ぽたりぽたりと2人の膝の上に涙が落ちる。 距離は、それほどまでに近いのに。 「……………」 はたはたと零れる雫を眺める。 そして開いた口。 まるで幼い子に訊くみたいに。 「……気持ち悪かった?」 キス。 (…………違、う) そうじゃなくて、そうじゃないから困るのに。嫌なのに。 その顔を見れば、存在を確認すればするほど、鼓動と一緒に煩いほど主張する。 この人が好き。 この人が好き。 この人の事が、大好き。 「……………」 きっと自分は物凄く困ったような、それが強く出過ぎでしまって、怒ったような表情になっているに違いない。 零れるものはそのままに。 全てが去ったこの建物には何も無い。あるのは残骸だけで。 カーテンが掛かっていた筈の窓。 シーツが掛けてあった筈のベット。 そんな中で、高揚する自分の心臓も残骸で? だとしたら、なんて哀しい。 ぎゅう、と目を瞑っても、何処に隙間があるのか、涙はまだ流れる。 「…………」 それを相手は細い指で拭って、瞼の上に軽いキスをして。 目が痛くなるよ、と優しく言った。 そして、爆に掛かる重力が変った。 「…………?」 とさ、と気づけば横に寝かされていた。汚れる、と危惧する前に、何かの布が敷かれているのが解った。この人の上着だろうか。 きょとんとする爆に、相手は優しく笑いかけ、いたって無邪気な仕草で服をたくし上げる。 「な、ぁ………ッ!?」 少し汗ばんでしっとりしていた肌は、指に吸い付くようだった。 くすぐったさと、別のもので、これだけは純粋に止めて欲しいと身じろぐ爆。 相手が何を考えているのだろう、と顔を窺おうと、ゆっくり目を開くが、その視界には誰も居なかった。 でも、臍辺りを摩る指は感じて。 一瞬脳が働くのがついていかないでいると、指ではない感触が肌に触れた。 それはすぐ解った。先程、嫌という程----本当に、嫌という程触れたものなのだから。 口唇。 「---------ッ!」 かぁぁぁぁぁっと一気に温度が上昇したのが解った。 「何がしたいんだ!馬鹿!離せ止めろ!!」 こんなに大声なのだから、聞こえて居ない筈がないのに、滑る唇は止まらない。 それどころか、漏れる息で何だか笑っているように思える。 「いい加減に------ッ!」 服をさらに捲られて。 左胸が晒される。 其処には大きな痕がある。 その痕を、唇は丁寧に何度もなぞる。 触れているのは唇で、している事はなぞるだけなのだが、爆は。 (……喰わ、れる……?) 発想としては滑稽なものだが。 それでも、相手がそう望んでいるのだろうと。 本当に出来るのかはともかく、多分、目的もそれなのだろうと。 そして、そうするのは。 「………オレが、憎いか?………」 「………?」 爆がそう呟いたので、相手との視線がかち合う。 「何で、そう思うの?」 相手は問う。 だって、この人は、この心臓の元の持ち主の大切な人で。 そして、その想いは相互のもので。 だから、大切な人のものを、命を持って行ってしまった自分が憎くて。 食べてしまいたいくらいに。 その心臓を取り出してしまえるように。 「違うよ」 その胸の切を細切れに語ると、小さく笑って言った。 「食べちゃいたいのは本当だけどね。 でも、その表現って可愛くて仕方がない時に使うものじゃない?」 「…………」 君は面白いなぁ、と頬と頬を寄せて言った。 「……此処を探ったのも別にね、取り替えそうなんてじゃなくて。 此処にはもう弟のが入ってしまったから、僕のは入らないかなぁ、とか思ってさ」 「弟………?」 「そう。 君の臓器提供者は、僕の弟」 こつん、と額が合わさって、前髪が混ざる。 「……貴様、弟にこんな真似をするのか………?」 「……………」 爆は至って本気で言ったのに、相手はしばらく固まり----そして勢いよく噴出した。 「そんな訳ないじゃない! あー、やっぱり君は面白いなぁ!」 笑う振動が爆に直に伝わる。 笑われている爆としては、これっぽっちも面白くない。 「僕らは確かに仲は良かったけどね、それは普通の兄弟愛としてだよ。 