今日初めて知った相手に今までずっと恋をしていたなんて、在りえるだろうか
「俺なんだ」 オレの記憶と額縁に在る天使は。 炎は言った。確かに言った。 「オレは、貴様なんか知らない……」 辛うじてオレが言えたセリフはそれだった。 真がモデルにするくらいの親しい人物、どうしてオレが知らない? おかしいじゃないか。 「信じないか。だったらそれでもいい。……そっちの方が、俺はまだ救われるかもしれない」 「炎……何を知ってる。何を隠しているんだ。 教えろ。全部」 一人、訳知り顔で自己完結している炎に、無性に腹が立った。 「全部、か……」 カタン、と絵を傍らに立て掛ける。 額の中の炎は、現実には無い翼を背負っている。 「さっき、貴様はオレには全部知らなくちゃならないと言っただろうが」 「そうだっだな……けど、聞きたくなくなったらそこでそう言ってくれればいい。俺は直ぐに止めるから」 意地でも全部聞いてやる、とオレは炎に向き直った。
俺は2人の事が大好きで、2人も俺の事を好きだと思っていたけど、伴侶に選んだのはお互いだった。 何かが歪んだとしたら、きっとその時だろう。 炎はそう言って話を切り出した。
「まず、言っておきたいのは、俺はお前の母親の弟なんだ。 だから、戸籍では叔父に当たるな 知らなかったか? 無理も無いな。俺の家は代々続く旧家で、姉上は家の決めた相手とは結婚せずに、使用人だった真を選んで家を出た。つまり、駆け落ちしたんだ。 俺の周りの連中はもうあの2人は最初から居なかったかのように振舞っていたし、姉上達の方も、友人を追い出した家の事なんか話題にもしなかっただろう。 けど、もう少し死ぬのが遅かったなら、俺達はもっとちゃんと出会っていた筈だ。そういう2人だ。 だから、こんな事になったのかもしれない。 姉上が出て行って、必然的に次の当主は俺となった。もう”替え”が無いせいか、両親や周りからのプレッシャーは並大抵の物じゃなかった。それから逃げるように、俺は時々此処に来た。姉上は、俺にだけこっそり教えてくれていたから。
……きっかけは何だったろう。 真が、ある日俺をモデルに絵が描きたいと言い出した。俺は姉上の弟だから、面影でも見つけたのかもしれないな。 衣装を着せられ、ポーズを取らされ最初は気恥ずかしかったけど、段々その気になって、その時だけは家の事も普段の生活も忘れて、自分が高尚な生き物みたいに思えたよ。 全く、高尚が聞いて呆れる。その後の自分のした事を思えば。 俺は姉上の事が大好きだった。身分とか家柄とか、そんな事しか口にしないあの親より、ずっと俺の親だった。 真も大好きだった。幼い頃から側に居て、兄代わりみたいだったし、姉上と並んで親のようでもあった。 でも大好きな2人は、俺を置いて出て行った。 俺は残された。 ……真が俺から姉上を取った事が悔しかったのか、俺を選んでくれなかったのが寂しかったのか。日に日にそんな思いは膨らんで、俺は真を誘い-----真はそれに応じた。 真は姉上を本気で愛していたし、俺だって最初からそんな気じゃなかった。 だから、ただの火遊びだったんだ。 ……姉上に見られるまでは。
あの時の姉上の表情は……一生忘れないな。 趣味に精を出す夫に、それに突き合せれている弟の為に差し入れを持ってきて、でも実際に目にしたのは……… ……どっちにショックを覚えたのかはさすがに俺も解らない。 次の瞬間、姉上は部屋を飛び出して、車道にまで出て行って、そこで車に撥ねられ、死んだ。 翌日、責任を感じた真が、此処で死んだ」 「………………」 「そうして、全部知ってる俺と、何も知らないお前が残った。 これで俺の話は終わりだ」 炎から告げられた事実は身体を擦り抜け、胸に何かを残していたが、オレにはまだそれが解らない。 受け入れられない。 「-----それで?」 出た声は自分でも驚く程無機質だった。 「今度は、大好きな大好きな2人の子供のオレを、攫うか?」 「………なるほど」 それはいい考えだ。 そう呟き、穏やかな微笑を浮かべ、炎はオレを自分の腕で閉じ込める。 ----”そういう意味”での口付けは初めてで、お世辞にもあまり心地よいものとは思えなかった。 しかし。 それを拒む事も、思い浮かばなかった。
結局、炎もこの庭と同じだ。 芽生えたものをそのままにしておいたから、それを見咎めた誰かに強制的に刈られてしまうんだ。
なんて 悲しい 人
でも
オレはそんな炎が嫌いではなかった。
むしろ
この絵は爆にあげるよ。真が唯一俺にくれた物だけど、きっとその方がいい。 もう、俺は天使じゃないから。 ……あれから、てっきりそのまま押し倒されるんだと思っていたが、キスだけで意外に呆気なく炎は離れた。 最後に振り返ってオレを見た炎に、あの時の天使の姿が被さる。
キスを終えた唇で炎がオレに囁く。
”お前を攫っては行かない”
”愛している、から”
早く帰ろう。現郎が心配する。 熱を孕んだ唇のせいで、何時もは何とも思わない風がやけに冷たい。
今の事も、あの日の光景も、やっぱりこの庭の見せた夢なんだろうか。 明日には無くなる、この庭の………-----
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