真っ暗だ、とカイは思った。 そう思った通り、”此処”は正真正銘の暗闇だけで支配されている。 ”此処”-----自分の夢の中。 夢だと自覚している夢は中々珍しいが、よくある話だ。今まで自分は見た事は無かったが。 いざそうなってみても、どうって事はないが。 ただ、早く目が覚めればいいと思うだけ。 普通の夢ならそうは思わないかもしれないけど、何せどうしてか、辺り一面上も下も解らない黒一面の世界だから。 「………………」 おかしい。 ”此処”は何かおかしい……… それに気づいて、カイの中で警報が鳴り響く。 ”此処”から出たい。でも、どうやって? 先述した通り、上も下も----自分が立っているのかも解らない。 それでも、自分は今走っていると必死にイメージをし、遠くへ行っている事を願った。 これは、悪夢なんだろうか? 恐怖を感じるという点では、まさに悪夢だ。しかし、通常のそれとはかなり質が違うと感じた。 はっきりとはしないけど……違う。 例え悪夢でも自分の一部だ。だから、極度に恐怖を覚えれば、目覚める。 でも、目覚めない。 まるで、誰かの夢の中に、自分が紛れ込んだみたいに---- そう思った……思ってしまった途端、ぞくりと背筋どころか、魂そのものに悪寒が走る。 これが自分の夢でないなら----此処に居る自分は何なんだ? それとも。
居ない、のか………?
「--------!!」 その考えに、かろうじてイメージだけでは進んでいた足が止まる----いや、足の感覚がなくなる。 それは腰まで浸透して、足からではなく手からも進んで行く。 常人であれば、そのまま意識も喪失してしまっただろう。 しかし、これでも強靭な精神を持つ(主に師匠の仕打ちのおかげだ)カイは、自分の存在を信じた。 -----どれだけ、そうしていただろう。 ただ居るだけがこんなに苦しいものなんて。 助けは望めない。 ここは閉鎖された世界だから。 今、”現実”は夜かもしれないけど、朝になれば、朝食を作らせる為に爆が自分を起こしにくる筈だ。気紛れでも起こさない限り。 …………起こされたらどうしよう。気紛れ……… 何せ行動が破天荒で読めない事は師匠以上の爆だった。 嫌な予感のせいで却って意識がはっきり保たれた。まさに結果オーライ☆! 不可思議な状況に、やや前向きにカイがなり始めた頃、それは聴こえた。 (馬の蹄……?) 一定の間隔と速度を繰り返すその音は、まさにそれだが、それが本当なら此処に馬がいる事になる。 何故、馬が? 視線を周囲に巡らす。やはり、そうているというイメージの他、実際に行っているという証拠も何も無いのだが。 やがて、見えた。 闇の奥から、赤い玉が見える。 それは徐々に大きくなって、赤かったのは炎の色だというのが解った。 炎に包まれて疾走する馬----見覚えがある。 が、そんな考えは上に人影を見つけた事であっさり拡散した。 カイに一縷の希望がさす。 「あの………------!!」 しかし、それはとんでもない間違いだ。 何故なら、その人影は人では決してなく。 甲冑を着ているようには見えた。 だが。 首が、無い。 手に、毒々しく光る剣があった。 馬の走る速度からして、自分を助けに来た事でないのは明白----- いや。 それどころか。 カイが甲冑の表面の模様が見取れるまでの距離に来たとき、剣は掲げられる。 真っ直ぐ、上に。 振りかざす場所に位置するのは勿論……… 「……………」 自分の何もかもが凍り付き、剣が迫るのをただ見てた。
剣が打ち付けられる音。
………一瞬、何が起きたのか。 相変わらず、自分の目に眩い銀光が照らし出される。 ----同じ剣でも、こうも輝きが違うのだろうか、と場違いな事を思った。 「こいつは下宿人だ。そしてオレが家主だ。 よって、こいつはオレの物だ」 凄い3段論法だ。 「人の物に手を出したらどうなるか----まぁ、覚えた所で次に生かせるか危ういがな」 「ば、爆殿!!?」 一体どうして何がどーなったのか、目の前に渾然と佇むのは爆以外の何者でもなかった。 「ど………グハガッッ!?」 どうして此処に居るのか、と訊ねようとしたカイは、その前に爆に殴り倒された。 「い……痛…………!って、夢なのに痛い!?」 「気にするな、痛さを感じる夢ならこれを書いてるヤツでも見ている」 「ど、同レベル………」 何で落ち込むんだヲイ。 「それよりも、だ。貴様は!!」 へたり込んでいたカイは爆に胸倉ひっ掴まれ、強制的に面と向き合わされた。 「ちょっとは魔道の事も学んだらどうだ!? 炎に包まれた馬なんぞ、悪夢の象徴そのままだろうが!!」 「………。え。」 そうなんですか、と言ったらまた殴られそうなので黙っておく。 「しかもただの悪夢じゃなくて、魔物として確立している悪夢だからな。 性質上、肉体へのダメージは与えられないが、その代わり精神を食う。 