廃園の天使



 母親は事故で亡くなり、父親はその後を追って自殺した。
 残されたオレは両親共通の友人の元へ託された。
 とりあえずは、これが自分の経歴だ。


 真の、父親の生前はそこはアトリエ兼別荘だった。
 それがついに、取り壊される事となった。
「----今更行っても何もねぇよ」
「何も無いから行くんだ」
 現郎は、はぁ、と溜息をついて、引き出しから鍵を取り出した。あんまり直ぐに出したものだから、現郎もオレがこういうのを予想していたに違いない。
 あそこにはたくさんの想い出と悲しい記憶。

 そして夢の光景があった。


 気ぃつけろよ。相当荒れてるからな。
 と、現郎が言ったが……これはもう”相当”の範疇を軽く超えている。密林と称しても差し支えは無いんじゃないだろうか。
 最も、ここが使われていた頃から雑草は生い茂り、おおよそ誰かを歓迎するには不向きな場所だった。しかし、オレがそれが嫌いではなかった。むしろ、好きだった。
 ------バキバキガキバキ!!
 丁度、枯れ木の固まっている所へ足を突っ込んだような音。
 誰か、居る?
「誰だ」
「----人が居るのか?」
 視界の殆どを埋め尽くす、木や蔦などを掻き分け現れたのは、青年と呼ぶに相応しい男性だった。赤い髪がとても印象的だ。
 ただ、不思議なのはとても初めて見た気がしない事だった。いつか会っただろうか?
「えーと……?」
 相手もまたオレと同じように、どうして此処に居るのか、と訊きたいようだった。
 まぁ、こんな所に好き好んでくるヤツも珍しい。
「オレは前の此処の主の子供だ」
「ああ、真の」
 親父の事は知ってるらしい。
「此処で、絵を描いて居たんだよな。全くの趣味で」
「そんな事まで知っているのか……さては絵画業界の者か?それとも工事業者」
「工事……?」
「取り壊すんだろ。此処。そして後にはまた違う別荘だが施設が出来る」
「ああ、だから工事業者、か」
 合点がいった、と相手は満足そうに笑う。
「違うよ。似てるけど」
「…………?」
「名前は」
 それは当然の質問だったけど、何故だかはぐらかされた感が拭えない。
「爆、だ」
「そうか………」
 その時の相手の反応は、すでに知ってる答えを聞いたようなものだった。
「貴様は」
「炎」
 それはその緋色の髪に、とても相応しい名前だった。

「炎、屋敷の中覗くか?」
「差し支えなければ」
 持って来た鍵で開け、中に入れば、其処は庭以上に凄惨な物だった。
 堪った埃、連なる蜘蛛の巣……まるでお化け屋敷だ。
 空気まで濁っているような気がする。
それに、
「酷い臭いだ」
「長い事、換気もしてなかったんだろう」
 開いた時にかき回された空気に咽たオレに、炎が言う。
「誰も使わなかったしな。そしてこれからも。
 ……明日になればただの木片だ」
「爆?」
「勘違いするな。悲しんでいる訳じゃない」
 目の奥が痛いのは、きっとこの埃のせいだ。
 此処には楽しい想い出がある。
 冬には暖炉の前でチェスをして、夏は庭の木陰で絵本を読んでもらった。
 心地よい空間。慈しんでくれた両親。
 それらが一掃される程の、悲しい記憶。真は此処で命を絶った。
 そして、何より。
「炎、貴様は此処を以前から知ってるのか?」
「ああ」
「そうか。だったら-----」


 オレが此処で、天使を見たと言ったら



 この庭は一日だって同じ状態だった事は無かった。
 明日になればかならず何処かで違う花が咲き、違う実が成っていた。それはオレの好奇心や探究心を酷く擽り、誰かが呼びに来るまで、殆ど庭を歩き回っていた。
 天使にあったのも、そんな時。
 とても綺麗な花を見つけて、一刻でも早く見せたくて、走って木の根に躓いて転んでしまった。顔から転んでしまったものだから、その痛さでオレは暫く起き上がれなかった。
 そうしていたら。
「どうしたの?転んだの?」
 気遣う声。母親でも父親でも、現郎でもなかった。
 柔らかく吹いた風で、その人が身に纏っていた衣が波のようにはためく。頭からすっぽり被った衣。顔立ちは中性的で無性的で、オレはその時母さんから寝るときに聞いていた、人の世界に花を撒く、天使を連想していた。
「立てる?」
「……うん」
 その人はそれでも手を差し伸べて来た。
 その時。
「爆ー?」
「真!」
 目の前の人がどんなに綺麗でも、父親には勝てなかった。
 真は疾走で駆け寄ったオレを高く持ち上げた。
「どうした?何かあったのか」
 やたら興奮しているオレに、真はそう聞いた。
「うん。あのな、………」
 天使に会ったのだと言おうとしたのだが、指し示そうとした場所には、すでに誰も居なかった。
「……何かあるのか?」
「ううん。何でもない」
 まるで木々の間に隠れるように消えてしまった。オレは何と無く教えるのを止めた。

