爆くんただ今この世に生まれ落ちて一年とちょっと。 ようやく人間らしい発音は出来るものの、言語と成り立たせるのはまだ少し危ない。 「ホラ、爆、”パパ”って言ってごらん。”パパ”って」 愛しい我が子を目線にまで抱っこして、なにやら真剣に語りかける新米パパの真だ。 「ふぁー……あ」 「”パ”だ、爆、”パ”」 「……う〜〜〜」 「あーもうその辺にしとけよ。爆が困ってんじゃねーか」 と、言う現郎が正しいように、爆は眉を寄せている。 「でもなぁ、”ママ”はもう言えるんだぞ?だったら何でパパが言えん!」 悲哀さを液体にしたような涙を流す真。それに現郎は答える。 「そりゃ……所詮父親なんて、ただの種って事じゃね?」 「………それを言うなよ………」 身も蓋もなければ情けも容赦も無い言葉にただただ脱力するしかなかった。 「----あ、2人ともこんな所に居たんだ」 その場に、ひょっこりと炎が顔の覗かせた。 「炎か。 ほら、爆、叔父ちゃんが来たぞ、叔父ちゃんが」 「真……叔父ちゃんは止めて」 確かに血統上はそう呼ぶのが正しいのだろうが……まだ2桁にもなっていない時分に、「叔父ちゃん」はキツい。 「炎様、何か御用があったのでは」 ちょっとヘコんでいた炎は、自分の役割を思い出した。 「そうだ、斬が呼んでいたんだ。……まさか、また仕事をさぼったの?」 斬が怒髪天をついてこの2人を探す光景は、さほど珍しくなかった。 「さぼったとは人聞きの悪い。 俺は仕事より親子のコミュニケーションを優先したまでだ!」 やっぱりさぼってるんだ……と精神的に大人な炎は、この場でそういう事は口にしなかった。 「仕方ねぇな……ホラ、真行くぞ」 「ちょっと待て、爆に”パパ”と言わせるまでは……!!」 しつこい真に、現郎がその首根っこをガッシ!と掴む。 「じゃ、爆はオレが見てるから」 炎が真の手から爆を抱き寄せる。 そしてずるずる引きずられる真へ向かって手を振った。 炎を見よう見まねて爆もまた手を振った。 片側だけ見たら、とてもほのぼのした光景だった。
「………これでよし!」 爆を自分の部屋へと連れ帰った炎は、即室内の改造を行った。 まず、危ないものは引き出しに仕舞い、触られてはまずい機械類はクローゼットに詰め込んだ。 そしてありったけのクッションを他の部屋からも持ってきて、壁際に敷き詰めた。これで爆が転んでも固い壁に頭を打ち付ける事は無いだろう。 何せ相手は何にでも興味を持って、なおかつ恐怖はまだ知らない赤ん坊だ。用心を重ねるに越した事は無い。 今はまだ、爆はヌイグルミのヒゲの部分を引っ張って遊んでいるので、とりあえずは動きは無い。 「爆」 呼んでやるとピク、と反応して振り向くから、言葉の判別はもう出来るみたいだ。 爆のすぐ目の前まで近寄った炎は、そのまま抱き上げた。 「爆、”お兄ちゃん”って言ってごらん?」 意地でも叔父さんと呼ばせたくない炎は、先手を打つことにした。 「おー………ちゃ」 慣れない単語に、悩む仕草さえ見える爆。 ”パパ”も言えない身に、この単語は無理というのは解りきった事。ちょっと自分が言ってみたかっただけだ。 それでも、爆は必死に発音しようと頑張っているのを見て、苦笑も少し交えながら微笑む。 「うーん、それだったら……そうだ、”炎”は言えるかな?」 ぱちくり、と爆は大きな目で瞬きをした。 「”炎”。”え・ん”だよ、爆」 瞬きをもう一つ。 何か考えるように視線を彷徨わせた爆だが、その目が何かを見つけたのか、腕の中で足掻く。 「遊ぶの?」 爆の呼びかけには答えず、爆は自分の従うままに足を進めた。 そしてタンスを開ける。 あ、と止めそうになったが、其処に入っているのはどうせ衣服だし、散らかってもまたたためばいいか、とそのままにしておいたが……2段目、3段目とあけて、まるで階段のようにして登ろうとしたのでは、さすがに止めに入る。 背後からひょい、と捕まえた。 「コラコラコラ!何がしたいんだ!!」 「あえ(あれ)!!」 ”アレ”と指差していたのは、写真立てだった。 中には自分と姉と、義理の兄も一緒に写っている。 そうか、両親を見つけてはしゃいでいたのか、と少し寂しい気もしながら、要望に応え写真立てを爆の前まで持っていく。 さすがに持たせるには危ないのでしないが。 爆は小さな手で、母親の所をぺちぺちと叩いている。 「まま。まーま」 発音するだけで一生懸命な様に頬が緩む。 「うん、ママだな」 手は真へと移る。 「ふぁーあ」 本当に”パパ”と言えないんだ、と思わず小さく噴出す。 でもこれはこれで可愛いよな、と炎が勝手に和んでいても爆の手は動く。 当然、残った炎の上だ。 同じようにぺしぺしと叩いて、 「えん」 と言った。 「うん、そうだな、オレ………」 ………………… え? 「ちょ、ちょっと爆!今”炎”って言ったの!?」 後ろから抱っこしてたのを、向き合う形にする。 爆は目の前の炎をビ!と指差し、はっきりと。 「えん」 「…………ッッ!!」 「え、ん」 爆が自分の名前を呼んだ。 爆が。 爆が!! 「爆、偉いぞ-----!!!」 感極まった炎は、その赴くままに爆を力いっぱい抱き締め、一時的に酸欠状態へと落とし入れ、後で姉からこってり絞られたのであった。
「……それであの後、真から「父親はオレなのに」とか会うたびに拗ねられて色々大変だったんだよな」 「もうそんな昔の話なんか引っ張り出すな。 その手の話は本人にとって相槌の打ちようが無いんだぞ!」 照れも手伝ってか、爆は少し叫ぶように言った。勿論、その顔は赤い。 「まぁ、俺が何を言いたいのか、というと」 隣で寝転んでいる爆に覆いかぶさる。 そうなると、長い髪が必然的に爆に掛かる事になるので、くすぐったさに身を竦ね顔が綻ぶ。 炎もまた、爆とは違う笑みを浮かべた。 「父親の呼び名より先に覚えた俺の名前を、今更呼び方変えるのは俺もお前も困るだろう、という事だ」 そろそろ立場も持ってきた炎に、いつまでも名前を呼び捨てで呼んだのでは差し支えがあるんじゃないか、と爆が持ち出して来て、この現状だ。 それに、”叔父”はこんな事はしないだろう?と幾分熱を込めて囁けば、想像したのより素直なリアクション。睨む双眸にもうっすら膜が張っている。 「俺は」 ある程度近づけば、髪は爆に掛からないでその周辺のシーツへ広がる。 「お前に名前を呼ばれるのが、好きだ」 「そうか……」 自分もまた、その名を呼ぶのが好きなのだという事は、口の中で囁いた。
そうして次の日も、爆はやっぱり炎の事を”炎”と呼ぶのだった。
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