精神が食われて無くなれば、それは死でしかない」 「死……!!やっぱり私、死ぬ所だったんですか!?」 あわわわ、と恐怖に身もだえした。 「……で、どうして爆殿入ってこれたんですか」 一頻り恐怖したカイは、最初の疑問に戻ってみた。 爆はピ、と、”悪夢”を指差し、 「あれが入れて、オレが入れない訳が無い」 「…………………」 爆殿、その考えは如何なものか。 「普段ならあれはゆっくり、それこそ誰にも解らないくらいに精神を蝕む所なんだが、オレに気づかれたからこんな性急な方法を取ったんだ。 他のヤツに乗り移ろうとしても、乗り移ってる人物と存在が溶け込んでしまっているからな。寄生虫みたいなものだ。だから、早くお前を始末しようと、滅多に出さない姿を出した。 オレもそれが狙いだったんだけどな。 さすがに、見れないヤツは斬れん」 爆が”悪夢”に視線を移すと、その炎が動揺したように蠢く。 実力があるから相手もまた解るのだ。爆の持つ力は、自分の存在を消すに足りる。 カイの意識はもはや普通に起きているのとなんら変わりなかった。 視線を下に向ければ、手が見える足がある。 それに安堵を覚え、カイは感じていたもう一つの質問をした。 「爆殿、その剣は?」 爆が抱えるにはやや-----かなり大きいような気がするのの、けれど爆の手にしっかりと馴染んでいるのが見ているだけでも解る。 「ああ、さっき風のペンタグラムから出したんだ。物質は持ち込めないからな」 「そうですか……って、爆殿!? ペンタグラムから象徴を取り出せるんですか!?」 あまりに爆があっさり言うものだから、危うく聞き逃しそうになった。 象徴するものされるもの。 この2つはトンネルみたいな繋がりがあり、それぞれからそれぞれが呼び出される。 簡単な理屈だが、一般に使用される効果と逆の事をするのは、かなりの技術を要する。 自分の師匠だって、絶好調以外の時は難しいと言っていたのに…… それを、爆が。 自分と然程変わり無い、この少年が。 ……ここに来て、如何に年齢という基準の物差しがあてにならないか。カイは思い知った。 カイに背中を向け”悪夢”と対峙し、ぶん、と剣を振るう。素振りだ。 爆が攻撃をしかけると解り、相手もまた再び剣を構える。 「あの!」 見ているだけなんて出来なかった。 無力で、足手まといにならない他出来る事はないかもしれないけど---- 何かをしたい、という意識があることは、知ってもらいたかった。 爆に。 「貴様は-----」 それを感じ取った爆が、顔だけ振り向き、不敵な笑みを携え、言った。 「朝食のメニューを考えろ。朝の食事は一日で最も重要だ」 「………爆殿!!」 カイに話しかけた事で産まれる隙。そんな絶好の瞬間を、見逃す筈が無い。 あっという間に間合いを詰め、その残酷な刃は無残に爆の肢体を切り刻む----- 訳がなく。 その身体の何処にそんな力があるのか。やはり夢の中だから、重さとは関係ないのか。 明らかに相手より早く鋭い軌跡が甲冑を真一文字に分けた。 どうにかせねば、と立ち上がったカイは、それを見て終わった、と思った。 が。 下半分になった甲冑から、この闇よりもなお暗い闇が噴出す。 再び湧き上がる不安と恐怖。 爆殿、と自分は確か叫んだと思う。全ての意識が爆に集中していた為、そんな事も解らなかった。 闇が爆に降注ぐ。そのまま爆は飲まれてしまう。 自分でなくてもそう思っただろう。 おそらく、本人以外。 まるで油が水を弾くみたいに、暗黒は爆の表面を滑り落ちていく。 闇の濁流が過ぎ去った後、何もその名残を残さない爆が、ただ、立っていて。
肌の白さはそのまま光だった。
そして自分は、光に包まれる。 ----目覚め、だ。
「…………………」 朝、だ。 電気でなく、自然の明かりが部屋を優しく照らす。 ………今までのはやっぱり…… 夢?現実と何も関わる事の無い。 なんだか締まらない思考に自分でも業を煮やす。 と、一層強い光が訪れた。 それは単にカーテンが開けられたからを意味する。 窓がきちんと閉じられた状態で、カーテンが勝手に動く事は無い。 早く確かめたくて、カイはまさに飛び起きた。その途中、確かに置いた例のアクセサリが無くなっているのに気づく。 カーテンを開けたのはやはり、爆だった。 まだ背中を見せたままで、ガラス戸も開ける。 何にも邪魔される事の無くなった事で、光が風も連れて部屋に飛び込む。 その柔らかい風に後押しされたみたいに、爆がこちらを降り向いた。 それだけの仕草に、どうしてか緊張する。 「起きたか。 ----今日の朝食は、何だ?」 この部屋を照らすのも、外の景色を照らすのも、全ては遥か上で輝く太陽からの光。
しかし。 自分には。
その光が爆から発せられているようにしか、思えてならなかった。
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