変化はやがて終わりを告げた。その様子を、爆はただ見てるしか出来なかった。 「……カ……イ?」 発した声は、はっきり解るほど掠れていて、自分の動揺の度合いが嫌と言うほど自覚できる。 爆は”カイ”へと目を向ける。其処の場所にさっきまでカイが居たのだという、確信が無ければ、”ソレ”をカイだと判断するのは到底不可能だろう。 深紅と漆黒。その色彩だけは残しているものの、全身を包む毛皮。跳力をフルに発揮できるその足や身体の構造は、どう見ても人間の姿ではないから。 そう、それは人間ではなかった。 それは。 どこからどう見ても。 ウサギであった。
〜ウサギ〜 うさぎ目うさぎ科。 英名はEuropean
Rabbitで学名はOrycotolagus cuniculus。 夜行性。 体温は38.0 〜 39.6
℃で人間より高め。 草食動物なので、多くの蛋白質は必要としない。カルシウムを尿で排泄する動物であるため低カルシムに、なお、肥満しやすい動物なので、餌には十分な注意が必要だ。 ちなみにうさぎに水を飲ませると死ぬだとかいう噂も出回ったらしいが、それは勿論嘘である。ウサギは濡れるのを嫌い、よく病気になるので、そこから来たものと思われる。
……の、ウサギであった。 爆はウサギ(カイ)と他に誰も居ない荒野でしばし見詰め合った。 そして。 -----限界は、来た。 「……ぶっ………。 っく、は、あーっはっははははははははは!! ハハはははははははははは-------!!!!!」 堪えきれなくなった爆は笑い転げた。爆が笑っているから、まさに爆笑である(く、下らん!)。 『そ、そんなに笑わないで下さいよ!!あー、もう、だから今まで内緒にしてたのにー!』 ウサギ、いや、カイはぺしょーんと耳を垂れた。それがそのままの、カイの心境を表しているのだろう。 「あぁ、会話は出来るんだな、よかった」 笑いすぎて滲んだ涙を拭う。 正確にはテレパシーの一種であると思うが。ウサギの声帯で人間の発音は出来ない。 くつくつと笑いながら、爆はひょい、とカイを抱き上げる。それは人だった時のままの、真っ赤な双眸と視線を合わせる。 「レパンストロピーの暴走か。先祖の誰かが失敗したんだな」 レパンスロピーとは、兎に変身する魔術の事である。 他、一般的な変身術の呼び名として、猫はエルランスロピー、牛はボアンスロピー、犬はクランスロピーと言う。 『産まれた時から、こうなんですよ』 ウサギなカイは語る。 『血を見るとウサギになっちゃって……それで被害がどう、とかいうのは無いんですけど、他の大型の動物に追い掛け回されたり、子供にもみくちゃにされたり、果てにはペットショップの主人に捕まりそうになったり……』 ………それは、十分な被害なのではないだろうか。爆は思った。 『それでも、不幸中の幸いとでも言いますか、こうして人としての意識はあるんです』 「その辺は成功してたという訳か。 ……血を見ると変身するらしいが、どうすれば戻るんだ?」 『また、血を見ればいいんです』 「そうか。 ほら、カイ、血だ」 爆はカイを地面に近づけた。そこには、さっきカイから垂れた血痕がある。 『ダメなんですよ、爆殿』 もし爆に、動物の表情を推し量る能力があったら、今カイが浮かべている顔が苦笑だったと解るだろう。 『ウサギになった時に見た血を見ても、戻らないんです。違う血でないと』 面倒くさいが、ようするにスイッチみたいなものなのだろう、と爆は自分なりに理解した。 電気のものへと置き換えると、電気のつくスイッチをいくら押しても、電気は消えない、という事だ。 「なるほどな」 こくり、と頷いて、爆は服のポケットから小ぶりのナイフ(カバー付き)を取り出した。 その手を、カイは慌てて掴んだ……が、現実は肉級がぱぷ、といっただけだ。 『ちょ、ちょっと爆殿!?何をする気ですか!』 「何って……だから、他人の血を見ればいいんだろう?」 『だからと言って、傷なんか負わないでください! 放っといてもそのうち戻るんですから! ……5時間程したら』 その長さを口にした事で再認識してしまったのか、ふふ、と口元が自嘲気味に歪んだ。 「そんなには、待ってられん」 むぅ、と爆は剥れた。 「戻れる手立てがあるんなら、戻ってもらわんと困る」 『爆殿……?」 どうしてそんな、意固地に…… 「今日の晩飯はどうなる」 やっぱりそんなオチか。 「何をそんなにがっくりしている」 『いえ……別に。 でも!だからと言って傷付けないで下さいよ!』 「そんな事を言われても……」 血液なんて、頂戴と言われてはい、と出されるものではないし…… いや。 あった。
此処は爆の家の倉庫前。そこには、家の中に置くのは如何なものか、という代物が専ら収まっている。 例えば。 「これならどうだ? ニワトリの血」 壺に入っているそれを、柄杓で掬いカイの前まで持っていく。 すると。 ぼひ。 軽い爆発音と共に現れたのは、爆より頭一個分高い人間のカイだった。 「----ありがとうございました。爆殿」 「いや、礼を言われるほどの事は。血を見せただけだしな。 しかし……」 爆は難しい顔になった。 「何代前からかは知らないが、本人の意図しないで暴走する魔術とは……大分面倒な事になっているな。 けど、大丈夫だ。ここに来たからには、必ず完治して帰させる」 「はい……」 勇ましく胸を張る爆に、カイはちくんと痛い。 自分のそれはあくまで口実で、本来の目的は、嫌な表現を使うなら、爆の監視だから。 それに、この持病(?)に関してだって------ ”悪ぃけど……これは俺にも治せん” 弟子入りして間もなくの、師匠の言葉が蘇る。 あの時激は、カイに対して本当に申し訳無さそうな顔をして、あんな事は後にも先にもこれっきりだろう、とカイは思った。 いくらはた迷惑で刹那的快楽主義で弟子虐めが趣味でも、激の学問は宮廷学士にも勝るものなのだ。 その激が無理だというなら----少なくとも、現在のこの世界に、治せる者は居ないだろう。 「カイ」 物思いに耽っていたカイは、爆の呼びかけにふと我に帰った。 「あ、すみません。すぐ食事を-----」 「コウモリの血」 「え」 ぼひ。 ……変身が終わったカイが最初に見たのは、違う壺の血を柄杓でぱしゃぱしゃ掬っては中に零すという作業を繰り返す爆だった。 「〜〜〜っ面白い!!面白い面白い面白い!!!!!」 と、連呼して蹲り壺のふちをバシバシ叩く爆。 ………これは、当分からかわれるな…… ひゅ〜と何処からともなく吹く風のまま、カイ・ウサギは遠い目をしましたとさ。
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