間違っても近親相姦なんかじゃないよ」 近親相姦なんて過激な単語がさらりと出たので、爆は軽く目を張る。 それも面白そうに笑って。 「一体なんで、そういう風に思ったの?」 「……ぇ……あ………」 自分の勘違いだと解った事を、また蒸し返さないで貰いたい。 なんて思って逸らした顔を、強引に合わせられる。 「ねぇ」 「……………ッ!」 顔が見れない。 恥ずかしいから。嬉しいから。 この心臓の持ち主が見せていたのは、仲のいい兄との単に楽しい思い出としての一場面だったのだとしたら。 それから違う何かが芽生えたのだのだったら。 それは。 そう。 その感情も想いも何もかもは。
自分の、もの
そう理解した途端、もっとドキドキしてしまって。 同じ相手に2回好きになってしまったみたいだ。 「ねーぇ?爆?」 名前を呼ばれ、弾かれたように相手を見る。 「あ、やっと見てくれた」 無邪気に喜ぶ様に、少しまた赤くなってから。 「何で……知ってるんだ?」 自分たちは今日初対面。 その存在は、前々から知っていたとしても、詳しい情報など教えてもらえない筈だ。 「知ってるよ。 手術が済んだ後に調べたから。相手の事」 「調べた……って………」 「何だかんだで人の決めた事だからね。これも人の都合でどうにか出来るものだよ」 その笑顔はまるで悪戯っ子のものだが……其処が深いものだった。 「見るだけ見て、あぁ、この人なのか、って……それだけで済ます筈だったんだけどね……」 唇が触れるほど、近寄る。 「君、だったから……」 手が優しく頬を撫でる。----触れられた箇所が熱い。 「すぐにも会いたかったんだけどね。でも提供者をおいそれと教えない訳を、僕は解らないでもないから。 それに、そのまま会ったとしても、君は僕を”提供者の親族”と見る目がどうしても強くなってしまうだろう? それが多分一番の理由だったね」 手術が済んだ後に、自分の事を調べたと言った。 そうすると、5年以上は経っている。 「どうしたら、どういう形で会うのが一番いいんだろう、って考えていて……何と無く、僕は此処に着たんだ。 此処は、弟の病室だったから」 爆はやっぱり、と思った。 「それで、ぼんやりとしていたらね……びっくりしたよ。門の向こうに君が居たんだ。 でもそれほど不思議じゃないんだよね。君の家はこの辺だし、この建物は目立つ所にあるから。 ……と、いうのは後から思い至った事で………」 「……………」 「………弟が……連れて来てくれたのかな、て……その時はそう思った。 移植の際に起きる奇跡の話は一杯あるから……それもその1つのなるのかな、って。 弟の一部が僕の好きな人の中に入っててさ、僕の事を色々教えてさ。 それに何とも思わなくてただの夢だと思ったら、それまで。 でも、それ以上に何かを感じてくれたら………」 「…………手……」 あんまり何度も撫でるから、摩擦が起こって其処が熱くて熱くて。 胸が壊れそうにドクドクするから、ちょっとその手を離して欲しかった。 「……こうして会えたって事は、さ………」 「……………」 「僕の事………」 好きなの、という言葉は口内で消え去った。 爆はまた思う。キスは苦しい。 他の人としてもそうなのか、それともこの人だからこうなるのか。 ”解らない” でも今日は、沢山の事が解ったら、1つくらい解らないことがあってもよいと。 心地よい息苦しさ。 それに身を任せて酔ってみた。
「----雹。雹!」 「んー?何ー?」 「そんなに引っ付いたら茶が淹れられんだろうが!それに、お湯を使っているんだぞ!?」 危ないだろう!と首を後ろに捻り、背後に張り付いている雹に言う。 「大目にみてよ、それくらい。5年も待ったんだから」 「そんなの、お互い………ッ!!」 しまった、と口を押さえてももう襲い。その手は外され、違うもので塞がれた。 爆には美味しい紅茶の入れ方が頭の中に入っている。 しかし。 こうして邪魔されてしまうので、完璧なタイミングで淹れた事は、無い。
*終わり*
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