水を従えて





 爆、と




 俺は名前を呼んだのかもしれないし、呼ばなかったのかもしれない。




「…………」
 爆。
 爆、だ。うん、間違いなく。
 って何度も確認してる場合か。
 どどどどどうしよう。
 爆が炎と並んでいる場面に遭遇した時も焦ったけど、今はそれのざっと30倍はいける!
 な、……なんて言えば……
 ”やぁ久ぶり!元気ぃ!?”とか……言えるか!
 実際には出てないものの、気分的には油取られてる蝦蟇みたいに冷や汗がだらだら出ているよーな感じだ。
 そんな風に、うろたえ、慌てて、動揺しまくる俺なんて知った事じゃねぇ、みたいに爆が靴を脱いで広場に上がる。
「……………」
 俺の前を通り過ぎる。
 そして、ペンギンのぬいぐるみを掴むと。
 ばふり。
「むぎゃ、」
 俺の顔に思いっきり押し付ける。俺が幼児だったら、窒息してるぞ。視界は完全に潰れて、何も見えない。
「久しぶりに会ったのに、挨拶も何も無しか?」
 爆の声がした。
「……………」
 押さえつけられたままのペンギンを取る。 
 と、爆が俺に対して手を伸ばした。
 殴られる!!?とか反射的に思ってしまって、ぎゅっと瞑った。
 爆の手が、頬を掠めたのが解った。
 シャッ、という何かの音。
「…………」
「天気予報、当たりそうだな。今にも雨が降りそうだ」
 なんだ……カーテン開けただけかよ………
 あー、何か俺ばっかりあたふたしてて、ばっかみてぇ。いや、原因があるのはこっちって解ってるんだけどさぁ。
 どうにも爆を直視できなくて、盗み見るみたいにちらちらと横目で見る。爆は、やっぱり相変わらずだった。
 背中を壁に凭れさせ、本を読んでいる。何となく、その表紙を見てみる。
 と。
「……何、これ、英語か?」
 とりあえず日本語ではないのは確かだ。それには自信がある。
「いや、イタリア語だ」
 素っ気無く言う爆。
「ふーん。そんなのに興味あったんだ」
 初耳だ。
「興味と言うか、教材にするのに無骨な教科書は好きじゃないんだ。やる気も殺がれるし、自国出版の本の方がよほど実践的だ」
「教材?勉強してんの?イタリア語」
「ちょっと、な」
「……あ、もしかして最初に会った時!」
 子供がうろつくには遅いなぁ、と思ったんだ。そうか、塾に行ってたんだ。言えば、そうだ、と爆は頷いた。
「なんだよ、言えばいいのに」
「わざわざ話題に上らす事もない内容だろう」
「いや………聞きたいよ。そういう事とか」
「そうか?」
「そうだよ」
 爆はあくまでいつもの調子だ。
「それにしても、イタリアかー。爆がそんなに好きだったなんて、思ってもみなかったな」
「別に、特別興味を持っている訳じゃないぞ」
 と、爆が言う。
「へ?じゃぁ、どういう、」
「イタリアに、行くんだ」
 ……行く?
 行くって………行く?
 そのニュアンスって、まさか。いやまさか。
「行くって……旅行!旅行だよな!?な!?」
 見っとも無いくらいの大きな声で俺は言った。
 そうだろう、と。そうであってくれ、と。
 祈りながら。
 でも、爆はゆっくり首を-----横に振って。




「中学を卒業したら、向うに渡るんだ」




 向うで暮らすのだと、爆は言って。




 いつの間にか、雨が降っていて。
 ぱたぱたと、雨粒がガラスに打ち付ける音が、聴こえた。




「……本当なら、もっと早くに行ってる予定だったんだ」
 と、爆は言う。
「炎の両親……つまり、オレの祖父母に当たる人物が行って----そのままオレ達も行く筈だったんだが、炎が押し切ってオレが義務教育課程を済ますまで、と粘ったんだ」
 淀みなく言うのが何だか悲しい。
 ----爆の両親は、何か色々あったらしい。
 悪意のある見方をすると、爆の祖父母は異国に連れ込む事で、爆が両親の事を忘れてしまえばいいと、もし調べたいと思ってもなかなかそれが出来ないようにしたいんじゃなかったんだろうか。
 俺は真っ赤な他人だし、うかつな事は言えないけど。
 でも。”炎”が”強引に押し切った”というのなら。
 それは、やっぱり……
 ………それにしても………
 おのれ……ンなカッコイイ真似してやがったのか……炎め……
 そりゃ、一緒に居ると幸せそうな顔してる訳だよ、爆が。
 いかん。うっかり思い出し落ち込みしそうだ。
「……なぁ。爆」
「なんだ?」




 あと数年経てば行ってしまうと言うのなら




「俺、この数ヶ月、わざとお前に会わなかったんだぜ」




 意地やプライドで、情けない本音隠すよりも




「爆は俺の事、炎の代わりみたいに思ってたんじゃないかって」




 全部知って欲しい。全部。
 俺の、全部。




 俺の事、もっともっと、もっと見てよ




「……………」
 雨が降り始めた事で、帰る人は居るものの、来場者は居ないようだ。ますます、人気が薄れていって、まるで俺達だけがここに居るみたいで。
 かち合う視線。音は何もしない。雨の音だけ。
 爆が数回瞬きするのを、俺は見届けた。
 いつもすぐに断言する爆なのに、爆は黙ったまま。それは時間が経てば経つほど、肯定を意味しているようで。
 でも、もう後悔はしない。訊く事に。
 俺の事知って欲しい以上に、爆。
 俺は、お前の事が知りたいんだ。
 暫くして-----本当はどうかなしらないが、俺には随分長く感じられた----爆が口を開く。
 それは、俺への答え。
 じゃなかった。
「じゃぁ、激」
 爆は言う。




「お前の寂しいヤツだって、最初に言ったのがオレじゃなくても。
 こうして、追いかけて会ってくれたか?」




 え?




 かち合う視線。音は何もしない。雨の音だけ。
 雨の音、だけ------




◆◇◆





こっちに出すはずだった話をを次回に回したんで、大分長くなるかと。
あと、一息です。