こんなに感情を押し殺していると、ふいに自分が消えても皆は困らないんじゃないか、と思う時がある。
 やらないけど。しないけど。
 でも、本当に消えたとして、誰が何時、悲しんでくれるだろう。
 隣には誰も居ない。




09.瓦解する視界




 あの後の爆は相変わらず哀しくて儚くて。
 危なっかしいのと同時に消えないというのを確かめる為、初めて爆について歩いた。
 爆が、自分がついて来ているのだと解ると、手を差し出して繋ぐ事を促す。
 恐る恐る掴んだ手は、しっかり暖かく。
 今まで繋いだどの手よりも暖かかった。




 やばい……
 カイは冷や汗を流していた。
 何せ、爆の方からしたキスでも、脳震盪を起こすようなパンチを食らったのだ。
 自分からしたとなると……その報復の規模はどんなものだろう。
 どうしよう、と思いながらも、後悔はしない。
 もう、そんなものはしない。爆に関しては特に。
 今か今かと待ち受けていたら、その日が恙無く終わってしまった。帰りのH,R終了のチャイムがカイの頭に響く。
 自分が終わったという事は、爆はとっくに終わってるという事で。
 帰ってしまったんだろうか。完全に無視をし始めたんだろうか。
 あるいは、何か他に。
 考えながら歩いていたら、爆の家の前まで来てしまった。
 インターホンを押そうか、否か。
「…………」
 止めておこう。フェアじゃない。
 今から会う爆には、教えてもらってない事だから。
 明日、学校で。




 小さくなっていく姿を見て、カーテンを閉める。シュ、と擦れる音がよく響いた。
 爆は面白くなさそうにベットに横になった。
 何であそこまで来て帰ったんだ。どうして。
 知ってるんだから、来ればいいのに。今日、自分が会いに行かなかった事が気に掛かるなら。
 でも、来てくれなくて正解だったのかもしれない。
 今度はどんな言葉を吐いてしまうのか。もしかしたら、取り返しのつかない事になっていたかもしれない。
 って、これじゃまるであいつが来るのを期待してるみたいじゃないか。
 ごろり、と寝返りを打つ。外は暗くなり、部屋の窓ガラスは鏡のように自分を写した。
「……………」
 いつも、『お前』に越されてばかりだな。
 カイに告白するのも、キスするのも。涙を見せるのも家を教えるのも。
 でも、自分がしたのだ。でなければ、する筈が無い。

 ----貴方は、哀しい人ですね………

 今朝言われた言葉が、耳に木霊する。
 そんな風に言われたのは、初めてだった。
 失礼な言葉である筈なのに、心に素直に浸透した。
 自分は、哀しいのだろうか。
 あぁ、でも。
 カイに好きだと言えない事。酷い事を言った事。
 親が遠くへ行ってしまった時より、悲しかった。
「…………」
 さて、そろそろ食事の支度を始めないと、と気分を切り返して爆は起き上がる。
 起き上がった爆の視界が、クラリと揺れた。
 立ちくらみ?まさかな。
 今まで風邪らしい風邪すら引かなかったのに。
 気のせいだ、気のせい。




「……休み」
 次の日、勇んで爆のクラスまで行ったカイは、意外な現実に対面した。
 爆は、休みだという。
 だったら、昨日あっさり帰ったのは体調不良だったんだろうか……などと思っていると。
「で?あんた爆に何か用なの?」
「あ、いえ、用と言う程では……」
「用が無いなら、何で来る訳?」
 あぅ、とカイは黙る。
 ピンクと名札のある少女は、とても手厳しい。いや、かなり手厳しい。
「でさ、あんた爆の何?」
 じろ、睨まれて尋ねられ、と警察の職務質問を彷彿させる。
 何、と聞かれたら何なんだろう……
 カイが考えていると、
「……あんまりさ、面白半分にちょっかいかけてるなら、止めてよね」
 自分への怒りと爆への心配を双眸に乗せて、ピンクが言う。
「それなら、大丈夫です」
 カイは笑顔で言う。
「本気ですから」




 さて、いよいよどうするか。
 爆が心配で見舞いがしたいし、けど行くわけにもいかないし……
 結局また家の前でうーん、と唸っていると。
「おい、そこの挙動不審」
「え?……って、あ!爆殿!」
 いつの間にか2階の、おそらく自室の窓が開いていて、そこに爆が見下ろしている。パジャマ姿だ。
「入りたいならさっさと入れ。今の時勢、通報されて逮捕されても知らんぞ」
「…………」
 瞬時に牢屋の中で臭い飯を食ってる自分を早々してしまって、恐々と中に入った。




 中に入ると、しん、とした空気に出迎えられた。
 2階の部屋だ。ドアを開けておくから勝手に入って来い。
 そう言われて、入ったはいいけど。
 住宅、というには人気の薄い家屋に、カイは少し留まった。
 階段を上がり、2階に着けば言った通りにドアが開いている部屋があった。
「……失礼します」
「あぁ」
 短い返事だ。
 そっと中に入ると、熱で潤んだ眼がこちらを向いている。
 横になっている姿に、どきりとする。
 馬鹿だ。そのまま居なくなる訳じゃないのに。
「あの、体調の程は……」
 我ながらセリフが固いな、と思う。多分緊張している。
「平気だ……と、言いたい所だが、この具合だ」
 喋るのも辛いのか、言い終えた後の呼気が少し荒い。喉でも痛いのだろうか。
「…………」
「……悪かった」
 カイが、何を言えばいいのか、と考えていると、爆が先に言った。
「……お前は、単にオレの事を気に掛けてくれているだけなんだよな。なのに、酷い事を言った。後悔、した」
「…………」
 今は夜明けか?とカイは外を確認したりした。
 爆は言いたい事を言えたからか、深く息を吐いた。
「それだけだ。もう、帰っていい」
 突き放すような勝手な言い方だが、それは伝染るのを心配しての事だろう。
 あぁ、やっぱり素直じゃないな、と思うカイだ。
「……あの、」
 爆の事も気遣い、早々と退散するつもりだが、でも是非訊きたい事が。
「どうして、その、謝ったり………」
「……別に、悔しかったから………」
 『あいつ』ばかりに先をこされるのは。
「……悔しい?」
 およそ相応しいとはあまり思えないセリフに、ちょっと首を傾げる。
「早く行け。もう寝たいんだ」
 ごろ、と寝返りを打って、カイに背中を向ける。
 はい、と返事して、カイは出て行った。
 ぱたん、というドアの閉まった音が、頭痛のする頭に響いて、なんだか具合がもっと悪くなった気がした。




 自分が消えたら、カイはきっと悲しむだろう。
 でもそれはきっと、満月の夜にしか会えない自分にだ。




<To be continued>