丁度夏と秋の境目で、朝は涼しく、けれど日中はまだ暑さを残すような日の事だった。
夜明けと共に起きるカイは、その後近所を軽くジョギングする。軽くとは言ったが、カイのレベルでいくと一般人では過酷と呼べるものだ。
それはともかく、白々としていた空はすっかり青色に染まり、街にはそろそろ昼食の準備に取り掛かる人が多いだろうという時間に、カイは自宅へと戻った。
異変は、そこから起きた。
戸口の前に、藤の蔦で編みこまれた籠がちょこんと置かれていた。
何事だろう、と籠の中を覗き込み、そして驚愕した。
そこには、赤ん坊が、まだ自分に何が起きているのかも解らず、すやすやと寝ていたのだ。
迷子、いや、それは無い。じゃぁ、捨て子-----
此処はカイの自宅であり、激の自宅でもある。この国にとったら、偉い仙人が住む場所だ。
何かの事情で育児に行き詰った母親が、その仙人を頼って赤子を託す。まぁ、解らない話でもない。
しかし、自分の子を捨てるなんて-----
ふつふつと、母親に対する静かな怒りが込上げる。が、今は赤ん坊だ。
改めて籠を見ると、隅に四つ折りになっている紙があった。
広げてみると、そこには住所はおろか、その赤ん坊の名前すらなかった。
あったのは、ただ、この1文。
”貴方の子です 責任取ってください”
「………………………………………………………………」
カイのとても長い1日が、こうして幕を開けたのだった。
「……お前、ヤバいぞさすがにこれは……」
「そんな深刻な顔はやめて下さい!私じゃないんですから!!」
ハヤテに怒鳴るカイ。その横では、デッドが手紙というか、メモ書きというか、添付されていた紙を見ている。
そしておもむろにカイの肩を叩き、
「そんなにうろたえないで下さい。僕は、信じてますから」
「デッド殿………」
「貴方はいつかこんな事を仕出かす人間だと」
「デッド殿ー!!!」
信頼と言う物が最低値をぶっちぎってマイナスまでに達しているデッドの言葉に、カイはただただ涙するだけだ。
「だいたい、私は爆殿一筋なんです!どうして、他の人と子供なんか!」
憤慨しつつ主張する。
「だよなぁ、傍で見てもう怒るのも呆れるのも通り越して帰りたくなるくらいだもんな、お前の爆への依存ぷり」
「貴方の報われなさっぷりには敵いませんよ。ともかく、この上ない説得力の篭った発言で、で私の潔白を信じていただけると思いますが?」
ハヤテをさらりと傷つけながらカイは言った。
「貴方に見覚えがなくても、事実はあったのかもしれませんよ。
例えば、何処かの娘さんが暴漢に言われも無くいちゃもんを付けられている所を助けて、その後ご両親等に食事に誘われ、酒等出されて断りきれないままに飲んでしまって、そこで記憶が途切れて気づけば朝起きてその家のベットの上……などというシチュエーションも考えられます」
デッドの提言に、ハヤテはあっはっはと明るく笑い飛ばし、
「はは、ンな出来すぎた話があるわけねぇよな、カイ………って、すげぇー冷や汗---------!!!」
「い、いや、でも、しかし、あれは…………!!」
ハヤテが横に居るとカイが怒涛の勢いで汗を流していた。
「大体、生後1年未満、て所ですか、この赤ん坊は………逆算して、一昨年…………」
「………………………」
「身に覚えがあるのか!一昨年!!」
ハヤテの問いかけにはいといもいいえとも答えられないのが、却って肯定しているようなものだった。今、カイの容疑は限りなく黒に近い灰色となった。
あぁ、でも、と混乱を極めながらもカイが思う。
ここに爆が居なくてよかった。例え潔白であろうと、こんな話が立つ時点ですでに、もう………
「……………………」
いや。待て。
今更のように説明するが、ハヤテとデッドがここに居るのは、激のためた書籍を借りに来たからである。まぁ、その目的があるのはデッドの方で、ハヤテはそのおまけというか、ついでというか。
そして、そんな話が持ち上がったのは、前の集まりの時で。
その時。爆も。
『オレも調べ物がしたい時、ちょっと寄ってもいいか?』
『えぇ、来てください。是非来てください』
『近づきすぎですよ、カイさん……』
『デ、デッド殿、どうして私の胸が急に苦しく………!!!』
『寿命じゃないですか?』
「……………………」
いや。いやいやいや。
確かにそんな事を爆は言ったが、まさか今日、来る訳がないだろう、自分よ。不安がるのも大概にしよう。自分で自分の胃を痛くする必要が何処にある。頼みもしないのに苦しくなる胸があるというのに。
そうそう。爆が来るわけが………
「おい、カイ、居るか?」
「あ、爆だ」
「!!!!!!!!」
カイは何でこんな時に-------!!と叫んだつもりだったが、衝撃が過ぎた為か実際には声に出ていなかった。
てか、本当に来た-------!!!
