新しい学年に進級してから1週間目の昼食時。
「……オレンジは、好きか?」
いつもの爆には珍しく、躊躇いがちに出された。
4月14日の事だった。
出されたのはオレンジのゼリーで、中身をくり貫いた皮をカップに使って出来た中々手の込んだものだ。
おそらく、手作りだろう。
オレンジは好きかと訊かれ、通常ならカイは普通に好きなので「えぇ、まぁ」と言うだろうが。
差し出したのが爆なので。
「大好きです」
と答えるのだ。
なんていうカイの思考回路を知らない爆は、その返事にちょっとほっと顔を緩ませた。
「だったら、食っていいぞ」
素直に”あげる”と言えない爆だ。
そんな爆を素直にさせたいのがカイの小さく大きな野望だ。
では頂きます、と、カイは爆からゼリーと小さいプラスチックのスプーンを貰った。
程よい温度で保たれていたゼリーは、感じる程度の冷たさと、プルンとした感触を舌に残した。
果汁とゼラリンの配分もばっちりだ。
横目で伺うと爆がもの言いたげにこちらを見ている。
美味しいかどうか、かなり気になってる様子だ。
カイはそれに気づかない振りをした。爆に尋ねてもらいたいのだ。
一口目を勿体ぶって時間をかけ、わざとゆっくり味わっていれば、爆がさり気無さを被せて訊いて来た。
カイ、心の中でガッツポーズ。
「美味いか?」
「はい、とても」
正直半分打算半分でカイは答えた。
カイの返事を聞いて、爆はそうか、とだけ言ったが、顔が嬉しそうに綻んでいる。雪解けに見る新芽を連想させるような笑顔だ。
あぁ、やっぱり自分から言い出さなくて良かったなぁ、と非常に勝手な自己満足にどっぷり浸かるカイである。
爆もまた、自分の分を出し、食べ始める。
「あ、爆殿。此処にオレンジの粒」
スプーンを運ぶ過程で付いてしまったのだろう粒が付いている箇所を、カイは自分の頬を使って教える。
子供っぽい醜態を晒してしまった、と少し憮然として爆がそれを拭おうとすると。
その手をカイが掴んだ。
「…………?」
爆はまず、疑問符を浮かべた。
これまでの経験で、カイがしようとしている事など、予測できるだろうに、と今の現状を見た第三者は、きっと一様に爆の鈍感さを嘆くだろう。
爆のまさに目の前、カイの顔があり、そして。
ぺろり。
カイの舌が触れると同時にオレンジの粒は爆から消えた。
………………
……………………
……………………………!!!!!
「ごちそうさまでしたv」
一体どういう意味なのか、他意はあるのかないのか。
ともあれ、そんなセリフをほざいたカイに爆の拳が炸裂した。
カイは5分前行動を習慣としている。だから、遅刻なんかは滅多にしない。
根は結構真面目なのだ。例え、腹の中が薄ら黒くて爆に対して非常に厚かましい行為を強いてても。
昼の休憩5分前を報せるチャイムの前後にカイは教室に戻ってくる。
かなりの確率で頬や目の周りなどに青痣を拵えて。
最初の頃こそ、カイの姿に驚愕を隠せなかったクラスメイトだが、慣れと原因判明の為、今では「あー、カイのやつ、またかよ」ぐらいで終わりである。 一部生徒の間では、今日の運勢試しになっているとか(「あ、今日はカイが無傷だぞ」「じゃぁ、世界は平和だなー」)。
教室に入って、カイはちょっとした異変に気付く。
柑橘系の香りが漂っているのだ。女子の香水にしても、昨日と比べて密度が高い。
しかも、どうやらオレンジの香りらしいのだ。
「よー、今日もやったなー」
空に浮かぶ雲より見飽きたカイの痣に、ハヤテが言う。
爆を弟のように気に掛けるデッドの事もあってか、意外とこの2人の共通話題項目は多い。
それに共感できるかどうかは別として(主にハヤテがカイを)。
そのハヤテに、カイは感じた素朴な疑問を尋ねる。
「何か……オレンジでも流行ってるんですか?
教室中香るし、爆殿もオレンジのゼリーをくれたし……」
「何ぃッ!?」
だらしなく、背凭れに組んだ腕を乗せ、さらにその上に頭を乗せていたハヤテが、カイのそのセリフに身を起こす。
「貰ったのか!?爆に!?オレンジを!」
「え?えぇ、はい」
「〜〜〜ッ、かーッ!やったなこの野郎!振られっぱなしだと思ってたのによ!
あぁ、そう言えばお前チョコもホワイトデーも爆にあげたらしいな。だからかー」」
バシンバシンと肩を叩かれ、どうやら羨ましがられてるようだが、それが何なのかが解らないと優越の浸りようがない(浸る気なのか)。
「あ、あの、オレンジがどうかしたんですか?」
「-----へ?」
一瞬ハヤテの目が、何言ってんだコイツと言いたげに点になったが、すぐにポンと手を打ち、
「あー、そっか。おまえ去年編入してきたんだもんなぁ。
当たり前みたいになってたんで、話そうともしなかった」
「一人で納得しないで下さいよ」
ハヤテが言おうとしている事は、どうやら爆も知っている事らしい。
爆が絡むとカイの腹黒さ度合いが3,5倍増しなる事を知っているハヤテは説明する。
「だからな。2月14日に相手にチョコやるだろ?」
「はい」
「で、その一ヵ月後、3月14日にお返しをする」
「はい」
「そして更にその一ヵ月後の今日、2人は両想いになりました、て事でオレンジを食べ合うんだよ」
「はい。-------え?」
一拍置いて目を剥いたカイを他所に、ハヤテは補足を付け足す。
「実際に4月14日はオレンジの日、てのがあるらしいんだけどよ、それをちょっと離れてもうこの学校オリジナルの文化だな。
何か、学年やクラスが違っても愛は変わりません、て意味合いでやられてるらしいぜ、これ」
「そうか……そうだったんですか!」
ぱぁあああぁぁ〜とカイの周りがピンク色になっているのは錯覚だろうが、きっとカイの心の中は今こんな色だ。
「爆殿も、ちゃんと私の事を想っていてくれたんだ……
つい昨日、項に跡つけて内臓に響く蹴りを貰ったばかりですけど」
「あはははは。何でオマエ普通に生きてるんだよ」
ハヤテの疑問は最も過ぎてきっと誰も答えられない。
しかし、ちょっと悔やまれる。あの時点での自分は、そんな事を全く知らずにすごしてしまったのだから。
あぁ、知っていたらもっと味わったのに(爆殿を)。
「そうだ。
ハヤテ殿も、デッド殿から貰いましたか?」
ハヤテもまた、カイと同じくバレンタインもホワイトデーもデッドに贈っていた。
贈る事で貰えない侘しさ、寂しさを紛らわそうとしたのだと思えないでもない。思えないどころか多分それが真実だ。
カイの問いに、観音像みたいに穏やかな笑みを浮かべたハヤテが言う。
「貰ったと思うか?」
それに、菩薩みたいに慈愛み満ちた笑みを浮かべたカイが答える。
「あ、ダメだったんですか。すいません、私ったら無神経で。
何せ今、自分の幸せしか考えられなくってv」
「はっはっは、その黒い腹殴らせろv」
「はははははは」
「あはははははははははは」
2人の笑いが不協和音を奏でる、そんな春の昼下がりだった。
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