仔兎のワルツ
 〜第9話〜



 自分の前を軽い足取りで爆が歩く。
 普通に歩いているように見えるが、実は足元のタイルの特定の色だけを踏んでいた。自分だけが知っている爆の幼い一面。
 目的地に着いた爆は、くるりとこちらを向いた。
「カイ、此処本当に噴水なのか?」
 その発言は不思議がっているだけで、疑っている素振りは全く窺えない。
 無意識に信頼されてる事に顔を綻ばせ、カイは爆の傍らへと赴く。
「時間制になっていて、それ以外はただの平地なんですよ……あと、2分」
 腕時計に目を走らせ、カイが呟く。ちなみにこの時計は爆とお揃いだ。
「………もうすぐ、少し、離れた方がいいですよ?」
 肩を軽く抱いて引寄せる。それと、ほぼ同時だった。
 地面に埋め込まれていたパイプから、水が噴出すのは。
 最初にまず一気に噴出し、それからそれぞれの高さはまだらになり、まるで水の城、または塔となった。
「凄いな……」
 目の前の光景に、爆はただ感動する。
 一方、カイの方は噴水なんか見てはいなかった。
 見ているのは、当然爆だ。
 肩にあった手を後頭部へ回し、もう片方の手を頬へ添わせる。
 やんわりと爆の顔を、噴水からこちらへと向ける。
 折角見せようと思ってこの場所を教えたけど。
 なんだか嫉妬してしまって。
「……………」
 これからしようとする事を察したのか、爆は僅かに頬を染めながらも静かに目を綴じる。
 水の香りを感じながら、カイは、ゆっくりと顔を近づけて行った。
 そして………


 ゴゴン!!


「……………………」
 と、いう所でカイの目が覚めたのは、脳が疲れを癒しきったからではなく、単にベットから転落した衝撃による。
 そしてぼへーと呆けているのも、予期せぬ覚醒によるものではなく先程まで見ていた夢のせいだ。
(よりによって何て夢を………!!)
 はっきりし始めた頭は当然のように羞恥で埋め尽くされる。
 噴水に誘ってキスだなんて、そんな若返り探偵の映画化第4弾の冒頭じゃあるまいし!(いやあれキスしてないけど)
 夢は潜在意識の欲望の暗示だというが、今のカイの夢に限ってはそのままの意味でとって十分だろう。
 カイがベットの下で悶々としている間に、日が昇り朝日が室内に差し込む。
 その光景が、文字通りの悪夢から解放された時の事を鮮明に思い出されて、一層頬の赤さが強まった。


 ついこの前の事だ。
 ひょんな事から悪夢につかれ、結果としては被害らしい被害は何も無かったが、関わったのが自分だけだったら、あるいは自分は死んでいたかもしれなかった。
 爆が居なければ。
 ………それがきっかけとなり、惚れてしまうなんて自分でも短絡的だと痛感はしてしまう。
 いや。
 自覚だけしていなくて、本当はもっと前から惹かれていたのかもしれない。
 無味乾燥で在り来りな常識に邪魔されてただけで。
 あるいは単純に命の保障の事で頭が一杯だったのかもしれないが。
 それがあの事で取り払われ、自分の純な感情が表へ出ただけだろうか。

単純に暮らすだけの常識とか、決まりとか、ンな事ばっかに気をとられるヤツには気づかねぇよ”

 いつかの、爆に固執する理由を尋ねた時の師匠の言葉が脳裏に過る。
 そして思い出した。
(………今日は師匠と会う日だった………)
 以前はなんとも思わなかったけども……今となっては。
 爆に想いを抱いている今となっては、何か顔が合わせ辛い。前回の自分の発言を、全て消したいくらいだ。
 会わない、という解決策もあるが、その後の仕打ちが怖いので、浮かんだ瞬間にその案は沈めた。
 激に会う。気取られないようにする。
 これが自分の出来る精一杯……というかこれしか出来ない。
 前途多難。
 あまりに自分の状況に相応しい言葉が浮かんで、カイは溜息を吐いた。
「溜息なんかつくな。辛気臭い」
「わわわわわわわわわわわわわ!!?」
 爆が声を掛けるまでその存在に気づかなかったのは、思考ばかりに気を取られていたカイの方に責任がある。
「あ、爆殿………」
「そうだ」
 追い詰められた犯人みたいに壁にへばりつくカイに、なんとなく胸を張って答えた爆だ。
 その態度もその仕草も、あの事件の前と後と何も変わらないのに。
 何て言うか。
 何て言うか………
「カイ?」
「!!!!!」
 意中の人から名前を呼ばれ、それだけで心臓が撥ねてしまう。
「ああああ、あの!!」
 不自然になるまいと気をつけようとした側から失敗した。
「ちょっと出掛けて来ます!!」
 爆の了解の返事も待たず、カイはどぴゅーんと玄関から走り去った。
「…………最近、暖かくなったからな」
 爆はカイのこの一連の挙動を、そういう事にしておいた。


