今日は新月。 そもそも月は太陽の光を反射しているのだ。だから、その月も無いこの空こそ、「夜空」と呼ぶに相応しいのかもしれない。 それの造りだした闇に包まれる森の中を、カイと爆は。 この足の力有らん限りに大疾走していた。 「あああああああああああああ! ああああああああああああああああああああ!!!」 「声を出しながら走るのは疲れるぞ」 「だってだってだってだってだってぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇ!!!」 仕方が無いのだ。そもそも武道を習いに激に弟子入りしているカイ(それがなけりゃどうしてあんな人の下につくもんか)。こと、体術の方面に関しては、おそらく爆よりも詳しい筈だ。 だから、声を発しながらの走行が、いかに無駄な体力を消費するかなんて、考えるまでも無く解っている。 解ってはいる。解ってはいるけど。 そうでもしなければ、精神の崩壊を防げないような気がして仕様が無かったのだ。 無理も無い。 カイの今までのあまり長くは無い人生において。 こんな。 ドラゴンに追っかけられるなんていう場面に遭遇した事は無かったのだから(あったら今きっと生きてません)。 さすがに真後ろを引っ付いて追いかけたのでは、木々をなぎ倒さして森が全滅しかねないから、ドラゴンは樹の頂上スレスレの位置を飛んでカイと爆をばっちり追跡していた。 はっきり言って、これは怖い。 (し、死にたくないッ!死にたくない死にたくない------!!) カイはこの日この時に、1秒間に5回の割合で死にたくないと祈った。 こんな危機迫った状態でも、手渡されたカゴ(マンドラゴラてんこ盛り)を落とさないあたり、さすがと言おうか。 「どどど、どーし、しましょうぅぅぅぅばばば、爆殿!?」 DJのスクラッチ並にどもりながらカイは訊ねた。 「相手はテリトリーに侵入された事に腹を立てているんだ。だからもうしばらく進めば向こうも追っては来ない」 「そ、そうですか」 自分と比べてこの落ち着くようは何やねん!、とも思ったが、今は自分の命が最優先だ。何よりもひたすら激走する事だけに専念した。ところで”ひたすら”って漢字変換すると”只管”になるのだ。いや、今やってほほーと思っただけだが。 やがて、森の終わりが見える。それと同時に、この恐怖の追跡劇からも逃れられるのだと、カイは森の端へ、まるで空港で最愛の人に駆け寄るヒロインよろしく脳内スローモーション(およそ分速5メートル)をかけて走った。 (ああ……!これで、これでぐっすりもう眠れ……) 「シャギャヤァァァァァァアアアッ!(ドラゴンの咆哮)」 「ぎゃー!まだ来てるーッ!!」 いいタイミングの雄叫びに、カイの安堵の表情は3秒にも満たなかった。 「これは……どうやら、オレ達を不法侵入者じゃなくて、生きのいい餌と見たようだな……」 「えええええ!?じゃ、じゃあどうするんですか!!」 この世界に君臨する生物の中で、最大の破壊力を司るというドラゴン。それを倒すような術を、カイはこれっぽっちも知らなかった。これっぽっちも。 「うろたえるな、助かる方法はある」 ”助かる方法はある”----今のカイが最も聞きたかったセリフだ。ぱあっと顔も明るくなる。 「はい!何をすればいいんですか!?」 「絶対狙うとしたら、大きくて食いでのありそうなお前からだろうから、オレはその隙に」 「ちょっと待った-------!!それじゃ私死んでます!!」 「おかしな事を…… 誰が何時、”二人とも”と言った?」 「いやぁぁぁぁぁぁぁッ!目がマジだ-----------!!」 上から追いかけるドラゴンも勿論怖いが、カイは隣の爆も怖かった。 「いいか。オレは家主で貴様は下宿人だ。という事はオレが主人。貴様は下僕。オレがルールで絶対だ!お前は駒となり盾となり、時には命を落とすことも覚悟しろ!」 カイはそのセリフで思った。 父さん母さん、この人ジャイアンより凄いよ……と。 