 あれから大きくなって、さすがにもう天使だとは思わなかったけど、ただ凄く綺麗な人が居たのは確かだ。
 あれは誰だったんだろう。
 それとも夢だったのだろうか。

「……モデルか何かじゃないのか?お父さんの」
 オレ達は玄関から上がって廊下を歩いていた。最も、別に目的地がある訳でも無い。
 ただなんとなく歩いて、炎はそんなオレの後をついてきた。
「いいや。真は風景画しか描かなかったし、人物を描くにしてもいつもオレか母さんだった。わざわざ呼んでまで描こうとするヤツでもなかった。
 実は、今までにも何度か此処に来ていたんだ。手がかりがあるかもしれないし、炎の言ったみたいに、オレが知らないだけで真はモデルでも呼んでいたのかもしれない。だったら絵があるのかもしれない。
 でも、いくら探しても手がかりも絵も見つからない」
「そして、明日には取り壊される……」
 言葉を炎が続けた。オレはこっくりと頷く。
「……持ち主が自殺した場所だからな。俗に言う”いわく付き”というのになって、今まで買い手が出なかったけど……とうとう、売られたんだ」
「そうらしいな。
 ああ、丁度この場所だ」
 立ち止まった場所は仕切りの無い空間、居間だった。
「真は、此処で死んでいた。ナイフで首を切って」
「ほう、よく知ってるな」
 一体どこまで情報は公開されているんだろう。
 ふと、オレは思った。
 一体誰が、真の死体を最初に発見したんだろう?
「知ってるさ。何でも」
 炎は言う。
「頚動脈をまともに切ってたみたいで、とにかくすごい血の量だった。真っ赤に染まった床に、真の顔は驚く程白かった。まぁ、血が抜けたんだから当たり前だけどな」
「まるで見てきたような事を言うんだな」
「見てきたような、じゃない」
 屋敷は荒れていたが、それでもガラスは付いていた。それから差し込む光は、オレ達が一挙一動する度に舞い上がる埃をキラキラと輝かす。
「見てきたんだ」
「……………」
「俺が、第一発見者なんだ」
「嘘だ」
「びっくりした。あの時は。夢かと思ったし、そうであるように何度も祈った。
 けれど、いつまで経っても真は倒れたまま、床は赤いまま。何も変わらない」
 ……炎が嘘をついていようには見えなかった。
 けれど、それじゃ説明がつかない。
 どうやって入った?どうやって入れた?
 此処の鍵を持つのは家族だけだった。
「炎……貴様は何者何だ」
 最初にするべきだった質問を、今した。
 ぐしゃぐしゃに絡む思考を押さえるオレに、炎はとても穏やかに微笑んだ。
「知りたいか?いや……知っておくべきなんだろうな」
 ガタン、ゴトン、と炎は壁の一部を剥がしたり動かした。
 そうして、オレの前に持って来たのは、一枚の絵で。
 タッチで解る。真のだ。
 描かれているのは-----
「----天使」
 紛れも無い、あの日見た天使、そのものだった。着ている物から容貌まで何もかも合致する。
 そして、その絵はオレが忘れていた事も思い出させてくれた。
 その、天使の持つ色彩。髪の色は----赤。鮮やかな、緋色。
「………………」
 ゆっくりと、オレの視線は絵から炎へと移る。
「そう。
 お前が見たという天使も、その絵のモデルも」

 気づかなかった。
 目の前の炎は青年で、記憶と絵の中の天使は少年だから。



 俺、なんだ




またなんだか長くなりそうなので前後編分けです。
この話はどシリアスになる予定。ていうかかなりどろどろするんですわ。
詳しい事は後編の後書きにて。