 カイは今日の寝起きみたいに、ぼーっと遠くの窓から人の流れを見ていた。
 見ていたのは窓の外だが、頭に浮かぶのは爆の事であるのは言うまでも無い。
 ”悪夢”に颯爽と立ち向かって行った爆。
 その全てを洩らす事無く思い出せる。
 激が爆を美しいと現したのが、なんとなく理解出来る。
 あの時自分が感じたものを、どんなに高名で実力もある芸術家だろうと、動かない絵や銅像に閉じ込めるのは難しい……それよりも、もう不可能だろう。
(……爆殿)
 世の中にはあんな人も居たのだ。知らなかっただけで。
 と、店のウェイトレスが注文を聞きにやって来た。
「ご注文はお決まりでしょうか」
「爆殿…………」
「は?」
「い、いえレモンティーを!」
 かしこまりました、と頭を下げて厨房へと戻っていった。
 そこでふと時計を見ていたら、約束の時間を15分オーバーしているではないか。
 いつもだったら、全く師匠ときたら!とぷんぷんする所だが、今日に限っては今の発言を聞かれなかった事にルーズな性格に感謝したい。ビバルーズ!でも次はちゃんと約束どおりに来てくださいね。
「いよう、カーくん♪」
「のあああああああああああああッッ!!?」
 カイにとって今日と言う日は背後から声を掛けられビックリする日だった。
「ななな、何ですか一体!」
「いや、俺は至って普通に声掛けただけだけぜ?むしろ気づかないお前がおかしいな。
 ……何か、あったか?」
「いえ、何も」
 激の含みのある表情は、おそらく爆の事かと勘繰っているのだ。
 その通りなだけに、より平静でなければ。
 気取られてはならぬ!気取られてはならぬ!!と警告音みたいに響く。
 激の注文を聞く為に、またウェイトレスがやって来た。
「いらっしゃいませ。ご注文はお決まりですか?」
 激は答える。
「爆殿」
「…………………………」
 聞かれてた。


「さて。
 この前会った時、お前は何て言ったっけな」
「……………」
 カイは運ばれたレモンティーを飲むことだけに意識の全てを注いだ。
 が、それで言われる言葉が聞こえないか、というと全くそうではないので所詮は無駄な抵抗だ。
「俺の記憶が確かならばマゾですかとか言われたなー」
「……………」
「あとこんな事も言われたな”私は師匠の都合を悪くする事はまずありませんから”」
「……………」
「そー言えばお前爆の側にいるの嫌だったな。んじゃもう帰ってきても……」
「あーもう!!
 そうですよ!!あれだけあんな事言ってたのに、そのくせきっちり、爆殿が好きになってしまったんですよ私は!!!」
 色々と耐え切れなくなった修行不足のカイは自棄になった。顔は勿論真っ赤だ。
 激はそれを本当に楽しそーに眺めて。
「うんうん、爆が好きになって、爆の事だけ考えて、夢で爆とXXXしちゃう夢とかみてそれを夜の為にスットクしてるんだな?」
「キスする夢しか見てません!!」
「うわー、そんな恥ずかしい夢見てんだお前」
 しまった!!ハッタリだ----------!!!
 畜生!師匠も誰かに恥かかされてしまえばいいんだ!!と、その後の八つ当たりは十中八九自分に降りかかる事も忘れてカイは呪った。
「ま。いつかはこうなるとは思ってたけどな。
 予想より大分あっけなかったけど」
「はっはっは」
 カイはとりあえず笑ってみた。
「で。爆の何処に惚れたんだ?」
「何処って………」
 全部、と言ってしまえばそれまでだが、何と言ってもあの光景、あの場面だ。
 コールタール状になった悪夢の残骸が爆の表面を滑り落ちている様は、神々しいの一言に尽きる。
 じっくりその時の事を思い返し、気づいた時には。
 目の前に伝票だけがあった。





5話目の対になるよーなカイの惚気話(笑)
ワタシも爆殿と注文しないように気をつけましょう(あとてっちんとかね!)