自分たちの匂いでも感じ取ったのか、その鼻をヒクヒクと蠢かし、周囲を探るように窺うミノタウロス。 (ちくしょ〜何だってこんな所に居るかな) 何だもへったくれも、ミノタウロスは洞窟や迷宮を住処とするのだから、別にこの森に至ってさほど不思議ではない。 この森に元からあった洞窟に居たのか、もしくは住処を探しに此処まで来たのかは解らないが。 いつもの、何でも無い状況だったのなら、ミノタウロス如きあっさり闇に葬り去る事なんかそれこそ朝飯前なのだが……いかんせんこの森は、魔道を発動させるにはかなり不適切な場所だった。 「仕方ねぇ……爆、今日はもう帰る……て、爆!!?」 目の前のミノタウロスばかりに囚われていた激は、すぐ側に居た爆がステテテ、と走っているのに今気づいた。 「爆!!」 自分を呼ぶ声はしっかり聴こえていたが、あえて今は応えてやれない。 明日から暫く歩けなくなってもいいから、この時だけは今までで一番の速度を出して欲しかった。 子供にしては結構な速さで走っているが、爆にとってはじれったい。 マンドラゴラが見えてからが、また遠かった。 と。その時。 明らかに異質な匂いを爆の鼻は感じた。その直後に、耳がヒュ、と空気が切れる音を捉えた。 -----月の無い夜。爆の周りだけ一層闇が濃くなった。 ドザン!と、ミノタウロスの斧が地面に突き刺さる。
爆は空中に浮かんでいた。事実、足元は地面には着いてはいなかった。 それというのも、激が爆を小脇に抱えて間一髪斧から避けたから。 水泳の飛び込みみたいに飛び掛かり、爆を捕まえた激はすぐさま体勢を整え、闇の虚空にペンタグラムを切る。 「アツィルト!」 生まれた炎はミノラウロスへ直進する----筈なのだが。 普段より、その速度が遅い。避けられてしまった。 まぁ、逃げるだけの時間が稼げただけで御の字だ。森の出口へ向かい激はダッシュする。そのまま出直すのも良し、追ってきたら森さえ抜ければこちらのもの。反撃してやればいい。 が…… 「……今日は無理そうだなー。マンドラゴラ」 星の位置で夜明けが刻々と近づいているのを知る。森を抜ける頃には太陽が出てるだろう。 「そんな……!!ダメだ、激!!戻るぞ!!!」 爆は口で抗議した。 今度は走って安定が悪いため、先程の方法は使えないらしい。 「今戻る馬鹿が何処にいるっつーんだよ!!オメーでも解るだろそれくらいはよ!!」 「------………」 激がそう怒鳴ると、嘘のように爆が黙る。 ヤバイ。もしかして泣かせたか!?と激は不安になった。 が、それはとんだ間違いだったというのは顎に当たったアッパーで解った。爆は人の急所の位置をとてもよく把握していた。全ては父親の差し金だ。 ここを打たれたら、普通の人はその場にへたり込む……が、激だからこそ眩暈ですんだ。その隙にもちろん爆は腕から擦り抜ける。 しかし激も人類だ。同じ失敗は繰り返さない。 眩暈はしても気配は感じる。それを辿り、激の手は爆の襟首を掴んでいた。 「えぇい離せ----!!貴様だけ逃げてろ!!」 「出来るか馬鹿!!だいたい何でそんなに欲しがるんだよ!!」 ミノタウロスが近づいているのが解る。このまま爆が抵抗するようなら、気絶させても……とやや激は過激的な事を考えている。 「ネコが!!死にそうだから!!」 「ネコだぁ!?オメー自分の命とネコとどっちが大事なんだよ!!」 その言葉で、爆は激に向き合い、言い放った。 「選べる訳、ないだろう!!!」 「……………」 ば、と掴む手を振り払い、爆は逃げた道を逆走する。 無論、目の間にはミノタウロス。さび付いた斧を持っている。そうなったのはやはり獲物の血のせいだろうか。 半分が牛のミノタウロスは走るのも当然速い。-----もう、追いつけない。 どうする。もう一度ペンタグラムを切るか!? しかし間に爆が居たのでは確実に爆を巻き込む。上手くコントロール出来ないここでは尚の事。 最悪の連想ばかり浮かべる頭の中で、血液が循環する音すら考えるのを邪魔をした。
前から、自分が走る以上の速度で人ならぬ怪物が近寄っている。 大人でも、パニックに陥る状況。爆だって怖い筈がなかった。 しかし、泣け叫ぶのをストップさせているのは、ネコに甲斐甲斐しく世話をするピンクの姿。 自分達は、自分は子供だから、責任も無いし出来る事も数えた方が早い。 でも。だからって。
(したい事を諦めたくはないんだ!)
