此処ではとかく、高い建築物を建てるというのが、自分の権力や財力を示すステータスみたいなものらしく。
上から見たら、多分まるで竹林みたいに無節操に立ち並ぶ超高層のビル郡。よく都会で見る空は四角い、などと表現するが、此処では四角どころか完全に邪魔されて全く見えない。素直にただの長方体のを建てればまだマシだったのかもしれないが、変に凝った妙なデザインが、テトリスみたいに上空で組み合わさっているようだ。迷惑この上無い。
大抵、最上階に居るのは創造者だ。故に、空が見れると言うのは最上級の贅沢であり成功の証であり、出世する事はそのまま、上へ行くというのを意味する。
ともあれそんな事情だから、地上は常に薄暗い。昼というのは、明かりが付けられる時間帯という事だ。夜になれば真の闇が訪れる。昔は、この地上に明かりの届かない所はないと、文明の発達振りを誇示していたものだが、再び暗闇を齎したのがその文明だと思うと、皮肉にしか思えない。なにせ此処では、昼でも電灯の無い所は暗いのだから。
歩く地面と言えば、よくてコンクリート、大抵はリノリウム。まるで、無機質な箱の中みたいな街だ。
「やぁ」
と、誰かが声を掛ける。
「俺、58階まで上がれる階級<クラス>になったんだぜ。あともうちょっとで、空が拝めそうだ」
そう、良かったね。
「お前は試験受けないのか?いい所まで、いけると思うんだけどな」
ま、そのうちな、と適当な相槌打って別れる。しばらく、相手の名前を思い出そうとしたが、結局は思い出せなかった。
この辺りのストリートは街灯は無く、その代わり店舗が外へ向けるような明かりを付け、存在をアピールしている。だから、一本裏道に潜り込むともう真っ暗。
----親も、教師も、誰も彼も。
子供に教えることは同じ。偉くなって上に行きなさい、だ。やはり本能で空を拝めない今は異常なのだと気づいているのだろうか。そうした所で現状を捨てきれないのが、人間の、業みたいに付き纏う弱さだと思う。
空が見れない今は異常だが----それを苦とも思わないのも、やっぱり異常だろうか。
空を知らない子供が大人になって、その大人が育てた子供も空を知らないままで。そんなのが5回も続いた世代になると、結構どうでもよくなって来るのだろうか。自分は昔から、出世や高い階級に執着は無かった。昔はぼんやりとだが、今ははっきりと興味が無いと言い切れる。
何故かと言うと、
「…………」
つい読みふけってしまっていたらしく、ばん、と些か乱暴にドアが開くまで足音に気づかなかった。
「激!ここの掃除は終わったのか!?」
「ごめん!今やります!今やります!!」
ばたばたと掃除道具を手に取り立ち上がる。その様子を、全く仕様がないヤツだ、と言った具合に眺める爆。
なんとなく、室内に視線を巡らせると。
「おい、原稿出しっぱなしだぞ」
「あー、それ、中学か小6ん時に書いたヤツなんだ。部屋弄ってたら出てきてさ。多分、俺が初めて書いた小説だな」
「ふーん……読んでもいいか?」
「どうぞどうぞ」
よいしょ、とダンボールを持ち上げる。
掃除をしながら、爆が読むのを邪魔しないよう、言う。
「その話さ、その時見た夢なんだよな」
「そうなのか?」
「そう。やけにはっきり見た夢でさ、何か俺に訴えかけたいことでもあんのかなーって思って書き留めておいたんだ。夏休みの事だったから、原稿用紙にには事欠かなかったし」
それどころか足りなくなって、親に金を強請ったら本当にそれに使うのか、と疑われたものだ、と思い出す。
途中で終わってるのは、そこで夢が終わったからだ。見ていたのかもしれないが、覚えていない。
どうして、『俺』は上に行きたくないのか?
見た後のしばらくは、その事ばかりを考えていた。一応、筋道が通りそうな理由を思い挙げてみても、どれもしっくりしない。そんな中で、原稿も記憶も、目につかない奥へと押し込まれたのだが。
「途中だな」
読み終えた爆が言う。
「続きは書かないのか?」
「そうだなぁ」
雑巾で本棚を拭きながら。
「今なら、多分書けそうな気がするな」
そして、振り向いて言った。
今日は雹との打ち合わせだ。
「おい、茶ぐらいだせよ」
「我が家では基本的にセルフサービスとなっております」
「チャラー!」
「はいはい」
車でスタンバってる筈のチャラだが、呼ばれて間を置く事無く登場するのはさすがだと思う。チャラが淹れてくれたのを飲みながら、打ち合わせを進める。性格はあれだが、雹は有能だ。順調に進んでいく。まぁ、爆が居るとまた違ってくるのだが。
打ち合わせが一通り済み、雹が言う。
「それにしても、この家ボロいね。お前金持ってるんだから、どっかの分譲マンションでも買えば?」
あっさりと失礼な事を言ってくれる。
しかし、激はさほど怒らず。
「オメー、この前の短編読んだか」
「当たり前じゃん。一応担当なんだから」
「そーゆーこった」
しれっと、激はそれだけ言った。
雹はその意味を考えてみる。考えてみる。
雹が思い当たったみたいなのは、見開かれた眼で解った。
「……職権乱用って言葉知ってる?」
「役得とか、特権てのは知ってるけどなー」
激は余裕で言った。
”上へは行かない。
だってあの子は居ないし、此処は出会えた所だから”
きっと絶対、あの続きはこうなっていた。
「この前のやつ、続き書いたのか」
例の話が収録された雑誌を読みながら、爆が言う。
「おう。現郎が言うには、評判は上々だってよ」
「そうか」
爆が嬉しそうにしてくれているのが、激はどんなに高額なギャラを貰うより幸せだと思う。
「な、爆」
「?」
「小説家らしく、浪漫チックな言葉で口説いていい?」
「は?」
何の事かさっぱり解らず、きょとんとする爆を置いて、激は勝手に言う。
「俺はさ、爆に出会う前から、爆に出会う事を知ってたんだよ」
<終わり>
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