命懸けの鬼ごっこをしている最中、後ろのドラゴンが、すぅーっと息を吸っているのが気配で伺いしれた。 …………って、まさか-------!!! 嫌な予感程実現しやすいというのは、すでにマーフィーの法則で実証済だ。 刹那、ゴバァァァァァァァッ!という轟音と共に、熱風が自分を追い立てた。 ドラゴンのブレス。吐き出されたその後は、何物の存在を許さない。 カイはしゃれこうべと成れ果てた自分を想像した。そこへカラスが舞い降りる。カー。カラスが鳴いた。 何て事をしていたカイは、隣に爆が居ないという事に直ぐには気づけなかった。 「爆殿!?」 爆は後ろへ居た。走るのを止め、迫り来るブレスに怯む事無く対峙している。 「爆殿!!」 カイはもう一度叫んだ。今度のは、逃げろ、という意味合いを込めて。 す、と爆の指先が伸びる。 それは、虚空にペンタグラムを描いた。ペンタグラムとは、一筆描きの星マークだと思ってくれればいい。ペンタグラムには、魔力の5つの特性、人間の五感、自然界の五大構想要素、人間の四肢と頭部を象徴している。そして、これを切る事によって、人は下等に居るあらゆる生物を統治出来ると共に、より優れたものから力を授けられる事も出来るのだという。 5つある角の、頂点から右側へ下ろして描かれたペンタグラムは力の解放を待っていた。 爆が、言う。ブレスの轟音に掻き消される事の無い、朗々たる声色で。 「----アツィルト!」 空中のペンタグラムが紅く輝き、炎を発した。それる事無く正面へ直進し、そして、ブレスを相殺。更にその輝きでしばしドラゴンから視力を奪った。苦悶でドラゴンがその場で暴れる。 「…………な」 その光景に唖然とするカイの横を、爆が走り抜ける。 「ぼさっとするな!走れ!!本命穴馬掻き分けろ!」 私はコータローですか。それともマキバオーですか。 そんなツッコミを考える余裕なんて、今のカイには1ミリもない。 ペンタグラムの魔術は……カイでも知っている。カイでも出来る。 それだけ、基本的で初歩的な魔術なのだ。 だと言うのに、あの威力。例えで言うなら、マッチの火とキャンプファイヤー位の差があった。 師匠にだって、あれ程の炎が出せるかどうか……! それはそうと、カイは他にも気になる事があった。 「あの……爆殿」 「何だ!」 「先程から、その小脇に抱えているラグビーボール程度の大きさの物は、一体何でしょうか」 「見て解らんのか!ドラゴンの卵だ!」 ………………………………………………………………。 カイはそれを素早く奪うと遥か後方に向けて思いっきりぶん投げた! ポ-------------イ!!! 目が利くようになったドラゴンは、それを口でキャッチして巣穴に戻った。バッサバッサ。 終わった……何もかも…… ふぅー、一件落着☆ ゴゲシィィィィィィ!! 一仕事を終えて爽やかに汗を拭うカイの後頭部に、少し離れた距離から助走を入れて威力を増した爆のとび蹴りが炸裂する。 「だっはぁぁぁぁぁぁッッ!?」 吹っ飛ばされたカイは樹に当たるまで止まらなかった。 ドベッ! 「ぐふ!」 間髪を置かないで、爆がその胸倉引っ掴んだ(ちなみにマンドラゴラ入りカゴはきちんと被害の届かない場所へ爆が避難済みだ)。 「貴様!どういうつもりだ人が折角採って来た物を!」 「どういうって、そもそもあんなのを持ってたからドラゴンが追いかけて来るんじゃないですか------!どうして採って来たんです!」 「何だと!?お前はあの卵を見て何も思わんのか!」 「例えば!?」 「あれで一体何人分の目玉焼きが作れるだろう、とか!」 「…………………………鶏ので我慢してくださぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁいぃ---------!!」 さぁぁぁいぃ---(エコー) さぁぁいぃ---(更にエコー) 白々と夜も明け始めた森を、カイの悲痛な絶叫が揺らした。
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