今まで蓄えた知識と、今見た激の実演で爆は空中にペンタグラムを描く。それは消える事無く軌跡を残した。 ここまでは成功だ。後は、発動させるだけ。 「アツィルト!」 空中の魔方陣から発した炎は、事もあろうに---- 前ではなく、後ろへ向かった。 即ち、自分へと。 「!!」 -----暴走!? たとえ自分が出したとしても炎は炎だ。まともに受ければ、ただでは済まない。 迫った炎で視界が真っ赤に染まる。 周囲を窺うことすらままならなくなった爆の手に、何かが当たる。 というか、何かが入り込んだ。 反射的にそれを掴む。そこは何かの柄の部分みたいだった。 それと同時に、炎が左右に割れ、爆は自分が掴んだものの正体を知れた。 「………槍?」 それは、自分の身長以上はあろうかという、紛れも無い槍だった。
------嘘だろオイ!? 口にも声にも出せず、心の中で慟哭する。 激は自分の目にしたものがにわかに信じられなかった。 地水火風を呼び出す時、初心者はペンタグラムだけでは心許ない。より確実に4大元素を呼び出すにはそれと併用して象徴するものを身に着けると良いとされる。 風は剣、水は杯、地は円盤、そして、火は槍を。それぞれ象徴している。 -----槍を用いて炎を呼び出せるのなら、炎の中から槍を取り出す事もまた可能。 理論としては簡単な事だが、実際にやるのはかなり難しい。強いて言うなら、皿に出した水を再び入っていた瓶の中へ戻すようなものだ。 非常に難しい。けど出来ない訳ではない。でもやっぱり難しい。 それなのに。爆は、した。 (やっぱりこの森のせいか?) あるいは----- -----炎が消え去った後でも、怪物は動けないで居た。 獣だか---いや、獣だからこそ解るのだ。目の前の人物は、強い、と。 爆は深紅に染まっている槍先を地面に着け、ミノタウロスを見据える。 そして、柄を握っている手に力を込める! 込める! 込める-------!!! 「……お………重い!」 ズベェ!と激とミノタウロスが吉本張りにこける。 「何やってんだオメーは!!」 よいしょーこらしょーと槍と格闘している爆に激がツッコむ。 「煩い!重い物を軽いと言ったところで軽くはならんのだから、正直に言ったまでだ!!」 「うわぁ。すっげぇ理屈」 一方、反撃出来る様子ナシ、と判断したのか、ミノタウロスが爆を仕留める為に再び突進する。 「-----爆!!しっかり槍握ってろよ!!」 何せ爆の魔力が生み出した槍だ。本人以外が触れたら消える危険性もある。その為、激は爆の手の上から槍を掴んだ。 -----横に薙ぐ剣ではなく、槍を呼び出したのは、正解だったのかもしれない。 直進する相手のスピードと、自分の突く動きが合わさり、槍は、深々と怪物の身体を貫通した。
その後爆達は何人もオラの前を走らせねぇっぺな勢いで件の場所へ行き、念願のマンドラゴラをゲットした。 森さえ抜ければテレポートも自由自在に出来る。激は爆に言われるまでも無く、爆の家へと着いた。 人間用の煎じ薬なら一日抽出を行わなければならないが、今回患者はネコなので2時間ばかり煮込むだけで良い。 ぐつぐつと音を立てる鍋に立つ激は、まるで料理でもしているみたいだが、一度鍋の中身の色をみれば、うへ、といううめき声と共にそれが間違いだと知るだろう。 「爆ー、オメー寝たら?