「カイ?どうした、顔色が悪いぞ」
「て、鉄分が不足してるんじゃないですか?」
すごい言い訳だ。
「あぁ、ハヤテもデッドも居るのか。奇遇だな」
と、とりあえず、赤ん坊をどうにか………!!
「ん?どうしたんだ?この子は」
もう見つかっちゃった!!!
事態はノンストップで最悪へ突き進む(カイにとってだけ)。居るのかどうか知らないが、運命の神様がいたとするなら、余程カイが嫌いらしい。
すやすやと眠る赤ん坊をそっと覗き込む爆。光景としては、とてもほのぼのとしていいのだが。
「あ、そ、その子はですね、爆殿……!!」
「カイさんの子供だそうですよ」
デッドが手紙付きで説明する。
「…………………………………………………」
こんな室内でカイだけに被爆させたのはさすがだと2人は思った。
「おーい、赤ん坊が眼ぇ覚ましたみたいだぜ」
ハヤテが暢気に言う。その横では、爆に浄華をかけられているカイが横たわっている。ちょっと、やりすぎたようだ。
自宅以外で眼を覚ました赤ん坊がする事は、決まっている。
思い切り泣くのだ。
「わ、わ、泣き出したぜおい!!」
「そんなの言わなくても解りますよ。お腹が空いたんでしょうか……?」
あーんあーんと泣いていた赤ん坊がぴたりと止んだ。
爆を見て。
そして。
「ママー」
ぴしり。
場が固まった。
「………えーっと……………」
カイが、よく考えてから言った。
「爆殿がママという事は、やはり私が父親?」
「そんな訳があるかぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁ!!!!」
ぼぎゅりゅう!とスクリューしたパンチを叩き込まれ、カイはまた撃沈して、赤ん坊がまた泣いた。
「多分、髪型が似てるんでしょうね。爆くん、少しまた伸びたようですし」
「旅をしていると、ついほったらかしになってしまうからな」
「あの………世間話もいいですが、私に術を………」
死に掛けのカイが言っている。
「泣きっぱなしの赤ん坊もどうにかしてくれよー!!」
あわあわと何も出来ないでいるハヤテだった。
そんなハヤテはよそに、爆が慎重な手で抱きかかえる。が、それでも赤ん坊は泣き止まなくて。
「どうやら、腹が減ってるみたいだぞ」
「赤ん坊の食事って…………」
「………………」
「………………」
沈黙の中、カイが口を開いた。
「……爆殿、胸、」
ゴ。
「……ハヤテ、ちょっとひとっ飛びして哺乳瓶とミルクを買って来い。他の製品も忘れるな」
「わ、解った」
ハヤテはがくがくした。別に熱病にかかった訳ではない。今カイにぶつけられた拳を自分にぶつけられようものなら、という恐怖の為だ。
「さて、ハヤテが帰ってくるまでどうするか………」
「ノバウサギの歌を聴かせると泣き止むとか言ってましたね」
カイは、そんな2人の足元に居る。
カイの長い1日は、まだ始まったばかりだ。
すでに3回、沈んだが。
<続く>
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