徹夜なんざ進んでするもんじゃねぇぜ?」 まだまだお風呂でシャンプーハットを使う世代に徹夜程過酷な事もないだろう。事実、爆はすんげー眠たそうだし。 それでも激と一緒に鍋の前へ張り付いていた。 「いい……ネコに飲ませたら、ちゃんと寝る……」 睡魔の波が襲い、カクン、と首が折れると、は!いかん!とまたシャキ!と立て直す。 はっきり言って非常に面白いが。 「……ピンクはオレに相談しに来たんだ……だから」 「だったら、よ」 ぽふ、と下にある爆の頭に手を乗せる。それにム、と来ていつものようにキックをしない爆は余程眠いと見える。 「俺に任せたら?」 「……?」 「ピンクがお前に頼んで、お前が俺に任せるの。だったらいいんじゃねーの」 自分でもよく解らん理屈だが……とにかく、爆に寝て欲しかった。苦しい思いはさせたくなかった。 ただ、子供を護る大人の心理ではなくて。 「……激に?……」 「そう」 油断すれば綴じてしまいそうな目をしきりに瞬きさせ、眠さのせいかややかすれ気味な声で、爆は言った。 「……………不安だ」 思わず睡眠薬の有無を確認してしまった激に、罪は無い……と、思う。
結局、爆は薬の完成を待たずして志半ばに寝てしまった。 座り込み、立ち上がらなくなった爆をそおっと抱え、静かにソファへと寝そべる。近くに毛布になりそうなものはなかったので、自分の上着を代用させた。 薬が完成するまで、あと30分という所だろうか。時刻はそろそろ雌鳥が騒ぐ頃。 「……………」 窓から差す光で、ゆっくりと光が室内に浸透していく。淡い群青色だったのが、眩い光に満たさせる。 -----あの時。 力も立場も身長も。 何もかも自分の方が上だと言うのに。 ”選べる訳ないだろう!” そう、言われた時、爆を離してしまった。 ----身が竦んだのだ。爆の言葉に。剣幕に。 本気の人間に----大人も子供も無いって事かね。 いや、それよりも問題なのは。 炎から槍を生み出した爆。あの光景が、網膜から剥がれない。それが単なる驚愕の為では無いなんて、自覚が出来ない自分ではなかった。 魅せられた。 そして。 惹かれた。 何か祈りを捧げるとしたのなら、自分は教会の聖母より、目の前の子供を選ぶだろう。 (ま。キューピッドなんて気紛れなもんだしなぁ) ふ、と口を緩む。 苦笑にしては、やけに優しかった。
あの時の事は、ともすれば今感じているものよりも鮮明に克明に、激の脳裏に浮かんではその度にやはり、魅せられ、惹かれてやまなかった。 「単純に暮らすだけの常識とか、決まりとか、ンな事ばっかに気をとられるヤツには気づかねぇよ」 弟子に向けた言葉だったが、きっと本当は自分に言っている。爆に惚れる前の自分へ。 「俺は綺麗とか、美しいっていう言葉の意味を教えて貰ったな」 蘇るのは紅い記憶。 恐れない人間は居やしない。 恐れても尚立ち向かい、敵を打ち砕く武器を自ら生み出した爆。
自分はそれを、「美」という観念に置き換えた。
それはそうと後日、ぐったりと昼過ぎても熟睡する爆と、何故かその横でうたた寝していた激を目撃ドキャンし、今回の事を知った真は。 しばらくの間、激を見たらすぐさま剣を取り出した。
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